表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鋼琴一帯  作者: 谷川流慕
第一章 東方の星
3/59

眼下の湖

 車で3時間ほどかけてクローゼ社長はハンブルクに到着した。華商ホワシャン銀行ハンブルク支店のビルはアルスター湖に面しており、クローゼ社長が通された応接室からは湖が一望できた。

 このアルスター湖のほとりには日本やアメリカの総領事館をはじめ、各国機関がひしめいている。それをまるで高台から見下ろすような場所に銀行のオフィスが入っていることに、何か恣意的なものを感じさせた。


「遠い所ご足労いただきまして恐縮です。改めまして支店長のニー・グァンチェンです」


 ニー支店長とクローゼ社長は握手を交わした後、名刺交換をした。


「お電話では融資していただけるということでしたが」


「はい。おっしゃる通り私ども華商ホワシャン銀行は御社に融資させて頂きたいと考えています」


「それはありがたい話だが、外資の金融機関がとうしてウチのような零細企業に融資しようとするんです? どう言った風の吹きまわしですか」


「ウチの頭取は大の音楽愛好家でして、お嬢様も音楽学生です。ご存知と思いますが、中国ではクラウトミュラーのピアノはスタインウェイ以上に高い評価を受けています。我が国でピアノを弾く者にとってクラウトミュラーピアノは憧れの存在なのです。

 しかし……申し上げにくいことですが、我々の情報網では御社の経営状態が芳しくないと囁かれています。そこで当行の頭取は御社の助っ人として是非名乗りを上げたいと思った次第です。歴史あるメーカーを守りたいと」


 胡散臭い話だ……クローゼ社長は思った。絶対何か裏があるに違いない。しかし今日それを問い質したところでニー支店長は口を割らないだろう。


「失礼ながらあなたの話を鵜呑みに出来るほど私は純真な人間ではありません。あなたは我が社が経営難だから融資すると言うが、普通銀行はそういう会社からは手を引いていくものです。返済が困難であると分かって融資するならそれはむしろ反社会的行為ではありませんか」


 ニー支店長は微笑を浮かべ、いきり立つクローゼ社長に手のひらをかざして宥めた。


「まあ、おっしゃることはごもっともですが、魅力ある企業を支援して救済するのも立派な銀行業務です。ここはひとつ、頭取の好意として受け取って頂けませんか」


 クローゼは無言で手を組んだ。ニー支店長はしばらくそれを眺めて話し続けた。「まあ……信用して頂けないのも無理はないですね。でも、取り敢えず御社で目下必要としている運転資金だけでも融資させていただけませんか? いや、別に警戒しなくても怪しい話などありませんよ。契約書を渡しますからよく読んで検討下さい。これはわざわざご足労頂いたあなたへの“おみやげ”です」


「そのおみやげを受け取るかどうかも含めて、検討します」


 クローゼ社長はそう言って華商銀行を後にした。


|| ||| || |||


 クローゼ社長から報告を受けたベン・クラウトミュラーは途端に不機嫌になった。本来なら自分に通すべき話であるにもかかわらず、頭越しにクローゼ社長に話が持ちかけられた……まるで自分の存在など無視されているかのように思えたからである。

 また、相手が中国の銀行ということもベン・クラウトミュラーを警戒させた。クラウトミュラー社は以前、中国市場に足を踏み入れた時に詐欺師まがいの商売人たちに散々な目に遭わされた苦い経験がある。総輸入元のワン氏という信頼のおける人物と出会うまではピラニアの池を泳いでいるような気持ちだった。


「だいたい私に断りもなしにハンブルクまでのこのこと話を聞きにいくとは……君も一体何を考えているんだ!」


「申し訳ありませんでした。何しろ急でしたし、融資の話だけであれば私の裁量で捌けると思いましたので……」


「弁解はいい。とにかくこの話はなしだ。すぐに断りの電話を入れなさい」


「でも、今月融資がどこからも受けられないとなると給料も支払えませんし、資材の調達も滞ることになります。“おみやげ”だけでも受け取りませんか?」


「だめだ。もう一度経営委員会(ベトリープスラート)と交渉して給料日を遅らせなさい。資材不足も時短労働クルツアルバイトで間に合わせろ。何とか融資なしで乗り切る努力をするんだ! 私も金策が他にないか改めて探してみよう」


 しかし経営委員会(ベトリープスラート)はけんもほろろでクローゼ社長の要求を突っぱねた。他の融資先を血眼で探してみたが、やはり見つからなかった。営業社員たちにも発破をかけて何とか受注を取るよう命じたが、思うような結果は得られなかった。クローゼ社長はまたベン・クラウトミュラーに相談した。


「給料日まであと5日を切りました。もう後がありません。とりあえず“おみやげ”だけでも受け取りましょう」


「君はそれが何の見返りも要求しないただのおみやげだと本気で信じているのかね。どんなトラップが仕掛けられているかわからんぞ」


「たとえその罠にはまったとしても、そこから抜け出すのに必要なエネルギーは、経営委員会と交渉したり金策に奔走したりするより遥かに少なくて済むことでしょう」


 クローゼ社長に説得されてベン・クラウトミュラーはしぶしぶ承諾した。こうしてクラウトミュラー社は華商銀行から当面の運転資金を借り受け、何とか急場をしのいだ。しかし現状は首の皮一枚で繋がっているだけで、時間が経てばまた同じ問題に頭を抱えることになるのは誰の目にも明らかだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=956274328&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ