開設
ピティフェ正会員の村岡公子は移籍手続きのためヤマカワ勝小田店まで出向き、岡島と奥本課長に話した。
「山岡支部の指導者会員の中に正会員に昇格できそうな先生が数名おられます。もちろん鬼平先生の息がかかっていない人達です。私がその先生方を責任持ってスカウトして来ます」
村岡がそう言うと、奥本課長は何度も頭を下げながら言った。
「それは助かります。宜しくお願いします」
その後、村岡の働きによって多くの指導者会員が移籍に同意した。彼らの多くは鬼平のワンマンぶりにウンザリしていたのである。その内2名が正会員としてピティフェ本部から承認され、それによってヤマカワ勝小田店が運営するピティフェ勝小田連絡所の承認が確定した。
すると早速本部の八木部長が津田を伴って再びヤマカワ勝小田店を訪れた。今度はコンペティション予選会の開催について打ち合わせをするためである。
「まずは連絡所開設おめでとうございます。早速コンペティション開催についてお話したいと思いますが、開催場所の候補はいくつか挙げておられますか?」
「ええ、こちらの3つがウチの方でよく使わせてもらっているホールです」
奥本課長は3冊のホール案内パンフレットを差し出した。八木部長はそれらを手に取ると、食い入るように目を通した。
「規模から言えばこの“アンダンテ勝小田”が最適ですね。いかがですか?」
「ええ、使い勝手は申し分ないのですが、ピアノの調律は他店が専属権を持っておりまして、調律もそこでしなければならず、余分に経費がかかってしまうのです」
「こちらで調律すると言ったらどうですか?」
「その場合でも向こうの調律師が立ち合うことになります。その際、立会い料として一回分の調律料と同額の金額を支払わらければなりません」
「そうですか……何とか交渉出来ないものでしょうか?」
八木部長がため息交じりに言った時、岡島はあることに気がついた。
「奥本課長、アンダンテ勝小田の専属って山岡楽器でしたよね」
「ええ、そうですが」
「僕の調律学校の同期が山岡楽器で働いているんです。彼に話してみたら上に掛け合ってくれるかもしれません」
「そうでしたか、じゃあ一度話してみてもらえますか?」
そして会合が終わった後、岡島は同期であり山岡楽器の調律師である高橋一馬に電話し、今晩会って話したいことがあると伝えた。そしてその晩彼らは居酒屋で落ち合い、ビール片手に昔話などをした。そして2杯目を注文した時、岡島は本題を切り出した。それを聞いた高橋は宙を見つめながら言った。
「そうか……お前も大変だな。全然営業とか向いてなさそうだもんな」
「そうなんだよ。何とか助けてくれないか」
「わかった。とにかくその話、技術課長に言ってみるよ。結果がどうなるか保証は出来ないけどな」
「ありがとう、恩にきるよ」
岡島が嬉々として言うと、高橋は言いにくそうに言った。
「まあその代わりと言っては何だが……俺にもお前に頼みたいことがある」
「頼み? 僕にかい?」
すると高橋は手を合わせて懇願するように言った。
「頼む、岡島! 誰かかわいい娘紹介してくれ!」
「はあ?」
「ほら、お前と俺って女の好み近いだろ。お前がいいと思う女は絶対俺が見てもかわいいと思うんだ」
確かに岡島と高橋の女性の好みは一致していた。調律学校時代、同じ女性を好きになったことがあってその時は彼らの関係は険悪になった。まもなくその女性に彼氏が出来てから高橋との仲は回復したのだが……。
「いやぁ……かわいい娘って言われてもなあ。なかなか心当たりが
……」
岡島はそう言いながら、ふと筒宜結実子の顔が思い浮かんだ。確かに彼女はかわいいな……そう思っているところを察知したのか高橋が食い込んで来た。
「おい、お前今誰かのことが頭に浮かんだろ。その人紹介してくれよ」
高橋の勘の鋭さに辟易しながら岡島は打ち消すように言った。
「だ、駄目だよ。その人仕事のお客さんだし、まだ付き合いも浅いんだよ」
「大丈夫、お前はただその人を俺に会わせてくれさえすればいい。後は俺が何とかするから。な、ホールの調律の件はこっちで何とかするから。頼むぞ」
高橋は有無を言わせずに頼み切った。これではどちらが頼みごとを持ちかけたのかわからない。
次の日、岡島は出来上がったチラシのサンプルを持って筒宜結実子を訪ねた。チラシを見た彼女は喜んで言った。
「すこくいいです。岡島さん、ありがとうございます」
「それじゃ、こちらで印刷してもらいますね。それと、別の件でお願いしたいことがあるんですけど……あの、僕の友達に会っていただけないでしょうか?」
「岡島さんのお友達に……どうして?」
結実子に問い質されて岡島は一部始終を話した。ところが話が進むにつれ結実子の表情が険しくなっていった。
「……早い話が私を山車に使ってお仕事を取ろうというわけですね」
「あ、いえ、山車とかいうわけではなく……」
「ひどい……私、岡島さんのこととても誠実で真面目な方だから色々なことをお任せできると思ったんです。でも、そんなやり方で仕事をする人だったんですね、見損ないました。もうピアノ教室のことも他の方にお願いすることにします。もう帰って下さい、そして2度と連絡して来ないで下さい。さようなら」
そして殆ど追い出されるようにして岡島は筒宜家を後にした。
(もう、今度こそ駄目だな……)
岡島はそうひとりごちると体から力が抜けていった。そして歩道橋の上に登り、下を走る車を眺めながらタバコを何本もプカプカふかしていた。
ある程度気力が戻ってきたところで会社に戻り、奥本課長に一部始終報告した。
「それはもう、謝るしかないですね。今日はまだ筒宜さんも気が立ったままでしょうから、明日にでも僕と一緒に謝りに行きましょう」
「はい、宜しくお願いします……」
岡島は力なく返事してタイムカードを押し、早々と退社した。そのまま家には帰らず、近所の屋台で酒を浴びるように飲んだ。
「くそっ……頑張ってるだけなのに、何で、見損なわれなくっちゃいけないんだよ、誰か認めてくれよぉ〜〜ゆみこ〜〜ゆみこちゃ〜〜ん、認めてくれよぉ〜〜」
岡島がそうやってクダを巻いているところで携帯がなった。
「も〜しも〜〜し」
「……岡島さんですか? 筒宜です。先ほどは失礼なことを申しました。ごめんなさい」
酔った勢いで名前を呼んだら電話がかかってきたので岡島はびっくりして酔いが醒めてしまった。
「あ、し、失礼しました。こちらのそ今日は本当に失礼なお願いをしてしまいまして申しわけありませんでした」
「いえ、そんな……あの、お友達のことなんですけど、私の大学の後輩にとってもかわいい娘がいて、最近彼氏が欲しいって言っていたのを思い出したんです。それで岡島さんのお友達に彼女を紹介するのはどうかと思ったんですけど、いかがですか?」
「そ、それは願っても無い話です。是非友人に紹介させて下さい!」
「ただ彼女、とてもはにかみ屋さんなので、最初は2人きりではなくて、私と岡島さんも一緒に会うという形にしたいのですが、よろしいでしょうか?」
……つまりはダブルデート。岡島自身も何だか楽しくなってきた。
「はい、是非4人で会いましょう。楽しみにしています」
こうして事態は一転し、まばゆいばかりの明るい光が射し込んできた。岡島は飛ぶような軽い足取りで家路についた。




