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鋼琴一帯  作者: 谷川流慕
第二章 修行時代〜日本編
19/59

お局

 筒宜つつむべ結実子の話を岡島から聞いた奥本課長は、山岡支部から運営権を譲り受ける方針を固めた。早速彼らは山岡支部の連絡先となっている鬼平酒店を訪ねた。店に入ると小柄な初老の男性が愛想よく出迎えた。


「いらっしゃいませ」

「ヤマカワ勝小田店の者ですけど、ピティフェのことでお話に伺ったんですが……」

「え……? ピティ? ああ、あのピアノのあれですな。あれは娘がやっておりましてな、私は何も関わっておらんです。娘に直接聞いていただけませんかな」

「お嬢様は今いらっしゃいますか?」

「今はおりませんなあ……帰ってきたら連絡させましょうか」

「恐れ入ります、よろしくお願いします」


 こうして奥本課長と岡島は鬼平酒店にいとまを告げ、ヤマカワ勝小田店(会社)に引き返した。事務所に入ると『鬼平芽依様から電話がありました。折り返しお電話下さい』とメモ書きされた付箋が奥本課長のデスクに貼ってあった。早速奥本課長は受話器を取った。


「もしもし、ヤマカワ勝小田店の奥本です」

「さっきは留守にしてごめんなさいね。で、ピティフェに関することってどんなお話ですか?」

「突然なんですが、実は支部の運営権をこちらにお譲りいただけないかと思いましてお邪魔させていただいたわけでして……」


 すると電話口の向こうで鬼平芽依は考え込んだのか、しばらく沈黙が続いた。そしてその刹那の後こう切り出した。


「わかりました。私の一存じゃ決められないから、5人の正会員を集めて改めてお話聞かせていただきます。2時間後にマスト覚締店っていうファミレスに集合でいいかしら」

「はい、伺います」


 勝手に話をつけているが、5人の正会員にも都合があるだろうに……鬼平芽依はよほど影響力のある人物なのだろうか、と岡島は思った。

 そして、ファミレスで本人を見た時、その思いは正しかったと感じた。背は低くぽっちゃり体型で顎の下には立派な肉をたたえていた。40は過ぎていると思われたが実家と同じ姓であることから独身であることが推測された。時々大きく見開いた目で周囲を見渡す癖があった。その視線が向けられた者がビクッとしているのが岡島にも感じ取れた。


「今日はヤマカワさんからピティフェ支部のことでお話があるそうです。じゃヤマカワさん、みんなに話して下さいな」


 鬼平は完全にその場を取り仕切っていた。妙な感じでイニシアティブを取られ、ペースを掴めない奥本課長はやりにくそうに話し始めた。


「ええと、私共はピティフェ支部を運営したいと考えております。そして聞くところによれば、山岡支部では会員の皆様がコンペティションを運営しているそうですね。それで会員の皆様にもかなり負担が掛かっていらっしゃるとか。私共では様々な音楽イベントに精通したスタッフが多数おりますのでお任せいただければ会員の皆様は生徒さんのことに集中することが出来ます」


 奥本課長の話を何人かの正会員は頷きながら聞いていた。しかしここで鬼平が奥本課長の話を遮るようにしゃしゃり出てきた。


「まあ、コンペティション運営が負担になっているですって? どなたがそんなことおっしゃったのかしら。皆さん、心当たりある?」


 鬼平はそう言って大きく白目まで剥いた目で5人を見渡した。それで先ほど頷いていた者も慌てるように萎縮して首を横に振っていた。この様子では鬼平以外のメンバーの率直な意見を聞くのは難しいと岡島は感じた。


「負担っておっしゃいますけどねえ、たしかに大変かもしれないけどみんなで1つになって頑張ってやり遂げていくのがいいんじゃないかしら、ねえ」


 そう言って鬼平は再び視線を5人に投げかけた。5人は申し合わせたように幾度も頷いた。


「じゃ、決を採りましょう。今後ピティフェ山岡支部の運営をヤマカワさんにお任せしたいという人、手を上げて!」


 鬼平が睨みを利かせると、案の定誰も手を上げなかった。


「……ということで私たちは今まで通り支部を運営させていただきますわ、ヤマカワさん。せっかくですけどこのお話はなかったことにしていただけますか? お食事が済んだらどうぞお引き取り下さいな」


 鬼平に圧倒され、半ば追い出されるように奥本課長と岡島は店を出た。


「いや……すごい迫力でしたね、あのおばちゃん」

「岡島さん、あの人は山岡支部を手離す気はないでしょう。我々はやはり地道に新支部設立に向けて動くのがベターですよ」

「そうですね……でも、筒宜つつむべさんが言うには山岡支部のやり方を負担に思っている会員が多数いるのも事実です。奥本課長、鬼平先生の息のかかっていない指導者会員をターゲットに署名を集めれば多数決で支部運営権を勝ち取ることが出来るんじゃないですか?」

「そうですかね……一度岡島さんが思うようにやってみて下さい」


 次の日、岡島はピティフェ本部に山岡県近辺のピティフェ会員リストを請求した。


「リストはどのような目的で使われるのですか?」


 八木部長が聞くと岡島は次のように答えた。


「どこの支部にも属さない無所属の会員の方に声をかけてみようと思いまして……」


 それは嘘ではなかったが、本当の目的は山岡支部の指導者会員の連絡先である。少しだけ嘘をついたことになるが、背に腹はかえられない。

 リストを手に入れた岡島は早速署名集めに走った。しかし、影響がないと思われた指導者会員でも鬼平に逆らうことには躊躇する者が多く、1週間経過しても思うように集まらなかった。

 そればかりか、指導者会員の中にも鬼平と深く関わりを持つ者が多数おり、この署名活動のことが鬼平の耳に入った。鬼平がそのことを本部に報告したので、岡島は本部から注意勧告を受けることになった。


「岡島さん、支部設立に熱心なのはいいですが、他の支部とのトラブルは困ります。今後このようなことが発覚しましたら支部設立は不認可とさせていただきます」


 八木部長から注意されて凹んでしまった岡島は車を走らせ、適当なところに停めてタバコに火をつけた。


(最近本数増えたな……ストレスか)


 もともと向いていない営業の仕事。ちょっとやる気出したと思えばこうして壁にぶつかる。もう潮時か、そろそろ会社やめるかな。そう思った時、携帯が鳴った。知らない番号だ。


「はい、岡島です」

「あ、ヤマカワの岡島さんですか? ピティフェ山岡支部正会員の村岡です。先日お会いした……」


 岡島は思い出した。たしか、鬼平先生とのファミレス会談の時、村岡さんと呼ばれていた人が列席していたことを。


「こんにちは、村岡さん。どのようなご用件でしょうか?」

「先日、ヤマカワさんは当初新しい支部を立て上げようとされていたとお聞きしましたが、今もそうされるおつもりはあるでしょうか?」

「ええ。山岡支部の運営を譲っていただくのは難しそうなので私共は当初案でやり直そうと思っています」

「そうですか。もし新支部を設立されるのでしたら……私は山岡支部からあなたがたの支部に移籍したいと思います」

「えっ、ほ、本当ですか!」


 岡島は突然舞い込んだ話に思わず飛び上がり、危うく火のついたタバコをズボンの上に落としそうになった。

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