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鋼琴一帯  作者: 谷川流慕
第二章 修行時代〜日本編
18/59

ピティフェ

 約束の時間を少し過ぎてやって来たのは、岡島と同じ年頃と思われる男女2人であった。彼らはピティフェ支部設立の指導のために本部から派遣されて来たのであった。


「すみません、道に迷ってしまいまして……」


 そう言ったのは女性の方であった。彼女は年齢こそ若そうであったが、銀色と言って良いほど白髪混じりの頭髪であった。相当苦労しているのだろう。2人の様子から女性の方が上役で男性の方はその部下であると思われた。奥本課長が彼らに応対して言った。


「いえいえ、ご丁寧にご連絡までいただいてありがとうございました。ご無事に到着されて何よりです」

「申し遅れました。ピティフェ運営部長の八木篤子と申します」

「同じく運営部地域課の津田智です」


 こうして形式的な挨拶を済ませた彼らは早速本題に入った。


「この度はピティフェ支部設立をご検討いただき、誠にありがとうございます。まずはこちらの資料にざっと目を通していただけますでしょうか」


 八木が合図すると、津田が鞄から2冊の資料を出し、1冊ずつ岡島と奥本課長に渡した。表紙にはピティフェ支部設立のしおりと書かれており、月刊誌くらいの大きさ、厚さで、とても瞬時に目を通せるようなものではなかった。


「では、6ページをご覧下さい。ここに支部設立の流れとあります。まずしていただくことは会員集めですね。規定人数の会員が揃いましたら、本部の方に支部設立申請書を提出していただきます」

「規定の会員数と言うのは何人ですか?」


 岡島が質問すると、八木が(そこに書いているでしょう)という響きを若干持たせつつも丁重に答えた。


「隣の7ページにもございますが、2名の正会員と5名の指導者会員が最小限必要となっております」

「正会員と指導者会員とはどう違うのですか?」

「一言でご説明するのは難しいですが、正会員はよりピティフェの活動に関わって頂く会員さんということになります。また、指導者会員は申し込めばどなたでもなって頂けますが、正会員になるにはその方の活動状況などをピティフェ本部が審査いたしまして認定された方のみがなることが出来ます」

「その審査基準はどのようなものですか?」

「生徒さんを沢山コンクールに出している、またご本人が精力的に演奏活動されているという場合は審査に通りやすいと思います。ピティフェの指導者会員として3年間連続して生徒さんがコンペティションに出場していればほぼ間違いなく審査はパスします」


 2名の正会員……取り敢えずそこが最初のハードルのようだ、と岡島も奥本課長も思った。


「そうして会員数が満たされた状態でお申し込みいただければ、余程のことがなければ受理されます。そして最初は連絡所という名目でスタートし、1年以内にコンペティション予選会を一度開催していただくことになります。そうすれば1年後に晴れて支部へ昇格となります」

「なかなか長い道のりですね……」


 岡島がそう言うと、八木は少し苦笑するように言った。


「みなさん、初めはそう仰るのですが……いざ始めてみると時間に追われて、あっという間に時間が経ってしまうものですよ」


 八木と津田が帰って行ったあと、岡島と奥本課長はため息まじりに話した。


「5名の指導者会員は何とかなるでしょう。ですが、正会員2名を集めるのが難しいですね……結局ピティフェに実績のある人しかなれないということでしょうから、ピティフェの土壌のなかったこの地域でそういう人を探すのは至難のわざですよ」

「ピティフェではありませんが、コンクール指導歴のある先生に心当たりがあります。その先生方にあたってみますよ」


 奥本課長はそう言って3名の名前をリストアップした。


 ・緑川多恵

 ・島田瑞穂

 ・石黒なつ美


 岡島は奥本課長に連れられてこの3人に当たってみた。奥本課長とかねてより信頼関係を築いてきただけあって、ピティフェ正会員となることに3人とも承諾した。

 ところが、ピティフェ本部はこの3人の正会員申し込みを受け付けなかった。奥本課長に命じられて岡島は本部の八木部長に電話した。


「どうしてあの3人は審査で落とされなくてはならないんですか?」

「申し訳ありません。3人とも素晴らしい経歴をお持ちではありますが、やはりピティフェでの活動歴が皆無となりますと、審査委員が認め辛いのです。どうか悪しからずご了承下さい」


 それからが大変だった。本部から正会員審査に落とされたと知った3人は「こんな失礼な話があるか!」と言って怒り出した。特に島田瑞穂は「今後ヤマカワ勝小田店との関わりを拒否する」と言って店長に直訴し、店中をひっくるめた大騒ぎとなった。鈴木店長が直々に島田瑞穂のところに出向いて何とか宥め、事なきを得たが奥本課長は呼び出されてこってりと絞られた。


「島田先生はウチにとっては大事なお客様だぞ。そんな方を巻き込んでおいてダメでした、とは何事だ! なぜちゃんとリサーチした上で万全な対策を練って事に当たらなかったんだ、一体君は何年この仕事をしているのかね!」


 もっとも島田瑞穂がヤマカワ勝小田店を懇意にしているのは奥本課長の功績であって、鈴木店長は何ら役に立っていないのであるが奥本課長は黙って言わせるままに任せた。


「まあ、言いたい人には言わせておけばいいんですよ」


 鈴木店長の吊るし上げから解放された奥本課長は待っていた岡島に開口一番にそう言った。


「でも……暗礁に乗り上げましたね。これからどうしたらいいでしょうか」

「ウチと取引のあるレスナーさんでピティフェの活動歴のある人がいないか探してみますか」


 奥本課長との話し合いが終わる頃、大日広告の杉山と名乗る男が岡島を訪ねてきた。筒宜つつむべ結実子のホームページ開設とチラシ作成の打ち合わせをするためである。


「幾つかのサンプルをお持ちしましたのでご覧下さい」


 岡島はサンプルを見比べてみた。しかしどれも良い気がして甲乙つけがたい。


「うーん、こういうのってどのような基準で選んだらよいのでしょうかね……」

「こちらはそれぞれ違うクリエイターがデザインしたものですが、最終的にはご本人の感性と合うかどうかと言うことに尽きます。でもそれ以前の問題としてどのような客層にアピールしたいか考慮する必要があります。例えばこの2つのチラシを見て下さい」


 杉山がそう言って指し示したチラシの一方はシルク調で高級感溢れるもの、もう一方はカラフルで楽しさを強調したものであった。


「こちらのシルク調の方はセレブ意識の高い富裕層相手には良いかもしれませんが、一般庶民には近寄り難く、多くの生徒を集めるのには不向きです。こちらの派手な方はその逆のことが言えます。多くの人を引きつけますがハイソな客層に絞り込みたい方には向いていません」

「なるほどですね……」


 岡島は杉山の持ってきたサンプルを幾つかチョイスして筒宜つつむべ結実子のところへ持って行った。そしてそれらを見せながらほぼ杉山の受け売りで説明した。結実子は説明を受けながらサンプルを入念に見比べてみた。


「ホームページの方はこれがいいです。チラシですが、これが1番いいと思うんですけど、もう少し色合いを淡くしていただけないでしょうか?」

「わかりました、こちらをトーンダウンしたものをまた幾つかお持ちします」


 そう言ってサンプルを片づけている岡島に結実子が聞いた。


「そう言えば、ピティフェ支部開設の方はどうなりましたか?」

「ええ……まず会員を集めないといけないんですが、正会員審査に通るような人を探すのが難しいですね……。他の支部さんから正会員をスカウトするわけにもまいりませんし……」

「それなら新支部開設ではなく、他の支部から運営権を譲り受けるというのはどうでしょうか」

「運営権譲渡? そんなことが出来るんですか?」

「ええ、おそらく。ピティフェの会報を見ていると、たまにどこかの支部の連絡先が変更されていたりするんです。多分運営者が替わったのだと思います。私の所属している山岡支部は酒屋さんが運営していて、そこの娘さんが正会員として取り仕切っているんですけど、コンペティション予選会では何人もの会員が手分けして運営するんですね。本当は自分の生徒のことでいっぱいいっぱいなのに、その上コンペティションのスタッフとして借り出されると負担が大きすぎるんです。もし支部の運営を楽器店がしていただければ会員の皆さんも助かると思います」


 それを聞いて岡島は明るい兆しが見えてきた気がした。早速奥本課長に報告し、アクションを起こすことにした。

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