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鋼琴一帯  作者: 谷川流慕
第二章 修行時代〜日本編
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我ら農耕民族

 岡島から報告を受けた奥本課長は早速ピアノ営業についてのレクチャーを始めた。


「営業マンというと、どちらかと言えば狩猟民族のイメージに近いと一般には思われているでしょう。でもピアノ売りというのはむしろ農耕民族なんですよ」

「農耕民族……」

「ええ。具体的に言うと、誰かピアノを買いたい人がいれば、その情報を最初にキャッチするのはその人のピアノの先生なのです。それでその先生と営業マンが普段から懇意にしていれば自ずと紹介して貰えるというわけです。しかもその時点では八割方商談が成立しているようなもので、後は事務的に手続きだけで勝手に契約成立へと流れていきます。巧みなセールストークなど必要ありませんよ」

「つまり畑を耕し種を蒔き、水をやっていればやがて収穫の時が来る……そういうことですか。でも、大体の人は先生につく前にピアノを買ってしまうんではないですか?」

「いや、ちゃんとしたピアノを買ってから習い始めるという人はむしろ稀なんですよ。多くの場合キーボードや電子ピアノ、粗悪な激安ピアノで間に合わせるものなのです、でもそういう人はレッスンが進めば必ず本物のピアノを欲しいと思うようになります。その意味でレスナー、即ちピアノの先生のお宅は見込み客の宝庫と言って過言ではありません」

筒宜つつむべさんのピアノ教室開設は畑を耕す段階というわけですね」

「ええ、生徒をたくさん持っているレスナーのところには複数の営業マンが出入りして競合も激しくなりますが、筒宜つつむべさんのように開設時から世話していれば、まず裏切られることはありません。だからすぐには利益に繋がらないかもしれませんが、決しておろそかにしてはなりません」


 そして約束の日時に岡島は奥本課長を伴って筒宜つつむべ家を訪問した。語るべきことは既に奥本課長から教わっており、基本的には岡島が説明することになっていた。時々難しい質問が出た時に奥本課長が助け船を出すという方針である。


「……緊張してますか」


 筒宜つつむべ家を前にして顔がこわばってきた岡島に奥本課長が聞いた。


「だ、大丈夫ですよ」

「最初は誰でも緊張しますよ。でもそれがお客さんに伝わったら台無しです。鏡を見て顔だけでも落ち着いている表情を作っておいて下さい」


 岡島は言われた通り鏡を見てみるとガチガチに引きつった顔だった。慌てて顔をマッサージして取り敢えず表情だけは和らげておいた。震える手でインターホンのベルを鳴らすと、若い女性の声──電話で聞いたあの声が応答した。


「……どちら様でしょうか」

「おはようございます。ヤマカワ勝小田店の岡島です」

「はい、今そちらに参ります」


 そして、門から数メートル先の玄関が開いて中からその女性──筒宜つつむべ結実子が迎えに出てきた。


「お待ちしておりました。筒宜つつむべ結実子です。どうぞお入り下さい」


 結実子を見た岡島はつい先ほどとはまた別の意味で緊張した。なぜなら、結実子があまりに美人だったからである。これほど美しい女性はテレビや映画でしか見たことがなかった。

 リビングに通された岡島は奥本課長と結実子に挟まれてドキドキしながら話を切り出した。


「ピアノ教室は言うまでもなく生徒さん集めから始めることになりますが、その前にレッスン会場、お月謝の金額、大まかな指導方針を決めておく必要があります」

「レッスン会場は普通自宅でするものではないのですか?」

「そうですね。親御さんたちがレッスン会場の条件として一番気にするのは子供を安全に通わせることが出来るかということです。あとは良いピアノが設置してあるか……自宅でこの条件が揃わない場合、何処かで場所を借りることになります。その意味で筒宜つつむべさんのお宅は全て好条件ですので、ここをレッスン会場とするのは問題ないと思います」

「私もここでレッスン出来れば良いと思っていました。お月謝の基準はどのように考えれば良いでしょうか」

「はい、安すぎると『この先生大丈夫かしら』などと思われて不信感を持たれます。かと言って高すぎると生徒さんが集まりません。筒宜つつむべさんのように四年制音大のピアノ科を卒業している方であれば、相場の平均かそれを少し上回るくらいが良いでしょう。指導方針について何か思うところはありますか?」

「はい、私は大学卒業と同時にピティフェの指導者会員になりました。その指導要綱がとても良いなと思いましたので、それに基づいて教えていきたいと思います」


 岡島がピティフェという聞き慣れない単語に戸惑いを見せかけた時、すかさず奥本課長が助け船を出した。


筒宜つつむべさん、ピティフェの会員だったんですか。どちらの支部ですか?」

「山岡支部なんですけど……ちょっと遠くて不便なのが玉にきずです」

「実は私どもの方でピティフェ勝小田支部を立ち上げるプランがあるんですよ。もし実現したらこちらの方に移籍して頂けると嬉しいです」

「勝小田に支部が出来たらすごく助かります。是非お願いします!」


 筒宜つつむべ家を出た岡島は車を運転しながら奥本課長に聞いた。


「あの……ピティフェって何ですか? それにウチで支部を立ち上げるって……」

「すみません、そのうち言おうと思っていたのですが……ピティフェというのはピアノ・ティーチャーズ・フェローシップの略でピアニストの福川安江が立ち上げた団体です。主な活動は年に一度のピアノコンペティション、そしてセミナーなどのイベント開催です。昨今では知名度が上がって色々な情報が集積されるようになり、セミナーや出版物の人気が高まっています」

「しかしそんな外郭団体の支部をウチが作るメリットが何かあるのですか?」

「ピアノコンペティションは地区予選から全国大会までありますが、地区予選を主催するのは各支部です。と言うことは申込書も支部に提出されるわけですよ、その意味がわかりますか?」

「つまり参加者の個人情報が自動的に入手出来ると……」

「ご名答。そして一番大切なことですが……支部立ち上げの担当を岡島さん、あなたにお願いします」

「ええーっ」


 あまりに突飛な話に岡島は目を丸くして固まった。

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