欺瞞
岡島は社長室に駆け込む前に、例のピアノ3台が並んでいる試弾室に入った。すると実習生たちが片付けて倉庫に運ぼうとしているところだった。
「ちょっと待って!」
岡島は慌てて彼らを留めた。そしてピアノの外装を外して中の部品を細かくチェックしてみた。
(間違いない。ロゴは外してあるがこれらはヤマカワのパーツだ……)
岡島は携帯を取り出してシュトレーゼマンを呼び出した。
「ちょっと試弾室に来てくれ。見て欲しいものがある」
シュトレーゼマンがやって来ると、岡島はパーツの一つ一つを取り上げてヤマカワのものであることを指し示した。そして王氏から電話で聞いた内容も伝えた。
「道理で良い筈だ。もちろんこれをずっと出してくれるんなら文句はないが、コスト的にそうはいかないだろう」
「じゃ、社長室に一緒に来てくれるか」
こうして2人は意気込んで社長室に入って行ったが、間の悪いことにそこに野原もいた。岡島はシュトレーゼマンの脇を突いて発言を促した。大差はないだろうが、よりネイティブなドイツ語で話すほうが野原には聞き取られにくいと思ったのである。
「社長、新しく中国から来たピアノはほとんどヤマカワと同じ部品や素材で出来ています。通常ならコストがかかりすぎて商品化できないはずです。おそらく今日の意見会のためにヤマカワの下請け工場でこしらえた見世物です。いざ商品化となればもっとリーズナブルな工場で造る筈です。この男に騙されてはいけません」
クローゼ社長の横で傍観していた野原は「この男が何と言っているのか」と英語で尋ねた。クローゼ社長は伝えないわけにもいかず、「今日提示されたサンプル品はコストのかかる工場で製造されたもので、商品化の際にはもっと人件費のかからない低レベルな工場で製造するに違いない、と彼は危惧しているようだ」と伝えた。
それを聞いた野原はぎこちない笑顔を浮かべてシュトレーゼマンにゆったりとした英語で説明した。
「たしかに今日中国から持ってきて皆さんにお見せしたピアノは少々コストのかかる工場で作らせたものです。無論今回かかったコストで新商品の製造を開始出来ないのは事実です。商品化まで工場に対してコスト削減の交渉をし、もし受け入れられなければ他の工場を探すまでです。でもその際でもスケールデザインは変わりませんし、素材のクオリティー維持は絶対条件となります」
野原はそこまで言って岡島をちらっと横目で見て話しを続けた。「……まあどこの誰に吹き込まれたかは知りませんが、我々がそんな詐欺みたいなことするはずないでしょう。新商品として市場に出るピアノは、今日見ていただいたものと比べて品質面において決して引けを取らないはずです。どうかご安心下さい」
野原にそう言われてしまっては岡島もシュトレーゼマンも何も言えなくなった。そのまま退室した二人はまるで喧嘩をして親から怒られた兄弟同士のように呟き合った。
「クローゼ社長、だめだな。完全にヤツらの言いなりだ」
シュトレーゼマンの愚痴に付き合うように岡島も言った。
「仕方ないさ、ウチは借金だらけ、向こうは金が有り余ってんだ。昔から金のあるやつにはかなわないさ」
「まあでも、俺たち言うべきことは言えたんじゃないか。あとは上のほうがどうするかだ」
「そうだな」
だが、シュトレーゼマンの言う通り、クローゼ社長はイーストスター社の言うことに逆らえる立場ではもはやなくなりつつあった。たとえ試作品が商品化不能なほどコストをかけたものだとわかったとしても、イーストスター社の打ち出す新商品の方針にノーとは言えなかった。
意見会での試作品の噂はどこからともなく従業員の間に広まり、ますますイーストスター社への反感が強まった。経営委員会は事あるごとに新商品開発に反対し、ビラを作成して従業員全員に配布した。また、工場内のトイレの壁に「ヒネーゼ ラウス!」という落書きまで現れるようになった。
野原はそれらの首謀者がマイク・シュトレーゼマンではないかと疑い始めた。もともと野原は日頃から何かとぶつかってくるシュトレーゼマンのことが気に入らなかったので、それとなく嫌がらせをするようになった。
まず野原は会社のコンピューターに入り込んでシュトレーゼマンの給料計算書に細工した。ところどころ誤算を起こさせ、結果的に実際の7割ほどしか計上されなかった。翌月はその間違った給料計算に基づいて給与が支払われた。もちろん正しい計算に基づいた差額は支払われるが、翌月になってしまい、その月は苦しい生活を強いられることになった。
また勤務中にシュトレーゼマンが私用で携帯電話をかけていたと人事担当者に密告した。実は野原がそれを目撃したわけではなかったのだが、多かれ少なかれほとんどの従業員が勤務中に私用で携帯電話を使っていることは何となく分かっていたので、鎌をかけたのである。シュトレーゼマンはかなりの頻度で勤務中に携帯電話を使用しており、ハッタリであっても言い訳できなかった。そんな子供じみた嫌がらせの連続に、とうとうシュトレーゼマンも疲れ果ててしまった。