表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

誰にだって下心はある

 隣の席の大地から助け船を貰い、何とか現代文の授業を乗り切ることに成功した。

 当てられてから全くノートを取っていないことに気がつき、チャイムが鳴るまで端から端までぎっしりと埋め尽くされた黒板の内容を必死に書き写していた。

 そして自分を散々苦しめた文字列を黒板消しで一掃することにちょっと快感を覚える。


「水泳のあとだから寝落ちしてるやつら多いのに、この量の板書は鬼畜の所業だよな」


「あの先生、寝てる人に容赦ないよね」


 黒板消しをえっさほいさと動かしながら、びっちりと白い文字で埋め尽くされた黒板を歌見文(うたみあや)と一緒に綺麗にしていく。


 何で俺がこんな日直のような真似事をしているかというと、なんと今日は俺が日直だからである。

 パンツを隠し通すのに体調が悪化している今なら、今日一日保健室で大人しくしておくのが最善だろう。それをしないのは歌見に日直の仕事を押し付けるのが申し訳なかったからだ。これが花巻なら喜々として仕事を押し付けて保健室でじっくりゆっくりのんびりと体を休めて放課後まで時間を潰していただろう。


「朝は悪かったな。日直の仕事全部やらせちゃって」


「ううん。草津君、体調が良くなかったんでしょ? だったらしかたないよ」


 歌見は眼鏡と三つ編みの似合う少女で、小柄で大人しそうな見た目通り極めて温厚な性格だ。

 文句の一つも言わず、こちらを慮ってくれる歌見。体調不良とはいえ、こんな子に仕事を押し付けるのは罪悪感を覚えてしまう。しかたがないと言ってくれるのは嬉しいけれど、こちらがどうしても気になるのだ。


「それに日直なんて大した仕事ないし」


 歌見の言う通り、授業後に黒板を綺麗にしたり、移動教室の時に鍵を閉めたり、プリントを運んだり、日誌を書いたりと、仕事はあるように見えてその実一人でもなんとかなるようなものばかりだ。

 しかし、雑事ばかりとはいえ一人でやるには少なくない負担である。


「それにしては今だって上のところちゃんと消せてないけど?」


「こうすればちゃんと届くよっ」


 背の低い歌見では黒板の上端までつま先立ちしないと届かない。

 むきになって腕を伸ばしている姿は子供っぽくて和む。

 歌見は昔の文学少女のような地味な女の子で、よく見ると可愛い方だと思う。


 見た目通り真面目な性格で成績も優秀だ。委員長とか図書委員とかがとても似合いそう。まあ、実際は学級委員長は目立ちたがりのやつがなり、歌見は図書委員ではなく保健委員である。今朝の時点でも保健室まで付き添ってもらいお世話になった。


 女子の中では歌見とはそこそこ仲はいい方だと思う。というのも、彼女が隠れオタクで俺はライトなオタクという趣味嗜好を双方が知っているからだ。

 歌見が落とした文庫本が俺でも知っているボーイズラブなライトノベルだったという事件がきっかけだ。


 鞄から本がぽとん、カバーが外れて表紙がぺらり、見上げた歌見の顔がガシャン。

 あの一連の流れは今でも鮮明に思い出せる。

 趣味嗜好を隠して生きる者たちはそれが周囲に露見することを何よりも恐れる。色を失くし絶望に浸りきった顔は見ているだけで可哀想だった。


 他人の隠し事を吹聴するような趣味は持ち合わせていないため、俺は口外しないことを約束し、それからぽつぽつと話すようになったのだ。趣味が似ているのか、漫画やアニメの話をしてみるとかなり盛り上がった。

 同じクラスになったことはなかったけれど、同じ中学出身という共通点もあったため打ち解け合うのは早かった。


「……」


 あのパンツの持ち主が歌見である可能性も除外してもいいだろう。

 そこそこの付き合いで彼女の趣味嗜好は理解しているつもりだ。

 真面目そうに見えるけれど年頃の乙女らしい性癖を持つ歌見だが、それは男と男の友情以上のアレ的なモノなので、今回のパンツ事件とはベクトルが異なる。


 ……それに、このパンツが必ずしも女子のものではない可能性もあることに気がついてしまった。

 俺のポケットに隠されたパンツは正真正銘女子用のパンツだが、女子用のパンツの持ち主が女子とは限らない。


 そう、この女子用パンツの持ち主が男子であることも考えられるのだ。


 女子用のものだからと、その持ち主が女子だという先入観を捨てれば、このパンツが男子のものである可能性も出てくる。

 ネット通販を使えば男が女子の下着を手に入れることなど難しくない。


 一瞬、この水色縞々パンツを男が履いているとかそういう気持ち悪いイメージが浮かんだが、吐き気を堪えて振り払う。

 下着としてではなく、悪戯のアイテムとして購入したのだろう。

 世にはブラジャーをつける男性という俺にはちょっとよくわからない世界の住人もいるようだけれど、机の引き出しに突っ込んであったことから悪戯を目的としていると考えるのが妥当だ。


 そもそも悪戯のために、自分の下着を男の手に渡らせるような女子がいるだろうか。

 突然、女子の下着を手にして慌てふためく様子を笑うために、男子が行ったと考えればまだ納得できる。


 時に馬鹿なことのために、馬鹿をやるのが男子というもの。

 わざわざパンツを買って、隙を見て同級生の机の中に入れるくらいの馬鹿をやらないとは言い切れない。


 けれど、これでは容疑者が女子から男子に移っただけである。いや、万が一にも女子が犯人の場合もあるので、容疑者の数が倍になっただけだ。


 真相に近づいたのか遠のいたのか。


 結局のところ、誰による犯行なのか、証拠どころか容疑者を絞るための手がかりもない。


「……頭が痛いな」


「え、大丈夫? やっぱり保健室で休んでた方がいいじゃ……」


「あ、いや、ごめん。大丈夫だから」


 思わず漏れた愚痴を歌見に拾われ心配されてしまう。

 けど、本当にちょっと頭痛がしてきたかもしれない。


 どこかで犯人が今も、俺が困っているのを見て心の中で笑っているのかと思うと腹が立ってくる。

 悪戯をするにしてもこれは性質が悪い。

 一歩間違えれば、俺の学校での立場がなくなる。露見すればほぼ間違いなく世間的に死ぬと言っていい。


 ただの悪戯なのか、なにか俺個人への恨みがあるのか。

 はたまた、複数人が関わっている俺を標的とした虐めなのか。

 クラスメイトの誰もが疑わしく思えてくる。


「無理しないでね。日直の仕事くらい私一人でもできるから」


「歌見……」


 疑心暗鬼に陥りかけていると歌見が優しく声を掛けてくれる。目と目が合う。こちらを気遣う瞳を見ていたら、ふと、歌見が例のパンツを履いた姿が脳裏に浮かぶ。

 妄想の中の彼女はスカートをたくし上げて水色の縞柄を晒していた。

 恥ずかしそうに顔を赤くし、眼鏡越しの潤んだ瞳は困ったようにこちらを見つめ……そこで俺は額を黒板に叩きつけた。

 ゴンッ、と鈍い音が鳴る。痛かったぞ、畜生め。


「く、草津君!?」


「問題ない。立ち眩みしただけだから」


「えぇっ、頭、大丈夫!?」


 頭は大丈夫じゃないかもしれない。

 急に黒板に頭をぶつけた俺を心配してあたふたする歌見。クラスメイトたちもこちらの様子を窺っている。

 朝の時点で保健室に行ったため俺の体調不良は周知のことらしく、他にも心配そうな目を向けてくれるやつらもいた。

 ……煩悩を振り払っただけとは言えないこの空気。


 自分の心配をしてくれる相手のエロい格好を妄想して、罪悪感と自己嫌悪で衝動的に頭を打ち付けたとか絶対に言えねえ。

 恥ずかしさも込み上げてきて軽く死にたい。


「保健室、行く?」


「大丈夫、ほんと、大丈夫だから」


 本音では今すぐベットに潜り込んで叫びながら転げまわりたいところだが、保健室のベッドでそんなことをするわけにはいかない。やるなら自分の部屋でだ。


 日直の仕事を終えても歌見は心配して保健室に行くように何度も呼びかけ、他のクラスメイトも声を掛けて俺の体調を気にしてくれていた。

 周囲の優しさに涙が出そうだ。疑心暗鬼になっていた自分が恥ずかしい。

 けれど、悪戯の犯人がクラスメイトの可能性が高いこともまた事実。


 四時限目の授業が始まっても、モヤモヤとした感情が晴れることはなかった。

 事態は混迷を極め、何一つはっきりとしない。

 いや、一つだけ決めたことがあった。


 これだけ悩ませてくれた犯人のクソ野郎は絶対にぶん殴ってやる。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ