復讐者
※胸糞注意
「お父さん、今までありがとうございました。コドクさんも、ありがとうございました」
ぺこりと、女の子が頭を下げる。
「おう、頑張れよ、ユキ」
「あなただったら、なんにでもなれますよ」
「はい、頑張ります!」
今日、わたしたちが引き取ったあの被害者の子供――ユキが、わたしたちの家を出て、都で一人暮らしを始めることとなった。
正直不安だったけど、いつも内気で大人しいユキがどうしても一人で頑張ってみたいと言うから、最後には首を縦に振ってしまった。
こうやって旅立つ彼女を見ていると、随分と感慨深いものがある。
あれから、もう五年も経つのだ。
ユキはずっと頑張ってあの辛い記憶と戦ってきた。
何度も泣いて、何度も挫けそうにになった。負けそうになった。
それでも、あの子は勝った。
結局例の組織はコドクと彼の活躍により大打撃を受け、それに連なる連中も幾つかの商会の協力によってひっ捕らえることができた。
無事に、あの妖刀量産事件は解決したのだ。
……後に、非常に強力な妖刀と、血生臭い惨状の後と、心に深い傷を負った少女を残して。
失われた物は数多く、与えられた傷もまた多く。
しかし確かに、救えた物があった。
それが、コドクにとっては救いになった。
徐々に瞳に光を取り戻していってくれた彼女の姿が、本当に眩しかった。
だから信じていた。
もう自分に悲劇が起こらないと。
平穏な日々があるのだと。
一つの悲劇を乗り越えて、彼女はそう思い込んでしまったのだ。
……
夜道を駆ける。
灯はなくとも、夜目は利く。
「なんで、こんなことに……!」
コドクの呟き。
しかし、それに彼女の主も答えない。
ただ苦りきった表情と、どこか皮肉気な笑みを口元に浮かべるのみである。
彼ら二人は追われていた。
誰に?
「一体、何者なんですか……」
それを彼女は把握していない。
把握できているのは、流石の彼と彼女でも必ず殺せるだけの人数の敵が襲い掛かってきていると言うことだけ。
有体に言って、最悪の状況だった。
勝ち目がない。逃げ切れるとも思えない。彼の所属している商人組合とも連絡が取れない。
完全に詰んでいるのだ。
「ユキに会いに、都に来ただけなのに、どうしてこんな……」
「…………」
「主、さま?」
唐突に、彼が立ち止まる。
怪訝そうに、コドクが彼の顔を見つめる。
「コドク。刀に戻れ」
その一言で、コドクは全てを察した。
「はい」
同時に彼の手に握られる一振りの凶刃。
その峰を肩に担いで、彼はギロリと背後の暗闇を睨みつける。
一般人の類とは思えない、頭からつま先まで黒尽くめの連中がぐるりと彼を取り囲んでいた。
「何の用……って質問は野暮だよな? 殺気を全然隠してやがらねぇし」
「……答える義務はない」
「どっちにせよ、あんたらの仕事は俺達を害することだろ? なら……俺も黙ってるわけにゃぁいかねぇよ」
瞬間、一人の首が刎ね跳んだ。
「貴様……っ!」
「ほらほら、ボサッとすんな。もうとっくに殺し合いだろう?」
「くっ……」
「ほら、もう一人」
二の太刀要らずの必殺の一撃を放ち、一人、また一人と斬り殺していく。
彼とて決して弱くない。
むしろ強い。だとしても、圧倒的な数の前で英雄的な活躍ができるかと問われれば、否である。
徐々にその体に傷がついていく。
小さな消耗はやがて積み重なり、大きな損害を彼に強いることになる。
そうなってしまえば、後は時間の問題だろう。
――……自身の敗北など、彼はとうに悟っていた。
「……潮時、か」
もう一人を切り捨てて、彼は静かに溜息を吐いた。
「逃げろよ、コドク。お前だけでも走れ」
「何を――」
「行け。頼む」
コドクをほうると同時に彼は腰に挿していたただの刀を引き抜く。
構えと同時に走り――間合いに入った敵を袈裟懸けに切り捨てた。
「行けっ!」
「――絶対追いついてくださいよ!」
「…………」
今まで聞いたこともない強い語調。
それに背を押されたように彼女は駆け出す。
普通なら、ここで止まって彼と戦うべきだろう。
けれど、この都にはユキが居る。
彼と彼女が救い、育てた、唯一人の被害者が居る
「――――すまねぇ」
そんな言葉、彼女は聞きたくなかった。
……
「ユキ!」
「コドクさん!」
不穏な雰囲気のためか、何故か人気が全くない町の中。
待ち合わせた場所から大分離れた場所の物陰で、ユキは可哀想なほど震えていた。
「無事だったのね!?」
「はい、はい……! よくわからない、黒い人たちが襲ってきて……いきなり居なくなったけれど、わたし、怖くて…………!」
「大丈夫、大丈夫よ、ユキ」
彼女の話を聞いて、コドクは少し納得がいった。
追いかけていた気配が急に増えたと思ったら、なんのことはない。ユキの方についていた連中が彼とコドクの二人を追い掛け回すのに参加していたのだ。
それだけの脅威と認定されたのだ。
「あの、コドクさん。お父さんは……?」
「……っ、きっとすぐ、追いついてくるわ。今は商人組合に、一刻も早く連絡をつけないと……
ユキ、案内をお願い」
「は、はい!」
ユキは彼の所属している商人組合の都の支部で働いていた。
いくら連絡がつかないとはいえ、さすがに支部に誰一人居ないということはないだろうと、コドクはユキに導かれるまま、走り出す。
暫く彼女の先導で走り――違和感に立ち止まる。
どう見ても、商人組合のありそうな大通りではなく、薄暗い、不穏な裏路地に入り込んでしまっている。
コドクがユキに問いかける。
「ユキ、この道で本当にあってるの?」
心中には殆ど答えが出ている。
だけれどその答えを出すことを、彼女は拒んでいた。
考えてみればおかしかった。
何故、ピンポイントで彼と自分の居場所が知られ、追っ手がかけられているのか。
何故、商人組合と連絡がつかないのか。
何故、都なのにこれほど人気がないのか。
何故、彼女が見逃されたのか。
いくらかは予想がついた。
たとえば、身内の中に内通者がいたら? きっと詳細な情報を得られていたのだろう。
たとえば、連絡員が殺されていたら? 身内の者なら、警戒されずに背後から殺せただろう。
たとえば、なにか大きな権力の工作だとしたら? 見られたら拙いことがあるのだろう。
たとえば、ユキがその内通者だとしたら? 嗚呼――辻褄があってしまうだろう。
「ごめんなさい、コドクさん」
静かなユキの言葉。
心よりの謝罪の言葉であるはずなのに、誤魔化しようもない冷たさが、狂気色の熱が、その音の連なりに絡みついていた。
「わたし、勝ててなんていませんでした」
虚ろに光る彼女の瞳。
浮かぶ涙は、きっと本物だろう。
ただ、その事実にきっと価値はないのだろうが。
「薬、最初は我慢していたんです。もう一度使ったら、本当に我慢できなくなるって判っていたから」
淡々と紡がれているのは、懺悔か、それとも醜い言い訳か。
「でも、都に来て、一人で生活していたら、どうしても昔のことを思い出しちゃって、辛くて、どうしようもなくて……っ」
嗚――呼、
「そんな時に、この薬を成り行きで受け取ってしまって。使わないようにしてたんです。使ったら後戻りできないから。二人のこと、裏切っちゃうから。それでも、気が狂ってしまいそうで、何度も何度も皆を食べたこと、夢に出てきちゃって――我慢、できませんでした」
徐々に彼女の瞳に狂気が浮かんでいく。
彼女と最初の出会いの頃、虚ろな目の奥底で、雁字搦めに煮えたぎっていたモノだ。
「裏切っちゃいました。どうにもできませんでした。弱い子でした。調子に乗っていました。二人から離れても大丈夫だなんて、そんな思い込みで、こんな結果になってしまいました。わたしは勝手なんかいなかったんです。二人に守られていただいただけだったんです。そんなこと、気付いてたはずだった」
頬をぬらしていく涙。
地面に落ちて、黒く、渇かわいた土を湿らせる。
「ごめんなさい。気持ちよかったんです。助けられたんです。もうコレなしじゃ生きていけないんです。発狂しちゃいそうです。首を括りたくなります。でも、わたしに死ぬ勇気なんてないから、生きたくて、死にたくなくて、それで結局薬を使っちゃいます。救いようがないですよね? ――……薬ほしさに何でもしました。体だって売りました。人だって殺しました。子供だって騙しました。わたしとおんなじ地獄にだって突き落としました。屑です。どうしようもない屑なんです、わたし」
快楽色の狂気が不意にその表情を彩った。
破滅。
その二文字を、彼女はどこまでも体現してしまっていた。
「でも、いいですよね? お父さんが生きて欲しいって言ってくれたから。コドクさんに励ましてもらえたから。薬に頼ってでも、どんなに汚くても、ゴミでも、屑でも、生きていていいですよね? 薬、もっと貰っていいですよね? 気持ちよくなったっていいですよね? お父さんとコドクさんを売っちゃうのは悲しいですけど、薬のためだったらしょうがないですよね? ね? ごめんなさい、本当に申し訳ないと思っています。でも、生きたいんです。死にたくないです。ごめんなさい。お薬、欲しいんです」
どこか淫靡に、退廃的に、腐敗色に、彼女は微笑んだ。
「死んでください。コドクさん」
――ああ、とっくに気づいていた。
――終わってなんていなかった。
――救えてなんていなかった。誤魔化していただけだった。
――ユキは悪くない。
――主様だって悪くない。
――なら、誰が悪いのだろう。
気付けば、何人もの黒尽くめの連中がコドクと彼女を取り囲んでいた。
虚ろに彼女はその光景を瞳に納め、そして俯いた。
「あ、来てくれました? 見てください、コドクさんちゃーんとおびきよせましたよ? お薬ください、早く、早く! あれないと駄目なんですよ。後でなんでもしますから、早くお薬ください。お薬お薬!」
子供がアメを催促するように、彼女が黒尽くめにしなだれかかる。
「お願いしますよ。お薬欲しい、欲しいんで――」
ザシュッ
ゴトン、
「え――?」
目の前に、俯けた視線の先に、ユキの、どこか引きつったような表情が見えた。
おかしい。
なんで首から血が出てるの?
なんで体がないの?
なんで瞬きも何もしないの?
顔を上げれば、地面に丁度倒れ伏す、首なしの彼女。
ゴロリ、と無造作に男が何かを放る。
「――ぁ」
喉が引きつり、裏返った声が漏れる。
彼の、血塗れの、首――――――
「主、さま?」
コドクがその首を拾い上げる。
胸に抱き、必死に呼びかける。
「主様? 嘘ですよね? 冗談ですよね? 質悪いですよ、起きてくださいって、ほら、今日は、ユキの様子を見に都に行く日じゃないですか」
口元には、引きつった笑み。
その視線は、焦点が合っておらず、なにも映していない。映そうとしていない。
「ね? 楽しみにしてましたよね? がんばってたら、一杯褒めてあげようって言ってましたよね? 一緒に都の観光もしようって――ねぇ、起きてくださいよ。あんまり起きないと、わたしだって怒っちゃうんです、よ……?」
頬を、静かに雫が伝う。
「まだ、なにもっ、できてないじゃ、ない、ですか。恩返し、させてくださいよっ。もっと……一杯お礼、いいたかったんですよ? 主様と、一緒に過ごしてドキドキして、まだ、ちょっと女の子らしい部分もあるんだって、安心してたんですよ?」
ふと視線が揺れ、ユキの首を見て、慈しむように微笑んだ。
「あなたもよ、ユキ。あなたが立派に育ってくれて、本当に嬉しかったのよ? 頑張って生きてくれて、本当に感謝しているわ。あなたのお陰で、わたし、お母さんの気持ちを知れたのよ?」
彼に、また視線を戻す。
「ねえ、主様。刀だから、駄目でしょうか? あなたを好きではだめでしょうか? わたし、少しは人間に戻れました。全然魅力的じゃないでしょうか? できればずっとあなたと一緒にいたかったのだけれど、駄目なのでしょうか? ――なら、せめて、せめて――」
くしゃり、と彼女の顔が歪んだ。
ひくっ、としゃくりあげながら、彼女は呟く。
「――好きな人の名前くらい、一度だけでも、ちゃんと呼びたかった――」
彼女は彼の名前を一度も呼べていなかった。
照れくさかった。恥ずかしかった。今の呼び方でも差し支えなかった。言い訳はたくさんあったけれど。
名前で呼ぶことで、ひょっとしたら今の関係性が変わってしまうかもしれないと、怖かったのが本音だった。
――ユキは悪くない。
――主様だって悪くない。
――なら悪いのは誰だろうか。
――二人を守れなかったわたしだろうか?
――嗚呼、確かに悪い。
――でも、
「――――い」
――見逃せない。
「――さない……っ」
――この、
「ゆるさない……っ!」
――薄汚い悪意だけはっっっ!!!
「絶対にっ、許さないっっっ!!!」
――何故善良な人々が死ななくてはならない。
――何故必死に生きたものが報われない。
――何故弱者の慟哭は止まらない。
――答えは既に持っている。
――この世界は醜すぎるのだ。
その瞬間に、コドクは呪詛と成った。
怨念は物理を侵し、瞬時に周囲の命全ては腐り果て、
大気は瘴気に早変わりし、
大地に黒色の炎が広がった。
やがて呪いはその島国――東方列島全てを呑み尽し、瘴気渦巻く怨念の魔境へと変貌させた。
なにも救えなかった一振りの妖刀は、ただ世界全てを巻き込み破滅する復讐鬼へと変貌を遂げた。
殺した数だけの呪詛を喰い、殺した数だけ力を増す。
人によって引き起こされた災厄には、程なくして魔王の名が与えられるのだった。
……
追憶には意味がない。
過去にはいくら手を伸ばしても、触れることも、変えることも叶わないのだから。
あんな悲劇を見たくはない。
けれどこの世界でそれがなくなることはない。
それだけははっきりしている。
だから壊す。
復讐する。
この世界に。
彼を殺した人間に。
また産まれるだろう全ての悲劇に。
そのためにも――
黒髪に赤い目の青年。
先程とは違い、赤い長剣を携えて、彼はここに立っていた。
「邪魔よ、あなた」
「邪魔ですよ、あなた」
簡潔な感想。
相手も、ふてぶてしく同じ言葉を重ねてきた。
――そのためにも、目の前のコイツを絶対に殺すのだ。