二人目
二ヶ月以上間が空いてしまいました。
受験生であると言うことを差し引いても、随分間をあけてしまったと反省しております。
不定期といってもできるだけ一ヶ月以上は更新を空けないよう努力していきますので、どうか見捨てずにお読みいただくと幸いであります。
「主、様……」
彼の名前を呼べた。
その事実が、彼女に涙を零させる。
体があった。
確固たる肉体を取り戻していた。
「お前さんは……いや、とにかく、これでも着てろ。眼の毒過ぎる」
彼が自分の上着を差し出してくれる。
今の彼女は、一糸纏わぬ姿のままだった。
……
服を着て、彼女は男に一切の経緯を話した。
「これはまた……随分な面倒ごとに絡まれるもんだ」
やれやれと男は首を振る。
「絶対ロクな目には遭わないだろうに、首を突っ込まざるをえないんだよな……」
「ごめん、なさい……」
「いや、お前さんが申し訳なく謝ることはないんだ。ただ……少しばかり、こういう面倒ごとに巻き込まれることが多くてな……。で、コドクさん……だったか?」
「いえ、コドクで構いません」
ちなみに彼女はもともと丁寧口調である。
いろいろあって妖刀になんかにされて暫く口調がやさぐれていたが、肉体を取り戻したことによって、もとの口調が復活したようだ。
「それで、その、わたしの都合で申し訳ないんですけど……」
「ああ、構わん構わん。さっきも言ったとおり、面倒ごとには無駄に慣れてる。どっちにしろ、そんな話を聞いて、俺には関係ないで済ませるほど、臆病でも薄情でもないしな」
「あ、ありがとうございます!」
「頭下げんな。それで、コドク。お前さんはどうしたい?」
「当然、主様に着いていって――」
「その主様ってのヤメロ。あと、当然ってのは、何をもって当然って言ってるんだ?」
静かに男は問うた。
「え……?」
「一応こんなんでも俺は理由をはっきりさせないと気に入らない質でな。俺にはこの件を見過ごせない理由がある。お前さんみたいな存在を流通させるのは、俺達の組合には損がデカすぎるからな。それで、お前さんの理由はなんだ?」
男は商人組合付きの剣客である。それも随分真っ当な組合の、だ。
彼らのような薬も人も扱わない、暴力や絡め手にも頼らない、正攻法の商売のみの商人にとって、人を狙った大規模な呪いは脅威でしかない。
特に彼女レベルとなってしまえば、村や町、最悪大規模な町だって滅ぶ上、魔物の類が呪いに汚染されれば、凶悪に強化されてしまう。
おまけに、本質が近い人を殺したことのある武器ならば、呪いを帯びて同質化する恐れもあるし、そうでなくても魔物化もあり得る。
流通や顧客に大きな影響――それもこういった争い事が稼ぎ時の武器商人さえ被害を被るような事態になるのだ。
そんな事態を引き起こせる代物が、流通する。
一定の組織に属していれば、当然被害を被る。そんな可能性の芽を、潰さない理由がない。
しかし、コドクは?
彼女に戦う理由があるのか? そう彼は言っているのだ。
「言い方は悪いが、さっきまでの身の上話から察するに、お前さんが失う物は実質もう何も無い。……妖刀が世間に流通しようが、しまいがな」
「…………っ」
「そこのところ、はっきりさせちゃぁくれねぇか? 理由がはっきりしないヤツを、信用も信頼も出来ねぇし、殺し合いに連れて行くことも、俺はない」
「わたし、は……」
しん、とその場に静寂が訪れた。
彼女は迷うように顔を俯け、視線を彷徨わせる。
彼はそんな彼女を、静かに、されど強く見つめる。
「誰だって、自分が経験した嫌なこと、誰かに経験させたくないって、思いますよね……。わたしの戦う理由、最初はそれなんだと思ってました。でも、きっと違います。動機は、そんな綺麗な感情なんかじゃないんです。復讐なんです。大事なモノ、全部奪われたから、その復讐」
「…………」
「確かに、私と同じ目にあって欲しくないというのも、ありますけど……それ以上に、きっと復讐したいっていうのが、大きいと思います」
「そうか」
「……こんな理由じゃ、だめ、でしょうか」
「いや、構わないさ。それが本当にその理由なら、土壇場で鈍ることもないだろう」
本当の理由。
確かに彼女の中に渦巻くのは、復讐だろう。
彼女と共に閉じ込められた人間には、彼女の家族や、友人もいた。
見たくもない人間の本性や、受けたくなかった人の優しさをあの屋敷でいやと見た。
その復習をしたいと願うのは、正当ではあるのだろう。
それが本当の理由かどうか、彼女にも判別はつかない。
それでも、強い願いであることだけは、偽らざる事実だった。
だから、彼女は静かに頷いた。
「上等。それなら、一緒に悪党退治といこう。これからも、愛刀としてしっかり使わせてもらうぜ」
「はい!」
……
「で、どれくらい情報は集まった?」
彼の所属する商人組合はかなりの情報網を持っているようだ。
すぐさま多くの情報を集めてきた。
商人組合の情報管理担当が説明を始める。
「どうにも臭い連中が一組。最近不穏な噂が絶えない屋敷が一つ。その両方が同じ町で、そこのお嬢さんの言うとおり、何人も近隣で失踪している」
「状況証拠からすればクロだな」
「だろ? で、どうするんだい? 今から殴りこみでもかけるのかい?」
「まさか。俺もそこまで無謀じゃねぇ」
「あんたが無謀じゃないことなんて、あった覚えがないね」
「うるせ。裏が取れ次第町に向かおう。それまでは俺達は待機だな」
「あ、あのっ、準備とかは……」
「いらん。お前さんは俺の刀だからな。別に準備をする必要もないだろう」
「そうですか……」
「切ったはっただったら頼るから、それまで待っててくれ」
「は、はいっ!」
……
そして決行日。
「さて、コドク」
「はい」
「今からするのは人殺しだ。覚悟はできたか?」
「――はい」
「いい返事だ。なら、こっからが正念場だ。お前が殺すと覚悟したのと同様に、連中も俺とお前を殺しにかかる。――生きるぞ。そして目的を果たす」
「判りました」
静かにコドクの姿が消え、一振りの刀だけが残される。
「覚悟、か……」
静かに、彼は微笑んだ。
酷く哀愁を感じさせる、枯れた笑みだった。
「そんなものとは、無縁でいられたはずなのにな――」
……
「ふっ!」
一拍の呼気の音。
同時にずるりと粘着質な赤を引いて、男が斜めにずれて死ぬ。
「相変わらず……おっかねぇ切れ味だ」
『褒めてます、それ?』
軽口を叩きながらも、彼の瞳は獲物を捉え続け、コドクの刃はその獲物を斬り殺していく。
ああ、違うな、とコドクは自覚した。
人が死ぬ感覚が、自分が殺している感覚が、やはり、生前より随分と軽くなっている。
まるで呼吸をするかのように、当たり前に感じる。しかしそれは彼女に深い違和感を与えると同時に、ひどく当たり前のことだったのだ。
刀は人を斬るためにあるのだから。故に、彼女も人を斬るためにあるのだ。
「もうあらかた片付いたか?」
『はい、敵意も生気も感じられません。後は奥の部屋だけです』
「何人中に居るのか分かるか?」
『恐らく五人。一人が子供、後の四人は大人で……首謀者側ですね』
もうこの件は、手遅れと言ってもいい状態だった。
生存していたのは、食い残しを片付ける者と、警備の者だけ。つまり首謀者側の人間だけだった。
恐らく扉の向こうにいる子供が最後の生き残り――蠱毒の依り代だろう。
『……せめて、刀に籠められてしまう前に助けたいです』
「だな」
呟くと同時に踏み込み。
鞘を走り、鯉口を切り、白刃が虚空を駆け抜ける。
横一文字に放たれた一閃は、眼前の扉と壁を真っ二つに断ち切った。
「さぁて……覚悟はできたか、悪党諸君」
彼の瞳に、炯々とした光が宿っている。
突然の闖入者に、呆気にとられる大人たち。子供は静かにうずくまったまま、反応しない。
心がこの異常事態の中で壊れてしまったのか、その瞳はどこまでも虚ろで、まるで濁った硝子玉のようだった。
そんな様子の子供を一瞥し、彼は殺気をより一層重く滾らせ――
「 」
四人の大人の首をはねた。
一拍の間は後から追いすがってくる。
瞬きをする間よりも早く、どこまでも鋭く、彼の斬撃は冴えわたった。
足運びも、予備動作も、一切目には映らない程の速度。
残心によって、やっとその一撃が行われたと余人に認識させる。
呼吸さえ置き去りにして、音さえ置き去りにして、大気の動きさえ置き去りにして。
一瞬の静寂と停滞の後、世界は斬られたという事実とともに再生される。
血飛沫が吹き上がる。
呆然とした顔のまま転がる四人分の生首。
熱い血を浴びて尚、子供はぼんやりと俯いたままだった。
それでもまだ生きている。
まだ人間としてここにいる。
それだけで、コドクは安堵した。
まだ、救いようはあると信じていたから。
……
それは甘い道のりなどでは、決してなかった。
「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
奇声が響く。
正確には悲鳴だ。心を粉々に砕かれた子供の、悲痛すぎる声なのだ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめなさいごめんなさい食べないからもう食べないからもう食べないから許してそんな目で見ないで助けて助けて助けて助けて食べたくない食べたくない食べたくない食べたくない許してごめんなさいもういや助けて助けて助けて殺して殺して死にたくないいやだいやだいやだいやだいやだいやだ目がいやだ吐きたい気持ち悪い死にたくない殺せ殺せ殺せ殺せ食わせるないやだもういやだ死にたい生きたいわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないもう生きたくない見たくない聞きたくない許して許して許してわたし悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない助けて生きたい生きたい死にたくないもっと好きなことしたかった笑いたかったなのになのになのになのになんでなんでなんでなんでお願い食べたくない食べたくない死にたくないごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
懺悔とも呼べない、意味を成さない後悔、悲嘆、呪詛。それらの塊。
嗚呼、刀の自分では持ち得ない感情だと、自嘲気味にコドクは思った。
彼は静かに子供を見ている。
品定めをするようにも見えるが――あれは正しくは探っている目だった。彼にとっての疑問があるとき、彼はこうして静かにその対象を見つめ、様々な角度から情報を吟味し、それを解き明かそうとする。
「薬の類も使われていたようだな、コイツは」
「そうなんですか?」
「人心地ついたってのもあるんだろうが、薬で精神を押さえつけていたっていうのもあったんだろう。実際戦場ではその手の薬が重宝する。あんまり日が当たるような代物じゃないが、手に入れるのが難しいほどのもんでもない。大量に服用した後薬が切れれば、当然の如く押さえつけられた心が暴発、暴走し、最悪発狂して廃人になる。実際見たこともある。――十中八九、こいつにもそういった薬が使われてたんだろうさ」
「……わたしの時にはありませんでしたね、その薬」
「となると、最悪の仮説が一つ立つな」
「なんですか?」
「軍の関与だ。この薬は戦場で重宝する――つまりは、お前さんの活躍を聞いたどこかの阿呆が、戦争用の薬の横流しや人攫いも含めて関与してるってことだ。あー、胸糞悪い」
「っ!」
がつんと、強く頭を殴られた様な気がした。
苛立たしげに舌打ちをして、がしがしと彼は頭をかく。
それは、確かに人の醜さを見せ付けられるような話だった。
「……わたしの、せいでしょうか」
「いいや。阿呆が二組いたってだけの話だ。お前は関係――なくはないが、被害者だろ」
「でもっ!」
「覆水盆に返らず。どうしようもなく起こっちまったことを悔やむより、今は目先の問題に気を遣え。その方が建設的だ。違うか?」
「……っ、はい……」
こくりと、静かにコドクは頷いた。
彼の言葉は実に素気ない物だったが――彼女に気を遣った物でもあり、事実必要なことを告げる物でもあった。
「おい、餓鬼」
彼はしゃがみ、ぐいと子供の首根っこを掴んで、無理やり自分と目を合わせた。
「ごめん、なさい、ごめんなさい……」
「選べ。今此処で首を斬りおとされるか、それともまだ生きるか」
「……え?」
それは、慈悲と安息か、苦痛と贖罪の選択だった。
彼が子供に突きつけたのは、どちらを選んでも残酷な二択。
「ただし、死にたいと言うなら全力で妨害してやるし、生きたいと言うなら全力で支援してやろう。さぁ、どっちにする?」
「……わた、しは…………」
その実、どこまでも優しい彼が子供を守る誓約のようなものだったのだが。
なにはともあれ、その子供は彼と一緒に生きていくことが決定したのだった。