月夜に響く 中
この世界セレイドには多種多様、数多の命が存在し喰い喰われ、殺し殺されながら日々の営みを送っている。
魔物に然り、魔獣に然り、人に然り、亜人に然り、魔族に然り。弱者が強者に喰らわれ、強者はより強い強者によって淘汰されて蹂躙されて征服されては消えていく。
そんな世界の中で、唯一他者からの一切の干渉を受け付けず、絶対普遍の頂点に君臨し続ける種族が一つ。それこそがこの世界のあらゆる連鎖の頂点に座し、一度意思を持って破壊を始めれば天災とまで比喩されるであろうモノ達。
龍族。
飛竜や亜竜といった、竜種とはまったく次元の違う正に生ける神とも言うべき恐ろしいまでの力をその身に宿す世界の頂点に座す生命。
光の龍、闇の龍、火の龍、風の龍、水の龍、地の龍、雷の龍、氷の龍。八種族からなるそれら頂点の一族達は皆一定の智を有し、千年を上回る寿命をもって世界を見守り、破壊し、癒し、死してまた新たな存在として新生する。
そんな世界の調停者でもあり監視者でもあり破壊者でもある彼らには一つの特筆すべき習性。いや誓約が存在する。
己が認めた存在を主と認めた時にのみ人の世界で主の意思にてその猛威を揮う。
-そんな世界でも数える程しか存在しない者達を人々は畏怖を込めてこう称える。【龍騎士】と-
クロウディア達がラルフと対面したその日の夜。
ウェイド王国の西部にあたる場所にて三叉の槍にそれを抱くように翼を広げる大鷹の国旗を掲げる軍が盆地にて夜営陣地を築いていた。
天幕の数や炊事の煙の数から見て優に二万は上回る軍勢である。そう、ウェイド王国を侵略しているジェライド王国の軍勢である。
その夜営地の中央には一際巨大で幾重にも風を遮るように布を張り巡らされた天幕があった。その天幕の使用者こそジェライド王国唯一にしてこの大陸に三名しか確認されていない龍騎士。疾風のレンと言われる女丈夫である。
「では明日には補充要因と糧食などが国を出るのね」
美しい金の髪を肩口辺りで切り揃えた美麗の女騎士。そう言うに相応しい容貌を誇るレンが報告に来た部下の話を聞くと確認の為に問い掛ける。
部下は再度頷きながら報告書を読み上げレンに手渡すと、深く一礼しレンの天幕を後にした。
「・・・・・・ハーベル皇国との衝突がどうにも侵攻速度を落とす原因になるわね。
まぁあっちも虎の子の龍騎士二人の内一人を投入してきている以上否が応にも避けられない事態ってところなのかな」
渡された報告書にざっと目を通してからレンは一人呟きを漏らしていた。
報告書は補充、補給以外の多岐に渡り綴られておりその中でも一際多いのが競うようにウェイド王国を侵略しているもう一つの国家、ハーベル皇国との衝突の事が綴られている。
もとよりこの大陸に存在する三カ国間の国交は友好とは言い難い。むしろ嫌悪しているというのが適切なのだろうか。原因はもうずっと昔の話で誰も知り得はしないが、自分も幼い頃から他の二国の罵倒を聞きながら育っていったのだから別段抵抗を持っていなかった。
ただ何がしかの原因でハーベルがウェイドを攻め、遅れないと言わんばかりに自国も兵を出すに至ったというのがレンのこの戦争への認識である。
「北部を沿うルートは嫌悪すべきか。今皇国とウェイドを同時に相手取るほどの戦費も掛けていられないであろうし」
二方面からの本格的な軍事衝突は避けるべきと言うのが皇国首脳陣と王国首脳陣達の同一の見解でもある。そしてそのお達しは前線まで行き届いているのだが現実とは難しいもので一部の部隊同士が数度交戦を繰り広げ、何度か本軍同士が睨み合いにまで発展している事も二度程だが実際に起こっている。
今後の侵攻ルートを決める上での重要な考慮すべき事柄だと頭に思い浮かべながらレンは一度報告書を置くと今まで纏っていた胸当てや小手、脛当てなど鎧関連の装備を外し下着だけの姿になるとあらかじめ容易していた水と手ぬぐいで汗に群れた肢体を拭っていく。
一通り拭い終えるとショートパンツとインナーを着込み、自身の髪を手櫛でゆっくりと梳きながら改めて報告書を手に取ると続きを読み始める。
「・・・・・・・・・・・・」
ぱら、ぱらと紙を捲る音が天幕の中に響く。
時折外から騎士や兵士達の話し声や鍛錬でもしているのだろう、風切り音や金属同士が衝突しあう音が夜の空に響いていく。
そんな音を気に掛けることもなく報告書に目を通していたレンはとうとう最後の一枚の報告書に目を通し始める。
「また、か」
今まで読んできた報告書の内容は部隊の再編状況や糧食の備蓄、矢の在庫など瑣末なものだったので適当に読み飛ばしていた彼女の手が、視線がその一枚の短い文が掛かれた紙に釘付けになる。
そもそも従軍している以上騎士も兵士も皆一定の兵でもあり、命の危機と隣り合わせになっている以上非常に昂ぶっているのは女であるレンにも理解は出来た。無論騎士達は自制、自戒を厳守しているのだが。
それでも事実この盆地に辿り着く前に戦闘して壊滅させた敵騎士の生き残りの女騎士数十名は兵達の慰み者になり、何名かは自害したが未だ多くの女性騎士が恐らく今も夜営地の何処かの天幕で兵達の欲望をぶつけられているだろう。
同じ女としては許しがたく認められない蛮行ではあるのだがレンはこれに目を瞑る事にしている。最初に占領した村で男と老人達を皆殺しにし、十代前半の少女から三十後半の女性達が絶望の悲鳴を上げながら犯される光景を目にしてはそれらを制御する為の必要悪であると割り切ったが故に。その事件後レンは女性達を犯していた者達の命を自らの手で奪い、軍に触れを出している。民への手出しは厳禁とし、敵兵は之に限らずと。
その報告書に書かれていたのは簡略に言えば四名の女性騎士が舌を噛み切って死んだ、だった。
「嘆かわしいことだ。戦時とは言え理性を失った獣の群れとこれでは大層変わりもしやしない」
深く溜息を吐き、死した騎士達の魂に鎮魂の祈りを捧げる。
数分程の黙祷の後、レンは報告書を置こうとしてふと気付いた。最後の自害の事が書かれていた報告書の最後の方にまだ何か書かれている事に。
「・・・・・・?」
その内容はレンをして首を傾げざるおえないものだった。
何日か前から斥候で出している部隊が消息を偶に絶っていたのだが、今日になってその者達が発見されたというのだ。ただしそれら全てが頭を潰されているか心臓を直接握りつぶされているかのどちらかで、という内容ではあるが。その被害数は優に五百にも上っていた。
レンの記憶が正しければ二百五十名の部隊が二つ消えていた事を覚えている。それも同じ日に。
もしこれを同時に行ったのであれば相手は相当の手だれであると推測できるがその線は直ぐに思考から破棄される。人が行ったのであれば剣による刀傷や魔法による傷も見受けられるからだ。
そして導き出されるのは魔物や魔獣の類である。がだこの大陸にはそんなことが可能な類のものは皆辺境に生息しているからその考えも廃棄される。
「・・・・・・まさか、ね」
一瞬だけではあるが、レンの頭の中に嫌な名前が思い浮かぶ。
だがそんな魔力や禍々しさは一度も感じられた事は無く、レンはその単語を忘れるかのように頭を振ると簡易的なベッドに身を潜り込ませ眠りに付いた。
ただその単語だけが中々消えず、残り続けていたが。
―魔神―と・・・・・・。