開かれる戦端5
「是非も無し」
眼下で轟々と燃え盛る炎、それを見て灼熱は苛立たしげに呟きを漏らす。自らが出ればあの程度の炎を御しその矛先を敵に向ける事など造作もなく、されどそれを実行するにはリスクが高すぎて動けない歯痒さ故に。
この間も炎は猛り狂いながらその勢いは強めどんどんとその勢力を増加させハーベル皇国軍を飲み込まんと拡大している。灼熱は溢れる怒気を隠そうともせずにそれを見続け、あまりの剣幕に彼の側近達は何も進言する事も出来ず黙して控えるのみであった。
このまま炎と敵の猛攻を同時に相手取るのは圧倒的に不利にしかならず、撤退するのが定石といった情勢である。誰もがそれを考え灼熱がその指示を下すのを内心今か今かと待ちわびている。お前が、貴方が、貴殿が、ただ目だけで会話する彼らの気持ちを知ってか知らずか灼熱はただ戦場を睨みつけながら情勢を見守り続ける。
じりじりと中軍も押され始め、左翼の部隊も敵の猛攻に晒され徐々にその勢いを失って戦線を維持する事が困難になり始めてゆく。ああ、これは盛大な負け戦になるであろうと灼熱の側近や各部隊を任されている指揮官達はただ諦めと共に悟り始めた。そんな時であった、灼熱の背後にすうっと現れる人影が現れたのは。
灼熱はその人影が現れた瞬間に愛剣に手を掛けるが、直ぐに気配で相手を察すると剣から手を離し首を僅かに動かしその人影に向ける。灼熱の背後に現れた者は彼に耳に顔を寄せると数言言伝をするとすっと身を引き離し灼熱の傍から離れると現れた時と同じようにすうっと溶けるように消えていった。辺りに微かな魔力の残照が残る事から察するに転移魔法を使用したのであろう。
人影が消えると灼熱は大きく深呼吸をし、声を発さずに経緯を見守っていた側近達に顔を向け彼らが待ち望んでいた言葉を口にする。
「後退する。
右翼の残存部隊と左翼の半壊している部隊を捨て駒として我ら本隊は一時国境を超え本国に退くぞ」
灼熱の言葉を聞いた側近達は直ぐに行動を開始する。早馬の手配をする者も居れば自らが馬を駆ってその指示を伝えに行く者など様々だ。灼熱はその光景を見ながら燃え盛る炎と、その炎の向こうで猛り狂い猛攻を仕掛けてくる敵、ウェイド王国軍に目を向ける。
今まで快進撃を続けてきた分この敗北は士気を挫くには十分すぎる一戦になったであろう。ましてや炎に属する龍と契約した灼熱と冠される自分が率いて敵の火計の前に敗れたとあっては尚更に。業復とはまさにこの事であろう。されど灼熱の顔にそれを顕著に表すような怒りの形相も見られなければ禍々しい憎悪の表情も見受けられない。
むしろその顔に浮かんでいるのはどこか愉快そうな表情でありその顔を見た側近達はばっと顔を背け灼熱の指示を伝達させるべく奔走する。灼熱の背後に現れたあの人物が言った事が間違いなく原因であろう。されどその内容を知るものは誰も居ない。
「我は先に撤退する。汝らも指示が終わり次第殿を残し撤退せよ」
撤退の指示を出してから二十分ほどが経過した頃。ウェイド王国軍に気取られぬようにゆるゆると部隊の撤退が開始される。それを見届けた灼熱は満足そうに口角を吊り上げると次の指示を待つ側近達に声をかけ、移動用の愛馬に跨った。
声を掛けられた側近達は一様に無言で敬礼でもって返礼をし、馬を走らせ始めた灼熱を見届けると彼の指示を全うすべく次の行動に取り掛かる。
どんどんと本陣から離れていく灼熱は背後に燃え盛る炎の赤い光りを見やり、すっと目を細める。忌々しいと心の中で毒づき、今回の戦の全てを狂わせた神話の影に思いを馳せる。途中に伝令に来た人物の話を鵜呑みにするのであれば次回からの戦はその影に怯えずに全力を持ってウェイド王国軍を蹂躙する事が可能となる。
「巫女が神話を否定せり、か」
伝令の言葉を思い出す。ハーベル皇国の巫女姫が神々の神託を受けた、と。皇国が信仰する主神たる天空神スティフォニカの巫女である皇女がその神託を受けたと言うのであればその信憑性は限りなく高い。まず誰もが信じて歓喜する、それが神託と言うものだ。
されど、されどだ。灼熱や疾風と言った龍との契約者は違う。彼らは神託と言うものを鵜呑みにして信じる事は無い。永遠にその全てを継承して存在し続ける契約した存在、龍から全ての真実を知らされているが故に。
だが同時にこうも考えられる。もし神託が真実であればそれは古き世界が終わり新しい世界の始まりが訪れたと言う事だと。故に灼熱はその可能性と言う希望に自らを納得させて撤退の指示を出したのだ。果たしてこの判断が吉と出るか凶と出るか、それは誰にも分からない事であった。
「御言葉、前線の灼熱にしかとお伝え致しました」
灼熱達が撤退を開始してから十数分後。ハーベル皇国の帝都の中央に聳え立つ帝国本城の中にある豪勢な造りの一室。そこに灼熱達に伝令に来た人物の姿があった。
その声を聞いた黒髪の少女が顔をその人物に向け、にこりと笑みを称える。その服装は華美ながらも淑やかさと清浄な雰囲気を醸し出しておりその身分の高さを覗わされる。
「ご苦労様、ライラ」
「もったいない御言葉です、姫様」
少女は報告に来た人物、ライラ・ポーツマンに謝辞の言葉を掛けると再度にこにこと微笑みを浮かべる。ライラはその笑みを見ると口元を僅かに緩め少女の事を姫と呼ぶと彼女の前で膝を着いた。その姿を見た少女は困ったように一つ息を吐くと膝を着いたライラに声をかける。
「もうお仕事は済んだのですし普通にしてくださって結構ですよ、ライラ。言う事を聞かないなら皇国の第二皇女ルゥ・ハーベルとして命令しちゃいますよ?」
くすくすと悪戯を仕掛けた子供のように声を零しながら笑う少女、ルゥの姿にライラは毒気を抜かれたかのように息を吐くと立ち上がる。
美しい、彫刻とも取れるような均整の取れた体は男女を問わず魅了し流れるようなその黒い腰まで届く長髪はまるで夜空のように美しい輝きを放っている。誰からも愛される少女、それがこの前にいるルゥという帝国の皇女であり幼少の頃から妹のように接してきた少女だ。
その美しさ故に神にすら愛され、突如断片的ながら国教とされている天空神を崇めるスティフォニカ教の教会で神託を受けたのが三年ほど前、彼女が十三の頃だ。その頃より彼女は一年に一回ほど意味が理解しがたいが神からの神託を受け、それを皇帝に伝えている。その意見は国の指針としても重宝されており今回のウェイド王国への侵攻も彼女の神託を受け、それを分析して判断した為だ。
「この地を統べ、全、に。か」
「・・・・・・今回の戦争の原因となった神託ですよね。私がお父様に伝えなければこんな事にならなかったのでしょうけど」
ふと頭に浮かんだのはその戦争を決断するに至った神託。もとより建国以来そう友好的とは言いがたかったウェイド王国とハーベル皇国の関係はこれを持って完全に戦争への道を突き進むことになったのだ。思わず漏れたその神託の内容に、ルゥは目に見えて元気を失い落胆の色を隠そうともせずに項垂れる。
それを見たライラは溜息を吐き、気分を入れ替えると微笑を浮かべながらルゥに近づき彼女の髪を手櫛ですっと解きほぐしながら彼女に声をかける。
「もう起きてしまった事だし後悔しても仕方ないわ。それに今回授かった神託だって御歴々の方や陛下は頭を悩ませているけど灼熱は意味を理解して一人だけ笑っていたのだし貴女の言葉は確実に意味があるわ。
私が保証するから、ね?」
「・・・・・・ありがとう、ライラ。
でも一体どういう意味だったんでしょうね。揺らめき、去り消え往く、ねつ伝えよ。今まで授かった神託の中でも一番理解出来ないんだけど」
ライラの発言にルゥは少し元気を取り戻したのか顔を上げてライラに笑顔を見せるとつい先程授かった神託の内容を思い出しながらその内容を口に出す。考えても理解出来ないそれは最後の意味だけ曲解してみて灼熱に伝えるという事ではないかと判断し、城内にいたライラに灼熱に伝えにいってもらったのだ。
事実それは灼熱は理解出来た様子であったと言うし、重臣や父である皇帝も同様の判断を下したとの報告もライラが転移魔法で帰還する前に報告が齎されていた。
「まあ灼熱が理解出来たのなら、きっと何とかしてくれるでしょう」
「ええ、灼熱・・・・・・父に任せておけばきっと大丈夫よ」
考えていても仕方ない、そう思ったルゥはぶんぶんと頭を振ると部屋にある窓から空を見上げぽつりと呟きを漏らす。その言葉を聞いたライラも同意し灼熱の、自らの父親の事を想いながら同様に窓から空を見上げる。どうか父に偉大なる天空神の加護があらん事をと願いながら。
そしてこの四日後、彼女達の耳に一つの報告が齎される。灼熱率いるウェイド王国を制圧する為に出陣していた軍がウェイド王国軍により敗退し撤退を開始、ハーベル皇国領まで後退して来たと。
ウェイド王国暦七百六年六月末、たった一戦の敗退によって自国領まで撤退をした灼熱率いるハーベル皇国軍とウェイド王国軍の間で国境を挟んだ対立が開始された。




