狼煙
とうとうその日が来た。
全ての物資を整え終えた第四混成騎士団に上層部から出撃の命令が下ったのはクロウディアとシャールが王都を共に散策してから四日後の夜の事だった。
その命は瞬く間に騎士団全体に伝わり、即座に詰所から待機している兵員に伝令が伝わり夜にも関わらず兵員が集結していく。第四混成騎士団の常駐戦力は騎士千人に兵員一万。そして民間人ながらも軍務の予備役として待機している一万からなる計二万一千。その全ての兵員が王都の郊外に集結しているのだ。
既に王都の周囲の草原は星の光と松明の明かりを受けて鈍く輝く銀色に染まっており、皆必勝の覚悟を持ってこの場に集っている為か草原は夜の涼しさを奪われ熱気に包まれている。その草原の空を青白い魔法の光が煌いた。
「それでは往くか」
王城の城壁の上から兵員の集合を確認するために上げられた光を見たラルフが実戦的な造りながらも豪華さを損なわれないような鎧に身を包み確認すると粛々と命を下す。
短く告げられたそれに無言で首肯した副団長は城の正門を中心に展開している騎士達に向かい声を張り上げる。ただ短く、往くと。その声を聞いた騎士達は思い思いの得物を握り締め力強い足取りで進み始める。夜の王都を松明の明かりと鎧の音が支配してゆく。
「それじゃ行きますか」
「だなあ」
「今回の戦も皆無事に乗り切れると良いんですけど・・・・・・」
どんどんと進んでいく騎士達の最後列、そこにクロウディアやディン達は居た。彼らは先に進んでいく騎士達の背中を見ながら軽く声を掛け合うと愛馬に跨り未だ沈黙を守っているクロウディアとディンに目を向ける。
シャドウはディンの部隊の副官であり、バーンとレナはクロウディアの部隊の副官でもあるから部隊長である二人の動きを見ているのだ。その視線に気付いているのかいないのか、二人は和やかに軽口を叩き合っている。
「いやだから西門の方の酒場にいくとだなあ」
「阿呆かお前は」
会話の内容としてはありふれたものだ。西門の特定の酒場に行くと娼婦や遊女が多数おり、楽曲に合わせて見目麗しい女性達が脱いでいくといったもの。ありふれた会話だが、あまりにも場違いすぎるのか二人を見る周囲の目は些か冷ややかだ。といっても一方的に話すディンと聞きながら相槌を打っているクロウディアという構図なのでどちらに非難が向けられているのかは一目瞭然だが。
周囲の視線を気にすることもない二人に三人はそれぞれ溜息を吐き、呆れながら近づいていく。それには流石に気付いたのか二人は会話を中断するとそれぞれ馬に跨った。
「あら、その白馬」
馬に跨った二人を見てレナが呟く。彼女が城の厩舎で見かけたことがない白馬にクロウディアが跨っていたからだ。エルフである彼女は自然との調和もよく、必然的に自然に生きる動物達との親和性も高い。故に騎士団の馬の世話も自主的に手伝っている。
そんな彼女が見咎めただけあってその白馬は見ただけで他の馬とは違いがっしりとした体躯の汗馬であると見て取れた。クロウディアは彼女の様子に気付くと馬の首を撫でながら言う。
「白夜という名前だ。シャール様から賜ってな」
そう言ったクロウディアは気恥ずかしさを誤魔化すために曖昧な笑みを浮かべながら馬の腹を軽く蹴り、手綱を握り締めながら動き始めそれを見たディンも同じように馬を動かして三人の下に移動する。三人の近くまで来たクロウディアとディンはそれぞれの意志を確かめあうように顔を合わせあい、一通り合わせ終わると無言のまま頷きあった。
心積もりはそれぞれ違うだろう。恩の為、名声の為、地位の為、思想の為、友の為。だがそれでも唯一つ通じるものがある。それは絶対に生きて戻り、この戦争を勝利しようという気構えだ。それを確認し終えた今彼らの間に会話と言うものは無粋と言わざるおえないであろう。
「良かった、間に合った!」
いざ往こう、そう決意して動こうとした彼らの耳に聞こえてきた澄んだ声。その声に聞き覚えのあったクロウディアとディンは思わず振り返り、肩で息をしながら駆け寄ってくる少女の姿を見る。二人の視界に映ったのはシャールと、クロウディアの見知らぬ侍女の女性。ディンがその女性を見るなり気恥ずかしそうに頬を掻いているのを見る所、彼の関係なのだろう。
駆け寄ってくる二人の姿にバーンやシャドウ達も気付き、内一人が公爵令嬢であると見ると慌てて下馬し膝を付き礼を尽くす。白馬の件もあり確実にクロウディア関連であるので彼ら三人の視線はクロウディアに向けれる。
当のクロウディアはシャールの姿を見ると同時に下馬し、既に膝を付いていた。シャールはクロウディアの前に辿り着くと乱れた呼吸を深呼吸しながら整え、息が落ち着くのを待ってから綺麗な銀のネックレスを膝を付いているクロウディアの首に掛けた。ここに辿り着くまでにずっと握り締めていたのであろうそれは微かにシャールの汗で湿っており、体温で熱を帯びている。小さく主張するようにアクセントとして付けられている羽根の銀細工は微かにそう主張していた。
クロウディアは首に掛けられたそれを見ると、すっと顔を上げてシャールの顔を見る。彼女の顔は林檎のように赤くなっているが、湛えられている微笑は柔らかく美しい。曇りのない綺麗な瞳はただ一心に信じているとだけ語りかけてくるようだ。その瞳を見たクロウディアは立ち上がると深く頭を下げる。
「光栄です」
謝辞を述べるとシャールは照れたようにはにかみ、クロウディアの胸に飛び込むように身体を預けるとそっと囁く。
「貴方が無事に帰ってくるの、信じてますからね」
そう言うと直ぐにクロウディアの体から離れたシャールはこちらを見ている三人の視線に気付き、赤かった顔をさらに赤くしながらわたわたと動揺し始めていた。その姿を見てクロウディアは思う、ああ、これは敵わないと。
ずっと不思議に思ってはいたが、どうやら自分は彼女に惚れているようだとその姿を見て自覚する。あまりにもすとんと自分の胸の中に入り込み、まるで長年を過ごした夫婦のような安堵を与えてくれる彼女がどうしても愛おしい。あまりにもするりと入り込んで来すぎて何某かの陰謀であるのではないかとも考えたがそんな考えは直ぐに消える。あの暖かくも優しい笑みと清流のような美しい声の前では無力だと悟ったのだから。
彼女からもらったネックレスを見てクロウディアは一層決意を深める。必ずや生き残り、その先にあるであろう本懐を成し遂げても尚生きて彼女と共に生きる未来を築いてみせようと。そして視線をシャールに向けると恥ずかしそうに目を潤ませている彼女と視線が交わる。彼女は今にも羞恥で泣き出しそうな顔をしているが、クロウディアはただ静かに優しく微笑みを浮かべているだけだった。
「・・・・・・ん、分かった」
そうしていると聞こえてきたのはディンの声。見ると彼の手には先程まで持っていなかったスカーフが握られており、鮮やかな色合いに花の刺繍があしらわれたそれは明らかにあの侍女の手作りのものだろうと見受けられた。
ディンはそれを受け取ると大切そうに折り畳んで胸元にしまいこみ、渡した侍女の女性は顔を赤くしながらもディンに真っ直ぐ視線を向け、胸元で両手を合わせて祈るような仕草でディンを見上げていた。あちらもどうやら佳境のようでディンの手が恐る恐るといった様子で侍女の肩に置かれる。
「あ、と。戻ったらゆっくり話そうな、フィナ」
「はい」
フィナと呼ばれた侍女の女性は目に涙を湛えながら短くも力強く首肯する。彼女のセミロングの金髪がふわりと風に遊ばれて宙をさらさらと遊ぶように踊り、青いその目に湛えられた涙が一筋つっと流れ落ちる。
ディンはその涙を指で拭い取ってやると、そっとフィナの頭に手を置いてそのまま撫で始める。フィナはそれをくすぐったくも心地良さそうに目を細めディンを見上げながら言った。
「行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる!」
そして告げられた言葉にディンが答えると馬に跨り、フィナと無言で見つめ合う。どうやらあちらの別れも済んだようだ。そう思ったクロウディアは最後にシャールに目を向ける。彼女はどこか迷っている様子だったがすぐに意を決した顔をして、そっと右手をクロウディアの前に差し出す。
それの意図する事は数少なく、クロウディアも師であるセフィリアから幾度か聞き及んでいるので知っていた。彼はその右手を取ると身を屈め、その甲に唇を落とす。シャールはそれに今までで一番顔を赤く染め上げながら立ち上がったクロウディアを見上げた。
もう会話など無かった。交わる視線だけでお互いに何か言い表せぬものを確認しあった二人はどちらからもなく微笑む。そしてクロウディアは颯爽と白馬の上に跨ると最後にシャールを見る。
彼女は祈るような仕草をしながらただ黙って見ていた。その様子にクロウディアは安堵感を覚えると城門に目を向けて静かに、短く告げる。
「さあ、往こう」
その言葉にバーン達も顔をあわせて頷きあうと再度馬に跨り、城門に向けて馬を走らせる。既に最後尾の背も遠く見えるほど離れていた。
クロウディアとディンはお互い顔を合わせると気恥ずかしそうに笑みを浮かべて頷きあい、それぞれを見送りに来た女性へ振り返る事も無く馬を駆った。