嗚呼、無常
夢だ。
夢なんだ。
夢であってくれ。
夢じゃなきゃありえない。
夢だって言ってちょうだい。
夢なんだって誰か私をこの悪夢から救いだして頂戴よ・・・・・・!
-そう心中で必死に叫びながらジェライド王国軍の龍騎士であるレンは目の前の惨劇に呆然としながらこの悪夢の追想をした-
「行方不明だった部隊の遺品を回収して帰還していた部隊が全滅。それも殺害方法からして同一犯の仕業、ね」
「これ以上の被害は兵達にいらぬ不安を生み出しましょう。即時対応を取るべきかと思われます」
深夜の惨劇から三日後。戻らない部隊の捜索に新たに編成された部隊が持ち帰ってきた情報を天幕内で聞いたレンは苛立ちを声に滲ませながら確認をすると傍に控えていた副官が無言で首肯し、レンに進言をする。
その言葉を聞いたレンは鷹揚に頷くと即座に副官に指示を出した。
「単独犯でない可能性が高い。二千程をこの凶行を成した存在の探索、討伐に当たらせて。何としてでもそいつの首を跳ね飛ばして私の前に差し出しなさい」
「了解しました。編成の方は如何に?」
「一任する」
敬礼をし、副官がレンの天幕から去っていく。それを見届けたレンは不機嫌そうな顔を隠そうともせずに座っていた椅子から立ち上がると、天幕の外に出る。
外は鍛錬を積んでいる者達の掛け声や、炊事を担当している部隊の炊き出しの煙が見受けられるくらいで不気味なまでの静けさを保っている。立て続けに少なくない損害が出たのだ、それも同一であろう存在の手によって。
士気が次第に低下していっているのを肌で感じながらレンは空を見上げ、魔力を練り上げるとそれを左手に集め手を空に翳す。すると少しの間を持って陣に空から接近してくる影が現れた。遠目で見ると大鷲のような影が近づくにつれ次第に巨大になっていき、陣の上空に飛来する頃には翼の先まで入れれば大人五人分程の幅を持つ巨影となっていた。
レンはその影を見ると口を開く。
「我が龍アールゥ。貴方はこの度の凶報を齎す存在について何か知りえないだろうか」
-常世の存在に斯様な行いを出来るような種族は限られており、存在も稀であろう。されどその気配は感じられず汝が危惧してるであろう魔神という線は薄いであろう-
レンの声を聞いた巨大な影、レンと契約を交わしている風の属性を持つ龍アールゥは念話によって答えながら地に降り立つ。その新緑色の体躯は涼やかな風を彷彿させ、巨体ながらしなやかに躍動するような筋肉による動きは巨体故の愚鈍さを一切感じさせる事はない。
アールゥの返答を聞いたレンは深呼吸をすると、高ぶり苛立ち高揚する感情を落ち着かせると改めてアールゥに声を掛ける。
「ありがとう。
出来ればそいつを見つけるのに手を貸して欲しい」
-良き哉。
と答えたい所であるがそれは無用であろう-
レンの言葉を聞いたアールゥは風に乗って漂ってくる微細な血の匂いと、微かに風が運んでくる断末魔の声を感じ取っていたのだ。
「・・・・・・!アールゥ」
言葉の意味に気付いたレンは顔に驚愕と怒りを張り付かせると、アールゥの身体に飛び乗り、その背を跨ぐ。
アールゥはレンがしっかりと座った事を確認すると、翼を数度羽ばたかせその巨大を空へと持ち上げ血の匂いを感じとった方角へと移動を開始しようとした、その時だ。激しい爆音を轟かせながら陣の一角が破壊されて設置されていた天幕や物資、そして重装備の兵や騎士達を木の葉のように空へと舞い散らせていたのだ。
その事態に瞠目したレンだったが、直ぐに気を取り直すと魔法を使用し己の命令を全軍に轟かせる。
「敵襲・・・・・・!敵は東南にあり、我が軍の威光を掛け打ち滅ぼせ!」
それに答えるように陣の各所から兵達や騎士達が一斉に陣の東南に向かい移動を開始していく。その様子を確認したレンは改めて破壊された東南の陣を遠目で確認する。いまだに土煙が舞い上がり、詳細を確認する事は出来ないが時折その土煙の外にまで飛散する血や転がってくる頭や腕を見て状況は好ましく無い事を推測する。
レンは空中で魔力を練り上げると目の前に魔方陣を展開し、詠唱を開始する。
「疾く来たれ其の旋律を持って万障切り裂く刃と成さん・・・・・・【ウィンディアスラッシュ】!」
戦闘級魔法は大まかに五つに分類される。
見習いや駆け出しの魔導師が主要する殺傷能力の低い第五位階級の魔法。
一般の魔導師が主要する極めて殺傷能力の高い第四位の魔法。
熟練の魔導師が主要する殺す事だけに特化した第三位魔法。
天才といわれる分類が主要する殺戮を齎す第二位魔法。
そして天才の遥か上、神童と言われるものかその属性の龍と契約したものだけが使用出来る地形すら変化させかねない第一魔法。
今レンが放ったのは第二位魔法に位置づけされている鋭い無数の風の刃で敵を全方位から切り裂き、その身を解体するために乱舞する凶悪な魔法だった。
生き残っている兵が居るとも理性では理解していたがそれ以上に死者を減らす事だけを優先しその理解を捻じ伏せて放たれたそれは土煙を一掃しながら敵を切り裂かんと躍動する。そして土煙が晴れ、魔法が直撃する寸前にレンが見たのは擦り潰され、捻り潰され、引き千切られ、頭蓋を叩き割られ、四肢を生きたまま引き抜かれて苦痛に絶叫を轟かせている兵達の姿だった。
「惰弱」
無残な死体と、今だ苦痛にもがく者達の命を刈り取って襲い掛かった風の刃。それを見た襲撃者、深夜の惨劇を成した張本人である真紅の髪の男はぽつりと呟くと、襲い来る風の刃に目を向けていた。
刹那、魔法が男に直撃し再度土煙を巻き起こした。魔法の直撃を確認したレンは一瞬だけ見た地獄のような光景に酷い吐き気と軽い眩暈を覚えながら眉を顰める。今の一撃で散った者達へ、今の僅かな時間で散らされて逝った者達の魂に祈りを捧げながら。
終わった、誰もがそう思ったのだろう。自国最強の騎士によって加えられた魔法の直撃を見たのだ。レンの指示によって陣各所から飛んできて現地を方位していた将兵は皆そう考えていた。誰かがふうっと溜息を漏らし、剣を収める音が聞こえると辺りの緊張も消えて皆が獲物を仕舞い始める。
「あの程度では届かない」
そんな兵達の一角で、不意にそんな声が聞こえた。ぞくりという悪寒と共に再度剣を抜こうと兵達が鞘に手を伸ばすと、ずるりという音が聞こえ始める。え?と誰かが疑問の声を漏らした。視界だけが落ちていき、目の前に見えるのは胴から真っ二つに分断された下半身。その断面からは血の一滴も零れておらず、作り物なのかと錯覚してしまいそうになる。だがその下半身に装備されている物の中に私物があるのを見て兵達は気付いた。ああ、あれは自分の身体だと。
ぶしゅっと血の噴水が一気に吹き上がり、大地には血河が形成されていく。その光景に将兵の間に再度緊張が走り、レンの顔に殺せなかった事への驚きと目の前で起こった非現実な光景への恐怖によって僅かではあるが畏怖の色が見えた。
「・・・・・・さもあらん」
土煙が一気に吹き飛ぶ。突如発生した突風は生き残っていた男を中心に発生したようで、大地に波紋状に広がる風の後が見て取れた。
無傷。汚れ一つ付かずに悠然と佇み、感情の宿らない瞳でジェライド王国軍の将兵を見ていた男はつまらなそうに呟きを漏らすとそっと右手を突き出した。
「在れ」
一言だった。その一言だけで世界が悲鳴を上げるかのように軋みを上げ、大地は恐れているかのように激しい振動を繰り返す。その圧力に意識を失いそうになったレンは気丈に唇を思い切り噛んで痛みで意識を繋ぎ止めると男に目を向ける。
見ると男の手には今まで無手であり帯剣している様子も無かったのに真紅の刀身をした長剣が握られていた。剣が現れたことにより圧力が少し弱まると兵達も動きだし、まるで恐れを隠さずに男に向かい得物を構え攻撃を仕掛けていった。
怖いのだ。突如現れ殺戮を齎し上位の魔法すら無傷で耐え抜き圧力だけで人を殺せるかのような力を見せたその男が。
「さあ眠れ、愛しい子供達よ」
一閃。それだけで轟っと音を立てて地面が裂け、数百の命が無残に引き裂かれる。
あまりにも現実離れした光景。それを見たレンが放心している最中、アールゥがその男の顔を注視し、瞠目する。
-逃げるぞ!-
まるで恐れているような、いや恐れているのだろう。今まで聞いたことの無いアールゥの声色に戸惑いながらレンは必死に急加速して動き出したアールゥの背にしがみ付く。
それを見た男は剣を持っていない左手をアールゥに向け、指先を数度宙で遊ばせて印を描く。するとアールゥは見えない腕に掴まれたかのように地面へと墜落する。
「きゃあああああああ!」
轟音と共に地面へと落下し、レンもその衝撃でアールゥの背から弾き落とされる。この絶望の宴は今から始まるのだ、そんな事を彷彿させる事態にレンの中に沸いていた怒りよりも恐怖が次第に上回り始めていた。
耳を揺らす激しい轟音とそれに遅れて発生する衝撃波。重い鎧を纏った騎士達が木の葉の様に宙へと舞い上がりながら空中で首や手、胴がずれ落ちて死んでいく。
私は何と戦っているのだ、一体アレは何なのだ?本当に人間なのか?恐怖により混乱を始めた頭でレンは必死に思考を纏めようとするが目の前で繰り広げられる凄惨な光景に思考を纏める事すら儘ならず、次第に近づいてくるその惨劇に尻餅を付いたまま後退りをし始めていた。
「・・・・・・!あ、あーるぅ!アレは何、何なの!?」
とんっと何かが背中にぶつかりレンの後退が止まる。
レンは背に触れたものを見て契約している龍であるのを見ると咄嗟に振り返りアールゥに向かい叫ぶように問いかけていた。
アールゥはその声を聞くと見えない何かに押えつけられている身体を無理やり動かして何とかレンに顔を向けると念話で返答を返す。
-アレこそは人の罪の終着点。全てを拒み全てを滅ぼし、駆け上がりて座すは始原の頂。
全ての神々の怨敵であり全ての存在の天敵・・・・・・忌まわしき【神殺し】よ-
「そんな、御伽噺の登場人物が存在する訳ないじゃない。御伽噺では五千年も前に起こった話なのに当事者が生きてこの場に居るなんてありえる筈がないじゃない」
その答えを聞いたレンは乾いた笑みを浮かべながら呆然と呟きを漏らす。ありえない、ありえない、ありえないと頭で何度も繰り返しながら目の前の光景に目を凝らす。
既に三千以上の兵が殺されたであろう。それほどまでに目の前の異様な光景は凄まじい速度で命を刈り取っていく。ありえない、嫌だ、怖い、どうして?何で?この虐殺を垣間見、体験している者達全ての共通の思考をレンも胸に抱き、幼い頃に母親から寝物語に聞かされた御伽噺を思い出した。
遥か昔、神々が世界を直接支配していた時代に現れた神々の殺戮者。無数の天使や魔族を殺して簒奪した力はやがて神々に届き、神敵として世界にあった五つの大陸全ての住民から狙われ、追われ続け神々の追っ手と戦いを繰り広げながら世界を駆けた男。
そんな中追っ手の神と男が愛を交し合い、二人だけで世界を逃走し始める。そんな男に待っていたのは愛する神との死別。それも自らの手によって愛した神を殺すという結末だった。
男は殺めた神、戦女神ヴァルスリーナの全てを譲渡され女神の神核の欠片を剣に宿し世界中で神々と連なる者を殺し回る。そしてとうとう男と神の戦いは熾烈を極め、大陸一つを消し飛ばしてしまう。最後に残った結末は世界から神が消え、神殺しと男が呼ばれるようになったという事だけであった。
我侭を言っては母を困らせ、何度もせがんで繰り返し聞いた遥か昔の物語。それがこの世界に伝わる【神殺し】の御伽噺、神話であった。
「疾く滅せ」
慈悲も与えられる事の無い殺戮。
既に集まっていた兵は多数が死に絶え、逃亡者も出始めている。だが逃亡者もアールゥが囚われているような現象に囚われ、それは一瞬も耐え切る事が出来ずに薄く圧縮された骸へと姿を変えていく。誰も逃げられない、ただ殺されるだけ。
その光景を呆然と見ていたレンは獣の如き慟哭の雄叫びを上げると、魔法ウィンディアスラッシュの詠唱をしながら殺戮の主へと一気に駆け出していた。レンの接近に気付いた男は一振り今まで以上に力を込めて剣を振るう。それだけで周囲に居た兵や騎士は塵も残さず消滅し、開けた視界の中でレンを捉えた男は剣を肩に担ぐとその動向を観察し始める。
「死ね・・・・・・死んでくれえええええええ!」
叫びと共に魔法が開放され、さらにレンは男の首を自らの手で跳ね飛ばさんと剣を抜き放つとそのまま男に向かい駆け続ける。
最初に放ったものより密に、大量の魔力を込めたその風の刃は触れる全ての物を粉微塵にしながら男へと殺到する。だが男はそれを見るとつまらなそうに眉を顰め、ただ剣を縦に振る。その動作だけで迫っていた魔法は消滅し、レンと男の間にあった矛であり盾であったものを取り除いた。
嗚呼、無常である。それを見たレンが思った時には男が目の前に居り、剣を持っていたレンの手を掴み捻り上げていた。
間接を走る激痛に剣を取り落としたレンは絹を裂いたかのような甲高い悲鳴をあげ、自然と涙がその頬を伝い落ちていた。男はレンの手を捻り上げたまま愛剣を地面に突き立てるとレンの顎を掴み自らの方へと向けさせる。
涙を流し激痛に喘ぐレンの顔は加虐心を煽り、もっと苦痛で歪ませて見たくなる。
されど男は何の感情の変化も見せず、ただレンの唇を奪うように貪り始める。それにレンはこのまま此処でこの男に犯されて殺されるんだと思い、ならばと口内を蹂躙する男の舌ごと自らの舌を噛み切ってやろう。そう結論付ける。
淫靡な動きで口内を蹂躙する舌がレンの舌を絡めとり、擦り合わせてぬちゃぬちゃと粘膜同士が擦れ合う湿り気のある音を立てる。レンは男の舌におずおずと自らの舌を絡めると、その動きに合わせるように舌を動かし始めた。
次第に男の舌が口内から退き、お互いの舌が歯の位置に到達する。男の口付けにより苦しくなる呼吸と蕩けてきた理性を何とか内心で叱咤すると、レンは顔を赤らめ目に情欲の炎を浮かべたまま男に淫蕩に蕩けきった笑みを向け、一気に舌を噛み切ろうと顎に力を込めた。
「・・・・・・!?」
結果、レンの顎は動かなかった。いや、それどころではない。感じていた激痛が消えているのだ。見ると男の手は依然と自らの手を捻り上げており、既に骨が折れているのであろう。ありえない方向に手がぶらぶらと揺れている。
何故、どうして。そんな事を考えているレンの目に恐ろしいものが映った。皺が刻まれているのだ、折れた手に。いや、手だけではない。それは指先から二の腕まで続き、それに気付いたレンは必死に目を動かし掴まれていない手を見る。その手もまったく同じ現象が発生していた。
それに驚愕したレンは必死にもがいて男を振り払おうとするが身体に力が入らない。恐る恐る顔を僅かに動かし目を足元に向ければ、瑞々しくも引き締まっていた足も徐々に皺が刻まれ始めている。
「んぁ・・・・・・!ん、んむぅ・・・・・・!」
怖い、怖い、怖い。そんな感情がレンの頭を支配し口付けによって塞がれた口の隙間からくぐもった声が漏れ出す。
だが男は一切躊躇することなくレンの口内と怯えるように逃げ始めた舌を絡めとりその感触を確かめながら口付けを続行する。
次第に下腹部に熱が篭り、下着にぬるぬるとした感触を覚え始めたレンは恐怖と羞恥で混乱し、次第に男への抵抗を止めていく。そして・・・・・・。
「ん、んんんんんんん!?」
びくびくっと一際大きくレンの身体が震えて跳ね上がり、下腹部の熱が暴れ狂うように全身を支配する。下着も既に意味を成さないほど濡れ上がっており、ぼうっとした頭でレンは離れていく男の唇を見つめていた。
するとその顔に次第に皺が刻まれ始め、既に手足は老人のように変貌しており服の上からでも見てとれた張りのある乳房も徐々にしぼみ始めていた。
そして数分も待たないうちにレンは老女のような容貌になり、さらさらと吹き抜けてきたそよ風にその身体を砂のように散らしていった。
「これで何度目だったか」
-三度目よ。忌々しい化け物が-
それを見届けた男は今だ囚われているアールゥに目を向けながら口を開く。
アールゥは男の言葉を聞くと憤怒に目を真っ赤に血走らせながら忌々しげに答えていた。
「そう邪険にすることはあるまいて。汝らは魂も記憶もそのままに引き継ぎ新たなる体躯を持って最誕する。
・・・・・・時が近い。失せた我が力を呼び戻す為の呼び水の一部と成り果てるがいい」
そう言って男は剣を再度手に取ると、アールゥの首を一刀の元両断する。
首を飛ばされたアールゥの身体は、魔力の塊へと変貌し、それは全て男へと吸収されていく。大海に落ちた一滴にも満たない力を感じた男は生き残っている兵や騎士に目を向けると、呟いた。
「消えろ」
一言。それだけで生き残っていた兵の全てが消失する。
男はそれを確認すると剣を取り出したときと同じようにいきなり消失させると殺戮の跡地からゆっくりと歩き始める。
刹那突風が吹き荒れると、そこに男の姿はなくなっていた。
ウェイド王国暦七百六年五月中旬。後の世に「レンの悲劇」と呼ばれる龍騎士を巻き込んだ一大喪失事変が発生した。
後の歴史家達は疾風のレンが突如発狂し、契約した龍と共に軍に攻撃を加えて全滅させて逃亡したのであろうと結論付けた。その事実を知る者も、真実への手掛かりも今だ発見されてはいない・・・・・・。