泣
なるべく単体で放置するなという阿蘭の忠告に従い、殆ど日課になりつつある、麓の廃小屋への訪問。
(今日、“あっち”だけか。)
先客の存在を敏感に感じ取りながら吽蓮が小屋の戸を開けると、想像通りそこには杏が居た。
「あ…こんにちは」
何度も顔を合わせているにも関わらず、よそよそしい態度で挨拶をする杏に頷いて応える。目で妖を探すと、ぐっすり寝ていた。まだ成りかけで身体が不安定なのか、その日次第で動き回っていたり寝てばかりだったりしている。
「今日はずっと寝ていて…」
「ふぅん。」
軽く答えて会話を終える。
『杏の事、いじめたら承知しないから!』
楓からは顔を合わせる度に釘を刺されている為、あまり話し掛けないようにしているからだ。
そんな楓もここ数日見ていない気がする。一応見渡してみたがやはり今日も居ない。
「あ…楓ちゃん、最近任務で忙しくて…」
「ふぅん。」
「すみません、楓ちゃん居ないとつまらないですよね。」
俯き加減に謝る杏をじっと見、吽蓮が口を開く。
「何でそう思うわけ?」
「え…だって、楓ちゃんがいる時より口数少ないし、名前呼んでも…反応、無かったりするから…」
吽蓮からしてみれば口を開けばいちいち突っかかってくる楓が居ない方が静かに過ごせるという認識でしかない。
(無視したこと、あったっけ?)
思い返すが意図的に無視した記憶は無い。
「すみません、吽蓮さん。答えづらい事言って_」
考え込む吽蓮に杏が謝る。
「あ。多分それ。」
「え?」
「オレ、その呼ばれ方された事無いから。」
吽蓮の周りは阿蘭のように『蓮』と呼ぶか、そのまま『吽蓮』と呼ぶ者達しか居ない。耳に馴染みが無さすぎて杏の言葉を聞き流してしまっていたらしい。
「あの…じゃあどう呼んだら…」
「オレが反応する呼び方。」
「………。」
淡白な返答に今度は杏が考え込んでしまった。
(別にテキトーで良いのに。)
特にこだわりも無く、呼んで欲しい呼び方があるわけでもない為、杏が反応が返るまでしつこく『吽蓮さん』と呼んできたとしても構わない。杏に考えを丸投げして寝息を立てる妖犬の側に座る。
心なしか、少し大きくなった気がする。
「…?」
何もせず見ていただけの妖犬が寝言だろうか、呻きながら手足をバタつかせた。
(夢見てる?)
そっと妖犬に触れようとしたその時。
「…あ。」
「吽蓮さん…!」
唸りながら飛び起きた妖犬が、吽蓮の手に噛み付いた。
杏の声に驚いたのか、妖犬は尻尾を丸めて小屋の隅へと逃げてしまった。
深々と牙の刺さった吽蓮からはボタボタと血が出ている。
「大丈夫ですか?!」
「うん、平気。」
青ざめて心配する杏を尻目に痛みを感じない吽蓮はケロリとしている。
「手当て…しないと…!」
動揺しながらも杏の手は確実に動いているが、その手は震えて少し涙目だ。
「すみません。変、ですよね。噛まれて痛いの、吽蓮さんなのに…」
「別に。」
確か杏は昔、犬に噛まれたらしく犬を怖がっていた。それを思い出したのか、ただ驚いたのか。
「オレ痛くないから。平気。」
「え?」
今にも泣きそうな杏に吽蓮が声を掛ける。言われた意味がわからず一瞬手が止まる。
「オレ、狛犬の化身で。昔人間に半分壊されたから。痛み感じない。」
「……。」
「ついでに元の姿よりガキになったぽくて。記憶半分無いからホントかどうか知らないけど。とりあえず痛くないから。」
吽蓮からすれば心配させないように話したつもりの自身の特性と過去。
この弱気な人間の震えも止まるだろう。そう思って再び見た杏は_
「?何でアンタが泣いてんの?」
「わからない…です…」
鼻をすすりながら涙を零す杏。
(………。)
「泣くやつ嫌い」
「ごめんなさぁぁい…っ」
どうするべきか目を泳がせてようやく吽蓮が口にした言葉に杏の涙腺が崩壊した。
ガラッと音を立てて小屋の扉が開く。
「吽蓮!!!」
そこには鬼の形相をした楓が立っていた。




