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「ねぇ。」

何をどう話すべきか迷っている楓の隣に、いつの間にか吽蓮が来ていた。

「え…_きゃっ_!」

吽蓮本人というよりは、その腕の妖犬に驚いたのだろう。杏が尻もちをつく。

「杏は犬が苦手なの。あんまり近付けないで。」

「もう犬じゃないし。」

「そういう問題じゃないの!大体…」

犬であろうとなかろうと、異形の“何物か”に変わりはない。恐怖心は芽生えるに違いはないのだ。

「大丈夫、楓ちゃん。ちょっとビックリしただけだから。…私もそろそろ、昔噛まれた事なんて忘れちゃえば良いのにね。」

恥ずかしさを誤魔化すように笑って杏が立ち上がる。本当に妖犬を犬と認識して驚いただけらしい。

「…杏、この子は犬っていうか…」

杏は力量から見て積極的に妖退治に出される事は少ない。妖と関わる機会が少ない分、妖への免疫も無い筈だが、彼女は目の前の異形に怯える様子もない。

「こいつ、どうにか出来ない?」

「どうにかって?」

「その燕みたいに。」

杏に向き合い、楓の肩に乗る飛燕を指差す。杏も飛燕のように妖と契約して使役出来ないかと言いたいのだろう。

「ごめんなさい…私、まだ…妖を従えられるほど力が無くて…」

申し訳無さそうに俯き、尻すぼみになって答える杏。

「…弱いやつ嫌い。」

フンと鼻を鳴らして吽蓮は一言そう言うと、興味が失せたように二人から離れた。

「…ごめん、なさい…」

「ちょっと!言い方ってものがあるでしょ?」

歯に衣着せない言い方をされ、見事に眉をハの字にして更に俯く杏に、思わず楓が怒りを露わにする。吽蓮は悪気も何も感じていない面持ちだ。

「蓮。思惑通り行かないからって八つ当たりをするな。」

「……。」

阿蘭の言葉にも吽蓮は耳を傾ける様子はなく、妖犬を抱いたまま社の階段に腰を下ろして背を向けた。

「…悪いな。あいつの言葉も、あの犬もどきの事も気にしなくていい。」

「……。」

今まで、盗人だったり涼水の事で気が立っている阿蘭と接していた所為でわからなかったが、意外と思いやりの心を持っているのかもしれない。

「そいつはおそらく狩猟犬か愛玩か、人間に飼われる種の犬だ。山犬や狼の類じゃない。」

阿蘭の言葉に、吽蓮の下にいる妖犬を見る。確かに里や街で見かけそうな毛色と輪郭ではある。仔犬くらいの大きさということは捨てられたのかもしれない。

「妖は変異する時に意識が強く向いた所に変化が出る。餓えていたところ変異したのだとすれば口が怪我が原因ならその患部に…見てみろ。そいつは、どこに変化が出てる?」

「………。」

「目と…足?」

答えようとしない吽蓮の代わりに楓が答えた。

「あと、強いていうなら首回りの毛って、ところか。俺は想像が付く。_首回りの毛は繋がれていたから。目が三つあるのは石でもぶつけられていたんだろう。避ける為によく見たかった。そこからどうにか逃げ出して、この深みまで必死で逃げた。」

「たくさん走ったから…そんなに手足が?」

阿蘭の言葉に杏が震える声で漏らす。

「もしそいつに色濃く残っている記憶が憎しみや恐怖だったら…完全体に成った時に厄介だ。俺達では手に負えない可能性もある。」

今でこそ吽蓮の傍らで大人しくしている小さな妖犬だが、山の妖気と妖犬の状態次第では楓が以前出会した大蝙蝠のように巨大化する可能性も、凶暴になる可能性も秘めている。阿蘭が警戒する理由も理解出来た。

「でもこのまま放っておいても状況は変わらないんじゃないの?」

「変異したての成りかけは安定した妖気を吸収出来なければ消滅する。見つけたとして、放っておけば良かったんだ。」

吽蓮が傍に居ることにより妖犬は一定時間妖気を吸収し、消滅せずに妖への段階を一段上ったらしい。阿蘭が眉間に深い皺を寄せる。

「だって。コイツがまだ生きたいって言ったから。」

「その子が喋ったの?」

もう話せる段階なのかと楓が疑問を投げる。

「いや、そんな気がしただけ。」

「それは言ったとは言わないんだよ。とにかく…_」

「私に…何か出来る事はないですか?」

阿蘭を遮って声を上げたのは杏だった。いつも何をするにも消極的な杏にしては珍しい光景だ。楓も何かあれば助け舟を出すつもりで返答を待つ。

「あんたまだ妖を使役出来ないんだろ?使役したフリして連れ歩いたとして、もし暴走したら里に居られなくなるぞ。」

「…それ、は…」

「ここじゃなくてもっと麓だったら山に負の気が巡ったとしてそこまで影響少ないんじゃない?」

狐狸路を通った為そこまで時間は掛かっていないが、この涼水の社も山の深みに在る。だが麓であれば以前のように山が不安定が荒れても影響は受けにくいのではないか。そう思った。

「それはまぁ…そうだが…」

「里を出て少しのところに大きくはないけど古い小屋があるの。よっぽどじゃなきゃ人は来ない。そこで面倒見るっていうのは?日中は私達、夜は吽蓮。どう?」

「やる。」

「…好きにしろ。」

楓の提案に即答する吽蓮を見、頑なだった阿蘭もついに折れた。

「決まり。じゃあ案内するから。吽蓮、付いてきて。杏、行くよ。」

「あ…うんっ!」

社を去っていく三人を阿蘭が複雑な面持ちで見送った。

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