説
「……」
喜助を見つめていた青年は、そのまま穴の外へ一歩踏み出した。
刀の落ちている場所に向かって歩いていくが、蝙蝠達は一向に襲い掛かってこない。
「何で……?!」
同じように外へ出ようとした喜助の腕を、青年が制した。
やがて刀を手に戻ってきた青年は、それを喜助へ差し出す。
「彼らは、敵意のない者を無闇に襲ったりはしないのさ」
迷いながらも刀を受け取り、鞘へと納める。もう一度空を見上げると、妖蝙蝠を中心に蝙蝠たちが群れを成しているのが見えた。
「妖は長い年月を経て、ようやく妖になる。だが、稀に突然妖へと変異してしまう事がある。今日のように、山の妖気が不安定な時にね。」
言い返さない喜助に青年は構わず言葉を続ける。
「君が親玉だと思っている妖が、正にそれだ。考えてみたまえ。突然、自分の身が妖に変わる。姿も変わる。……耐えがたい恐怖だろう?」
妖の気持ちなど考えたこともない喜助には、青年の言葉は奇妙に聞こえた。
「僕の想像でしかないけれど……姿かたちは変わったとはいえ、仲間だ。あの蝙蝠達は、自分の突然の変化に怯える仲間を守ろうとしたんじゃないかな?」
「せやかて、最初に向かってきたのは――」
蝙蝠の方だ。
そう続けようとした喜助は、脳裏に浮かんだ光景に、口を閉ざした。
(あいつら、攻撃はしてへんかった……)
蝙蝠達が一斉に襲い掛かってきたのは、喜助が火を放った“その後”からである。
「妖は負の気に敏感なのさ。君の中には、あの蝙蝠の妖を引き付けるだけの、憎悪や恐怖心があったんじゃないかい?」
「妖は俺の村の仇や。憎いに決まっとる……! お前に何がわかる?! 俺の目の前で親父は喰われた! みんな死んだんや!」
吐き捨てるように飛び出した言葉に、青年は少なからず驚いたように目を見開いた。
それでも視線を逸らさず、静かに言う。
「確かに、意思や悪意を持って人を襲う妖もいる。けれど、そうでない妖もいるのだよ」
「妖なんてみんな同じや!」
脳裏を過る記憶に今も寒気を感じる。
牙を剥く妖たち。自分を庇って喰われていく大人たち、逃げ遅れその牙に倒れる仲間の姿。
「“みんな同じ”だったら、君の友達は既にこの世にいないとは思わないかい?」
落ち着き払った青年の声に、喜助は少し冷静さを取り戻す。
柾に庇われ斜面から落ちる直前に見た妖蝙蝠は確かに牙を剥いていた。それをまともに喰らったのだとすれば、無傷では済まないだろう。
「柾やったから…何もせんかったんか…?」
「自分の速さは制御出来なかったようだけれどね。」
苦笑いをする青年。そして柾と、外を旋回する妖蝙蝠へゆっくりと視線を這わせ、喜助は黙り込む。
「僕は思うんだ。君たちのように妖と対等に渡り合える者こそ妖を理解し、無駄な戦いは避けるべきだと。」
うっすらと遠くの空が白み始める。蝙蝠の一群は徐々に数を減らしていった。
「流風。」
「上手くやってくれたようだね。ありがとう。」
横穴の側に先程の銀髪が戻ってきた。
「蝙蝠たちを説得しに行っていたのさ。彼らもこの山の妖気の被害者だからね。」
「お前…本当に何者や?」
疑いの目を向けていた“いつかの問い”が、今度は純粋な疑問として再度出てきた。
「僕は、君たちと同じ…__!」
言いかけた青年だが、ハッとして穴の外を見、少し慌てた様子で喜助に背を向けた。
「すまない、話はまたいずれ。」
「おい…待…!」
喜助の静止も聞かず、早足で去った青年はあっという間に草木の中に吸い込まれていった。
「……。」
あまりに急な展開に喜助は言葉が見つからないようだ。ぼんやりと青年の去った方を見ている。
「間もなくその童も目を覚ます。お前の里を狙う妖ももういない。仲間を連れて里に帰れ。」
『仲間』という単語に楓の顔が思い浮かぶ。待っていろと言ったが、あの時からそれなりに時間が経過している筈だ。
「…まだ里には帰れへん。もう一人仲間と合流せなあかんし…」
「その仲間はお前の何倍も山に慣れきっているがな。」
譲らない喜助に銀髪はぼそりと何事か呟き、フンと鼻で笑う。
「何や?」
銀髪に若干ムッとしながらも、そんな喜助を気にする様子もなく、これ以上話すことはないと言うように背を向けた。
銀髪の妖が空を仰ぐと、一瞬でその背中に羽根が現れる。眩しいほどに真っ白な羽根が、明けかけの空に映えた。
「小僧。忘れるな、そして自問しろ。無知とはいえ、お前は蝙蝠らを焼き殺し無駄に命を奪った。そのお前と、人里を襲う妖。違いは何だ?」
「……。」
喜助の返事を待たずに、銀髪の妖は翼を羽ばたかせて飛び去ってしまった。




