7.いつもそばにいる
「この辺で良いでしょ」
階段に隣り合わせに腰を掛けながらミレナは小さく声掛ける。
広場では出店で買い物や出し物に興じる人々がまだ多い。
2人はそれを裏山から眺めている。
神社へ続く長く急な階段の中央には手摺りがある。
階段を左右に分断し、普段は上りと下りで分かれて歩くことになっている。
その階段は今、人で溢れていた。
皆、花火を見るならここからが一番見易いことを分かっていたた。
そのため、ここには例年町の人が集まってくる。
とは言え、あまりに急で長いものだから、皆中腹辺りで妥協して座る。
「片側を空けてくださーい」と青年団のおじさんが声を張る。
手摺りの片側をあけるよう一人一人に伝えていた。
だが次々やってくる人々はお構いなしに座るもので、階段の途中から人が上がれないくらい集まってしまう。
ミレナたちは早々に頂上近くまで上がったので、人混みに巻き込まれずに済んでいる。
ただ、ここは見通しが悪い。
夏の草木の成長著しく、木の枝葉で景色がすこし遮られてしまっている。
「悪いなレント、ちょっと見づらいかも」
「いいよ、人が多い方が苦手だし」
レントは気にすることもなさそうに軽く返した。
確かに下の方は人が溢れており、青年団のおじさんたちも苛立ちを隠せていない。
ミレナは軽くため息をつく。
「でも。多分がっかりすると思うな」
「ここまで来ておいて何を突然」
「いやさ、考えてみ。トーキョーには花火大会いっぱいあるでしょ。ランドとかだと毎日花火でしょ」
レントが顔をしかめる。
何かを勘違いしているミレナに言いたいことがありそうだった。
しかし、息をフウと吐くと、気にしないように正面を向いた。
レントにはこういうところがある。
「毎日あるとは思わないけど」
「トーキョーのすっごい花火大会に比べたらしょぼいんだろうなあって思っちゃうよね」
あーあと大きく息を漏らしながらミレナは嘆いた。
祭りの明かりがキラリと簪を照らす。
レントはその光に連れられてチラリとミレナの横顔を覗く。
パタパタと手で顔を仰ぐミレナ。
透き通るような肌に、階段を駆け上がって少し紅潮した頬。
目鼻立ちがハッキリとしており、陶器の彫像のように美しかった。
都会でもなかなか見ない。
クオーターの彼女はどこか異国情緒あふれる雰囲気を漂わしていた。
視線に気付いたミレナが振り返る。
咄嗟にレントは既に正面を向いて素知らぬ顔をしていた。
「どんなにすごい花火でも、一人で見ていたらつまんないよ」
「レント?」
「それに――」
レントは目を細める。愁いを帯びた口元が柔らかく、儚げに隙間を作る。
彼はどこを見ているのだろうか。ボンヤリとした瞳を遠くにやる。
遠く遠く、空より遠く。彼の視線の先にあるものをミレナはなんとなく感じ取る。
「今日の花火は絶対に観なきゃいけないんだ」
キュッと唇が結ばれる。横に引かれた一本の線。レントはゆっくりと息を吸い込む。
ゆっくりと言葉を繋ぐレントに、ミレナは傾聴した。
「最期に作った花火だから」
“誰が”と言わずともミレナにはわかった。
遠くを見るレントの視線に合わせ、ミレナも同じ空を見る。
町の明かりが暗い夜空を薄く照らす。
それでも一番星は輝いていた。金星か木星かは分からない。
最初に浮かぶ強い星の煌めきが、まるで2人を見守るように光っている。
「いつも都合つかなくて見れなかったから。……生きている間に観てやりたかったよ」
レントの目が見開く。その瞳に一際大きな輝きが映し出される。
夜空を飾る星の花。
その花火は確かに、一般的な花火より小さなものだった。
それでも、空に浮かんだ輝きは少年の胸を打つ。
「ハハッ。しょぼいなー。ほんと、ミレナの言う通りだ。どう見たって素人の作った花火だよ。ほんと、すごいよ、じいちゃん」
「うん。すごいよシゲちゃん。花火作っちまうんだもん」
いつも、最初の一発はシゲちゃんの花火だった。
ミレナはこれまで数度しか見ていなかった。
それでも打ち上がるたびに明らかに制度の上がる花火。
空に上がるたび美しくなる花火に子供心ながら関心をしていた。
祖母が言うには、シゲちゃんはそれまで花火なんて作ったことのない本当の素人だったらしい。
仕事を辞め、自治会に所属して、自ら町を盛り上げようと走り回った頑固者。
一度始めたことは最後まで手を抜かない、頭の固いおじいさんだった。
その最期の花火は確かに、美しかった。
「やり始めて7年だよ。じいちゃん。たった7年。人生終わりかけてるのに新しいこと始めて、いろんな人に助けてもらって、みんなの前で打ち上げることが出来るようになったんだよ」
「すげえよな」
「うん、自慢のじいちゃんだ」
誇らしく語るレントにミレナは感心した。
素直に身内を褒めることが出来る真っ直ぐな精神を素敵だと感じた。
天邪鬼な自分にはないものだ。だからこそ尊敬できる。
そうミレナが彼を見ていると、レントが振り返る。
2人の視線がバッチリと合った。
余りにもピタリと視線が合ったものだから、逸らすことも憚られる。
2人は刹那の沈黙を得る。
「……ミレナ」
「な、なんだよ」
気付いたら互いに前のめりになっており、あまりの距離の近さに、思わずミレナは身を引いた。
耳の熱さを自分でも感じ取れ、心臓の鼓動が加速する。
普段ならレントの方が身を引いていたかもしれない。
でも、彼は別のことが頭にあるようで、自分たちの距離感や、まして今ミレナが身を引いたことにも気づいていない。
レントの視線が揺れる。
何かを迷っているようだった。
言わなければいけないことを、伝えようとして、勇気が出ないのだ。
勇気の出ないまま、レントは小さく呟く。
「俺、明日帰るんだ」
「は?」
「悪い」
寂しそうな表情のレントに、ミレナは少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
耳の熱は次第に引いていき、心臓の鼓動が少し早いだけ。
「いや、悪いわけじゃないけど、急だな」
「なかなか言えなくて」
「あー、なんだ。レント。……色々迷惑かけたな」
「本当だよ」
「否定しろよ」
苦笑いをするミレナに向かい、レントは左手を掲げる。手首には包帯が巻かれたまま。
レントは意地悪く、じとっとした瞳をその手に向ける。
ミレナは小さく汗を垂らしながら、ゆっくりと視線を逸らす。
だがレントはそれを許さない。逃げた視線の方向に左手を突き出して見せた。
「それを出すのは卑怯だろ! レント、大丈夫とか言っただろ」
「大丈夫だよ。今のはリハビリの運動だ。なにかあった?」
たまらず叫ぶミレナに、レントはしたり顔で言葉を返す。
ミレナはフルフルと震えながらうなだれ、下から睨みつけるようにレントを見る。
レントは見下ろすようにミレナを見ていた。
ハンッ鼻を鳴らすレントにミレナはカチンと来る。
「陰湿、陰険、根倉!」
「粗暴、傲慢、ガサツ」
「んだと!」
ダンッと立ち上がるミレナ。袖を捲り上げ拳を握りしめた。
レントは座ったままミレナを見続ける。
その視線にミレナは般若のような表情でメンチを切るが、レントは意に返さない。
代わりに彼は笑顔を向けた。
「ミレナ。楽しかったよ」
「……私も楽しかったよ」
睨みつけていたはずなのに、つられて笑ってしまう。
これだけ感情が揺さぶられたのはいつぶりだろうか。
怒りや悲しみ、妬みや苦しみ、悔しさ、もどかしさ、激情にかられたように見えても中身は沈んだまま。
真綿で締め付けられているような息苦しさの中生きていた。
祖母と暮らして2年。
ようやく祖母の前なら自分らしい自分で居ることができた。
魔女の瞳が開眼し、レントと出会い、胸の底にある重い鉄の扉に少しだけ光が差し込んだような気がした。
「それ、似合っているよ」
レントがミレナの簪を見て照れくさそうに言った。
口を尖らせて、頭を掻きながら顔はそむける。
ミレナはそっと簪に手を触れ、小さく微笑む。
「ありがとう。これママの形見なんだ」
ミレナの母はもうこの世にいない。
女手一つでミレナを育てていたが、病に伏せてそのまま息を引き取った。
1年前のことである。
祖母の助けを受けようとせず、必死に働き続けた。
入院してからミレナはこの町の祖母の元に預けられていた。
1年間の闘病生活。
転校しても友達を作るような気持ちになれなかった。
学校から帰ればすぐに母の元へ行く。
ベッドの傍で祖母はいつも悔しそうに母を見ていた。
きっと、祖母にはネコが見えていたのだろう。
中学に進学しても、小学生のころから顔ぶれは大して変わらない。
ずっと塞ぎ込んでいたミレナに近づくような人は誰もいなかった。
だから、レントはこの町で初めて出来た友人――もしかすると親友と呼べる存在なのかもしれない。
寂しそうだけど、心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべるミレナに、レントは手を差し出した。
「また俺と会ってくれる?」
「当たり前だろ。トーキョーの写真めっちゃよこせよ」
「気が向いたらね」
握りしめた手と手。固い握手が交わされる。
互いに細く小さな手。大人には程遠いが、もう幼い子供ではない。
自我を持った一人の人間が、そこにいる。
風が吹いた。階段下から吹き上がる突風。
ミレナは風を避けるように顔を横に向ける。
草木が揺れ、枝葉がザワザワ騒ぎ立てる。
一陣の風が吹き止み、ミレナが髪を整えながら顔を戻すと、花火の上がった空に影が見えた。
そこにネコがいた。
「なんで――」
ジッとネコはこちらを見ていた。
否、その視線の先は自分たちではない。その先にある神社を見ているようだった。
巨大なネコは空中を散歩するようにゆっくり、一歩一歩足を踏み出していく。
「どうしたミレナ」
ネコが歩く。
それは逃れられぬ運命のように思えた。
レントの腕に巻き付くヘビのように、父の背中から湧く蟲のように、それは意志を持たぬ“結果”。
“誰に”、“いつ”、“どこで”……。
ネコはゆっくりとミレナの真上を通り抜ける。
その間、ミレナはずっと身体が震えていた。
夏の夜の蒸し暑さなぞどこかに消え、凍えるような寒気がミレナを襲い続けた。
明らかに様子がおかしいミレナの身体をレントは掴み、ミレナに呼びかける。
「ミレナ、どうした。体調悪いのか」
「……そう、じゃない」
そっと、伺うようにネコを見る。
巨大ネコは尻尾をゆらりゆらりと動かしながら真っ直ぐ歩いている。
シゲちゃんの時とは違う。牛歩のように遅い歩み。
初めて見たときはアッと言う間に飛んで行ったというのに、今はまるで急いでいない。
急ぐ必要がないように見えた。
“まだ時間がある”かのようにゆっくりと歩いていた。
ミレナはハッとした。
「悪い」
「ミレナ!」
ミレナは走り出した。
レントの声も届かぬほど速く駆け出した。
巨大ネコにはすぐに追いついた。
それからミレナはネコの視線の先を確認する。
出来るだけ正確に方向を確認できると、ミレナは弾けるように全速力で駆けだした。
ネコの歩みは遅い。ならばまだ間に合うはずである。
韋駄天より早く。
打ち上がる花火の光より早く。
階段を駆け上がり、鳥居を抜け、境内を突っ切り神社の裏手に来た。
立ち入り禁止の札と、とりあえず張られただけのロープを越え、走る。
ここは危険だから入ってはいけないと、町の人たちに言われてきた。
神社の裏手は切り崩された崖になっており、まして昼間に雨が降った後。
落ち葉で作られた地面は簡単に崩れ落ちる。
人影が見えた。怯えているように見える。
身を寄せ合い、不安と迷いで詰まった瞳の先に、女の子が倒れていた。
崖の下、数メートルとはいえど、2階建ての家ほどの高さがある。
眼下で倒れている少女の手には巾着袋があった。
怯える少女たちに目をやると、巻き毛とカチューシャが目についた。
先ほど林に居た少女たちである。
「わ、私たちじゃない!」
その叫びに、ミレナは歯を食いしばる。
「人を呼べ!」
ミレナの瞳が青く輝く。
ミレナの異様な姿に圧倒された少女たちは逃げるように走り出す。
彼女たちが本当に人を呼ぶのか不安だった。
それでも、ミレナは信じるしかない。時間がないのだから。
ミレナにはやるべきことがある。
滑らないよう気をつけながら、地面にしっかり根を降ろした樹を掴み、焦らず、一歩ずつ崖を降る。
少女が倒れている場所は幸か不幸か水平な空間であった。
少女の手足には何匹も太いヘビが巻き付き、ヒトデが身体中に張り付いている。
背中の蟲がずっと少女の首に噛みついており、胸には蝶がとまっていた。
酷い有様だった。
ミレナのように魔女の瞳を持っていなくとも、少女が重体だと一目でわかるだろう。
ミレナは少女の姿から思わず目を背けかけた。
それでも、見なくてはいけない。
目を逸らしてはいけない。グッと堪えながら、ミレナは少女を見る。
一見して出血があるようには見えない。
ヘビの太さは恐らく骨折の酷さを示している。
ヒトデが頭にくっついていないのは初めて見た。脳障害でなければ内出血だろうか。
ヘビと一緒に青く腫れた足に纏わりついている。
蟲が直接的に身体に障害を与えているとは思わないが、念のため首周りに負担がかからないようにしなければならないだろう。
だが一番重大なのは胸にとまる蝶だ。
その蝶は夜の薄明りの中でも美しく青く輝き、大きな翅を少女の胸で休ませていた。
ミレナは記憶から蝶を探す。
いつ、どこでみたのか。どんな人に蝶がいたのか。
ミレナの中で病院に居た白杖の老人が繋がる。
両目に憑りついた蝶は、老人の視力を奪っていた。
――機能停止。
ミレナの心臓が雷のように激しく轟く。
「……できるか? できるのか……? 私に……やれるのか?」
仮に心臓が止まっているならば一刻を争う。
ミレナは心肺蘇生法を知識として知っていた。だが実際にやったことはない。
全身から汗が止めどなく流れる。呼吸が浅くなり、喉が渇く。
瞳孔は開き、世界が裏返ったような感覚に陥る。
しかし悩んでいる暇はない。
崖の上の更に上空、ネコが覗いていた。
ミレナは覚悟を決める。
少女の胸の上に両手を重ね、グッと押し込んだ。蝶の羽が少し動き、ヘビがのたうち回るりヒトデが増殖する。
何度も何度も何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も。
ミレナは少女の胸を押す。
たった20回でも腕が千切れそうだった。背中の筋肉が悲鳴を上げる。
それでもミレナは腕を動かす。
見ている。
巨大なネコがミレナを見ている。
ネコの大きな瞳孔が広がり、首を伸ばしてミレナを見続けている。
――。
――ああ。
どれだけ続けたのか。
永遠に感じられる長い時間。
もしかすると刹那の短い時間だったかもしれない。
レントが連れて来た大人たちが、ミレナと交代し、またしばらくして駆けつけた救急隊が少女を連れて行った。
座り込むミレナの横にレントが寄り添った。
集まった大人たちがミレナに何か声をかけてくる。
しかし、自分の心臓の音がうるさくて何も聞こえない。
ミレナは何もせず、ボンヤリと霞む瞳の先にいる巨大ネコと見つめ合った。
ネコは少女を追わなかった。
ミレナはうっすらと口元を上げ小さく呟いた。
「クソッたれ」
隣にいたレントでさえ聞き取れない小さな呟きは、町の夜闇に溶けていく。




