6.祭囃子と蟲
雨が降る。夏の暑い日には珍しくもない。
ジメジメした夏の空気が山を登り冷やされて雨となる。
すぐ止むだろうと祖母は言うが、それでも少し心配だった。
昼食をとり、学校から出された宿題をダラダラとこなす。
雨が降ってもネコは気にしていない。ゆらゆら気ままに尾を揺らすだけ。
夕暮れ刻。
思いの他準備に手間取り、レントとの約束時間ギリギリとなってしまった。
西の空に輝く太陽の赤い光が、ミレナの髪を留める簪を照らし、琥珀がキラリと光る。
昼間の雨が嘘のように空は澄み渡るように高く伸びていた。
太陽の赤と空の青が混ざる天空のキャンバスは幻想的な絵を作る。
小走りで駆けるミレナが相俟って、より郷愁的な風景が広がる。
祖母がミレナに渡したのは浴衣だった。
目が覚めるような赤い布地に飛沫のような水玉模様と波模様が白く描かれている。
黄色の帯がキュッと腰を締め、黒の下駄が足元を飾る。
いつもの空き地。
暇があるときいつもレントがボールを蹴っているこの場所で、少年はまっていた。
ソワソワすることなく、遅れてくるミレナを気にする様子なく、レントは欠伸をする。
軽く息を上げながら、ミレナはレントの傍にやってくる。
片手を腰に当て休憩しつつ、紺色の小さな巾着袋を肩に担ぐ。
ミレナは顎を上げ、見下ろすようにレントに視線を向けた。
ミレナは息が整うまで声を出さないつもりだった。
だがレントが一向に自分を見る気配がなかったため、ミレナは不服そうな表情で声をかけた。
「おい。……おい!」
「すいません今人待ってるんで」
「ほう、私以外とも約束してんのか」
「……」
ミレナの声にレントはチラリと目を上げる。
ミレナの姿を一瞥したレントはすぐに視線を地面に降ろし、足元の落書きをザッザッと消す。
自身を意に介さないレントに苛立ち、ミレナが威圧的な声をかけると、ようやくレントと目が合った。
じっとミレナを見つめるレント。
眉間に皺を寄せ、目を細く、不審なものを見るようにレントはミレナを見続けた。
余りにもジロジロ見られるもので、ミレナは思わず顔を背けた。
「……んだよ」
「ミレナ?」
「その目が節穴なら、眼球はいらねえよな。引っこ抜くぞ」
「ああ、ミレナか。誰かと思った」
「遅いんだよ」
粗暴な彼女の言葉に、レントはようやく合点がいったのか眉間の皺が取れる。
ミレナも満足したのかにこやかに言葉を返す。
しかし、レントはプイと顔を背けてしまう。
ミレナはピクリと片眉を上げジトリと彼の後頭部を睨みつけるが、大きく一息ついてから胸を張り、レントに一歩近寄る。
「ほら、レント。案内されたいんだろ。今日は楽しむぞ」
ポケットに手を入れたまま、コンクリートの塀に背もたれるレントの腕をミレナは強引に引っ張った。
「手を掴むなって痛いだろ」
「こっちは折れてないんだからいいだろ」
「そういう問題じゃないから」
「どういう問題だ」
「いいから。ついて行くだけなんだから手は握らないでいいでしょ」
「はいはい、わかりましたよ」
やけに強情なレントにミレナは渋々従う。
ゆっくり歩き出したレントの横に並び、ミレナはチラリと横目に彼を見る。
Tシャツに短パンとスニーカー。
髪の毛もボサボサなレントは、いつもよりだらしないように見える格好だ。
ミレナはガッカリした。
祭りのため自分だけ気合が入った格好をして恥ずかしい。
レントがいつも通りなら、自分だっていつもの格好をすればよかったとため息をつく。
「なんだよそのため息は」
「別に。レントくんには関係ありませんから」
ミレナのため息に、レントは不満そうに返す。
適当にあしらうミレナの返事に、レントは苛立ったのか頭を掻きむしる。
すると、髪の毛がぴょこんと跳ねたまま固定されてしまった。
ミレナが「あれ?」と不思議に思う。
レントの髪は癖っ毛ながらサラサラしているはず。
その不思議な髪が面白く、よく頭を触るのだが、今日はそう見えない。
なぜか目の前ではアホ毛が跳ねていた。
ミレナの疑問の視線によって、レントがようやく髪の毛の跳ねに気付く。
手櫛ですぐに直すレント。
彼の髪から仄かに匂いが香る。
ミレナはあまり嗅ぎなれない匂いに顔をしかめる。
妙にこの匂いに覚えがあった。なんだったかと頭を捻り、ようやく合点がいく。
嗅いだことがあるのも当然。祖母も毎日使っている。
レントはワックスをつけていた。
ミレナはそっと、レントから顔を背ける。
レントに気付かれないよう、声を殺してミレナは笑った。
よくよく見ればTシャツも短パンもスニーカーも普段見ないものだ。
レントの持っている服を全て把握しているわけでもない。
しかし皺ひとつないところから、新しく買ったものだろうと推測できる。
口元に手を当て、ミレナは鼻からフフフと空気を抜きながらなんとか耐える。
「そんなに祭り楽しみだったのかよ」
「ミレナなんか言った?」
「雨止んでよかったねって言ったんだよ」
口元の笑みを隠しきれない表情で、ミレナは言葉を返す。
その顔を訝しみながら、レントはミレナの話題に付き合った。
「通り雨って分かってたでしょ。心配するほどだった?」
「それが去年雨で中止になったんだよ。そんなに強くなかったのに」
「へえ。そうなんだ」
会話をすれば時間も早く過ぎるもの。
気が付くと2人は祭りの会場に辿り着いていた。
大勢の人々。
小さな子供から老人まで、町に住むすべての人が集まったと錯覚するほど広場は賑わっていた。
提灯の明かりが影を作り、出店の照明がキラキラと輝く。
拡声器から流れるノイズ交じりの祭囃子と香ばしい食べ物の匂いが年に一度の祭りを引き立たせる。
「わあ。結構賑やかだね。ミレナ、毎年こんなにすごいの?」
「この町一番のお祭りだからね」
「うちの近所の祭りとはえらい違いだ」
「トーキョーは毎日お祭りみたいなものだろう」
テレビや新聞で見る都会はいつも人で溢れていた。
季節ごとのイベントを見れば、まるで毎日お祭り騒ぎをしているような錯覚を覚えても仕方がないと言える。
アイドルのコンサートやバンドのライブ。オタクの集まる漫画やアニメのイベント。
ハロウィンになれば学生も社会人も関係なくコスプレを楽しみ、クリスマスはイルミネーションで街が輝く。
ミレナは一度も東京に行ったことがなかった。
学校の遠足で2度ほどチャンスがあったのだが、両日ともに熱が出てしまい休む羽目になった。
クラスメイトから聞く都会の話にやきもきしつつ、都会に対する屈折したイメージが膨らんでいく。
「ミレナは都会を何だと思っているの」
「人間地獄」
「間違ってないけどさ」
真剣な顔で返すミレナに、レントは渋い顔をする。
切り返すようにミレナは話題を切り替える。彼女の興味はもう都会になかった。
「ところでレント。軍資金はどれほどある」
「ママが楽しんで来いって、結構もらった」
まるでマフィアのような表情で持ち金を尋ねるミレナはちょっとしたヤクザだった。
顔が少女のする顔ではない。
悪徳高利貸しのようなゲスの極みがここに顕現した。
そんな悪人のことを放っておき、レントはサラリと言葉を返す。
「うちのクソババアとはえらい違いだ」
「少しくらいなら出すよ」
「いや、いい。自分の分は自分で出す。借りを作りっぱなしになるのは嫌だからさ」
「ああ、そう」
ミレナの祖母は金を出さなかった。
簪と浴衣をもらったのだから、それ以上を求める訳にもいかず、ミレナからも請求しなかった。
そのため、ミレナが今持っているのは自分のお金。
普段からお小遣いとしてもらい貯金していたものを切り崩し、持ってきていた。
2人は出店に沿って歩き出す。
屋台で汗を流す人は定年退職したばかりのおじさんばかり。
普段から祖母の世話になっている人が多く、ミレナの顔見知りもそれなりにいた。
早速リンゴ飴を買って、2人して並んで食べ歩く。
射的屋の前に差し掛かったところ、手拭いを巻いた無精ひげのおじさんが声をかけて来た。
「よおミレナ。デートかい」
タンクトップに法被を羽織る色黒の男。
ミレナは足を止めて振り返る。親指でレントをビッと指さし、射的屋のおじさんに面倒くさそうに返す。
「ちげえよ、こいつシゲちゃんとこの」
シゲちゃんの名前を聞いた射的屋はハッとしたようにレントの顔を見る。
そして、一瞬目線を下げた後、両手で頬を一発叩く。
「シゲさんとこの小僧か。よしっ! 一発サービスしてやろう」
「あ、大丈夫です。僕、自分で払いますから」
「おっさんがサービスするって言っているんだから。レントは黙ってやればいいんだよ」
射的屋の好意を刹那で否定するレントに、ミレナは蹴りを入れた。
浴衣のせいで足を高く上げられなかったが、レントの脛に下駄が飛び込む。
レントは激痛に顔を歪め、脚を抱え込み、目に涙を浮かべてミレナを睨みつけた。
「借りを作りっぱなしは嫌なんじゃないの」
「大丈夫、大丈夫。シゲさんに沢山借りがあるからよ、それを代わりに返してもらってると思ってくれ」
「だとさ、レントくん」
ミレナは知らぬ存ぜぬ省みぬといった面持ちで、口笛を吹く。
射的屋が苦笑いを浮かべながら、フォローを入れると、ミレナはしたり顔でレントの顔を見る。
「なら、まあ」
ようやく観念したレントは、射的屋から鉄砲を受け取ると、右手でスッと構える。
首を傾け、左目を閉じ、ピタリと止まったかと思うとパンッと引鉄を引いた。
飛び出た球は一直線におじさんの後方に飾られた商品に向かって飛ぶ。
招き猫のぬいぐるみの額にトンと当たったかと思うと、そのままグラリとぬいぐるみは後ろに倒れていく。
射的屋のおじさんは口をあんぐりと開けた。
1ゲーム3発300円。
10発くらい連続で当ててようやく取れるよう配置したつもりの商品。
それをたった一発のサービスで取られてしまったものだから、そのショックは計り知れない。
ミレナは思わず拍手を送る。
「レントって上手いんだな」
「別に、これくらい」
しれっと、さも当然のことのように話すレントだが、口元がゆるゆるだった。
自慢したいのをグッと堪えて、涼し気に頑張っているが、溢れる喜びが表情に漏れていた。
「ほれ景品。好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
肩をがっくりと落としながら射的屋のおじさんはレントにぬいぐるみを手渡すと、すぐに商品棚の整理に移った。
ひとつひとつ入念な確認をして、なんとか倒れにくくなるよう調整を始める。
リベンジに燃える射的屋を余所に、レントとミレナは歩き出していた。
ぬいぐるみを片手に掴みながら、レントはミレナとぬいぐるみを交互に見比べる。
「これ、ミレナにやるよ」
「え、いいよ」
ミレナの前に出て、レントは彼女の胸にネコをグイッと押し付けた。
ネコの顔がぶにゃりと潰れ、ミレナと目線がかち合う。
「うち、ぬいぐるみ置いていても仕方ないから。貰わないなら捨てることになるけど」
「……ああ、もう。仕方ねえな」
筋肉のない身体に、おとなしい髪形。
余り高くない背に、少し高い声。
レントはいわゆる草食系男子のような見た目をしているが、こういう時は頑固だった。
そういうやけに頑なになるところはシゲちゃんソックリだなと思いながら、ミレナはぬいぐるみを受け取った。
その時のミレナの嬉しそうな表情に、レントは一瞬目を奪われた。
そのせいでレントは軽く躓いてしまい、ミレナに笑われることになってしまった。
2人は祭りを大いに満喫した。タコ焼きを買えば2人でつついて食べ。
お面を選んでは、頭に付け互いに携帯のカメラで写真を撮る。
金魚掬いに挑戦してみるも、2人そろって大負けをする。
ふと、レントがミレナとの歩幅の差に気付く。
2人は揃って歩いており、レントも特段早く歩いているつもりはなかった。
それなのに少しずつ、ミレナの歩みが遅れていることにレントは気が付いた。
顔に出さないが、痛みがあるようで、ミレナは少し足を引きずっていた。
「足、大丈夫?」
レントが立ち止まり、ミレナに小さく尋ねた。
一瞬、ミレナは口を開いて言葉を選んだ。
だが、すぐに口を閉じてレントに顔を向け、はにかんだ。
「結構きっついわ。慣れないもの履くもんじゃねえな」
気を遣ってくれたのだ、気を遣って大丈夫というのは失礼だろう。
そう思ったミレナは正直に言った。
気付いてくれた相手の好意くらい甘えてもいいじゃないか。
いつの間にか、レントはミレナが気を置かなくて良い相手になっていたのだ。
「このあたり、どこか休めるとこあるかな」
「ああ、あっちの方なら。ほら、あの木がたくさんあるところにベンチがあったはず」
広場を囲むように並ぶ出店の裏側。
林になっている場所にベンチが有る。
雨で濡れてしまっているだろうが、背に腹は代えられないだろう。
ミレナの前にレントの手が差し出された。それを見てミレナは頭に疑問符を浮かべた。
「ミレナ。手。持って」
「あ?」
「いいから」
「折れてんだからいいって」
「いいから」
手を出せというジェスチャーに、ミレナは遠慮した。
先ほどまで甘えても良いと思っていたが、怪我人相手に物理的な甘えは気が引けてしまった。
だというのにレントは無理矢理ミレナの手を取る。
手を取ったからといって歩くのが楽になったわけではない。
足の痛みは相変わらず残っている。
だがよろけて転ぶ心配はなくなった。
歩幅を合わせ進むレントの助けもあり、ミレナは林のベンチに辿り着く。
運がいいことにベンチの端は乾いており、そこに腰掛けることが出来た。
「……悪いな」
「別に」
レントは背を向けていた。
ミレナが片足を上げながら脹脛を揉んでいるからだ。
浴衣の裾が持ち上がり、小麦色に焼けた肌が覗く。
ミレナは見苦しいものを見せて悪いと思いながらも、足を揉み続ける。
指の間は赤く擦れており、足の裏側は固く張っていた。
足の痛みに苦笑いをしていると、ミレナの耳に嫌な音が聞こえる。
それは声だった。小さく怯えるような震える声と、強者の高らかに笑う嗤い声。
レントもその声に気付いており、林の奥をジッと見つめている。
「……」
林の奥には3、4人ほど人影が見えた。
祭りの明かりが届かない林の中、誰かを取り囲んでいるように見える。
レント同様、ミレナもその影をジッと見つめた。
女の子が――ミレナたちと同い年くらいの少女たちが、1人を囲んでものを投げていた。
真ん中の子が転げながら、周りの子たちが投げるものを取ろうと必死に跳びはねている。
笑い声が聞こえてくる。不快な声だった。
――ああ、嫌な声だ。
弱者を嗤い、自分が強者だと勘違いした愚か者の声。
自分が全てを支配していると思い込み、立場の弱いものを蔑む行為。蟲唾が走る
レントとミレナ、2人の目に嫌悪の色が宿る。
一歩、レントが前に踏み出した。
だが、その瞬間レントの脇に風が吹く。
赤い浴衣をはためかせ、ミレナが裸足で駆けていた。
「おい何してんだ!」
ミレナの怒号に少女たちは手を止める。
ドサッと巾着袋が落ちる音。囲まれていた少女がすぐさまそれを掴む。
投げ合っていたものが奪われたことに気付くと、先ほどまでキャッキャと笑っていた少女たちが不満の眼差しをミレナに向ける。
林に囲まれ、影になった少女たち。
目が慣れてくると少女たちの姿かたちがハッキリと見える。
浴衣を着てお洒落して、カチューシャつけて口紅塗って、爪先はマニキュアで整えて、コテで巻いた髪がフワフワと揺れる。
中央で蹲る少女とは違う。
彼女は髪がぼさぼさだった。
服も近くの量販店で売っているような、よく見かけるもの。
浴衣もつけることなくそこに座り込んでいた。
服の端々が土に汚れ、その瞳も泥のように濁っていた。
カースト。
誰が見ても明らかな差がそこにあったが、ミレナにはさらにおぞましいものが見えていた。
先ほどからずっと、座り込む少女に向かって蟲が這い寄っていた。
囲む少女たちのお洒落した髪から、口紅から、浴衣からマニキュアから蛆のように湧き続ける蟲が地面を伝い、中央の少女に群がっていた。
気持ち悪かった。
ミレナの嫌悪感が表情に浮き出る。
少女たちは邪魔をされたことに苛立ちを見せつつ、自分たちの秘密の遊びを見られたことに対する焦りから、不満を募らせた。
一人の少女が舌打ちをする。
同時に彼女たちの身体から蟲が跳ねる。飛び跳ねた蟲は宙を舞うと大きな口を開き、座る少女の頭に噛みついた。
その瞬間、ミレナは声を荒げた。
「つまんねえことしてんじゃねえよ!」
祖母のように風が吹くことはなかった。
それでも、少女の頭に噛みついた蟲がポロリと落ちたのが見えた。
囲んでいた少女たちは、吐き捨てるようにミレナに言葉を投げつける。
「良い子ぶっちゃって」だとか「うるせえんだよ」だとか、そういった言葉を返したのだろうが、ミレナの耳には届かなかった。
少女たちの悪意と共に蟲が跳んできた蟲も、ミレナに噛みつくことが出来ず、地面にボタボタ落ちていくだけであった。
巾着袋を抱えた少女は、去っていく少女たちとミレナたちを交互に見る。
自分でもどうしていいか分からないようだった。
ミレナがそっと近づいて、手を差し伸べる。
だが、少女はビクリとして後ろに下がってしまう。
オロオロと落ち着かない様子を見せ、視線がずっと泳いでいた。
遠くから少女を呼ぶ声がした。
巻き毛の少女たちだった。
不安に怯えてた少女は、条件反射的に立ち上がり、ミレナたちに振り返ることなく走り去っていく。
ミレナは彼女の背中に、沢山の足が付いた大きな蟲ががっしりと彼女を掴んでいるのを見た。
「なんなんだよ」
ミレナの後ろからレントが不満そうに吐き捨てた。
「礼も言わねえし、結局あいつらのところに戻るのかよ」
「私は礼が欲しくてやったんじゃねえよ」
それに礼を言われるようなことは出来ていない。
ミレナは少女の背に張り付いた巨大な蟲を見て思った。
簡単に剥がせるようなものではない。
今の自分では力不足だ。
ミレナに残ったのは悔しさだった。
ミレナはベンチにドカッと腰掛けると、足に付いた土を払う。
歯を食いしばり、悔しそうな表情を見せるミレナに、レントはハッとする。
「ミレナ。あまり気にしない方が良いよ」
「気にしてねえよ」
ミレナはレントを見なかった。
膝の上に握られた拳がギリギリと音を立てる。
レントは頭を振る。
自分は何しに来たのか、思い出すかのように、大きく息を吸いこんだ。
「あー!」
「なんだよ」
突然大声を出したレントにミレナは非常に否そうな顔で振り返った。
すると、そこには満面の笑みを浮かべたレントが立っていた。
満面の笑み。レントにまるで似合わない顔だった。
彼の本当の笑顔はいつもそよ風のような爽やかさを持っている。
だからこの太陽のように輝く笑顔は嘘だ、作り笑いだと、ミレナにはすぐにわかった。
レントは励まそうとしているのだ。
悔しそうなミレナを、無力だと打ちひしがれる少女を。
大丈夫だと、元気を出してくれと、直接言うことなく、楽しい思い出で上書きしようとしているのだ。
「そろそろアレの時間だよね」
「アレ?」
負の感情に囚われているから気付けなかった。
自分たちが何しに来たのか。
だからミレナはすぐに思い出せなかった。
この祭り一番のイベントを。
ハッと顔を上げたミレナは、レントに向かって指を立てる。
「花火か!」
眉間の皺の取れたミレナの表情を見て、レントは弓のように口元を引き、笑顔を見せた。
ミレナの心から悔しさや苦しさが消えたわけではない。
それでも、励まそうとそばに居る人の存在が、ミレナの心をそっと慰める。
2人は立ち上がり、裏山に向かって歩き出した。




