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魔女の瞳と巨大ネコ  作者: 牧屋へいり


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4.科学的な愛

 町の夜を邪魔するものはいない。


 田舎町ということもあり、電灯の少ないこの町の夜はとても暗かった。


 まして、病院からの帰り道、車で走る山道は木々が邪魔をし星明りすら届かない。


 頼りになるのは車のヘッドライトのみ。


 眠るように静かな町に祖母の運転する音だけが響く。


 祖母の粗暴な運転に揺られながら、ミレナは窓を眺めた。


 外は見えない。映るのは窓に反射する自分の顔だけ。うっすら青く輝く瞳。この目は何を見せるのだろうか。


 ミレナはボンヤリ自分の瞳と見つめ合う。




 窓に映る瞳の奥に、病院の光景を記憶と共に思い起こす。




 少年の名前はレントと言った。


 イマドキな名前の彼の手首にはヘビが巻き付いていたが、病院に来ていた人たちは、それこそ多種多様な生物に憑りつかれていた。


 ヒトデが頭にくっついた老婆。


 カラスが肩に乗った中年の男性。


 瞳に蝶がとまっている白杖を持った青年。


 レントと同じようにヘビがギプスの付いた足に巻き付いている人もいた。


 どうやら何かしらの症状に対して、特定の生物が憑りついているらしい。


 レントやギプスをした人から察するに、ヘビは骨折なのだろう。


 ヒトデは頭にしかついているように見えない、脳の病気なのだろうか、それとも血管なのだろうか。


 蝶は白杖から考えると、きっと視覚障害に関係しているのだろう。


 ボンヤリと宙を見つめている中年に止まったカラスは何を表しているのだろうか。




 病院の中を一望しただけでこれだけの生物が確認できた。


 そして当然のようにネコも居た。




 家の前に居る巨大ネコとは違う、シュッとしたクロネコ。


 誰の目にも止まらず、廊下を歩く様子から、アレもその類いのものだろう。


 普通の猫ならば、その行く先について行こうとしたかもしれないが、そのネコの後を追う気に到底なれるはずもない。


 もし追ってしまったら、きっと自分は後悔するだろうという確信だけはしっかりと持っていた。




 きっと、ネコは――




「あんまり、気にするんじゃあないよ」




 祖母の声に、ミレナはハッと意識を戻した。


 車が曲がる遠心力で身体が窓に押し付けられる。


 眠っていたわけではない。少し記憶の世界で旅していただけだ。


 ハンドルを切る祖母にミレナは無言で返す。


 静かな夜。道を走る車の音しか聞こえない。


 祖母の言葉で何かが変わったわけではない。


 ただ、祖母も同じように病院で“見た”のだろう。ミレナを気遣った言葉は、同じ景色を見た人にしか分からない。


 “独りじゃない”という事実がミレナの心を少しだけ軽くする。


 信号を越え、川を渡り、町に戻って来た。


 この町に病院はない。小さな診療所はあるが、大きな病院は隣の町にしかない。


 今日は診療所が休みの日、だから祖母もわざわざ車を走らせた。


 もうすぐ家に着く。


 大きな交差点を左折して、真っ直ぐ走っていくと、見知らぬ車が止まっていた。




 ミレナは疑問に思った。


 小さな町、車を見れば誰が乗っているか、皆が分かる。


 だが日も沈んだこの時間に、ミレナと祖母の家の前に見知らぬ黒い高級車があったのだ。




 祖母が小さく舌打ちした。




 門の前に立つ男は、若くないが老いを感じさせない佇まいをしていた。


 夜闇に溶けるような黒いスーツと月明かりに輝く金の腕時計。


 その足元に一箱分の煙草の吸殻が積もれていた。


 車に気付くと、男は笑顔で手を振ってきた。




 ミレナはこの男の顔を知らない。だからキョトンと男を見ていた。


 祖母は彼を知っていた。だから怒りに顔を歪ませていた。




 車を止め、深呼吸。祖母はミレナを置いて車を降りる。


 ミレナも慌てて車を降りる。


 車庫まで距離があるというのに、なぜだろう。


 ミレナは表情を消した祖母を見て、声をかけるのをやめた。




 男の前に祖母が立つ。


 背の高い祖母は、見下ろすことも、見上げることもなく、男と正面から向かい合う。


 男は、ただ笑顔で祖母を迎えた。




「はて、こんな夜遅くにどちらさんですか」

「酷いじゃあないですか、お義母さん」




 その言葉で、ミレナの中にようやく合点がいった。


 どうしてこの男が親しげなのか、そして祖母が怒りを露わにしたのか。


 ミレナはそうっと祖母の後ろに隠れた。




「あたしに息子は居ないよ」

「まあまあ、一度は家族になったんですからいいじゃあないですか」

「私は一度だってあんたを家族だと思ったことはない」




 強烈な憎悪が込められた言葉に、一切気圧されることなく、男はニコニコと笑顔を向け続けていた。


 その時、ミレナの瞳にチラリと、男の背後で何かが動いたのが見えた。


 いま見えたものが何か気になり、ミレナはソッと祖母の腰から顔を覗かせる。


 半身乗り出したせいで、隠れていた身体があらわになる。


 カチリと男と目が合った。




「おや? もしかして君がミレナかい?」

「えっと」

「やっぱりそうか、ボクだよ。初めまして。パパです」




 喜びの色を浮かべて、男が腰をかがめた。


 ミレナの目線に合わせてしゃがみ込んだ男は、確かにミレナとどこか似ている顔つきをしていた。


 やはりそうだとミレナは思った。彼が自分の父親なのだと。




「返事するんじゃないよ。知らない人に声掛けられても無視するんだ」




 ピシャリと祖母が言い放つ。その声に驚き、ミレナは身体を引っ込める。


 男はしゃがんだまま祖母を見上げる。


 その顔に一切の曇りなく笑顔が張り付いていた。




「それは酷い。実の父親だってのに声もかけさせてもらえないなんて」

「こいつに父親はいないよ。いいかい。嫁と娘捨てて他の女のところに消えたクソ野郎を父親なんて呼びやしないさ」

「いやいや、それは大きな勘違いですよ。あれはアンナのためなんだ」

「その汚い口であの子の名前を呼ぶんじゃない」




 「アンナ」とは、祖母の――アナスタシアの娘の名前。


 つまり、ミレナの母の名前でもある。


 こうして聞いてみればなるほど、母の名前は日本名ながら、祖母の名前から文字られていたことが分かる。


 その言葉を口にした男に、祖母は声を落として返した。


 ミレナは祖母の怒りを背中越しに感じた。


 筋肉が硬直し、ギリギリと握り拳が音を立てている。


 後ろから表情を伺うことは出来ないが、全身から滲み出す怨嗟の情がヒシヒシと伝わってくる。




 男は立ち上がり、両手を開いた。




「アンナとボクは愛し合ってた」




 何一つ悪びれる様子もなく、間違ったことは1つもしていないと言わんばかりに堂々と男は口にした。


 片眉を上げ、男の口元から笑みが零れる。


 祖母は火に油を注がれたように、さらに険しい表情をした。




「あんたに愛を語る資格はない。とっとと消えちまいな」

「酷いなあ」




 傍から見れば一方的に怒りを振りまいているようにもとられかねない状況。


 それでも男の言動が祖母を挑発していることが分からないミレナではない。


 男の行為が意図的だろうと偶然だろうと関係なく、その行為を平然と行う精神に祖母は怒っている。


 祖母の陰からミレナは再び顔を覗かせる。


 祖母が怒りを露わにするような相手であり、関わり合わない方が良いと直感していても、ミレナはどうしても男の背後の影が気になってしまっていた。




 ――もし、仮に、それがネコだとしたら。




 そうであって欲しくない、その思いがミレナにあった。


 相手が自分の実父だからということもあるが、それ以上に“それ”を望まない気持ちがあった。


 どこのどんな人であっても、ミレナは願わずにいられなかった。


 祖母と向かい合う男。


 門を照らす外灯が作る影。小さく蠢く黒い塊にミレナは息を呑んだ。


 男の背に居たのはネコではない。


 ヒトデでも、ヘビでも、カラスでも、蝶でもない。


 おぞましいほど“蟲”が張り付いていた。


 ムカデやゴカイのように細長い身体を捩り、男の身体を這い回っていた。




 虫とは、元々“その他の生物”と言う意味がある。


 漢字の成り立ちから見ると、昔の人々は、生き物を“ヒト”、“ケモノ”、“トリ”、“サカナ”だけと考えていた。


 そして、それ以外の生き物を全て“ムシ”としていたことが分かる。


 ゆえに、蛇、蛙、蛞蝓、蜘蛛、蛤、蟹、などの生き物たちにも“虫”が当てられていた。


 いわゆる“昆虫”など小さな虫たちは、“蟲”と書き、その他の生物がたくさん集まり“蠢いている姿”から作られたという。


 父の背に張り付く蟲達は、決して“虫”なんて可愛らしいものではない。


 まさしく“蟲”と表現するべき夥しい数の群がりがあった。




「ミレナ。今、何を見ている?」




 不意に、男がミレナを見た。笑顔の消えた表情、開かれた瞳が光を反射する。


 瞬間、ミレナの顔に向かい蟲が一匹跳んできた。


 一匹であるはずなのに“蟲”。


 蠢く一匹さえも、その身体を構成するのは蟲達だった。


 ミレナは声にならない悲鳴を何とか抑え、男から顔を背ける。


 地面に落ちた蟲は、のたうち回りながらゆっくりとミレナに寄って来る。


 顎を開き、ガシガシと動かし、ミレナに噛みつこうと迫る。


 ミレナは祖母の背中に身体を押し付けた。


 祖母が脚を開き、蟲を踏みつぶす。大見得を切るように身体を開くと、大きく息を吸いこんだ。




「今すぐ出ていきな! 警察を呼ばれたいのか」




 荒々しい怒号が吹き抜ける。


 比喩でも何でもなく、その声の気迫に押され、男の身体からバリバリと蟲達が飛んで行く。


 吹き荒ぶ嵐のように、暗雲払う一陣の風のように、祖母の言葉が陰鬱な蟲を消し飛ばした。




「おお、怖い怖い」




 柳に風、暖簾に腕押し、糠に釘。男はそよ風が吹いた程度にしか感じないのか、まるで意に返していない。


 その事実が祖母の(はらわた)を更に煮えたぎらせる。


 再び笑顔の仮面を身に着け、男は颯爽と歩き出す。


 淀みなく歩き、祖母の横を抜けると、男は車のドアを開ける。


 点灯した車の光が瞳に刺さる。




「それじゃあ。また、ね」

「二度と顔を出すんじゃないよ」




 吐き捨てるように祖母は言うが、言葉が届く前に扉が閉じられる。


 その時見えた男の背中。


 吹き飛んだと思った蟲達は、いつの間にか、またびっしりと男の背に張り付いていた。


 否。蟲は男から絶えず沸いていたのだ。


 吹き飛ばそうと、踏みつぶそうと、その男があり続ける限り、蟲は生まれ続ける。


 地面を踏むタイヤの音。エンジン音と共に、車は遠くへと去っていった。




 祖母とミレナは、外灯に照らされた地面を見る。


 男の歩いた道の上に、男から零れ落ちた蟲達がのた打ち回っていた。


 おぞましい光景にミレナは息を呑む。


 ミレナは直感した、蟲が他の生き物たちと“何か”異なることに。


 他の生き物たちは憑りついているだけで何もしない。


 ただ、そこにあるだけの記号に過ぎない。


 だが、蟲には悪意があった。人に向かって襲い掛かる意志があった。


 ミレナはゾッと背筋が凍り付く感覚を覚える。




「お母さんにも、アレが見えてたの」

「見えていたなら、結婚なんてしてなかったよ」




 ミレナはその言葉に安心する気持ちと悔しさを感じた。


 アレを抱えて平然としている人間と、一緒に暮らすことは考えられない。


 見えた上で共に暮らしていたのなら、母も同様にあの蟲達を受け入れていたことになる。


 しかし見えていないのであれば、知らぬ間、気づかぬ間にあの蟲に噛みつかれてしまったのだろう。




「そっか」




 小さく呟きながらも、ミレナはずっしりと重いものを胸に感じる。


 片手を胸に当てるミレナを横に、祖母は車に戻ろうと踵を返す。


 小さい車とは言え、道端に止めたままにするわけにはいかない。


 門の前で立ったままのミレナの背を軽く叩き、歩き出した。


 地面を這う蟲は、もう見えないほど小さく縮んでいた。




「風呂沸かしたら先入ってな」

「おばあちゃん」




 ミレナの声に、祖母は足を止めた。


 振り返ると、ミレナが服の裾を掴み、視線を横に流していた。


 何かを言おうと、口をもごもごと動かし、なんとか声を作る。




「私」




 祖母はミレナの言葉を待った。


 急かすこともなく、苛立ちを表すこともなく、じっと孫娘の言葉を待った。


 苦虫を噛み潰したように眉間に皺寄せ、口をへの字に曲げる。




 今日まで顔を知らなかった。


 会うことはないと思っていた。


 誰も話したがらなかった。


 だから知るつもりもなかった。


 だというのに、男は突然現れ、ミレナの心を掻き乱す。


 悪意を感じ、祖母の怒りを浴びた男。


 それでも飄々と笑顔を作るその男に、良い印象など微塵も感じていない。


 だからこそ、男への気持ちが離れれば離れるほど、ミレナの胸の内に黒い渦が広がる。




「私。……あの人の子供なんだよね」

「血は人に関係ない」




 思わずミレナは祖母を見る。


 余りにも早い答え。


 まるで彼女が言おうとしていたことが分かっていたように、淡々と言葉を返した。




「誰の子供だとか、誰と血が繋がっているとかで人は生きちゃいない。いいかい、自分の人生を歩いているのは、他ならない自分だけなんだ。お前は、ミレナだ。他の何者でもない」




 ミレナは大きく瞳を見開く。


 それからギュッと握っていた手を緩め、裾から手を離した。


 なんてことはない。


 祖母の言葉はいつも通り、祖母の言葉だった。


 不安を吹き飛ばす、冷静な言葉。


 祖母はいつだって冷静と情熱のあいだに生きていた。




 ミレナはバッと顔を上げた。


 空には満天の星空。


 この町の空は美しい。


 別に空を見たかったわけではなかった。


 ただ、正面から祖母を見れなくなっただけだった。




「うっせ、わかってるよ」




 ミレナは、いつものように、口悪く祖母に言葉を投げ捨て、玄関に向かって走り去る。


 その途中で、胸からボトリと蟲が落ちたことにミレナは気付かなかった。


 気づく必要もなかった。





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