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魔女の瞳と巨大ネコ  作者: 牧屋へいり


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2/16

2. 魂の存在証明

 昼の暑さが残る夏夜。ミレナとその祖母は自治会館で行われたシゲちゃんの通夜に参列した。


 ミレナは学校の制服で、祖母は黒い服に白い真珠のネックレスをつけてやって来ていた。


 祖母もこの日ばかりはサングラスを外し、表情を隠す黒いレースがある帽子を被っていた。


 順に焼香を行い、町の寺から招かれた僧侶が念仏を唱える。


 参列した町民やシゲちゃんの親族のすすり泣く声が聞こえる。


 ミレナたちの位置からよく見えないが、ハンカチを目元に当てている女性がいる。


 この町では若い方の女性。きっとシゲちゃんの娘か、息子の嫁であろう。


 その隣で静かに座る少年がいた。


 震える女性の隣で、何が起きているかも分からないというのに落ち着いて座っている少年の後姿が印象的だった。


 焼香も終わり、さて帰ろうかとすると祖母がミレナを引き留める。




「まだ早いよ」




 早いと言われても、いつまでもここには居たくないとミレナは思っていた。


 人が死に、その周りの人たちも悲しみに暮れ、一帯の空気が沈んでいるような心地がする場所から一刻も早く抜けたかった。


 それに、こうしていると1年前を思い出してしまい、胸がキュウと締め付けられる気持ちになってしまう。


 ミレナはふと天井を見上げる。


 この自治会館の屋根の上にずっと、ネコが座っている。ここに長居したくなかった。


 だが祖母は有無を言わせずミレナを二階へと引き連れる。そこでは多くの人が酒を片手に談笑していた。




「本当、急だったわね」

「熱中症だったんですって」

「脱水だって私は聞いたわ」

「夏は怖いわねえ」

「お風呂で転んだんじゃあないの」

「あのシゲちゃんがそんなねえ。信じられないわ」




 シゲちゃんの死因を語る近所のおばさんたち。ミレナたちと目が合うと小さく会釈をし、会話を続けた。


 あまり、関わりたくないと思い、ミレナはその一団に背が向くように座った。


 机の上には豪勢な寿司の出前が広がっている。


 気が進むわけではないが、お腹も空いている。


 ミレナはかんぴょう巻きを手に取り口に抛る。


 塩気の利いたかんぴょうがコリコリと音を立て、ミレナの口の中で形を崩していく。


 祖母は無言でトロを取り、大口を開けてバクリと一口で飲み込んだ。


 会話をしないものだから、周囲の参列者の会話が耳に聞こえてくる。




「この歳になっても、全然衰えているように見えなかったのに」

「老いには勝てないのね」

「もうシゲちゃんのフンドシ姿を見れないのは残念ねえ」

「餅つき大会。来年は誰がやるのかしら」

「若い人が継いでくれればいいのに」

「あらあら、シゲちゃんも言ってたでしょ。強制しちゃいかんって。楽しいと思ってもらえるなら自然と人は集まるんだって」

「楽しいじゃないの」

「私たちだけでしょう。若い人たちはそうでもなかったのよきっと」

「最近はゲームやパソコンばかりだものね」

「うちの孫もそうよ」

「その点シゲちゃんところはいつも外で遊んでいて偉いわねえ」




 おばさんたちの話題はいつの間にかシゲちゃんから町の子供たちの話へと移っていた。


 過疎化が進み、少子高齢化の波が止まらぬこの町で、いつまでも古い考え方で居ることになんの意味があるだろうか。


 ミレナはおばさんたちの話を背中で聞いていた。


 反対側ではおじさんたちがシゲちゃんの昔話を話している。




「覚えてっか、シゲが山でイノシシ捕まえたときのこと」

「ええ? イノシシだあ? ありゃタヌキじゃあなかったか」

「タヌキでねえよ、イノシシだって。こんな大きいイノシシだったよ」

「そんな大きかったら、もう熊だろそれ」

「熊を捕まえられるか、イノシシだっての。身体一つでとっ捕まえたんだぞ」

「はー、すげなシゲさん」

「あれま、おめえは知らなかったのか」

「知らなかったなあ。見たかったなあ」




 イノシシで盛り上がっているのは自治会のおじさんたちだった。


 町を歩いていると頻繁に声をかけられることが多いが、すぐに説教を始めるものだからミレナは苦手に思っていた。


 カッパ巻きに手を出した辺りで、ミレナは自治会長と目が合ってしまった。


 これでは会話を吹っ掛けられてしまうと思い、祖母に何か話題を振ろうとする。


 目の前にある盆すべてのトロを食べつくした祖母は茶を啜っていた。




「ねえ、おばあちゃん」

「なんだい」

「通夜ってなんでするの」




 孫娘の質問に、祖母はハンと鼻を鳴らし、湯飲みを机に置く。


 その音に一瞬周囲が静まり返ったが、アナスタシアおばあちゃんだと分かるとまた自分たちの談笑に戻る。




「そんなもん、坊主が金儲けするためだよ」

「で、本当は」




 ピクリと祖母の眉尻が動く。湯飲みの中で茶が波紋を残す。




「嘘だと思うのかい」

「本当にそれだけなら、おばあちゃんはここに来ないでしょう」




 真理を突くようにミレナは言葉に色を付けることなく口にした。


 威嚇をしたつもりだった祖母は思わぬ孫娘の棘のない言葉に目を丸くした。


 それから徐々に瞼を下げ、湯飲みに視線を落とす。




祖母「……願いだよ」




 ポツリと呟かれた言葉に、ミレナは耳を傾ける。いつもの豪快な喋りとは違う、深みのある落ち着いた声。




「願い?」

「ああそうだよ。楽しい話をして、亡くなった人がひょいと起き上がってくれやしないかって願いだよ。自分の噂をされたら気になるものだろう。それから、みんなでシゲさんを囲んで、守るんだ。悪いものが憑かないようにって」

「悪いもの?」




 ミレナは首を上げる。天井からぶら下がる蛍光灯の光が部屋を照らしていた。


 ミレナはその先の、自治会の屋根の上に座っているであろう巨大ネコを感じていた。




「そいつの話じゃないよ」




 ミレナの行動を察した祖母が、静かに茶を啜りながら言った。




「なんであのネコはずっとあそこにいたの」

「さあてね。あたしゃアレがネコだなんて知らなかったからねえ。あんたはどう思うんだい」

「シゲちゃんを食べようとしているのかな」




 巨大なネコがシゲちゃんの身体から出ていった霊魂のようなものをパクリと食べてしまう。ミレナはそんな想像をした。


 眉間にしわを寄せ、苦い表情をしたミレナは、今想像したことを払うように首を振る。




「そうかい。無い話でもないね」

「否定くらいしてよ」




 自身の不快な想像を肯定する祖母の言葉に、ミレナは胸を針で指すような痛みを感じる。


 痛みを振り払うように祖母につっかかるが、祖母はシレッとした表情で言葉を返す。




「どうしてだい」

「本当だったらシゲちゃん食べられちゃうんだよ」

「もうシゲさんは死んでいるんだよ」




 ほんのり唇を開き、ほとんど伏せられた瞼の隙間から、宝石のように綺麗な青い瞳が覗く。


 どこか物憂げで悲しそうな表情をしている祖母に、ミレナはふと魅入ってしまった。


 その言葉の重みと儚げで美しい絵画にも近い表情に、ミレナは言葉を失っていたが、はたと思い立つように祖母の言葉に返す。




「でも、魂とか」

「あんたは魂を信じているのかい」

「だって、あるものでしょう?」




 魂がないなんて悲しすぎるじゃないかと訴えるように祖母に言う。




「科学的じゃあないね」

「全部科学で説明できるわけじゃないでしょ」

「科学で説明できないことを知らないのに科学を馬鹿にするんじゃあないよ」




 その言葉にカチンと頭が鳴る。


 いつだってそうだ、祖母はテレビでやっている占いや、学校で聞いた都市伝説、町のみんなが話す迷信を全部否定する。


 ミレナはムッと口をへの字に曲げ、立ち上がる。




「馬鹿にしてないよ。いつ馬鹿にしたし。ばーか」

「だーれーがー馬鹿だい。算数も出来ないノールスが」




 孫娘の反論に、祖母も対抗して立ち上がりぐいと身を乗り出す。


 ミレナはその勢いに引くことなく、むしろ負けじと身を乗り出す。


 老婆と少女が机の上で額をぶつけ合い、丸々とした瞳でにらみ合う。




「私が脳留守ならおばあちゃんは脳引籠りだよ、ノーヒッキー。脳に居すぎなんだよ、たまには外出ろ」

「外に出たまま帰ってこないよりましさ。何が「魂はあるもの」だい。証明できないことはないものと同じなんだよ」

「じゃあなに? 証明出来たら認めるの。言ったね、言ったね。妖怪クソババア、目にもの見せてやる」

「ハン。50年早いわ」

「50年したらクソババア死ぬだろ」

「あたしの勝ち逃げさ」

「逃げんな卑怯者」

「知能犯と言うんだねえ」

「痴呆犯」

「まだボケちゃいないよ」




 息も吐かせぬ言葉の応酬に周囲の参列者も言葉を呑む。


 さすがの2人も酸素が足りず、ぜーはーと肩で息をする。


 少女は茶を、老婆は酒を片手に取り、グッと口に入れる。




「飲み過ぎないでよ、若くないんだから。一緒に帰る人の身にもなってよね」

「こういう日はいいんだよ。どこ行くんだい」




 祖母との舌戦に終結を見たミレナは、酒を持ったままドカリと座る祖母の脇を抜ける。


 ポーチ片手に襖を開くミレナの背に、祖母は青い瞳を向けた。




「便所」

「汚い言葉を使うんじゃないよ」




 ストンと閉められた襖。祖母の言葉を切るように、ミレナはその部屋から離れた。


 自治会館のトイレは一階にあり、ミレナは薄暗い階段を降りていく。


 シゲちゃんが安置されている部屋は少しだけ灯りがついており、まだ誰かが顔を見に来ているようだった。


 ミレナは特に気にする様子もなく、トイレの扉を開く。


 最近改装したばかりでウォシュレット付きの便座に少し感動しつつ用を済ませる。


 鏡の前でポーチを開き、ハンカチを取り出す。


 手を拭きながらトイレから出たミレナはチラリと部屋を覗いてみた。


 部屋にポツリと一人立っていたのは、親族列に座っていたあの少年だった。


 シゲちゃんの顔を覗き込み、ジッと立っている少年に吸い込まれるように、ミレナは部屋に足を踏み入れた。




「あんたはあっち行かないの」




 少年から後ろに三歩程離れた場所から声をかける。


 ミレナの声にピクリと肩を動かした少年が振り返る。


 眉の上で揃えられた前髪、癖っ毛を何とか梳いたような髪形、パッチリとした瞳に、丸みがある頬。


 ミレナと同い年か、少し下くらいだろうか。


 幼げな顔つきであるが、薄暗い部屋に浮かび上がる彼の白いシャツが、どこか神秘的な空気を漂わす。




「君、誰」

「シゲちゃんの友達の孫」

「爺ちゃんの友達の孫?」

「そう。あんた、なにしてんの」

「別に」




 ぷいとミレナから顔を背け、少年はシゲちゃんの遺影に遠い目を向ける。


 なぜかその表情から目を離せないミレナは、少年の横に並ぶ。


 彼の表情を横目に、その視線の先にあるシゲちゃんの遺影に目を向ける。


 日に焼けた色黒な肌から覗く白い歯、ガサツとも豪快とも言えるような笑顔がそこにあった。


 活き活きと弾けるよな表情が、シゲちゃんの良いところを全部表しているようだった。


 こんな写真を見ると、今ここで横になっているシゲちゃんも、本当はただ眠っているだけなんじゃないかと思えてしまうほど、そこに生きていた。




「なんで爺ちゃん死んだの」




 小さな呟きが、ミレナの胸に刺さる。


 なにも答えることが出来なかった。


 ミレナに対する質問でないことは本人も十分わかっている。


 だがその呟きに対して、ミレナは自分の中に明確な答えを持たないでいた。


 死因の話をしているわけではない。


 どうすればよかったと原因を探しているわけではない。


 「なぜ」「自分の」「祖父」が死んだのか。


 他の誰でもなく、どうしてシゲちゃんが死んだのか。


 それを問うていることを、ミレナは胸の内で理解していた。


 だからこそ、その言葉に無言でしか返すことが出来なかった。




「ミレナ、もう帰るよ」




 後ろから祖母が呼びかける。


 その声に即座に振り返り、祖母の元へと駆け寄った。


 答えのない問題から目が背けられることに、ミレナは少しだけホッとしてしまったのだ。


 少年は自身の祖父の友人と思われる老婦人に一礼をする。


 背筋が伸ばされ、指先の揃った綺麗な礼であった。


 その礼に、ミレナと祖母も礼を返し、自治会館を後にする。




 屋根の上にはまだ巨大なネコがいた。大きく欠伸をして、身体をググっと伸ばしている。


 確かにシゲちゃんを食べる様子は見えないが、クシクシと毛繕いをするネコをどこまで信頼していいのか、ミレナには分からなくなっていた。




 夜の公園を照らす外灯が蒼白く光っている。ふと、祖母の手提げ鞄から携帯の音が鳴る。


 鞄から携帯を取り出し、画面を見た祖母は怪訝な顔をして、電話に出た。




「何度も電話してくるんじゃないよ。あんたに話すことはないよ。あ? 何が権利だい。義務も果たしてないようなやつがふざけたこと言うんじゃあないよ!」




 そう言って電話を切ると、不機嫌そうに歩き出した。


 ズンズンと怒り気に足を鳴らして歩道を進む祖母の姿は、服装もあいまり魔女のそれにしか見えなかった。


 今の電話の相手が誰か、ミレナは気付いていた。


 祖母が不機嫌になることは珍しくないが、こうしてフンスと散らすように怒るときはいつも“あの人”のことだった。


 一度も会ったことのない相手。祖母は自分からその人の話をしない。


 一度だけミレナが尋ねたこともあったが、「あの男のことは知らなくていい」と言った切り、口に出さなかった。




「おばあちゃん」

「なんだい」

「私、迷惑じゃない?」




 ミレナの言葉に祖母はピタリと足を止める。それから背筋を正しくるりと振り返ると怒りの消えた冷静な表情で孫娘を見る。


 下から見上げるようにミレナは祖母の顔をジッと見る。




「あんたまで馬鹿なことをいうんじゃないよ」

「でもさ――」

「あんたがいなくなったら家の事をするやつが誰もいなくなるだろう」

「……私はメイドじゃないんだぞ、クソババア」

「ハン、雇ってやっているんだ、ありがたく思いな」




 鼻を鳴らした祖母は、ミレナに背を向け帰り道を歩く。


 その横にミレナは小走りに駆け寄り、横並びになり夜道を進んでいく。




 こびりつくような蒸し暑さも、そよ風がさわさわと流していく。


 夏はまだ、始まったばかりである。





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