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魔女の瞳と巨大ネコ  作者: 牧屋へいり


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14/16

14.家族

 テレビで見る家族の景色は現実から乖離していた。


 母がいて、父が居て、兄弟がいて……それが“普通”の家族の姿として映し出されていた。


 それは、テレビの世界の出来事で、ファンタジーの産物だとずっと思っていた。


 物心ついた時から、家族はいつも自分と母のみ。家族で囲む食卓と言われるものは存在しない。向いの椅子に母が居るか、居ないかの違いしかない。


 この2年ではそれが母から祖母に変わっただけで、やはり家族の食卓というものは常に1人か、向かいにもう1人。それしか知らない。


 祖母が入院した今も、それは変わらない。相手がミツヨちゃんに変わっただけである。


 しかし今夜、夕食を囲むのは5人。


 ミレナとミツヨちゃん、レントとレントのお母さんとその姉。


 レントのお父さんは仕事で来れないそうだ。




 料理はミツヨちゃんと娘2人の女3人で和気藹々と作っていた。


 レントとミレナは居間で待っているよう言われたが、暇なもので、3人料理するところをジッと見つめている。


 いつも朗らかなミツヨちゃんにしては珍しく、娘の作る料理に口を出していた。娘たちもまた、ミツヨちゃんに「うちではこうなの」と言葉を返していた。


 その様子がミレナには微笑ましく思えた。


 テーブルに並ぶ食事の数々。


 炊き立ての白い米にホクホクと湯気が立つ肉じゃが。ナスとキュウリの甘酢和えにキノコの味噌汁。


 レントの茶碗にはそれこそ山のようにご飯が盛られており、普段小食のレントは絶句していた。




「ミレナちゃん、あの時はありがとうね。これからもレントと仲良くしてね」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」




 お茶をミレナに渡しながら、レントの母がミレナに言った。


 レントとよく似た鼻立ち、目元はミツヨちゃんとそっくり。目尻の皺が年齢と疲れを感じさせるが、振る舞いにそれは見えなかった。


 ミレナのハキハキとした受け答えを聞きながら、レントの伯母はニヤニヤと頬杖を突きながらレントを見ていた。




「羨ましいねえ、レンちゃん。うちの男衆は未だに彼女の1人も連れてこないのに、もう嫁さんが出来たのかな」

「あらあら、レンちゃんは見る目があるねえ。ミレナちゃんは良いお嫁さんになるよ」




 レントは伯母と祖母のからかいに顔を赤面させる。誤魔化すようにご飯を掻っ込むが、のどに詰まらせてしまう。


 ミレナが横からヒョイとお茶を渡すとそれをグッと飲みながら胸を叩き、何とか飲み込む。


 その様子を、レントの親たちはニッコリと微笑みながら見守っていた。




「こっち見んなよ! ご飯の時間だろ!」




 食事が終わると残ったおかずを冷蔵庫に保存したり、食器を洗ったりと片づけが始まる。


ミレナが手を出そうとすると「お客さんなんだから」と(たしな)められてしまう。


 ミレナにとっては、生活させてもらっている立場ゆえ当然の行為だった。


 しかしこの場では外の人として扱われてしまう。そのことにミレナは少しだけ寂しい気持ちがした。


 レントは当たり前のように携帯をいじり始めるが、母に引っ張られ食器洗いを手伝わされる。




 ミレナは2階に上がる。


 間借りしている部屋に入り、電気もつけずに窓辺まで歩く。


 空は美しかった。


 降るような星空。


 街の灯りは静かに眠り、夜風がミレナの髪をなびかせる。


 遠くに見える山の影。


 星の輝きが作るシルエット。


 ミレナはこの幻想的な夜が好きだった。


 1階からギャーギャーと騒ぐ声が聞こえたかと思うと、レントが2階に上がって来た。


 廊下で立ち止まったレントに振り返り、ミレナは優しく微笑んだ。




「楽しそうだね」

「ミレナも馴染んでたじゃん」

「ミツヨちゃんが良い人だから」




 本当に、とミレナは恥ずかしそうに俯いた。ホットパンツから覗く素足を絡ませ、ミレナは肩をすくめる。


 レントは腰に手を当て、そっぽを向いた。レントもまた少し恥ずかしそうに口を尖らせる。




「ばあちゃん言ってたよ。アナスタシアさんやミレナにいつも助けられてるって」

「そんなことないよ。私は何もできてない。おばあちゃんが凄いんだ」

「卑下しすぎだよ。俺は、ミレナがいたから……」

「うん……ありがとう」




 ミレナは再び外を見る。


 熱帯夜の季節はもう終わる。夏の終わりは間もなくだろう。


 長いようで短い日々。


 人生が変わるほど鮮烈な記憶の数々が、花火のように呼び起こされる。


 シゲちゃんの死とレントとの出会い。祭りの花火とミキの事故。父と祖母――。


 日々の出来事は時間と共に薄れ、歳を重ねるごとに記憶の底に沈むだろう。


 それでも、この閃光のような日々は、ミレナの一生に刻まれる、苦しくも美しい時間だったと言える。


 願わくば、幸せな時の中で生きていたかった。


 山の影に隠れ、巨大なネコが欠伸をしている。


 日が出てようと、月明かりに照らされようと、巨大なネコには関係なく、自由に存在している。


 あのネコが、祖母に何か反応するかは分からない。


 それでもミレナは見ずにはいられなかった。ネコだけが頼りだった。


 アレが動かない限り、祖母は無事であると言えるのだから。




「何見てるんだ」

「……星」

「そっちは山だろ」




 隣でレントが外を見る。


 こんなに近くに居るのは花火の日以来だろう。


 彼がミレナの近くで町を見ても、不快感の1つもしない。


 レントを信頼しているためなのか、彼が隣に立つことを自然と受け入れていた。


 ミレナはレントを見る。レントもミレナを見る。


 星明りに照らされた2人の顔は、ボンヤリと蒼白く儚げに浮かび上がっていた。




「ばあちゃんと話せてよかったね」




 ミレナは話題を変えた。


 ネコの話は祖母と2人だけの秘密。


 見えない人に話しても、信じてもらえるとは限らない。


 否、レントならもしかすると受け入れてくれるかもしれない。いつか、きっと――




「うん。じいちゃんの話沢山聞けたよ。うちのばあちゃん、あんまり話さないからさ。元気そうで良かったよ」

「元気なんかじゃないよ」




 レントはミレナの言葉に目を丸くした。


 きっとレントだけではない、誰が見ても祖母の体調が悪いと思えないだろう。


 ミレナだってそうだ。自分の目を疑いたい。




「ばあちゃん、ずっと悪くなってるの」

「そう言ってたのか?」

「言ってないよ。だけど――」




 祖母の藤蔓は、この数日でみるみる成長していた。


 祖母も、ミレナも、何も言わない。言わなくとも分かっていた。2人にしか見えない、2人だけの秘密だから。


 それでも祖母は気高く振舞う。


 いつものように軽口を聞き。いつものように毒を吐き。いつものように笑いあう。


 それが祖母の求めたことであり、それはミレナも求めたことである。願わくばこの幸せの中、生きられるように。


 下を向きたくなかった。それが祖母の生き様だから。その背をずっと見ていたいから。


 だから、ミレナは顔を上げる。前を向く。


 祖母にもらった青い目を見開いて、自分の生きる道を歩きたかった。




「気にしすぎだよ。心配ないって」




 レントは励ますようにミレナの背をトンと叩く。


 気にしすぎではないと分かっているが、レントの優しさが妙に嬉しかった。


 母を失い、祖母の元に預けられてからずっと、ミレナは孤独の中、生きていた。


 誰とも関わることなく、言葉は交わせど心は交わさず、いつもどこか他人事のように生きていた。


 しかし、ミレナはもう一人ではない。


 レントが居る、ホマレが居る、ミキが居る……祖母が居る。


 誰かが何かをしたわけじゃない。


 みんな、ただ一生懸命生きているだけだ。


 自分の人生を自分が誇れるよう生きているだけだ。その姿が、純烈な命の輝きが、ミレナの心に光を与えている。


 だから、もう、大丈夫――




 山が動いた。




「――あ」




 否、それは山のように巨大なネコだった。




「だめ……動かないで」




 その金に輝く瞳を見開き、ネコは自身の後方を向く。その方向は、祖母の居る病院。




「動かないで!」




 ムクリと身を起こすネコは、尻尾を揺らしながら、四足で空に立つ。




「どうしたんだミレナ!」




 夜の町に響き渡る少女の声。


 窓から身を乗り出し、巨大なネコに向けて叫ぶ言葉は通じない。


 2階の窓から落ちるのではないかと思えるほど身を乗り出したミレナを、レントはガシリと掴む。


 レントには何が起きたか分からなかった。


 突然取り乱したミレナにレントは焦りを覚えた。レントの脳裏に花火の日がフラッシュバックする。




「行かないで、お願い、行かないで。――行かなきゃ」

「ミレナ!」




 窓を蹴り部屋を跳ね、ミレナは廊下へ飛び出る。


 床に転がりながら、レントはミレナを呼ぶが、その姿はもう見えない。すぐさま立ち上がり、階段を駆け下りるミレナを追う。


 居間に飛び出た瞬間、レントの母が電話を片手にミレナと向かい合う。


 その顔からは血の気が引いており、額には汗が滲んでいた。


 レントの母は、乾いてしまった唇から、振り絞るように声を出した。




「ミレナちゃん、大変」

「連れてって!」




 言わずとも分かっていた。分かりたくはなかったが、直感が叫ぶ。祖母が昏睡した。


 着の身着のまま、ミレナは車に乗る。


 ミツヨちゃんも心配そうに見送りに出てくる。


 大人数で乗り込んでも、何かが出来るわけではない。家でレントの伯母と一緒に待ってくれるそうだ。


 レントの母がエンジンをかけると、レントが飛び乗って来た。


 それに驚いたレントの母だが、彼の強い希望に折れる。




 夜の町を車が走る。


 舗装が甘い道路を、ガタガタ揺られながら走る。


 握りしめた琥珀の(かんざし)急ぎたい気持ちを必死に抑え、ミレナはジッと堪える。


 外は――外では、ネコが歩いていた。


 星明りに照らされながら、花火の時と同じように、ゆっくりと町を歩く。


 あわよくば、自分たちと別の道を行ってくれまいかと願いながら、ミレナはネコを見つめる。




「ミレナ、一体何を見ているんだ……」




 隣に座るレントの呟きにミレナは無言を返した。


 ネコの歩みは止まらない。


 今はアレから目を離すわけにはいかない。


 坂を上り、山道を行く。町の境界を越え、隣町へと入っていく。


 町に居座っていたネコも、ミレナたちに続き町を越えようとしていた。




 ネコを町の外で見たことはなかった。


 病院にも黒いネコが居たことから、その類の存在が1匹ではないことはなんとなく察していた。


 それもそうだ。もし1匹で全ての死に向かっていたのなら、町に居座っている暇はないだろう。


 では、ネコは……この町のネコは、誰の死に向かうのだろうか。


 一歩、また一歩。


 車の後方で歩き続けるネコは、ついに境界を越えた。


 同時に、車がカーブに差し掛かり、ネコの姿が見えなくなる。前を向けば隣町の明かりが見えた。




 病院につき、受付を済ますと今まで行ったことのない病棟に通された。


 容体が急変したこと、ミレナが唯一の家族であること、そしてそのミレナがまだ幼いことから、特別に面会が許可された。


 毎日見舞いするミレナの姿を院長も見ていたらしく、当直であった彼が今日ばかりはと時間外の面接を認めた。


 廊下を歩くとそこには黒ネコが居た。


 それも1匹ではない、この廊下には何匹ものネコが居た。


 寝転がるもの、欠伸をするもの、尻尾を揺らしながら歩くもの、各々が好きなように動いていた。


 ミレナは不思議に思った。


 このネコたちはなぜここに居るのだろうか。ただここに居るだけなのだろうか、それとも何かを待っているのだろうか。


 ミレナたちが歩いても、ネコたちは何かするわけでもなく、道を空けるだけ。


 ミレナは集中治療室へ来た。




 ミレナは目を奪われた。


 ガラス窓の向こう、祖母が色々な器具に繋がりながら眠っていたが、そんなことどうでもいいと思えるほど、息を呑む幻想的な光景がそこにあった。




 エメラルド色の森がそこにあった。


 サファイヤのように輝く蝶が翅を羽ばたかせていた。


 ミレナの瞳から涙が零れる。


 余りにも美しい、まさしく魔女の最期にふさわしい世界がそこにあった。


 祖母の胸から広がる藤蔓が部屋いっぱいに広がり、祖母の身体にとまっては飛び立つ蝶が舞っている。


 一目でわかった。祖母の身体は限界であると。




 レントの母がミレナをそっと抱く。その腕は震えていた。


 自分の親でもないというのに、自分の娘でもないというのに、彼女はミレナと同じように痛みを感じていた。


 毅然に振舞っているが、レントの母もついこの間、実父を失ったばかりである。


 家族を失う苦しみは痛いほどよく分かっている。ミレナはその優しい腕をギュッと握り返した。




 美しい森の魔女は静かに眠る。




 涙を拭い、ミレナは祖母を見続ける。


 あと、どれほど持つのだろうか。これほど急に別れが近づくなんて思わなかった。


 母を亡くし1年。まるで後を追うようではないか。


 拭いても拭いても胸の底から溢れてくる熱。


 息をするのも苦しい。吸いたくても吸えない、吐きたくても吐けない。


 思う通りに身体が動かない、言うことを聞かない。


 レントの母がミレナを抱き寄せた。


 顔を埋めるようにミレナは彼女の胸に頭を沈める。


 背中を摩る感触がしたかと思うと、レントが傍に居た。その手の温もりが、ミレナの呼吸を和らげる。




 かつてミレナは孤独だった。


 唯一の家族が旅立とうとする今、ミレナを待つのは本当の孤独であるはずだった。


 だが、ここに冷たさはなかった。


 自分の身体が燃えるように熱くなるのが分かる。


 抱きしめる人の温もりが、励ます少年の掌の優しさが、ミレナに太陽のような温もりを与える。




 カツン――




 冷たく響く足音。


 他に誰もいないはずなのに、廊下を歩く黒服が居た。


 黒い服に黒いネクタイ。まるで喪服のようにスーツを着る男が愁いを帯びた笑顔でそこを歩いていた。


 どうしてそこに居るのか。どこでそれを聞きつけたのか。背に溢れるほどの蟲を抱えた男が3人の前に立つ。




「やあ、ミレナ」




 ミレナの実父がそこに居た。ニコニコと仮面のような笑顔を振りまきながら父が目の前まで迫る。


 反射的に、ミレナの身体が震え出す。あの日の夜を、身体が忘れてはくれなかった。


 果たして、目の前に立つ男を“人間”と形容して良いのだろうか。悪意が人の形をしているとしか思えない。


 父はチラリとガラスの向こうに眠る祖母を見る。


 ベッドの上で静かに眠る老体をみて、父は菩薩のような穏やかな表情を浮かべた。


 ミレナはたまらず叫ぶ。




「どうして……! どうやって!」

「大変だったねミレナ。でももう大丈夫。私が来たよ。」




 震える声で問いただすミレナの言葉など意に介さない。父はまるで転んだ子をあやすように優しく声掛けた。


 それが、その言葉の冷たさが、やけに気持ち悪かった。





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