13.毒と薬
琥珀の簪が太陽に輝く。
デニムのホットパンツから伸びる成長途中の脚。
胸元に黒猫のワンポイントがあしらわれた水色のTシャツが涼し気に風に揺れる。
白いスニーカーは出掛けに汚れを落としたつもりだったが、薄っすら汚れが残っていた。
ミレナは病院の前にあるバス停に立っていた。そして隣には麦わら帽子に白のワンピースを着たホマレが携帯をいじっている。
「なんでお前が居るんだよ」
「ええ? ただのお友達に会うならいいじゃない。あーしにも紹介しなよ」
ホマレは携帯のチャットアプリで「行けなくてごめん」「あーしが色々聞き出すから」「写真待ってる」「りょ」とミキとやり取りをしていた。
ミキはたまたま一日検査が入ってしまい、外に出ることはもちろん、少し顔を出しに行くことすら出来ない。
それが分かった時、酷く残念な顔をしていたが、ミレナはむしろ好都合だと思っていた。
だというのに、代わりにホマレがミレナの後をカルガモのようについている。朝からこれである。
「なんでお前に紹介しなきゃなんだよ」
「だってあーしたち、友達でしょう」
「……はっ。どの口が言うんだか」
上目づかいでおねだりをするようなホマレに毒を吐くミレナ。
そっぽを向き、ツンとした顔をしているが、嬉しそうな瞳は隠しようがなかった。
「素敵な唇がお話したの」
「ヒルみたいな口だよな」
「はぁ!」
「あと今日盛りすぎ。逆に不自然」
「はあぁ!?」
ホマレは、バッチリ決めて自信があったようで、ミレナの言葉にショックを受けていた。
ミレナは「してやったり」とニンマリ口元を弓のように吊り上げる。
ポーチから手鏡を出し、ホマレは自分のメイクを見直す。
メイクを見ているはずが、段々と前髪が気になってしまったようで、いつの間にか前髪をいじることに集中していた。
ミレナはそれを見ながら、なんとなく自分の髪に触れる。
祖母からもらった母の簪。
朝、鏡の前で何度も一人で結んでみた。何度やっても祖母のように上手くいかなかった。
居候先のミツヨちゃんが手伝ってくれると言ったが、ミレナはなんとなく、「自分でやらなければいけない」と思い、感謝しつつ丁寧に断った。
少しだけ毛が跳ねている感じが指先で分かる。
やはり人にやってもらうべきだったろうか。ミレナは少し後悔した。
「もうすぐ着く」ミレナの携帯に届いたメッセージから数分。コンクリートを踏み鳴らすタイヤの音が聞こえて来た。
ミレナとホマレはキュッと姿勢を伸ばす。緊張からか、2人揃って肩が張っていた。
バスが止まる。
ガラガラの車内からフワフワの髪を軽くなびかせ、レントが降りてきた。
髪を切ったようで、重みの感じない髪が夏に合っていた。
レントはミレナを見つけるとパァと花開くように笑顔になった。
ミレナはそれが何故かとても嬉しく、同じようにニカッと笑顔を返す。
「おう、久しぶり、レント」
「久しぶりってほど久しぶりじゃないだろ」
ミレナとレントはハイタッチを交わす。すると、割り込むようにホマレが入って来て、ミレナの前に立つ。
「初めまして、私、藤堂ホマレと申します。ミレナさんとお友達をさせていただいております」
「ミレナの友達。友達出来たんだ」
「うるせえな」
ホマレの後ろで恥ずかしそうにミレナが毒を吐く。
こうも易々と「友達」と言ってしまうホマレにもどかしさを感じるが、彼女のその言葉に救われているのも事実であった。
ミレナは胸に手を当てる。感触はないが、ミレナのここには蟲がまだ居る。
非常に小さくなっているが、それでも決してミレナから落ちることのない蟲。きっと二度と取れることはないだろうとミレナは思っていた。
「後悔」「罪悪感」「自己嫌悪」……この蟲の名前は色々あるだろう。
だが、その蟲がいるからこそ、ミレナの胸の穴は塞がれていた。この蟲がミレナから離れたとき、残された穴から何が溢れるか分かったものじゃない。
それでも時折、この蟲の重さに苦しくなることがある。
穴の隙間から蟲が這い出ることもある。ホマレの軽く聞こえるその言葉は、不思議とこの蟲の重みを忘れさせる。
「藤堂さん。ミレナを頼むよ」
「ハイッ」
ポンとレントがホマレの肩に手を置き、ニコリと笑顔を振りまく。
瞬間、ホマレの胸に稲妻が走る。のぼせてしまったようにホマレの白い肌が真っ赤に染まる。
同時にミレナの頭にも衝撃が走っていた。よく分からないイラつきがカチンと頭に刺さる。
ミレナがレントに苦言を言おうと口を開くか否か、ホマレがミレナの腕を掴みグルリと揃ってレントに背を向ける。
そして小さな声でヒソヒソとミレナに話しかける。
「ちょっと、なんであんたこんな良い男知り合いなの」
「良い男か?」
「良い男でしょう! なに、ちょっといい匂いするんだけど」
「分かんねぇなあ」
ミレナはもやもやとした。
レントが褒められること自体はとても嬉しかった。なんだか自分が褒められているような気にもなる。
だが同時にキュウッと胸が絞められるような感覚があった。
嬉しいのに悔しい。
そんな矛盾するような感覚がミレナにあった。
「ミレナ、行こう」
レントは病院に向かって歩き出す。
そう、レントは祖母の見舞いに来てくれた。
もともとはシゲちゃん関係の手続きやら相続やら荷物整理やらで親だけが来る予定だったが、一時でも世話になった祖母の見舞いをしたいと来てくれたのだ。
タイミングが合えばミキにも会わせようと、ホマレは画策していたようだが、丁度入れ違いで検査に入ってしまったようだった。
それでも院内の患者や職員がミレナが男の子を連れている様子を見て「あらあら」と微笑んでいた。
ミレナは恥ずかしく、廊下では常に俯いて歩いていた。
レントは祖母に見舞いの品を渡すと、少しだけ会話をした。
取り留めもない話だが、主にはシゲちゃんの話がされた。
考えてみれば、こうしてゆっくり祖母とレントが話すのは初めてかもしれない。
ミレナは少し離れたところで2人を見て思った。
ホマレが話題に割り込もうとするたび、ミレナはその首根っこを掴み、邪魔をしないようにする。
レントにとって、自分が知らない祖父の話は、きっと大切なものだろう。
「さて、じゃあ遊ぶか」
病院を出ると、レントが伸びをしてから言った。陽はまだ高く、燦燦と光を降り注ぐ。
バス停に向かって歩きながら、何をしようかミレナが考えていると、横からヒョイとホマレが顔を出す。
「遊ぶって、あんたたち何するの」
「えっ、川で魚釣りとか?」
「空き地でサッカーとか?」
魚釣りはミレナがたまに行っているが、釣れることはほとんどない。
ただひたすら川に糸を垂らし、魚がかかるのをのんびりと待つばかりである。
ミレナもレントも基本は一人で遊んで来ていた。
だから、複数人で何かをする経験がなく、「遊ぶ」と言っても、思いつくのは精々そういうこと程度だった。
「田舎のこどもか!」
「田舎の子供だろう」
「あんたねぇ……! いい、私の言う通りするのよ」
そんな二人の空気にホマレは憤慨した。折角都会から男の子が来たというのに、ジジ臭い遊びをやってられるかと吼えた。
しかしミレナは冷静に言葉を返す。
冷静というより天然に近く「何を言っているんだろう」という顔でホマレを見返していた。
ホマレはビシッと人差し指をたて、ミレナの鼻先に突き立てる。
ミレナは少し仰け反りながら面倒くさそうな顔をした。
「ええ……」
「私、良いところ知ってますの、ご案内しますわ」
「薄気味悪いんだよなぁ」
ホマレの外面に小さく嫌味を言いながらも、ミレナは渋々従った。
複数人で遊ぶなら、確かにミレナよりホマレの方が慣れているだろう。
餅は餅屋だと思い、ミレナは彼女に任せることにした。
レントはレントで、2人の意見に口を挟むことなく、話が終わるのを待っていた。
本数の少ないバスに乗る。
バスの一番後ろの席に、なぜかレントを中心に、3人並んで腰かける。
所々ひび割れた舗装のせいで車内が揺れ、その度にホマレがわざとらしくレントにくっつく。
ミレナは貧乏揺すりしながら苛立ちを隠せないでいた。
いつもより長く感じるバスの道。
自分たちの町がいつまでも遠くに見える。
――遠く。
ミレナもホマレも毎日のように病院に来ていた。
ミレナは見舞いの相手が肉親であるが、ホマレは友人のために、この長い距離を通っている。
ミレナはふと改めてそれに気づいた。
馬鹿みたいに媚びた声を上げているホマレだが、彼女は決して悪人ではない。ミレナは横目に彼女を見る。
胸をレントの腕に当てていた。
レントも顔を赤くしていた。
ミレナはレントのわき腹に肘打ちを入れた。
バスが止まる。
遠くに見えていた町も気づけば目の前までやって来ていた。
ホマレを先頭にバスから降りると、ミレナは見覚えのある景色に、しかめっ面をする。
わき腹を摩りながらレントも疑問符を頭上に掲げていた。
「商店街じゃん」
「この町で遊ぶならここしかないでしょう」
町に遊ぶ場所なんて限られていた。
ここから電車で遠くの街に行くか、ここで遊ぶか。町の学生たちにはその2択しか与えられていない。
それでも、ホマレはフフンと鼻を鳴らし、自慢げに商店街を歩く。
ソフトクリームを買い、3人で食べ歩き、小さな服屋でウインドウショッピング。
アツアツのコロッケを見てお腹を鳴らすミレナに、レントが奢ると、そこで自分で買う買わないの口論が始まる。
ホマレはふと歩く速度を落とした。
2人の距離は近く、自分が入る隙間がないように見える。
別に互いに笑顔を振りまいているわけではない。
むしろ怪訝な顔や苛立つ表情、驚いた顔に悔しそうな顔。いくつもの豊かな顔が見えた。
少しだけ、ホマレは今まで一緒に居たクラスメイト達の顔を重ねた。
彼女たちはいつも笑顔だった。
彼女たちと一緒に居る時は、いつも笑顔でいなければいけなかった。
少しでも嫌な顔をすれば「なにその顔」と誰かが言う。ホマレだって言ってきた。
目の前の2人にはそれがなかった。
どんな顔をしていても構わない。この2人はありのままを互いに受け入れている。ホマレにはそう見えた。
――ひそひそ。
ふと、小さく嫌な感じの声が耳に飛び込んできた。
――ひそひそ。
3人を見て誰かが話す声が聞こえた。
3人……?
否。この声の主は皆、ミレナを見ていた。
「ほら、あの子。ここ最近色々なことがあるじゃない」
「ああ聞いた聞いた。不幸を呼ぶ子供だろ」
「野蛮そうな顔」
「一緒に居る子は知らないのかしら」
「ねえ、あの子でしょ、いろんな人を病院送りにしたって」
「死んだ人もいるらしいぞ」
「あら入院じゃなかったかしら」
「同じようなものだろう」
「周りを不幸にするらしいぞ」
「あの子の親も入院したんだって」
「本当に厄病神じゃない」
ミレナもレントもその声に気づかない訳じゃなかった。
ここは小さな町。少しの噂もすぐに広まる。
レントやミキ、そして祖母。立て続けにミレナの周りに起きた偶然の出来事は、人々の頭の中で必然へと歪められた。
レントは思わず噂する人々に声を上げようとした。
だが、横でミレナが彼の腕を掴む。ミレナは小さく首を横に振った。
これは事実である。
彼らが話す出来事は全て、実際にあったことである。
それをミレナに関連づけ、彼女から離れようとすることはごく自然なこと。
もしかすると、すべてミレナが居なければ起きなかったかもしれない。
そう思うこともあった。
自分が余計なことをしたから、普通なら問題ないことも酷い事態に発展したのかもしれないと。
どこから湧いてきたのか、小さな蟲たちがミレナの身体を這いまわる。
「本当、あんたは厄病神よね」
誰よりも大きな声で言ったのはホマレだった。
影でコソコソ話していた人も、ジロジロ見る人も皆、ホマレを見た。
ミレナとレントは足を止め振り返る。
「ミレナの何を知ってるんだ」
レントがホマレを見た。別に睨んだわけではないが、その言葉と視線がホマレに突き刺さる。
ハンと鼻を鳴らし、ホマレは腕を組んだ。
先ほどまでと打って変わり、媚びるような仕草も声もない。いつものホマレがレントの前に立っていた。
「さあね。私はこの娘のことなんてよく知らないわ。会って10日もないし。それでもこの女が馬鹿なのはよく知ってるわ」
「おい」
「本当に大馬鹿よ。わざわざ首を突っ込まなければ良いものを、余計なことに手を出して」
ホマレの言葉に、レントは噛みつかんばかりに前に身体を乗り出した。
しかし、よく聞けば丁寧なようで粗暴な言葉は、周囲の人々に撒かれていた。
「それでいて結果的に自分が大変な目に合っているのに、それでも頑張る。そんなの普通の人は出来ないって」
確かにミレナとホマレの関係は10日とない。
それでもミレナはミキを助けた。あの時ホマレは逃げてしまった。怖くて怖くて仕方ないのは、きっとミレナだって同じだったろう。
それなのにその怖さに立ち向かったミレナを、ホマレは心からスゴイと感じていた。
「この子は馬鹿よ。誰よりも人を思いやれる大馬鹿者。同じことが出来るものなら見せてもらいたいわー! ……もっと自分を大切にしなさいよ」
だから、外野で五月蠅くヤジを飛ばす人々に言いたかった。
彼女は勇気ある人物であると。その言い方は確かに野蛮で会ったが、その真意はミレナにちゃんと届いていた。
毒のような言葉は、ミレナに纏わりついていた蟲たちを一匹一匹剥がし落す。
ホマレにこの蟲が見えているわけがないと、分かっているのにミレナは彼女に祖母に似たものを感じる。
真っ直ぐな強さがそこにあった。もう、周りの声は聞こえない。
「ああ、もうこんな時間。あーし、塾あるんだった。じゃあねえ」
「待って藤堂さん」
レントは、クルリと踵を返して立ち去ろうとするホマレを呼び止めた。ぎこちない呼び止め方に、ホマレはクスリと笑う。
「ホマレでいいわよ、レントくん」
「ホマレ……。ミレナの友達でいてくれてありがとう」
ニッコリと、いつもより可愛らしい飾り気のない笑顔を向けて、ホマレは微笑んだ。
レントは頭をポリポリ掻きながら、恥ずかしそうに感謝を述べる。
照れるレントを見て、クスクスと悪戯に笑い、ホマレはフフンと鼻を鳴らす。
「別に友達なんかじゃないわよ。でしょ」
「そうだね、ホマレは友達じゃない。もっと大切な人だ」
「……うるさいわね」
唐突なミレナの返しに、思わずホマレは赤面してしまった。
何度友達と言っても適当に流されるか、否定されるかだった。
そんなミレナが素直にホマレを認めたものだから、ホマレは不意を突かれたように頬を赤く染める。
誤魔化すように口を尖らせ言葉を返すが、どうしても嬉しくて顔が緩んでしまう。
ミレナとレントの2人は、歩き出す彼女の後ろ姿を追う。
少しスキップ調に歩く彼女を、ミレナはじっと見ていた。そしてレントはそのミレナの横顔を見入っていた。
視線に気付いたミレナは、レントの背をバシンと叩く。
「痛い! なんだよ」
「別にいいだろ。ほら、帰るぞ。今日は泊まるんだろ……泊まるの?」
「泊まるよ?」
当たり前のようにレントは返した。
日帰りで来るわけがないことは分かっていたが、この瞬間までミレナは、レントが泊まる場所のことを一切考えていなかったことに気付く。
彼が泊まるのは、当然、彼の祖父母の家。
つまりミレナと同じ屋根の下で過ごすことになる。




