アリバイ
翌日、杉下たちの得度習礼が終盤に差し掛かってきた。林田刑事たち京都府警は杉下の話を元に西本願寺式務部への聞き込みに入った。式務部の関係者が西本願寺の総務所から帰宅したところを聞き込みをした。式務部の部員である岩崎の部屋を訪れた林田は
「京都府警捜査一課の林田です。僧侶養成部の田島さんをご存じでしょうか。田島さんと仲良くしていた式務部の部員の方がいるという噂を聞きつけまして、どなたか知りませんか。」とドアを開けて玄関で話した。すると岩崎は
「田島さんは知ってますが、その仲良くしていた式務部員はわかりません。殺されたんですよね。田島さんはきれいな人だったから有名だったけど、付き合っていた人がいるという話も聞いたことがありません。ただ、同じ僧侶養成部で西山別院に務めている小谷さんだったらよく式務部に顔を出して堀川という部員にアタックしてますけどね。付き合っているんでしょうか。よくわかりません。」と苦笑いしながら答えてくれた。林田は事件の概要が何となくわかって来たような感じがした。林田と小谷が繋がったが、林田と田島がみんなが知らないところで繫がっていたら、恋愛のもつれという線が浮上しそうだった。
そこで、翌日、式務部を正式に訪ねて堀川の話を聞くことにした。準備してくれた部屋は会議室だった。林田が会議室の椅子に座って待っていると僧服を着た背の高い若者が入って来た。彼は入って来るなり
「堀川と申します。何かお話があるということですよね。どんなお話でしょうか。」と先制攻撃してきた。髪は短く後も横も刈り上げていて色白で清潔感が漂っている。布袍の着方も品がよく、どことなく貴族的な雰囲気を漂わせている。林田は
「先日、田島栄心さんがお亡くなりになったことはご存じでしょうか。」と聞き始めると
「このお寺中、その話題で持ちきりでしたから知っています。」と冷静に答えてきた。林田は間髪入れずに次の質問に入った。
「田島さんが亡くなったその日の夜8時半ごろ、堀川さんは何をなさっていましたか。」とアリバイの立証を試みた。林田は落ち着いた雰囲気で
「たしかその日は式務部の会議でこの総務所の大会議室にいたと思います。式務部の全員がその日は夜9時過ぎまでその部屋にいましたから、みんな私が会議中だったことを証言してくれると思います。」と眉毛一つ動かさずに理路整然と自らのアリバイを立証した。林田は続けて
「田島さんとはどんなご関係だったんでしょうか。」と聞くと
「大学の合唱サークルの同級生ですが、特に親しい関係ではありませんでした。」と答えた。次に林田は
「では小谷清香さんとはどんなご関係ですか。」と聞いてみた。すると
「小谷は大学の同じ合唱サークルの後輩です。ただ彼女とは最近お付き合いを始めたばかりです。」と交際を認めた。ただ犯行時刻にアリバイがあるということは犯人が彼ではないことは確かめられた。捜査は暗礁に乗り上げた形になった。
同じころ、西山別院では杉下が昼食の後の休憩時間を利用して小谷を呼び出していた。食堂前の廊下のベンチで待っていると小谷が現れて隣に座った。
「話って何ですか。」と小谷が周りを気にしながら小声で聞くと杉下は
「小谷先生がホテルのロビーで待っていたけど、誰も現れなかったんですよね。先生が待っている時間帯に田島先生は殺されていたわけです。でも問題の式務部の彼は現れなかった。犯人は別に誰かいるということでしょうね。」と話した。するとそこに堀川との面談を終えた林田刑事が現れた。すると
「いいところに2人ともいましたね。実は先ほど式務部の堀川という男性に会って来ました。田島さんとは大学の同級生だけど深い関係ではないと言っていました。しかも彼にはアリバイがありました。ちなみに彼は小谷さんと仲がいいらしいですね。」と聞いてきた。小谷はまだ話してないことがたくさんあったので少し慌てたが意を決して
「実は刑事さん、まだお話してないことがありまして、田島さんは堀川さんと付き合っていたんです。でも結婚となると彼がしり込みして別れ話になっていたようです。彼ら2人には2人しか分からない暗号があって、正信偈をあげている中で回向に入る直前の和讃の最後の音が普通は半音下げるんですが、彼は意図的に4分の1だけ下げる時があるんです。どうもこれが『今夜いつもの場所で会おう』という暗号みたいなんです。普通はそんな音の違いは誰もわかりませんが、小さいころからピアノを習い、大学生まで合唱をやっていたあの2人と私にはその違いを聞きわけられたんです。あの日は確かに堀川先輩は問題の箇所で4分の1音だけ下げて、他の皆さんとは違っていました。だから私は今夜会うんだと思い、尾行することを決めたんです。田島先輩には申し訳ないですけど私と堀川先輩が結婚すれば、山口の私の実家の大きなお寺を継いでもらって、彼の希望通りだと思ったんです。」と力を込めて話した。すると杉下は訝しげな表情で
「ということは堀川さんには十分に殺害動機はあるわけですね。でも小谷さん、あなたにも殺害動機はあると言えます。ただどちらもアリバイがある。では真犯人は誰なんでしょう。」と腕組みをして考え込んでしまった。しかしその時、林田刑事が思いついたように
「共犯者がいたら犯行は可能です。殺害動機がある堀川さんか小谷さんに協力者がいればわざと目立つようなアリバイ工作をしておいて、実際に犯行を行うのは別の協力者がするわけです。今回の場合、本願寺での正信偈で4分の1音だけ下げて『今夜いつもの場所で会おう』というメッセージを送り、そのメッセージを行けとった田島さんがあのホテルに来させれば、事前に部屋の中に忍び込んでいた実行犯が殺害に及ぶことは簡単です。ロビーで待機していた小谷さんが誰も出てこなかったというのは、実際には実行役の犯人が出てきていたかもしれないが、その人を見たことがないから気がつかないわけです。」と話してくれた。その話を聞いた杉下はあるアイデアを思い付いて小谷の耳元でそのアイデアをささやいた。




