尾行
烏丸駅近くのホテルで田島と堀川のデートを目撃した小谷は呆然として阪急電車でマンションに帰った。電車の中では平静を装っていたが、部屋に入ると立っていることもできないくらいの落胆ぶりだった。マンションの隣の部屋の住人に聞こえるほどの声で泣きながら、堀川と田島のことを思い起こしていた。2人がいまごろ抱き合っているのかと思うとやりきれない気持ちになった。堀川の優しそうな顔を思い出し彼の薄めの唇が田島の唇に重なり合っているはずだが、自分の唇をおおってくれる妄想をした。どうして思いを寄せていた先輩が私の身近にいる他の女を抱いているのか。我慢ならないという思いがふつふつと沸き立ってくる。
そんな思いが出てくると、小谷は先輩を奪いたいという気持ちが出てきた。小さいころから恵まれた環境に生きてきた。裕福なお寺の一人娘で欲しいものは何でも与えられてきた。学校では他の子が持っているものは奪ってでも手に入れてきた。彼女の思い通りにならないものはほとんどなかった。中学生の時には好きになった男の子が他の女の子と付き合っていることが許せず、その女の子の悪い噂を流してでも奪ってきた。
そんな幼少期を過ごした小谷には、堀川先輩は食事に行くと返事してくれたのに田島先輩と付き合っているのは許せないのだ。
『堀川先輩は私のものだ。田島先輩には渡せない。田島先輩の実家のお寺は先輩の兄が継ぐはずだから私の方がお似合いのはずだ。堀川先輩もそのことはわかっているはずだ。堀川先輩はもっと冷静に考えるべきなんだ。』そんな風に考えると少し落ち着いて来た。
『とりあえず堀川先輩との食事の場所を予約しよう。そこで先輩を説得しよう。』そう考えた小谷は先輩の休みの日と自分のスケジュールを考え併せて今週の土曜日に祇園の高級料亭に電話をして予約を取った。どんな話をするか、作戦を考えながら。
エレベーターで8階までのぼり、ホテルの部屋に入った2人はドアを閉めるとすぐに堀川が田島を壁に押し付けて立たせ、激しくキスをし始めた。初めはされるがままにしていた田島だったが、堀川の手が服の上から田島の胸を触っていたのに裾から服の中に入って来た時に激しく拒絶して彼の手をはねのけ
「ちょっと待って。少し話しましょう。これじゃ、セックスするためだけに付き合ってるみたいじゃない。この間も言ったけどいつまでも結婚できないなら付き合い方を考え直したいの。」そう言うと彼の手を振りほどいて奥のソファーに座った。堀川も彼女に続いてベッドの脇に座り少し冷静になって話し始めた。
「自分がセフレみたいな言い方しないでくれよ。僕は君のことを愛しているんだから。僕の気持ちに変わりはないんだ。」堀川は身振りを交えて必死に説明した。
「でも、結婚は出来ないんでしょ。あなたは優秀だから式務部でも昇進することを考えているものね。私と結婚したら基盤となる実家のお寺がないから出世は望めないものね。」田島は少し意地悪な言い方をして堀川を攻めたが、途中から涙で声が震えた。
「そうだね。君の言う通りさ。このまま結婚しても2人とも不幸になるだけかもしれないな。別れた方がいいのかも。」意外とあっさりと堀川は別れることに理解を示した。しかし田島の方は理解を示す堀川の態度にびっくりして
「待って。別れたいわけじゃないのよ。別れるなんていやよ。何年付き合って来たと思っているの。2人でこれから先のことを考えましょう。」田島はそう言うと堀川の目を見つめベッドに座っている堀川の隣に座り、彼の唇に自らの唇を重ねて再び彼の目を見つめなおした。
「でもね、解決方法なんてないんじゃないかな。僕たちに継ぐべきお寺はないんだよ。江戸時代で言うなら部屋住みの僧侶という事だよ。そんなみじめな人生は御免だよ。」堀川が心の中に潜めてきた心情をさらけ出すと
「跡継ぎがなくて困っているお寺は全国にたくさんあるわ。後継者がいなくなって空き家になったお寺は継いでくれる人を探しているわ。本願寺で斡旋してくれるんじゃない。」
田島は何とか2人の問題を解決する方法を探り出そうとしていた。しかし、裕福なお寺に暮らしてきた堀川は小さなお寺で貧困な生活を強いられる選択には賛成できずにいた。
「やっぱりあなたは私とは結婚する気じゃなさそうね。この間から何回話し合っても問題は解決しないし、話し合いの度にはぐらかして私を抱いて性欲を満足させて帰っていくだけだもんね。わたし、絶対別れないからね。私はあなたを忘れる事なんてできないわ。」
彼に背中を向けて泣き出した田島を堀川は優しく背中から抱いて、唇を合わせてベッドに横になり愛撫をし始めた。結局彼女が言うように話をはぐらかして体の関係だけが続いた。ホテルを出るときには2人とも性的満足は得られたが、気まずい雰囲気で歩いていた。
翌日の研修センターの宿直は田島と男性指導者の2人だった。夕食が終わり夜の研修が終わると就寝時間まで少しだけ時間がある。研修生はお風呂に入ったり洗濯をしたりするのである。女性の研修生もいるので女性の宿泊指導者も必要になってくるのだ。
田島が職員事務所で待機していると事務所の扉をたたく人がいた。杉下だった。
「すみません。少しご相談したいことがあるんですが。」とガラスのまどから問いかけてきた。田島は冷静に
「どんな御用ですか。」と聞くと
「得度式に必要な袴のことなんですが、俗袴でないといけないんですが、その違いが判らなくて俗ではない袴を持って来ているようなんです。みなさんと少し形が違うもので、一度見てもらえませんか。」と言って手提げ袋に袴を入れて持って来ている。
田島は事務室から外に出てロビーにあるベンチに杉下を座らせて袋の中身を確かめた。
「これは俗袴ではありませんね。僧侶の資格を取ると俗ではなくなるのでこのような袴を身に着けることを許されるんです。得度式で資格を認められる前に俗袴をはいて式に臨み、正式に僧侶であることを認められたら黄袈裟を着るんです。毎回間違われる方がいますから、事務室に予備があります。お貸ししますよ。」と言って事務室の中に入っていった。暫くするとビニール袋に入った俗袴を持って来てくれた。杉下は
「有難うございます。助かりました。持ち物の不備で資格をもらえなかったら地元の人たちに申し開きが出来ません。先生のお陰です。」とお礼を言うとその場を去ろうとしたが気になることがあったので彼女に
「先生、今日は朝からいつものような元気がありませんでしたね。何かあったんですか。僕は長年、中学校で教師をしてきました。中学生は思い悩む年頃なので、たくさんのカウンセリングをしてきました。僕で良ければ話を聞きますよ。」と優しい声で話しかけると、前日の堀川とのしこりが残っていた田島は
「わかりますか。少し落ち込んでいて。さすがは長年先生をしてきた方ですね。私なんかまだまだ子供なんでしょうね。実は昨晩、付き合っている人ともめたんです。私は早く結婚したいんです。もう28だから。でも彼はこの世界で出世することを願っていて、そのためには大きなお寺に婿入りしたいみたいで、私の家は兄が継いでいるし、条件が合わないんです。だから別れ話をしているんですけど、ずるずる引きずってしまって。」と言って涙ぐみ始めた。杉下は
「それって先日の式務部の彼ですか。」と言うと彼女は黙ってうなずいた。
そして彼女は涙を拭いながら気を取り直して
「ごめんなさい、こんな話。杉下さんには関係ないですよね。お父さんみたいなお年の方だから話しやすかったのかな。でも忘れてください。」と言って事務所の中に入って行ってしまった。杉下は田島の気持ちに寄り添って考えたが、相手の男性の気持ちも分かるような気がした。




