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高音の響き

研修が始まると指導員たちはさらに厳しく当たって来た。特に作法については10日間で徹底的に教え込むつもりらしい。指導員も生徒と同じように僧衣に身を包み、作法に反しないように得体を整えている。基本の得体えたいである布袍、輪袈裟、単念珠は下に着る白衣と半襦袢の襟元が崩れないように白衣の着付けを厳しく言われた。全員が起立する中、指導員たちが一人一人の得体を確認した。襟元の乱れはないか、白衣の長さは足首まで隠れているか、輪袈裟を表裏前後反対にかけているものはいないか、単念珠を左手に持ち正座する時の姿勢は正しくできるか、合掌礼拝の時の手を合わせた手首がみぞおちあたりにくっついているか。チェックポイントは非常に多くあった。しかも日常のスタイルではなくお経をあげるときのスタイルである黒衣こくえ五条袈裟ごじょうげさ双葉念珠ふたばねんじゅになるとさらにチェックポイントは増えた。特に五条袈裟の大威儀おおいぎ小威儀こいぎの結び方は何回やってもうまく出来なかった。きちんとできるようになったのは4日目あたりからだった。それまでは毎回同室の小竹君に教えてもらい繰り返し練習してようやくできるようになった。


 この11日間の習礼の間、生活を共にしながら私たちに接してくださる指導員の皆さんは10人位いらっしゃったが、男性が6人、女性が4人の体制だった。宿直として泊りの人は交代制だったが、ほとんどの人が夕飯が始まる午後7時ごろまでは帰らずにいたように思う。そんな中で女性指導員は若くて美しい方が何人もいたのでびっくりした。名札で確認したのだが、その中でも田島栄心さんと小谷清香さんは目鼻立ちもきりりとして若くて美人だったので、杉下は気になっていた。

 毎朝、晨朝勤行じんじょうごんぎょうと言って朝食前にお勤めをするのだが、研修センターでは班ごとに役割を決めて一連の勤行を行う。その時、指導員たちは気が付いたところで止めて注意をするので、正信偈から御文章まで30分ほどで終わるはずの勤行だが90分近くかかるときもあった。

 2日目の晨朝勤行は杉下たち4班が担当だった。杉下は勤行のはじまりを知らせる鐘を叩く役割になった。指導員からは「7・5・3」とだけ教わった。班のメンバーにお寺勤めの人がいて教えてくれたのだが、はじめ7回ゆっくり叩き、次に打ち上げと言って小さい細かい音からだんだん大きくてゆっくりした鐘の音で頂点を作り、今度は打ち下ろしていく。次に一定間隔で5回たたき再び打ち上げと打ち下ろし、最後に大・小・大の3回たたいて終了だが、その間に御本尊である阿弥陀様の須弥壇しゅみだんの後ろにある後門ごうもんから調声人をはじめとする結集けっしゅうたち6人が入ってきて着座する。しかし、この一連の動作にも細かな作法が存在し、指導員の注意でなかなか進まない。

 柄奉行えぶぎょうという全体を取り仕切る役割の人の合図で杉下が鐘を叩くと結集たちが静かに真剣な表情で歩き始めた。

「左足から」と指導員の大きな声が飛んだ。前進するときは左足から、後退するときは右足からと作法で決まっているのだ。

 後門の2段の階段を上がるときには両足を揃えてから左足を上げ、再び両足を揃えて次の段にのぼるのだが

「一段ずつ足を揃えなさい。」と若い指導員の声が飛ぶ。そのたびに60代の生徒たちは

「すみません。」と頭を下げ元に戻ってやり直す。

「謝らなくていいからきちんとやって。」と檄が飛ぶ。

ようやく後門から内陣に入ると、脇壇の親鸞聖人の前を通るときには立ち止まって一揖いちゆうしなくてはいけない。また脇壇前で向きを変え前進すると須弥壇の阿弥陀様の横を通るのだがそこでも一揖しなくてはいけない。頭の中が真っ白になっている60代の生徒たちは左足から出すことだけで精一杯であるが、

「阿弥陀様の横を通るのに一揖することも忘れるの?」と厳しい指導員の声が生徒の心に刺さってくる。間違えたことに気づいて後ろに下がろうとすると

「後ろに下がるときは右足から。」と踏んだり蹴ったり状態に陥る。

 ようやく結集たちが自分の席に着座しようとすると

「座るときの作法は教えたでしょう。」と言われる。座るときはまず両ひざをついて右ひざを中心に入って来た方向にお尻を向けてくるりと回って着座するのだ。正座すると今度は中啓という扇子を膝の前に真一文字に置き左手に持っていた念珠を両手で持ち直し両手の親指を手のひらの中に隠して正座の姿勢を取る。ここでも

「正座の姿勢」

「背筋を伸ばして」

中啓ちゅうけいの向きを揃えて」と厳しい言葉が続く。

 ようやく調声人役の小竹君が鐘を鳴らして正信偈が始まる。

「帰命無量寿如来」と一行目を始めると若い女性の指導員が

「音が低いです。レの音です。」と言ってエレクトーンのある所へ行き、レの音を出して

「この音です。もう一度最初から。」と叱咤する。小竹君は音を確かめながら

「帰命無量寿如来」と再スタートした。

指導員の女性は田島栄心さん。年齢的には20代後半というところ。マスク越しなので表情は読み取りにくいが、眼ははっきりとした二重で整った配置で、小柄で細身のかなりの美人に見える。エレクトーンでレの音を一定の間隔でリズミカルに弾いてくれている。そのリズムに合わせて全員で正信偈の続きを唱和していく。しばらくするとだんだん音が下がってきた感じがしてきた。しかしみんなと合わせて読経していると田島さんが

「また音が下がってますよ。ここは善導獨妙・・・」と少し高めのソの音を基本にしたところをエレクトーンで音階を取りながら高音の裏声で伸びやかに発声して見せた。

杉下は心の中で「この人、合唱経験者だな。発声法がしっかりできている。」と思った。杉下は50歳くらいから地域の合唱団に所属して合唱を楽しんできていたのだ。メンバーの中に見事な発声法で高音を伸びやかに出せる人が何人かいたが、その声に田島のは似ていた。杉下自身はその発声法が苦手だったし楽譜を読むことも苦手だったが聞くことはだいぶ出来るようになっていた。

 その後も時間がたつにつれ正座で足が痛くなってもぞもぞしていると

「もぞもぞ動くなって言ってるだろ。お葬式で僧侶がもぞもぞ動いたら遺族がどう思うか考えなさい。」と田島指導員が語気を強めて指導してきた。きれいなお顔で優しそうなのに言葉遣いも日が経つにつれてやや荒っぽくなってきた。

 いろいろと指導されて今日の晨朝勤行はほぼ90分かかり、終了したのは8時30分近くになってしまった。練習終了後、本堂をあとにするときに杉下は田島指導員に声をかけてみた。

「田島指導員は学生のころ音楽をやられていたんですか。声が素晴らしいですね。」すると田島指導員は優しそうな笑顔を取り戻して

「6年前に大学を卒業するまで合唱部に所属していました。音楽は小さいころからピアノを習っていましたから大好きです。」と宿泊棟に向かって歩きながら眩しい笑顔で答えてくれた。杉下はすかさず次の質問を投げかけた。

「ご実家はやはりお寺ですか。」とおじさんのいやらしい質問にならないように気をつけながら世間話の感じで聞くと

「はい、愛知県の金剛寺と言うお寺です。でも、兄がいますのでお寺は私が継ぐわけではありません。」と聞いてないことまで話してくれた。杉下は頭の中で6年前に卒業という事は28歳くらいだなと瞬時に計算した。歩きながらの会話だったが多くのことを聞けたことにかなり満足していた。毎朝、5時半に起きて5時50分に朝礼をして6時から20分間清掃奉仕があり、本堂で勤行のため御香や仏飯を供したり準備をし、7時から勤行がスタートするのだが、朝食の予定は8時からである。既に30分遅れてしまった。しかし食堂へ行って見ると他の会場で勤行の練習をしていた班はまだ来ていなかった。どの会場でも厳しい指導が続いているようだった。「こんなことならもう少し彼女の話を聞けたかな。」と少し後悔もした。


 夕方は5時から日没勤行があった。この勤行では1周忌や3回忌といった仏事に行われる仏事勤行とお葬式の時の葬場勤行の練習が行われた。この勤行では独特の節回しの難しいお経があげられる。高音の発声が要求され拍も独特で、書かれている記号で拍と音階を正確には示されていないため、耳で覚えることが大切になった。

 その日の日没勤行では指導員が小谷清香という若い女性が指導にあたった。葬場勤行の最初が三奉請さんぶじょうというお経で出音はラの音だがそこからさらに高くなる部分がある。みんな音を取れずに苦しんでいたが、小谷指導員はエレクトーンを使いながら音を確かめさせ、それでも音を取れなかったり拍が取れない研修生がいるので、小谷指導員みずから自分で発声して見せた。

「みなさん、ここはブージョウーミイダーアーとなります。」と美しい歌声を聞かせてくれた。杉下は「小谷指導員も合唱経験者かな。高音の伸びがすばらしい。正確な音の取り方は絶対音階を持っているように感じるし、機械のように正確に拍を取れるのも小さいころから音楽に接してきたからだろう。幼いころからピアノを習ってきたのかな。」と感じていた。小谷指導員も小柄だが黒衣に身を包み僧侶としてきりりとした雰囲気で目鼻立ちが美しく、マスク越しだが美人であることは間違いなかった。練習終了後、杉下は小谷指導員にも声をかけた。

「素晴らしいお声ですけどやはり学生時代は合唱とか吹奏楽とかやられていたんですか。」と聞いてみると指導員としての顔から一人の若い女性の表情に変わり

「はい。龍谷大学で合唱部に所属しておりました。」と飛び切りの笑顔で答えてくれた。杉下は女性の扱いが飛び切り上手なわけではなかったが、教員生活でも職員室で女性教員の人気者であった。それで多少は慣れていたのだ。廊下を歩きながら彼女をさらに褒めた。

「やっぱりね。高音の伸びと正確な拍の取り方は音楽をやっていらっしゃった方だと思いました。田島指導員も音楽をされていたとお聞きしましたが、小谷指導員と一緒にやられてたのですか。」とかまをかけてみた。すると彼女も

「田島指導員は私の3つ上の先輩です。2人ともソプラノパートでした。大学時代は定期演奏会とかでいろんなところをまわっていたので楽しかったです。」と多くの情報を流してくれた。小谷指導員は田島指導員の3つ下ということは25歳ということだろう。


 夕食後、30分ほどの休憩時間に同部屋の小竹君にこの情報を伝えると

「田島さんが28歳で小谷さんは25歳ですね。みんな若いと思ってたんですよ。小谷さんの出身地は山口県です。実は朝の勤行の後、杉下さんが田島さんに話しかけていたから僕も話しかけたくなって小谷さんに声をかけたんです。そしたら山口県のお寺の一人娘だって言ってました。」と情報を教えてくれた。杉下はお寺の一人娘という事は養子さんを迎え入れないとお寺が衰退してしまうので、お父さんやお母さんは随分心配しているだろうなと推察した。


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