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泰然

山口から京都に帰ってきた林田は数日の裏付け捜査の後、事件の関係者を西本願寺阿弥陀堂に集めた。阿弥陀堂は巨大な木造の建物で、大きな柱は何本か立っているが、美しい畳が千畳以上敷き詰められた浄土真宗信者の信仰の中心地である。その中心付近の阿弥陀様の前に京都府警の林田、捜査に協力した杉下、僧侶養成部の小谷清香、式務部の堀川康照、山口県から浄土寺の小谷泰然の5人が集まった。泰然には遠いところではあるが、事件の真相について説明するからということで、わざわざ来てもらった。

5人が阿弥陀様の前で輪になって座ると、まず堀川が

「林田さん、今日は何で私たちが集められたんですか。」と迷惑そうに話した。その表情からは、明らかに時間の無駄だから早く終わってほしいと言っているように見えた。林田は

「まあ、ちょっと待ってください。ようやく捜査がひと段落着いたので、みなさんにお集まりいただいたんです。場所をどこにしようかと思ったんですが、みなさんになじみが深い阿弥陀様の前で、阿弥陀様にも聞いていただいたほうがいいと思い、ここにさせていただきました。まずはみなさん、阿弥陀様に手を合わそうじゃありませんか。」と言って御本尊が安置された須美壇の正面で正座し、手を合わせ礼拝した。その姿に合わせて集まった関係者4人も手を合わせた。しかしここに集まった関係者は林田以外は全員僧侶であり、得度経験者である。林田が先導して合掌するのもおかしな感じがしたが、林田は彼らに主導権を与えたくなかったのである。

 全員が正面を向いて座っているまま林田は立ち上がり、阿弥陀様に背を向けて話し始めた。

「田島栄心さんが絞殺された事件は背景に全国のお寺の後継者問題があります。少子化でどのお寺も長男と長女が多くなり、長男が生まれたお寺は幸いですが、女の子しか生まれなかったお寺は婿探しが大変な課題になります。小谷さんのお寺、山口市の浄土寺でも大変な問題になり、小谷さんは山口に帰るたびに、お父さんやお母さんから責められたのではありませんか。山口を代表する大きなお寺なんですから。」と問いかけると小谷清香は

「たしかにそうですけど、誰もいなくなったら誰かほかの人に入っていただくということもあります。現に本願寺を通じて他の方に入っていただいているお寺は、全国にいくつも存在しています。」と現状を話した。しかし林田は落ち着いて

「では小谷さんは堀川さんと田島さんの暗号には気が付いていましたね。6月10日の事件当日の晨朝勤行でも、暗号が交わされたことは知っていましたね。だから小谷さんは田島さんを尾行してホテルまで行き、ロビーで座って待っていたわけですから。では堀川さん、6月10日はあの落音の箇所で暗号を発しましたか。」と堀川に聞くと

「あの日は式務部の会議が夕方から入っていて、行ける日ではなかったので、私は落音を正確に発して、ホテルに行けないことを田島さんに送ったつもりでした。」と証言した。それを聞いた林田は想定通りだったので

「そうですよね。先日堀川さんの所へお伺いして、そのことはお聞きしていました。では誰がその落音をしたのでしょうか。あの場所で4分の1の落音を聞きわけられるのは田島さんと堀川さんと小谷さんしかいなかったはずでしたね。でも我々は山口に出張して、聞き分けられる人物がもう一人いることを確信しました。」と事件の核心に迫るところまで話が進むと堀川も小谷も新しい事実に驚き、顔色を変えた。林田はさらに続けて

「泰然さん、あなたはお寺の山門前に25年前に置き去りにされた赤ちゃんでしたが、浄土寺で育てられ、その後生まれた小谷清香さんとは同じ年齢で仲良く育ったそうですね。」というと泰然が

「まあ、そうです。兄弟同然に育てられましたから。」と言葉を選びながら話した。しかし林田は追及の手を休めず

「山口の浄土寺でお話を聞いた私たちも、そんな印象を得てそのまま帰ろうとしたんです。でも寺の台所係の小林さんのお話を聞いて、泰然さんの過去を調べてみる必要があると感じたんです。元中学校の校長先生で、事件直前、最後に田島栄心さんとお話をした杉下先生にも捜査に協力していただきました。専門家として先生のご意見を頂いて、2人の関係性について相談させていただき、さらには一緒に山口まで来ていただきました。」と言うと、そこからは杉下が

「私は事件があった6月10日の前にも田島さんから悩みを打ち明けられていたんです。堀川さんとの結婚を考えているけど、堀川さんは大きなお寺の婿養子を望んでいて、このままお付き合いを続けるか、はっきりと分かれるか悩んでいたんです。それで6月10日、事件の直前、彼女は『しっかりと話し合ってきます。』と言って研修所を出て行きました。その時の彼女の苦しそうな笑顔を私は忘れられません。それでこの事件の協力を承諾したんです。ちなみに私は37年間、中学校で教員をしてきました。中学生や高校生の仲間というのは、外から見た関係性と本当の関係性は、かけ離れていることが多いものです。仲のいい友達グループに見えて、実際には上下関係があり、主従関係に発展していて、内部で激しいいじめが行われるというのは、よくある事です。仲のいい兄弟のように見えていても、実子である清香さんと、捨て子で養子として育てられた泰然さんの関係ならば、実際は清香さんの命令に忠実に従う、奴隷のような関係が成立していても、不思議ではありません。」と証言してくれた。

「有難うございます。杉下先生のお話を聞いて、私たちは泰然さんに疑念を抱いたんです。そして小学校や中学校の同級生を探し出し、お二人の過去を調査させていただきました。するといろいろな情報を手に入れました。」と言って手帳を広げ始めた。

「小学校の同級生、長谷川順子さん。ご存じですね。長谷川さんと小谷さんは中学時代に同じ男の子を好きになってしまったことがありましたね。でも長谷川さんはその男の子から別れを告げられたらしいんです。直前に長谷川さんの悪いうわさが流れて来て、その男の子は長谷川さんとのことを諦め、小谷さんを選んだんだそうです。そしてそのうわさを流していたのが泰然さんだということをみんなが噂していたんだそうです。おかしな話なんですが小谷さんと争いごとになると泰然さんが出て来て邪魔をするのは子供の頃から何回もあったから、周りのみんなは争いを避けていたそうです。つまり小谷清香さんの思いを遂げるために陰で泰然さんが暗躍したということでしょうね。それから小学校の同級生で市橋信子さんを知ってますね。彼女の話では小学校の6年生の時に連合音楽会の合唱でピアノ伴奏をだれがするかでもめたことがありました。吉川さんと言う子が先生に選ばれたけど、納得いかない清香さんは先生に訴えたということです。しかし下校途中でその吉川さんが坂道で転んで手を打撲して、ピアノ伴奏は清香さんに落ち着いたそうですが、吉川さんの話では誰かに押された気がしたそうです。この時も泰然さんが押したんではないかと噂になってます。他にも聞きました。高校の同級生で漆原洋子さんを知ってますね。彼女は文化祭の劇で主役を小谷さんと争ったそうですが、オーデションの前日、男の声で脅迫されたそうです。その時も泰然さんが絡んできたのかなと、すぐに感じたそうです。結局、主役は清香さんに譲ったと言ってました。きっと保育園時代から同じような出来事はたくさんあったんでしょうね。そのたびに欲しいものを手に入れてきた清香さんは、それが当たり前になり、我慢するとか諦めることが出来なくなり、泰然さんに頼んで裏でアシストさせているうちに、彼を隷属させて命令に従うようにしていったのでしょう。」と2人の関係を説明した。しかし清香は激高して顔色を変え、

「そんなの子供の頃の話でしょ。だからと言って私たちが犯人というわけではないと思います。私はそんなことを頼んだ覚えはありませんし、みなさんが泰然を犯人だと言うからには、何か確かな証拠をお持ちなんですか。」と厳しい声を上げた。林田は

「ホテルの部屋は密室なので犯行を裏付ける物的証拠は難しいです。しかし泰然さんの写真を頂いてホテルのロビーの防犯カメラで確認したら午後6時ごろにはロビーに入ってくるところが映っていましたし、午後12時ごろには泰然さんが出てくるところが映っていました。それだけでも十分な証拠なんですが、6月10日の西本願寺の晨朝勤行が行われた朝6時前の西本願寺正面の防犯カメラも確認しましたら、私たちの予想通り泰然さんが映っていたんです。しかも泰然さんは、子供の頃から清香さんと一緒にピアノのレッスンもしてきたし、歌のレッスンもしてきた。しかもお経は寺の中でも最も上手に上げられるというじゃありませんか。そんな泰然さんは堀川さんと同じくらい4分の1の落音を表現できるんじゃありませんか。あの6月10日の暗号は堀川さんではなく泰然さんが発して、その音を田島さんが聞いた。泰然さんは事前に小谷さんから田島さんと堀川さんの関係について聞いていて、暗号を仕掛ければ田島さんがホテルに来ることをよくわかっていたので、ホテルでいつもの部屋を予約し、部屋の中で待ち構えて犯行に及んだんですね。泰然さん。」ときっぱりと犯人とその手口を明らかにした。


 6月10日19:00、セイワロイヤルホテル京都四条烏丸812号室

 この部屋は堀川と田島が毎回利用していた部屋である。しかしその日の部屋の中には泰然が潜んでいた。この部屋の予約は泰然が事前に電話で堀川から頼まれたと言っていつもの部屋を頼むと予約したのだ。チェックインするときは地下鉄で知り合った高校生に代理でカードキーをもらって来てもらい、バイト代を払った。受付の従業員との接触を避けたのだ。泰然は前日には京都に入っていて、朝6時からの西本願寺の晨朝勤行に出て、堀川の代わりに4分の1音だけ落音させて田島栄心を騙している。その時に田島の顔は確認している。そこから夕方まで時間をどうやってつぶしたかは分からないが、ホテルのチェックインの方法については頭を悩ませただろう。

 部屋に入った泰然は田島が時間通りに来ることを信じて、時間が近づくと息をひそめて待っていた。すると時間通りに部屋のチャイムが鳴った。泰然は部屋のカギを開けて、チェーンも外すとドアの裏に隠れて田島が入ってくるのを待った。それは一瞬だった。泰然は用意したハンカチにクロロホルムを染み込ませて、入って来た田島栄心の背後から、口にそのハンカチを右手で充てて、左手は彼女の手を暴れないように抑えた。彼女は気絶してその場に倒れた。泰然はドアのカギをしっかり掛けると彼女を部屋の奥に引き込みうつぶせに寝かせ、今度はカバンの中に用意したロープを出し、背中の上に馬乗りになって、首の上からロープを回すと、ロープを交差させ両手で強く締め付けて彼女の息の根を止めた。

 泰然は始めは表情を変えなかったが、時間が経つにつれ顔に汗を流し始め、どれくらい締め続けたか自分でもわからなくなってしまった。完全に息もしていないし呼吸もしていないことを確認して、部屋の中の証拠を残さないように丁寧にチェックして、部屋を出てエレベーターに乗った。1階まで降りてエレベーターを出ようとした時、ロビーのソファーで座っている清香に気が付いた。泰然はエレベーターのドアを閉めるボタンを咄嗟に押して、もう一度8階まで戻り、先ほどの部屋に戻った。部屋の中には田島の死体がうつ伏せのまま横たわっている。そこから5時間、泰然は田島栄心の死体と一緒に部屋の中に閉じこもり、清香が帰るのを待っていた。部屋を出たのは12時頃だった。


林田の推理を聞いて全員が泰然に間違いないと納得したが泰然は顔色を変えず

「僕は子供の頃から清香の影なんです。日向で光り輝く清香を支え続けてきました。捨て子であった私を愛情たっぷりに育てていただいた両親の願いにもこたえなくてはいけません。清香が京都に行ってからは毎日夜12時からパソコンで顔を見ながら話していました。堀川さんとの出会い、堀川さんが田島さんと付き合っているけど、小谷家の浄土寺に婿養子に入りたいと思っていること、さらには田島さんとの暗号に清香が気づいたことなど、毎日聞くうちに、清香にためになりたいと考えるようになりました。犯行はすべて僕が単独で行いました。清香はこのことは知りません。犯行後にホテルを出るときも、最初はもっと早く出ようとしたんですが、ロビーまで降りた時、清香がいることにびっくりして、すぐに部屋に戻りました。田島さんの死体と一緒に5時間いることはさすがに怖かった。12時近くになって、清香に携帯電話をかけたら、もうマンションの部屋にいるということだったので、ホテルを出ました。」と犯行を自供した。林田は確認のために小谷に

「小谷さん、田島さんを殺してほしいと、泰然さんに頼んではいませんか。殺害を依頼していた場合は、殺人教唆の罪になります。」というと清香は

「私は頼んではいません。毎日そのパソコンでのやり取りで、状況は話していましたが、殺してほしいなんて恐ろしいことは頼めません。だって泰然は子供の頃から兄弟のように育ってきたんですよ。そんな泰然に罪を犯させるなんて出来っこありません。」と涙ながらに否定した。阿弥陀堂には入口で待機していた京都府警の刑事たちが入ってきて、泰然を逮捕して連れて行った。

4人だけが残された形になったが、杉下が口を開いた。

「長い間の主従関係で泰然さんは清香さんがどんな思いでいるのか、どうして欲しいのか分かるようになっていたんでしょうね。所謂、忖度というやつでしょうね。長期にわたり上下関係が維持されると、部下が上司の思いを推測して、上司の指示を待たずに行動を起こす。県庁や市役所でよく起こりうる話です。」と2人の関係性を説明した。林田が続けて

「忖度ですか。保守政治の長期化でそんな言葉がニュースになりましたね。でも僕はそれだけではないと思います。やっぱり泰然さんは清香さんのことを、愛していたんだと思います。物心ついた時から常に隣にいて、すべてを知りつくした仲間ですが、離れることが出来ない存在になっていた。そんな愛する相棒を、堀田さんに渡すことは耐えられなかった。だからあえて今回の事件を起こし、スキャンダルを作り、結果、小谷清香の結婚を阻止したんではないでしょうか。そんなゆがんだ愛情も彼の成育歴から考えると、考えられる気がしてきました。」と述べた。しかし杉下は

「私は泰然君は本当は堀川君を殺害したかったんじゃないかとも思いました。血のつながりがないからこそ、小谷清香さんと結婚して浄土寺を継ぐのは、出来れば泰然くん自身がなりたかったんだと思うんです。しかしそれもかなわない夢であり、無謀な道を選んでしまった。そんな風に思えてなりません。」と言葉を続けた。

 清香と堀川に対する嫌疑は完全に晴れたわけではないが、起訴されることはなかった。田島と堀川の間で行われていた暗号は、自分たちの墓穴を掘ってしまったが、西本願寺阿弥陀堂で毎朝行われる晨朝勤行の正信念仏偈は、今日も厳かな音を響かせている。(完結)

 

 


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