表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

1、得度習礼

 6月6日、得度習礼初日、阪急桂駅に降り立った杉下は重い荷物を転がしながら駅舎を出ると、雨が降る中を西本願寺西山別院を訪ねた。8時前には西山別院の敷地に入ったが研修センターの入口がわからなかった。大きな敷地に本堂らしき建物と事務所らしき建物が見えるが、得度習礼の看板一つ見えない。お坊さんの資格を取るために修行に来ているので、歓迎される立場ではないことはわかっていたが、最初から厳しい洗礼を浴びていた。傘をさして大きな荷物を転がす受講者らしき人がちらほら見え、みんな同じように集合場所を探していた。杉下は昨年の3月まで石川県の中学校で校長をしていた。父がやっていた村の道場役を引き継ぐために定年を待ってこの得度習礼に参加したのだ。

 ようやくその中の一人が入口を見つけて入っていくのを見て、栄吉も近くに寄って行き同じように入っていった。研修センターの最初の印象は最悪だった。後でわかるのだが対面所という部屋の横開きのガラス戸を4枚ほど全開にして、その前に目皿を並べ、下足を袋に入れて中に入らせた。そして各自が持って来たぞうきんで、雨で濡れた荷物を拭かせていた。数人の指導員らしき若い僧侶が大きな声で、研修生にこれから始まる研修はこんなもんではないぞと教え込むように厳しい声を出している。栄吉もみんながやっている様子を見ながら、必死に無作法がないように気をつけながら丁寧に作業し、荷物をぞうきんで拭き上げた。受付と書いてあるテーブルに進み名前を告げ、壁に張り出された表を見て自分の班と部屋番号を頭に入れ奥に入っていった。

「杉下栄吉 石川教区 4班 2-7」

何のことかわからなかったが、4班で部屋が2階の7号室という事だろう。重い荷物を抱えて2階まで上がり、部屋の前に張られた各部屋の名簿を見て廊下を進むと、奥から2番目の7号室に自分の名前を見つけた。恐る恐る戸を開けて中に入ると壁に張り紙があり

布袍ふほう輪袈裟わげさに着替え単念珠たんねんじゅを準備して部屋で待つように」という指示が書いてあった。布袍とは何なのか、輪袈裟とはどの小物なのか。よくわかっていなかったので呆然としていると、ドアを開けて同室の若者が入って来た。

「こんにちは。広島から来ました小竹雄二です。よろしくお願いします。」と挨拶してきた。がっちりとした体格のスポーツマンらしき青年だった。

「福井から来た杉下です。よろしく。」と答えた。

「布袍ってどの服の事かな。」と聞き、2人してそれぞれの荷物を開けて黒っぽい衣装を出した。ふたつを比べてみたが小竹君が言うには

「確か、後ろにひらひらとしたひだがあるのが黒衣です。ひだがないのが布袍だったと思います。」という事だった。まだ携帯電話を持っていたので彼が検索して確かめてくれた。

壁には写真が張られていて得体えたいの揃え方が図示されていた。それによると得体を入れておく箱には一番下に俗袴、その上に黒衣、一番上に五条袈裟を置くとなっていた。お坊さんの世界では袈裟は大事なもので、必ず一番上に置くのだそうだ。写真のように常に次に着る得体を揃えて準備することは、その後いかに大事かが思い知らされることになっていく。

布袍と輪袈裟、単念珠は基本的な生活スタイルで、その後講義を聞くときも奉仕作業をするときも食事をするときもこの基本形が用いられた。その姿で部屋で待っていると指導員が現れ、

「携帯電話やゲーム機など通信機器をお持ちの場合は預けてください。」と言って大きな籠を差し出した。杉下はカバンに入れていた携帯電話の電源を切って籠に入れた。完全に世間から切り離されて、無人島に来たような状態になった。


9時になると全員が西山別院の本堂に集められて入講式が始まった。どこのお寺でも大きなお寺であれば本堂があり、立派な阿弥陀如来の須美壇すみだんと親鸞上人と蓮如上人の脇壇わきだんがある。この西山別院の本堂は大変立派な本堂で、西本願寺が現在の阿弥陀堂を建設するときに臨時の阿弥陀堂を建てていたが、本堂が完成したので使わなくなった臨時阿弥陀堂のものがここに移築されたと説明していた。

御本尊を前に全員が班ごとに整列して研修所の所長の話や僧侶養成部の部長の激励の挨拶などを聞いた。その後、指導員たちの自己紹介と説明事項が続いた。指導員たちは意外と若い人が多いという印象を受けた。後に知ったのだが西本願寺に就職した若い僧侶たちは全国各地の大きなお寺の御子息たちなのだが、その配属先の一つがこの僧侶養成部で、この西山別院の研修センターで指導にあたるらしい。彼らは若いが既に僧侶の資格も布教師の資格も住職としての資格も取得済みの仏教界のエリートなのだ。杉下は時間と共に正座が長くなってきたので足が痛くて話が頭に入らなくなってきた。


意識が飛びそうになりながら何とか入講式を終えると再び宿泊棟の部屋に戻った。荷物の中から筆記用具を持って研修センター2階の大研修室に入ると座席指定がされていて、座席の右前には名前が書かれていた。名前を探して着席するとオリエンテーションが始まり、周りを見渡すと同じ班の人たちが近くに揃っていた。自分とよく似た年齢の人たちが多い印象を受けた。男性の中には20代の人や30代の人もいたが、中心は仕事を定年退職したあたりの60代が多い印象だった。3日後くらいに聞いたのだが、同室の小竹君は39歳だと言っていた。お寺とは無縁の家に生まれ、大きな会社で勤めているが、結婚した相手がお寺の一人娘だったのだ。結婚後しばらくは2人だけで住んでいたが、義理のお父さんから懇願されて得度することになったらしい。お寺の跡継ぎがいないという時代に希少価値の好青年だという印象だ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ