第73話《毒と祈り、再び》
毒は、人を蝕むだけではない。
それは、人と人の“祈り”の繋がりを裂き、
静かに崩壊させるもの。
それでも──
信じるという祈りだけは、
誰にも侵せない。
──アマリカム。
民の間に広がる噂は、
すでに“日常の言葉”として根付いていた。
「この国の神様は、本当に私たちのために祈ってるの?」
「もう、信じることに疲れた……」
情報網は沈黙し、各地の“祈りの流れ”が弱まっていく。
それはまるで、血流を断たれた身体のようだった。
イサナは政庁の祈り殿で、
静かに掌を合わせていた。
(これは……アルズマの毒。
人を染める毒じゃない。“祈り”そのものを腐らせていく毒だ)
そのとき、祈りの刃──キサトがふと震えた。
「……聞こえるよ、イサナ」
剣から届くのは、かつてヒユだった少女の声。
それは、時の神殿の深奥で、
すべての記憶を抱き続けていた“祈りの器”の声だった。
「あなたの“祈り”は、まだ揺らいでない。
でも、外の世界は……少しずつ色を失っている」
イサナはゆっくりと目を開ける。
「なら──もう一度、祈るよ」
その瞬間、政庁の床が軋んだ。
黒い靄が立ち上り、
再び“あの男”──アルズマが現れる。
「もう手遅れだよ、イサナ」
仮面の奥、乾いた声が響く。
「民は、考えることを諦め、
“簡単な祈り”にすがりはじめた。
誰かに委ねるほうが、楽だからね」
イサナは剣を抜く。
キサトの祈りが、光となって刃に宿っていた。
「そうかもしれない。でも、
“楽”であることと、“信じること”は違う」
アルズマが微笑む。
「面白いね。なら証明してみるといい。
“腐った祈り”は再生できるのか──」
刹那、アルズマの背後から、
影のような祈りが幾重にも伸びる。
その影に、政庁で働く者たちが一人、また一人と捕らわれていく。
「やめろ……!」
イサナが走る。
その刃がひとりの少女の祈りに届くと、
光が広がった。
──信じるという祈りは、
他者に強要するものではない。
ただ、そっと隣に立ち、
一緒に祈ることから始まるものだ。
光の中、少女が震える手を合わせた。
「……もう一度だけ、イサナ様を信じてみたい……」
その瞬間、黒い影が砕けた。
アルズマの瞳が細まる。
「……なるほど。祈りとは、伝染するものでもあるんだな」
イサナは息を整え、刃を収める。
「信じるという“選択”を、誰にも奪わせない」
キサトの声が、剣の奥から響く。
「私も、そう思うよ──イサナ」
黒き毒は、まだ世界に残っている。
だが、それを上回る“祈り”が、今ここにあった。
アルズマがもたらした“毒”は、祈りそのものを腐らせていく。
人々の中に入り込み、
信じることに疑問を抱かせ、
誰かと祈りを交わすことすら、怖れに変えてしまう──
だがイサナはその毒の中で、
キサトの剣と共に“信じるという祈り”を手放さなかった。
民のひとりが、それに応えて手を合わせた瞬間、
毒の支配が揺らぎ、世界に再び光が差し込む。
とはいえ、アルズマそのものは、まだ消えてはいない。
この毒の本体に、祈りは届くのか──
それとも、闇はさらに深く、世界の祈りを飲み込んでいくのか。
次回【第74話:闇に棲む毒、祈りの光】
→イサナとキサトの祈りが、ついにアルズマの核へと届く。




