第5章「再出発」その5
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「高良田先生」
多くの教員が出払っている中、ぽつりと座っていた生活指導の高良田に声をかけた。高良田は、奴にしては珍しく驚きの表情を浮かべ、こちらへやってきた。
「秋月……!」
「先生お久しぶりです。最後に先生にも挨拶をしておこうと思いまして」
「そうか、分かった。ちょっと来なさい。場所を変えよう」
俺は、高良田と共に別室へと移った。最後くらい、立ち話ではなくきちんとした形で話しておきたいから、時間をとってくれてありがたかった。まさか高良田と別室に行くことに喜びを覚える日が来るとは、夢にも思わなかった。
「入りなさい」
高良田に促されて入ったのは、以前吉崎と一緒に説教を受けた応接室だった。この部屋には退学のさいにも入ったが、いよいよこれで最後となる。俺はソファーに座った。高良田も向かい側に腰掛けた。
「秋月、お前、通信の方は卒業できたんだろうな?」
「はい、もちろんです。大学も決まりました」
「そうか、そうか。それはよかったな」
「先生、お世話になりました。先生には色々なご迷惑をおかけしました。途中で辞めてしまったのでこういう言い方は変かもしれませんが、3年間ありがとうございました」
「お前は手のかかった生徒だったよ。なにせ3年の2学期になって急に問題を起こし始めたからな。手のかかる奴というのは大抵1年生の入学したての頃からひどいものだが、お前の場合、3年の1学期までは大人しかったからな。こう、急に問題行動に走る生徒というのは珍しい」
「その節はご迷惑をお掛けしました。僕も色々こじらせていたので……」
「まぁ、なにはともあれ無事高校を卒業できたのだからよかった。おめでとう」
「はい、ありがとうございます」
「大学生になったら、羽目を外しすぎるなよ」
「はい、気を付けます」
短いやりとりであったが、そこが口数の少ない高良田らしい。俺たちは応接室を後にした。職員室の前まで戻ると、俺は高良田に最後の挨拶をした。
「先生、今までありがとうございました」
「頑張れよ」
「はい。さようなら」
こうして、俺は園木高校をあとにした。これでもうこの学校でやり残したことはなにもない。校門を出て、駅に向かいながら、俺は吉崎にメールを送った。もし吉崎の時間さえあれば一緒に行きたいところがあるからだ。返信は間もなく来た。合流することは可能ということで、俺は高校の最寄り駅で吉崎を待った。15分もすると、吉崎が現れた。
「お待たせ。それで、どこへ行くの?」
「あぁ、会ってもらいたい人がいるんだ。時間はだいぶかかってしまうんだけど、いいか?」
電車で移動すること約2時間。到着したのは、のどかな田舎町。そこから歩くこと10分。巨大な県立公園にたどり着いた。川に隣接しており、河川敷に沿ってさらに歩く。すると、ススキが鬱蒼と生い茂る地帯が見えてきた。そしてそこには小屋がぽつんと建っていた。見ると、老人がなにやら作業をしていた。俺はその人に遠くから声をかける。
「菅間さん!」
「ん? おお、駆!」
俺の声に気づくと、菅間さんは手を振り返してくれた。
「あれがお前に会わせたい人さ」
俺は吉崎に言った。
*
「あんたがはなれか。駆から話は聞いているよ。俺は菅間、仲間からはスガさんと呼ばれている。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
吉崎と菅間さんはお互いに挨拶をする。菅間さんには吉崎の話をしてあるが、吉崎からしてみれば菅間さんは完全に初めての人だ。吉崎は自分が何故この場に連れてこられたのかいまいち理解できていない様子だった。俺は菅間さんとの関係について一から話して聞かせた。
「それにしても駆、お前も隅に置けないな。こんなべっぴんさんなんか連れてきてよ。お前たち、もうコレなのか?」
菅間さんは右の小指を立てて薄ら笑いを浮かべている。俺は吉崎の方を見ないようにしながらとっさに否定する。吉崎がどのような表情をしているのかこっ恥ずかしくて見られなかったのだ。
「そんなことよりも、何か手伝うことありませんか。ほら、洗濯物とか」
俺はこの気まずい空気から抜け出るために無理矢理話を逸らす。小屋の隣に干されている菅間さんの洗濯物へ近づく。
「おい、それは今干したばっかりだよ。まだダメだ」
確かに無地のシャツはぐっしょりと濡れていた。なんで夕方に洗濯物を干すんだよと若干苛立ちつつ、他になにかやることがないか辺りを見回す。
「あ、今晩の食料もう調達しました? 今から釣りに……」
「もう用意してあるよ。いい加減落ち着け」
完全に梯子を外された俺は手持ち無沙汰になる。それでも気を紛らわせたかったので「ちょっと便所行ってきます」と言って振り返らずにその場から逃げた。
*
川で顔を洗い、頭を冷やしたところで俺は菅間さんたちの元へ戻ってきた。また菅間さんにからかわれそうになったが、俺は睨みをきかせてそれを制止する。全く、俺はこんなくだらないやり取りをするためにわざわざ来たわけではないのだ。俺はわざとらしく咳ばらいをして菅間さんに言う。
「今回菅間さんのところに来たのは報告をするためなんですよ」
「報告? まさかお前ら、やっぱりコレだったのか」
「だから違いますって、分かりませんか? 高校卒業ですよ。今日卒業式があったんです」
「卒業式だと? なんだよそれを早く言えよ。分かってたらパーッとお祝いしてやったのによ」
「まぁ、正確には俺じゃなくてそこにいる吉崎の卒業式なんですけどね」
「お前はどうしたんだ」
「実は俺、高校辞めて通信制高校に編入したんです」
「そうだったのか。で、そこはちゃんと卒業できたのか?」
「えぇ、もちろん。大学も何とか決まりましたし」
「そうか、よかったじゃないか。はなれちゃんも大学は決まったのか?」
「はい、彼と同じ大学なんです」
「そいつはロマンチックだねぇ。もうここまで来たらお前らは……いや、やめとこう。お前らはもうわざわざはやし立てるまでもないだろうからな」
菅間さんは何かを察し、これ以上俺達をからかうのをやめた。だが、それをいちいち口に出して言っている時点でこの人は全くデリカシーが足りていない。もっとも、この人は元々そういう人だ。今更文句を言ったって仕方がない。
「それにしても、高校卒業か。お前とは10月に知り合ったばかりだから正直あんまり感慨はないが、こうして若人が立派に成長した姿を見ると微笑ましい気持ちになるよ」
菅間さんの本音を隠さないその姿勢に俺は笑った。こういう人だからこそ、俺は今まで悩みを打ち明けることができたのだ。ガラス越しではない、勢い込めばツバが飛んでくるような、そんな生きた関係。
思えば、俺が求めていたのはこういうものだったのかもしれない。辺りが薄暗くなってきた。立ち話をしていたらあっという間に時間が経ってしまった。吉崎に菅間さんを紹介できたことだし、俺は菅間さんに挨拶をして帰ろうと思った。
そろそろ帰ります、と言うと、菅間さんは目を丸くさせて、なんだ、飯食っていくだろ? と言った。特に準備もしてないからろくなものはないけどな、と彼は笑った。せっかくなので俺達は御馳走になることにした。
*
こうして、菅間さんの小屋で俺と吉崎の卒業祝いパーティがささやかに執り行われた。菅間さんの小屋の中はとても清潔に保たれていた。タバコの染みついた臭いはするが、一般的な高校生が問題なく過ごせるくらいには衛生的だった。
吉崎は最初、中に入るのを少しだけ躊躇していたが中が思った以上に綺麗だったので驚きを隠せていなかった。その反応に菅間さんは、「俺は案外綺麗好きなんだ」と言って笑った。
俺達は、菅間さんから差し出された川魚やスーパーの総菜を食べた。川魚はすぐそこの川で釣ったもので、さっぱりとした味だった。菅間さんからビールを勧められたが、俺達は断った。別に未成年だから飲まないとかいうお利口な理由ではない。単にビールというものが苦手なだけだった。それはどうやら吉崎も同じようで、子供の頃親が飲んでいるのを少し飲んだらものすごく苦かった、と言っていた。
俺達は、食べたり飲んだりしながら色々な話をした。この半年で俺達の身の回りで起きた色々な出来事やら進学する大学のことやら菅間さんの昔話やら、ずいぶん長いこと話し込んだ気がする。
気がついたら23時を過ぎていた。もうすぐ帰らなければ終電を逃してしまう。「それじゃ、俺達帰ります」俺と吉崎は菅間さんに挨拶をして小屋を出た。「駅まで送ってくぞ」菅間さんは立ち上がるが、だいぶ酔っぱらっていて床に倒れこんでしまった。こんな状態で送ってもらうわけにはいかないので断った。
「菅間さん、今までありがとうございました。4月から大学に行きますけど、また遊びに来ます」
「おう、いつでも来い。次ははなれちゃんを正式なガールフレンドにして来いよ」
「……まぁとにかく、今日はありがとうございました。さよなら」
「菅間さん、ありがとうございました。また来ますね」
*
こうして菅間さんの小屋を後にした俺達は帰路についた。吉崎の方もなんとか家にたどり着けたようだった。
『面白いおじさんだったね。また色々話をしてみたいと思ったよ』
帰宅後、吉崎からメールが来た。よかった、菅間さんを気に入ってくれたようだった。俺は菅間さんがいなければとっくの昔に心が折れていた。彼が俺の話を丁寧に聞いてくれて、激励してくれたことで俺は高校卒業までこぎつけたし、吉崎と良好な関係を続けていられている。感謝してもしきれない、恩人だ。いつまでも元気でいてくれよ、と思いながら俺は眠りについた。
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