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僕が嫌いな私  作者: エドガー・サンポー


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第5章「再出発」その3

毎日20時頃に更新します。

 年が明けた。街は正月気分一色だ。近所の公園にある小高い丘では、前日に降り積もった雪の上を、子供達がソリで滑っていた。そんな中、俺はひとり自室に篭りノートの上でシャーペンを滑らせていた。これが俺の正月だった。


 吉崎とはあれ以降も週一程度の頻度で会っていた。俺と吉崎は志望校が同じということもあり、一緒に勉強もした。明日も二人で気分転換に出かけるつもりだ。自宅での受験勉強は孤独ではあるが、吉崎との交流があるため俺はさほど辛くはなかった。自分は恵まれている、と心底思っている。受験までの時間は残り僅かだ。



 大学入試前日の夜、俺は吉崎と電話をしていた。最後の激励である。


「吉崎、準備はできたか?」


『あんたこそ、どうなのよ』


「俺か? 俺はやれることはやったさ。これ以上ないってくらいにな」


『まさかあの秋月がここまで本気になるとはね。正直びっくりよ』


「相変わらず失礼な奴だな。で、お前の方こそどうなんだよ調子は」


『言うまでもないわ』


「落ちる?」


『逆よ馬鹿!』


 試験を前日に控え、全身が緊張で強張っていた中、そのやり取りは俺たちに束の間の緩みを与えた。これ以上長くてもいけないし、短すぎてもいけない、適度な気の緩み。そして最後に少しだけ復習をしてから床に入る。これが理想的な試験前日の夜の形だ。


「それじゃ、俺は寝るよ」


『ええ、私もそうする』


「お互いに、全力を尽くそう」


『もちろん』


 名残惜しさを一切表すことなく俺達は電話を切った。まるで心が通じ合っているかのようだった。



 そして、俺達の受験は終わり、合否発表の日が訪れた。今どきの合否発表は便利で、大学の公式ページで確認することができる。俺は、シャボン玉に触れるような繊細な仕草で志望大学の公式ページに入る。受験番号を入力し、いよいよ合否を確認しようとしていた。固唾を飲む瞬間である。


 思い返せば、高校を辞めてからの2か月半、色々なことがあった。高校から出された課題と同時に受験勉強を始め、死に物狂いで勉強した。時には知恵熱を出して寝込んだこともあった。疲労でペンを持つことができなくなることもあった。


 だが、俺はこれまでの何もかもが中途半端だった人生と決別するため、そして、吉崎と共に笑い合うため、全身全霊を懸けた。これ以上ないくらいに。後悔なんて微塵もないくらいに。俺は覚悟を決めて合否のページに飛んだ。そこに載っていた合否に、俺は咆哮した。


「もしもし、結果どうだった?」


 合否を確認したのち、俺は吉崎に電話をかけた。


『あんたは?』


 吉崎の声は、普段の凛とした冷たい印象を抱かせるものではなく、明らかに喜びに満ちた声音をしていた。その瞬間俺は確信した。合格したのだな、と。だから俺は気兼ねなく自らの今の思いを表することができた。


「もちろん、合格だ」


『同じね』


 これで俺たちの受験が終わったのだと思った。安堵感で一杯だった。通信教育の履修もほぼ済んだし、大学にも合格した。


『ようやく肩の荷が下りたわね』


「あぁ、そうだな、本当に」


『ねぇ、これから会わない? 直接話したいわ』


「そうだな、俺も直接顔を見たいと思っていたんだ」


 俺達は会う約束をして電話を切った。俺は顔を綻ばせながら待ち合わせ場所に向かった。これだけ嬉しい日はそうはない。


 集合場所──とあるターミナル駅で俺達は落ちあった。クリーム色のロングコートに、マフラーを巻いた姿の吉崎は、開口一番こう言った。


「おめでとう」


 吉崎は、毛布のように温かく慈愛に満ちた表情を浮かべていた。俺は誇張なしに、ここまで純粋で透き通った表情の人間を見たことがなかった。そのあまりの美しさに思わず目を逸らしてしまう。


「どうしたのよ、私なにかついてる?」


 からかうように微笑しながら俺の顔を覗き込む吉崎。その仕草にまたもや俺はそっぽを向いてしまう。恥ずかしくて目を合わせられない。この女、いつの間にこんなに可愛らしくなったのだ。


「別に、なにもねぇよ。それより、お前も合格したんだろ? よかったな」


 俺は照れを隠すために大学合格に話題を戻す。こんなに緊張するのは初めてだった。吉崎は「えぇ、ありがとう」とまたもや眩しい笑顔を振りまきながら言った。もはや一挙手一投足が可憐で、それだけで紙幅が尽きてしまいそうだった。


「せっかく二人して大学に受かったんだし、今日は久しぶりに羽を伸ばしましょう」


 無邪気に笑う吉崎にまだ照れが抑えきれないまま、俺は「どこへ行くんだ?」と尋ねる。

吉崎は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにこう言った。


「バッティングセンターよ」



 駅から15分ほど歩いたところにあるバッティングセンターへやってきた。ここは、バッティング以外にも、ボーリングや卓球など、様々な屋内スポーツが楽しめる総合アミューズメント施設だ。俺はこういうところには来たことがなかったので非常に新鮮だった。それは隣にいる吉崎も同じだったようで、物珍しいものを見る目つきで周囲を見回していた。「お前、そんなにここに来たかったのか」と俺は吉崎に何気なく尋ねる。


「えぇ、私こういうところに来たことなかったから」


「そうなのか。まぁ俺も同じだ」


「じゃあ、今日は楽しみましょう」


 そして、俺達はバッティングの他にも、様々なスポーツを満喫した。



 時刻は17時。もう辺りはだいぶ暗くなっていた。


「そろそろ帰るか」


「そうね、今日は十分遊べたし、帰りましょう」


 バッティングセンターをあとにした俺達は駅に向かった。それにしても、あんなに楽しそうな吉崎は初めて見た。転校当初はあれだけ仏頂面だった吉崎が、ボウリングでも、スポッチャでも、卓球でも、屈託のない笑顔を浮かべていたのだ。そしてそれは、俺自身にも言えることだった。中学生のころから毎日鬱屈としながら学校に通っていた俺が、晴れやかな表情で遊びを楽しんだ。それはとても大きな変化だった。

 駅に着いた。あとは別れるだけだ。だが、俺には一つ言っておかなければならないことがあった。


「なぁ、吉崎」


 駅に繋がるペデストリアンデッキの上で、俺はふいに声をかける。「どうしたの?」と吉崎は聞き返す。俺はそれまでとは一転した真剣な表情で吉崎を見つめ、こう言った。


「俺さ、やっぱりクラスのみんなにきちんと謝りたいと思うんだ」


 俺のその言葉に、吉崎も神妙な面持ちになる。


「手紙を出したのに、行くの?」


「あの時は逃げてしまった。つらい現実から目を背けて。だけど、やっぱりきちんとけじめをつけたいと思うんだ。だから、俺は行く」


「そう」


「確か、今は自由登校でみんな学校に来ていないよな」


「ええ、だから行くとしたら、全員が揃う3月初めの卒業式の時ね」


「分かった。卒業式だな。その日までに、話すことを考えておくよ」


 俺の覚悟が伝わったのか、吉崎は微笑みを浮かべ「頑張って」と言った。それは、心からの激励に感じた。


「応援してる」


 改札に入った俺達は、最後の会話を交わす。


「今日は楽しかったわ。ありがとう」


「こちらこそ、いい思い出になったよ」


「それじゃ」


「あぁ」


 そして、俺達は清々しい思いを携え、お互いの乗る電車のホームへ別れた。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日の20時頃に投稿予定です。

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