第5章「再出発」その2
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人間、そうそう簡単には変わらない。カメレオンのように次々と色を変えていくことは、少なくとも俺には難しい注文だ。だから俺は辛いことから逃げる。逃げ続ける。前はこのような性格に劣等感とか引け目を感じていたものだが、今ではあまり感じていない。
自分を無理に拙速に変えようとせず、まず現状を受け入れる。そういうある種の開き直りのような作法を今ではとっている。自然界と同じで人間の精神も御しがたいものであり、それを強引に捻じ曲げようとすると往々にして綻びが生じる。だから、まずは現実にある自分を知り、拒否するのではなく受け入れることで、その先にある変化というものが訪れるのだと俺は考えている。……という立派な講釈を垂れたが、果たして俺の逃げ癖は治るのだろうか。
結局、俺はあの後、吉崎に学校を退学することを打ち明けられなかった。ゲームセンターなどをうろつき、適当に過ごして別れてしまった。とにかくもうしみったれた話をしたくなかったから俺は徹底して明るく努めた。空元気とでも言えるほどに。いつまでこうしているつもりなのだろうか、俺は。
「吉崎どころか、誰にも話せていないんだよな、辞めること」
部屋で布団に寝転がりながら、俺は呟く。吉崎以前に両親にすら切り出せていないのでは話にならない。これでは退学すること自体が叶わない。さすがに両親には話さなければならない。俺はいつぞやの、体育祭騒動の謝罪の時のように、台本を作ることにした。なるべく辛いことは早々に済ませたいのだ。
正直、今退学を打ち明けるのは気が引けるし、時機としても最悪だ。未だに篠崎の家との問題が片付いておらず、両親には現在進行形で迷惑をかけ続けている。そんななか更に爆弾を投下することは避けたいことだった。だが、もう今しかない。悠長にしていては駄目だ。両親には更なる迷惑をかけることになるが、俺には「今すぐ」退学を打ち明けなければならない理由があった……。
「高校を辞めて、通信制高校に編入させてください」
俺は震えながら両親にそう告げ、深々と頭を下げた。案の定両親は驚きを隠せていなかった。
「あんた今がいつだか分かって言ってるの? 3年生の11月よ。もうすぐ卒業なのよ? それにこんな中途半端な時期に入れる学校なんてあるの?」
「11月から編入できる通信高校があるんだ。それも3年の2学期から始められるからこれまで取ってきた単位は無駄にはならない。2学期は一から始めることになるから大変ではあるけど、3月に卒業することは可能なんだ。受験も並行してやる。だからお願いします!」
両親はしばし黙り込んでいた。父親は目を閉じ難しそうな顔で腕を組んでいた。そして、目を開くと、「それで、3月にきちっと卒業できるんだな? そして、受験もできるんだな?」と静かに告げた。俺は、「約束する」と言った。
*
退学するにあたって、俺は心に強いひっかかりがあった。それは、あれだけ迷惑をかけたクラス全員に対して謝りの一つもいれなかったことだった。俺は結局、あの事件があって以降一度もクラスに顔を出していないため、無言で学校を立ち去ることになるのだ。
せめてクラスメイトに謝罪をしてから学校を辞めるべきだと思った俺は、クラス全員に宛てた手紙を書いた。文化祭をあんな形で終らせてしまったこと、体育祭も含むこれまでの全ての身勝手な行動に対する謝罪の言葉を時間をかけて綴った。そして書き終えた手紙は担任に手渡した。
「本当に、ご迷惑をおかけしました」
俺は最後にそう言い残して学校を去った。
*
こうして、通信制高校への編入の準備が行われた。志望動機書と簡単な面接のみで編入は認められ、俺は3年生の11月下旬という異例の時期に高校に編入したのであった。だが結局、吉崎には編入することを言えなかった。両親には意外とあっさり打ち明けられたのに、吉崎にはどうしても言うのが辛かった。あいつの困った顔をもう見たくなかったのだ。
しかし、編入が決まった翌日、吉崎が突然うちに訪ねてきた。母親に呼ばれたが、俺は奴に会いたくなくてそれを無視した。すると、しばらくして俺の部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「秋月!」
俺は驚きのあまり椅子から転げ落ちた。尻を強打し、悶えていると、
「あんた、高校辞めたってどういうこと! 一から説明しなさいよ!」
と、ものすごい剣幕で俺に迫った。俺は「わかった、わかったから待ってくれ」と言い、倒れた椅子を元に戻し、尻をさすりながら畳の上にあぐらをかいた。「まぁ、とりあえず座ってくれ」
俺は吉崎に、元居た高校を辞めて通信制高校に編入した理由を話した。2学期に入ってからクラスの人達に迷惑をかけ続け、挙句の果てには文化祭にトラブルを持ち込み滅茶苦茶にしてしまったこと、そして、吉崎に怪我をさせてしまったこと、そうした理由により、もうあの高校にはいられないと判断し、退学したと言った。吉崎は、最後まで俺の話をじっと聞き、俺が話し終えた直後、いつかと同じように平手打ちを放った。不意の一撃に俺は畳の上に倒れこんだ。
「なんでそれを前もって相談しなかったの! あんた本当に頭いかれてるよ!」
吉崎は鬼のような形相で怒鳴った。俺は自分の家ながらとても居たたまれなくなった。
「……すまない、どうしても言い出せなかったんだ」
「あんたってやつは、本当どうしようもないわね。いつもいつも……」
吉崎はこれ以上言っても仕方がないと思ったのか、怒鳴るのをやめた。そして一拍置いて「それで、あんたはこれからどうするの?」と神妙な面持ちで言った。
「通信で2学期の分の履修を一から始めて、急いで追いつかなきゃならない。それと並行で受験勉強も進めていくつもりだ」
「じゃあ3月に卒業できるのね?」
「だいぶ気合い入れてやらなきゃならないけどな」
「信じていいのね?」
吉崎はより一層真剣なまなざしを俺に向けた。俺もそれに応えようと思った。
「あぁ」
それからすぐ、吉崎は帰っていった。帰り際、吉崎は少しの呆れを滲ませながら小さく微笑んだ。俺も微笑み返し、彼女を見送った。さぁ、急いで授業の遅れを取り戻さなければ。
*
それからというもの、俺は遅れを取り戻すべく、学校の課題を進めた。まずは2学期の9月から11月下旬までの穴を埋めていかなければならない。俺は寝る間も惜しんで勉強した。そして、並行して大学の受験勉強も進めていった。ほぼ一日勉強漬け。こんなに長時間勉強したのは生まれて初めてだった。
だが、俺はこの究極状態を乗り切ってみせると誓った。これは、俺という人間が生まれ変わるチャンスなのだ。これまで、俺は全身全霊で物事にあたった経験がなかった。勉強も運動も、何もかもが中途半端だった。それゆえに自分が何者であるかという自己認識がとても曖昧だった。
そして、俺には何のために生きるのか、という人生の目的もなかった。もともと趣味と言えるものもないから、ただ毎日を何となく過ごしていくしかなかったのだ。だが、吉崎はなれという女と出会い、共に多くの時間を過ごすことで、俺の心に変化が生じた。
ほぼ喧嘩ばかりの日々だったけれど、俺はいつしか吉崎の存在が自分の生きる目的になっていたのだ。あの女のために、俺は生き、高校卒業と大学合格のために、全力を尽くす。俺は今、自分にこれまで欠けていた2つのもの──「自分が何者であるのか」というアイデンティティと、「どう生きるか」という目標──を同時に得た。これほど気持ちのいいことはない。俺は今、充実感に満ち満ちていた。
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