第4章「時計を叩け」その6
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それから俺は、母親の勧めで精神科を受診した。抗不安薬を処方され、とりあえずそれを飲んでみた。あまり実感はなかったが、少し気持ちが楽になったような気がした。文化祭は今日から始まっていた。だがこんな状態で行くことはとてもできない。昨夜の逃避行の疲れもまだ残っている。今日のところは部屋で安静にしていることにした。
翌日、ぐっすり眠ったお陰で体力はすっかり回復していた。しかしまだ気持ちの整理がつかないため、文化祭に出るのは躊躇われた。俺は考えた末、菅間さんのところへ行こうと思い、再び電車で4駅行ったところの県立公園に向かった。
到着すると、菅間さんの住む小屋へ向かう。あれからまだ2週間も経っていないのに会いに行くというのは迷惑かもしれないとも思ったが、また来てもいいという言葉に甘えさせてもらおう。信頼の置ける人物は菅間さんくらいしかいないのだ。ススキの生い茂る例の場所には、前と同じく長方形の小屋がぽつんとあった。菅間さんは洗濯物を干している最中だった。俺は彼の姿を見つけると嬉しさがこみ上げてきた。
「菅間さん!」
と柄にもなく無邪気な笑みを浮かべながら手を振る。三隅さんは意外そうな顔をたたえながら、洗濯物を干す手を止めてこちらへやってきた。
「駆か?どうしたこんな平日の真昼間に」
「突然すみません。また話したいことがあって」
菅間さんは家事の途中だったので、俺は菅間さんの洗濯物を代わりに干し、その他やるべき作業の手伝いをした。1時間かけて一通りの仕事を終えると、菅間さんは俺に「ありがとな」と礼を言った。
「仕事が長引いちまったな。よし、じゃあじっくりお前の話を聞くとすっか」
俺達は河原の砂利の上に座った。そして、緩やかに流れる川を前にして俺はいつかと同じく事の経緯を語った。要領を得ない話し方だったが、菅間さんは欠伸一つせずに耳を傾けてくれた。
「そうか、またやっちまったか」
菅間さんはしんみりとした面持ちで川の向こう側を眺めていた。そこには茜に色づいた紅葉の樹木が川を沿うように立ち並んでいる。もうすっかり季節は衣替えを済ませていた。俺は小さく俯きながら真珠のように輝く川に目を落としていた。幾ばくかの沈黙の後、菅間さんが口を開いた。
「駆、お前はな、友達を作りてぇという思いに囚われている。だから苦しいんだ。人生ってのは不思議なもんで、何かを求めれば求めるほどそっから遠ざかっちまうんだ。お前は日々の生活をコツコツ地道にこなしていくことを忘れている。目の前のやるべきこと、お前の場合は勉強と、今なら文化祭だ。そういうものに取り組まず友達友達と言っているうちは何も変わらねぇ。本当に今の自分を変えてぇと思うなら、当たり前のことを当たり前にやることだ。そうすりゃ誰かがそれを必ず認めてくれっからよ」
その話には聞き覚えがあった。それは9月の終わり、吉崎と大喧嘩をした後、別室に連れられた俺達に、生活指導の高良田が語ったことと同じだった。
『小さなことからでもいいから成功体験を積むことだ。自分からの承認だと、例えば定期試験で自分の定めた点数を取るとかな。他人からの承認について言えば、これから文化祭や修学旅行がある。そこで自分の役割をきちんと果たすことだ。そういう小さなことでも真面目に取り組めば人は認めてくれる。そうすれば承認も得られるものだ』
表現は違えど、伝えていることの本質は同じように思える。何か、点と点が繋がった気がした。小説を読んでいて、伏線が回収されたような、そんな透き通るような感覚が脳内を走る。俺はいい加減本気にならなければならない。これまで、高良田や菅間さんといった人々から助言を受けてきたが、結局のところそれを実践に移すことは中々できなかった。
しかし、今回ばかりは腹を決めて真剣にその助言を実行しなければならない。失敗することは数あるだろう。挫けそうになることも多々あるはずだ。だが、そこで諦めてしまったら俺の人生は汚泥の中のままだ。誰も救ってくれはしない。自助努力ができなければ永劫にそのままだ。
「菅間さん。俺、ようやく分かりましたよ。答えはいつだって目の前にあったんですね」
俺は無我夢中で駆け出していた。菅間さんにお礼を言うのを忘れていたが、それは次会ったとき言うことにしよう。次見せるのは、こんなうらぶれた顔ではなく、群青の空のようにどこまでも晴れやかで爽やかな顔にしよう。
俺は電車に乗り込み、急いで学校へ向かった。文化祭2日目の開催されている学校へ。今から行けば1時間くらいは参加できるだろう。明日から行くのでは駄目だ。今から行くのだ。この熱を維持するために。これが衝動的な行動だというのは理解している。経験からして、衝動の熱は持続しない。非常に冷めやすい性質のものだ。
そして、俺は薄々分かっていた。菅間さんにはあたかも納得したかのように言ったが、実のところ俺は「日常生活をコツコツ送る」という理屈を納得しきっていない。そんな地味で途方もない生活をいつまで続ければそれらが得られるのか。そもそも本当にそんなことで友人ができるのか。承認されるのか。幸せになれるのか疑問だ。
だが、もうこの道しか残されていない。大人しくコソコソと生活するのも、何か大きな事をやってのけるのも、結局は失敗した。あとに残されているのがこの日常生活に徹することなのだ。それならばそれを実践してみるしかないではないか。
例え納得できなくても、がむしゃらにやってみる他はないだろう。ひょっとしたら、この衝動的な行動そのものが良くないのかもしれない。そもそも、「日常生活をコツコツ送る」ことと衝動的な行動は相反するものだろう。
だが、この気力の熱をきっかけにして「日常生活をコツコツ送る」ことも不可能ではないはずだ。日常という地味で途方もない世界への入り口は、踏み入れるのに気力がいる。そのための衝動性だ。これは、俺にとって最後の衝動的行動となるだろう。
県立公園から向かったため約2時間はかかった。俺は今、文化祭の行われている学校に到着した。最寄り駅から走ってきたため、息を荒げながらスマホで時刻を確認する。思ったより若干時間がかかってしまった。参加できるのはせいぜい30,40分といったところだろう。だが、何とか間に合ったことに俺は安堵した。さぁ、お化け屋敷を開いている教室に向かおう。人混みを潜り抜け、俺は校舎に入っていった。
文化祭の雰囲気は、俺にとっては目に毒であることは確かだった。なにせ辺り一遍充実感に満ち満ちているからだ。仲睦まじく歩く男女、ふざけ合って騒いでいる男たち、元気な声で客引きをしている垢ぬけた女、アニメキャラのコスプレをしながら芸を披露している男。
あらゆる者たちがここでは明るい表情を浮かべて生き生きとしている。こんな場所にいては劣等感を刺激されるに決まっている。現に、文化祭に参加できる立場でありながら馴染めないでいることに疎外感を覚えずにはいられない。こんなに大勢の人間がいるのに、俺は一人ぼっちなのだ。
だが、俺はそんな悲痛な思いを胸に抱きながらも、歩みを止めることはなかった。今は確かに辛い。しかし辛抱すれば必ず報われる。そう信じて俺はお化け屋敷へと向かう。信じたことに裏切られるのは溜まらなく辛い。今でも脳裏には失敗してうなだれている自分の姿がよぎっている。
しかしそれでも、立ち止まってはいけないのだ。前へ進まなければならないのだ。俺は奥歯を噛みしめて前進し続けた。そして、そろそろお化け屋敷の行われている教室に到着するといったところで、かなりの人混みが教室の周りを囲んでいることを知った。これは相当繁盛しているということなのだろうか。忙しくなりそうだ、と思ったが、この人混みは何やら順番待ちしている客ではなさそうであることに気づく。
疑問を抱きながら人混みを押しのけて教室の中を見る。すると、そこにはあまりに衝撃的な光景が広がっていた。電気の点けられた教室には、無残に破壊されたお化け屋敷が光に煌々と照らされていた。そして、これは単なる事故ではない。意図的に手を下さなければなることはない惨状だった。
「一体、どういう……」
夢にも思わなかった光景に、思わず声が零れる。そして、次の瞬間、俺は驚愕のあまり意識が飛びかける。
そこにいたのは──。
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