第3章「路上のこころ」その2
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「おい、あんた大丈夫か」
俺は声の主の姿を見ようとするが眩しさで見ることができない。片手で光を遮りながら俺は問いかけに対し慌ててこう答えた。
「すみません、勘弁してください! 来てはいけない場所だったならすぐに帰ります」
「落ち着けよ。逃げなくていいから」
俺は男の言葉がまともに理解できていないため謝罪を続ける。まるで謝り続けるように設定された機械のようだった。男はひたすら謝り続ける俺に近寄り肩を揺する。
「おい、大丈夫かあんた? 顔、上げろよ。落ち着けって、なぁ」
男の言葉にようやく俺はおもちゃの人形のような動作をやめた。もはや俺は泣きかけていた。
「落ち着いたか? あんた、ここへ何しに来たんだ? 見たところ、散歩しに来たって風ではなさそうだが……」
男は、ゆるやかな調子で尋ねてきた。その声色には敵意はなかった。ひとまず安心した俺は、「実は、泊まる場所を探していたんです。そうしたらここに辿り着きまして」と事の経緯を軽く説明した。すると男はにこやかな笑みを浮かべながらこう言った。
「なるほどな。それならここでは何だ、とりあえずうちに来い。話を聞いてやるから」
こうして、俺は男に連れられて男の住処にやってきた。それは、茂みの入り口付近に建てられたブルーシートで覆われた正方形の小屋だった。まさか本物のホームレスの家に招待されるとは思いもしなかった。そして、ホームレスの家という一見矛盾した言葉に頭を傾げる。この場合、何と表現すればいいのだろうか。
「ここが俺のウチだ」
外見だけでもなかなか立派だと思った。男はブルーシートをたくし上げ、先に中へ入った。電気を点けると、俺に手招きをした。一体どこから電気を引いているのだろうか。靴を脱ぎ中へ入ると、俺は驚いた。想像以上に家らしくなっているからだ。
広さは二畳ほどで、天井には電球がぶら下がっており、余すことなく部屋に光を注いでいるし、鍋や皿、コンロなどが入っている食器棚、ラジオ、雑誌、掛布団もあり、生活していけるだけの物資が揃っているように思える。俺の想像していた路上生活とは比べ物にならないほどしっかりした生活を送っていることが伺える。
「そんなとこで突っ立ってないで、まぁ座りな」
と、男は言った。俺は布団の上だったが遠慮なく座らせてもらう。部屋の中は割に暖かく、ここなら安心して寝られそうだと思った。
「それで、何だっけか、泊まる場所探してるんだったか。お前、見たところ若いな。いくつなんだ」
男はあぐらをかきながら、俺に尋ねた。明るい場所で改めて見ると、この男、歳は70を超えていそうで、ウニのような坊主頭は真っ白だった。高齢者といっていい歳で、よく路上生活をしているなと思う。いくら快適な部屋とは言え、普通の家と比べると当然窮屈だし、他にも路上生活特有の様々な不便があるはずだ。俺は色々と聞きたいことが頭に浮かびながらも、質問されたことに答える。
「歳は17です」
「17っていうと、高校生か」
「はい、高校生です」
「なんだって高校生が泊まる場所に困ってんだ。家はどうした」
「家出をしまして」
「家出かぁ、懐かしいねぇ……。といっても、俺の場合は自分から出たんじゃなくて叩き出されたんだけどな」
男は自嘲気味に言う。しかしそこには恨みつらみといった負の感情はなく、良い思い出として記憶しているように見える。俺は、「どうして家を出されたのですか」となるべく腰を低くして尋ねた。普段、親と教師以外の大人と会話することがないため、どういう感じで話せばいいのか調子が掴めない。男はまさに昔話をする老人のような哀愁をたたえながら、自分の生い立ちについて語りだした。
「話せば少しばかり長くなるんだがな。まぁ俺の自己紹介も兼ねて話さしてくれよ。俺の名前は菅間。仲間からはスガさんなんて呼ばれてるが、まぁ好きに呼んでくれ。俺は群馬の生まれでな、今年で72になる。いわゆる高齢者ってやつの仲間入りだ。だが老人扱いされるのは気に食わねぇな。生涯現役って言葉あるだろ? 俺はくたばるその時まで元気に釣りでもしていてぇんだよ。身体も動かねぇ頭もボケちまってるような寝たきりにはなりたかねぇ。そんなら元気な内にポックリ逝っちまった方がいい」
菅間と名乗るこの男は、つらつらと話し始める。俺はところどころで相槌を打ちながら菅間さんの話にじっと耳を傾けていた。暗い公園で一人考え事をしているよりかはよっぽど有意義だろうと思ったからだ。
「まぁこういうのは歳とって周りの人間が寝たきりになったりすると余計に思うね。俺はこうはなりたかねぇってな。若い頃はいつまでも生きていてぇと思ってたもんだが、やっぱり考え方ってのは変わるもんだ。堅く信じていたことでも歳取って色々経験すっとガラリと変わっちまう。だからお前も今抱いている考えに囚われすぎねぇことだ。あるだろ、信じて疑わねぇことの一つくらい。そういうのは大抵一面的で、物事のある一つの部分しか表わしていねぇ。つまりは、広い目を持つことだ。色んな考えを常に自分の中に蓄えとくことが大事ってわけだ。
おっと、つい話が逸れちまったな。こんな説教なんざする気なかったんだが、俺は昔から説教くせぇタチでな。若い奴捕まえっと偉そうに講釈垂れちまう。歳取るとよ、めんどくせぇ性格になんだよ。だから勘弁してくれ。今じゃこんな風に人生の先輩風を吹かしてやがるが、俺はガキの頃からハタチくらいまではとにかく無気力で、頭も悪ぃ根性なしだったんだ」
「とてもそんな風には見えませんけど」
俺は心底驚いた。この陽気で話したがりなおじさんがかつては無気力だったなんて信じられない。どうせ話を盛っているのだろうと思い、俺は「若い頃の話を聞かせてください」と言った。菅間さんは「そうだなぁ」と言いながら、目を閉じた。遠い昔の記憶を頭の奥深くにある埃の被った引き出しから取り出しているかのように。そして、彼は目を開けると、記憶のアルバムに目を落としながら語り始めた。
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