声の届かぬ森で
※本作は短編です。
言葉の通じにくい時代に生きる少女・ユイの視点から、「伝えること」について考えてみました。
先に公開していた『飛ぶことと話すこと』と対になるような構成です。
どちらの話からでもお読みいただけます。
言葉が通じないことに、私は慣れていた。
薬草を探しに村の外へ出るようになってから、もう三度目の季節がめぐった。
山を越えれば、言葉の調子も、人の目も、風の匂いさえ違う。
話しかけても、返ってくるのは訝しむような顔か、そっけない沈黙だった。
一度、草の効能を伝えようとしたとき、
知らない言葉で怒鳴られて、水をかけられたことがある。
それ以来、私は言葉を使うことに慎重になった。
それでも、私は草を探す。
どこに何があるのか、どう効くのか、どう煎じるのか――
知っているだけで、救える人がいる。
話さずとも、やれることはある。
そう思っていた。
そうでも思わなければ、胸の中の、どうしようもない孤独に押しつぶされそうだった。
*
あの日、沢のそばにしゃがんでいた私に近づいてきたのは、一人の若い男だった。
村の者ではない。
でも、弓を持ち、気配を消して歩く様子から、狩人であることはすぐにわかった。
彼は私を見るなり、何かを言った。
意味はすぐには掴めなかったが、敵意は感じなかった。
身ぶりと、目の動き、間の取り方――
彼は、伝えようとしていた。
私は、少しだけ言葉を返してみた。
知らない抑揚に戸惑いながら、それでも、通じた。
わずかな言葉と身振りの中で、彼は私が探している草の名前を聞き取り、
その草のありかを知っているという素振りを見せた。
驚いた。通じた、ということが、こんなにも嬉しいものだとは思っていなかった。
そして、その嬉しさが胸を刺すように痛かった。
これまで、誰にもわかってもらえなかったのだと、あらためて思い知った。
彼は先を歩き、私はあとをついていった。
道中、彼は何度か私の方を振り返った。
ふとした表情に、やさしさと不器用さがにじんでいた。
それだけで、私は少し、安心した。
歩きながら、たどたどしい会話を交わした。
言葉の壁はあった。
でも、その向こうに、何かがあった。
“話す”ということが、ただの音のやりとりではなく、
何かを伝えようとする心の動きなのだと――
私は、そのとき初めて、実感した。
*
草を手に入れたあと、私は彼に礼を言って山を下りた。
それっきり、顔は見ていない。
けれど、その後。
風の音を聞くたび、葉の揺れに目を止めるたび、
私はあのときのことを思い出す。
言葉は、届かない。
けれど、「届かせよう」とした記憶は、私の中に残った。
もっと、ちゃんと話せたら――
もっと、伝えられたら――
そんなことを、考えるようになった。
私があのとき伝えたかったのは、草の名前でも、効能でもなかった。
礼と、喜びと、たぶん、少しの名残惜しさ。
言葉の奥にあったそれらは、私の口をすり抜けて、どこにも届かなかった。
私は、言葉の限界を知っていた。
でもあの日、限界の少し向こうを見た気がした。
*
私は今でも草を探している。
道に迷っても、人に笑われても、足を運ぶ。
そして時々、空を見上げる。
飛ぶことは、想像したこともなかった。
でも、あの日のように――たとえ少しでも、誰かと言葉が通じたら。
そんな時間が、また訪れたらと思う。
想像は、一人で閉じていては生まれない。
何かを伝えようとした誰かに出会ったとき、
はじめて、自分の中にも芽吹くものがある。
私はそう信じている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
タカが「会いたい」と思いながら“飛ぶこと”を想像したのに対し、
ユイは「伝えたい」と思いながら“言葉の壁”に向き合っていました。
想像は、時に時代の中に閉じ込められます。
でも、誰かとの出会いによって、その想像は静かに広がっていくのかもしれません。
もし何か、心に残るものがあれば幸いです。