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隣のおばさん

 真衣子は蟹缶が詰まった段ボールを抱えて、隣の部屋のインタフォンを押した。真衣子にとってはかなり高額の出費だったので、できることなら自分で食べたい。買ってから、蟹缶を前に何回自分と格闘したことか。

 心臓が激しく鳴り始める。

 やっぱ、やめた方が良かったんじゃないか。怪しまれて終わってしまうのではないか。第一、あの優しそうなお婆さんが出るとは限らない——

 ガチャリと音が鳴って出てきたのは、あの優しそうなお婆さんではなく、見知らぬおばさんだった。見るからに気が強そうで、扉を開けた時点でパーソナルスペースも何もないくらい距離が近い。

 終わった。

 部屋を盗み見すると、妙にガラリとしていて、奥の方に段ボールが積み重なっているのが見えた。

 あのお婆さん、死んだのか。

 玄関先にあるネームプレートは変わっていない。ということは、今目の前に立っているのはお婆さんの娘なのだろう。

 真衣子の視線に気づいたのか、おばさんの目線が尖る。


「あの、何か?」


 おばさんは真衣子の全身をするっと観察した。

 こんなおばさんに敵視されてはこの世の終わりだ。最初に名乗り、もぞもぞと考えてきた口実を並べた。

 実家から蟹缶が大量に送られてきたのですが、食べきれないのでどうぞ。

 どうもありがとうと言われたが、それは心から思っているのではなさそうだ。言葉だけが単体で浮かんでいて、顔には怪しんでいると書いてある。

 でも、聞かなければならない。真衣子には蟹缶段ボール一箱分の覚悟がある!


「あのう、突然で申し訳ないんですが、私が今住んでいる部屋の、前の住人ってどんな人だったんでしょう」


 いきなり踏み込みすぎたかとヒヤリとしたが、おばさんはすぐにああ、と頷いた。


「隣の人ねえ。 私もよく知らないけど……気分悪くならない?」


 何の話か、真衣子にはわからない。だが、気分悪くならない?と聞くということは気分が悪くなる話だということだ。


「大丈夫です」


 おばさんはすぐに喋り出した。もともとお喋りなおばさんなのだろう。それは、このおばさんが纏っている空気が物語っている。


「隣の人、母子家庭だったらしいんだけど、中校生の男の子が……びっくりしないでね、死んじゃったのよ。 いじめだったみたい。 ほら、中学生ってそこら辺の引き際みたいなのが分からないじゃない。 直接殺したわけではないんだけど、酷いことしたのよきっと。 新聞にも載ったし、ニュースにもなって、結構騒がれたらしいわよ」


 かなり深刻な話をしているはずなのに、おばさんは声を潜めようとしない。ただでさえよく通る声なのに、場所が玄関なので音が反響してしまう。アパートの近くを通るだけで聞こえてしまうのではないか。

 身が縮む思いだが、ここまできたら出来るだけ情報を収集するべきだ。


「いつ頃ですかね」


 ()()をかけてみると、面白いくらいにおばさんは反応した。


「さあ、私も母から聞いただけだからね。 一月、二月……でもホント寒い時期だったのよ」


 幽霊の少年は中学生ほどの年齢に見える。もしおばさんの話に間違いがなければ、このいじめられていた中学生はあの少年である可能性が高い。だが、確定したわけではない。あの少年は名前もわからなければ、年齢も、もっと言えばいつの時代の人間かもわからないのだ。もしかしたらあの少年は驚くほど老け顔か、童顔かという可能性もある。

 新聞にも載ったと言っていたので、調べればすぐに分かるだろう。

 あともう一つ聞きたかったことがある。


「あのう、失礼なようですがお母様は亡くなられたのですか」


 違う違うと否定された。


「特養老人ホームに入ったのよ。 結構渋ってたんだけどね。 家で介護するのは大変じゃない? だから説得したのよ」


 ああ、そうだとおばさんは手を打った。


「私が母親に詳しいこと聞いてあげるわよ。 私よりよく知ってるだろうし」


 おばさんは急に顔を近づけると、手を顔の横に添えて、「やっぱり噂で聞いたからそんなこと聞くの?」と言われた。

 ここは頷く他ない。


「そうです」


 すると、おばさんはみるみる頬を赤く染めて嬉しそうに言う。


「そうよねえ。 そんなこと聞いたら気になっちゃうわよねえ。 あっ、私が気分悪くしちゃってたらごめんなさいね」


 いいえ、大丈夫ですとだけ言って家に帰った。

 あのおばさんは苦手だ。

 

 * * *


 図書館に来た。新聞のコーナーで、ごく最近の記事から遡ること、約一時間。

 

 

    ○○新聞社

 1月27日

   「港区で男子中学生死亡」

  港区某所で区立中学2年生の男子生徒(14)が死亡した。男子生徒は同じクラスの同級生から凄惨ないじめを受けていた。

 男子生徒が死亡した場所は彼の住むアパートのベランダだった。加害者生徒は、いじめの延長線上として、男子生徒が家で飼っていた猫をベランダから落とすと脅した。揉み合いになった挙句、一人が猫を実際にベランダから落としたため、男子生徒は猫を助けようとし、勢い余ってベランダから落ちた。更に不幸なことに、整備されていない裏道の大きな石に背中から落ちたのだ。背骨を折り、動けなくなったまま、放っておかれ、死亡した。ちなみに猫は周辺に姿はなく、まだ発見されていない。

  記者はこれについて独自に取材をしてきた。その結果、死亡した男子生徒をいじめていた加害者の同級生一人の接触に成功した。記者がそこで一番衝撃だったのは、加害者生徒に反省の色が雀の涙ほどもなかったことだ。記者が、男子生徒が死亡したことについて何か思うところがあるかを聞いたところ、「何も思わない。どうでもいい」、男子生徒に言いたいことはないかと聞いたところ「ない」。そして最後に、こんな思い切った質問を投げかけた。男子生徒が死亡する原因が自分たちにあることをどう思うか。彼はこう言った。「俺らは殺してない。あいつが勝手に死んだんだ」

  彼らが未成年かつ故意の殺人ではないとして、これで良いのだろうか。法はこれを許すのだろうか。今の法のあり方に疑問を投げかける結果となった。

  

  

                               佐藤 ○○


 * * *



「僕、やっぱ思い出せないや」


 少年は蒼白だった。幽霊も顔色が変わるんだ、なんて失礼なことをちらっと考えた。


「でも、あんたのことだって決まったわけじゃないよ」


 かろうじてフォローしたが、あまり上手くはなかった。


「でも、そんな目にあって地縛霊になるのも納得いくじゃない。 死亡事件なんて滅多に起こらないのに」


 とうとう少年は頭を抱えて突っ伏してしまった。


「知りたいけど、知りたくない」


 ジレンマを謳ったどこかの詩のようである。


「僕はこのまま過去を知らない方がいいんじゃないかって思ったりもする」


 少年は顔を上げた。


「でも、こういう時ってちゃんと知っておいた方がいいんだよね」


 だが、皆さんもここで一つ考えて欲しい。隣のおばさんに話を聞き、新聞で記事を読んだ。さあ、これからどうする。この不憫な男子中学生がこの少年だとは限らない。それが限りなく濃厚な線だとしてもだ。

 こんなことがあったのだと教えたところで、少年は何か思い出した様子はない。成仏をする気配もない。目を凝らして、後ろのアジサイが透けている少年の姿を見ても、薄くなってもいないのだ。

 そして、他の情報源があるようにも考えられない。

 どうやらここまでのようである。さらばだ、探偵所沢真衣子。

 その時、ぷるるとスマホが鳴った。見てみると、隣のおばさんからだった。蟹缶を手に尋ねた時、電話番号を交換させられたのだった。


「もしもし」

「もしもし、所沢さん?」


 おばさんは動転しまくっている。ほぼ叫んでいるようだ。

 理由はすぐに判明した。


「私の母があなたに会いたいって言うのよ!」

 

 


本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。

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