ニホンイシガメ
土曜日に出かけるわけだが、それまでに何か、少年が長時間見ていても飽きないものを買ってやりたい。
アジサイは、既に枝のところから葉っぱが出始めている。確かに成長が早い。だが、もっと別のもの――生き物とか――が良い。ペット用の犬、猫、兎等々が真っ先に思いつくが、即却下だ。諸々の経費が高すぎる。世話も大変だろう。第一、真衣子は動物があまり――得意ではない。すれ違う散歩中の飼い犬でさえも、心なしか避けてしまう。
そうなると、虫なども考えるわけだが、論外である。真衣子は虫が大嫌いだ。特に羽が付いている虫は最悪である。素早いうえにあの不規則な動き。そういう虫に限って、逃げれば逃げるほど追いかけてくる。あの執拗さといったら実に見事だ。しかし、それよりももっともっと最悪なのは、芋虫とか、ミミズとかいう類のあれである。体を伸ばしたり縮ませたりして動く姿は、想像するだけでおぞましい。夏には、自転車に踏まれて真っ二つに裂かれた芋虫や、水分を失ってカピカピになったミミズによく出会うが、あれを見た日には一日中気分が悪い。更に、テレビかなんかで奴らの顔がアップされたしまいには、胃の中のものが飛び出してきそうになる。よって、ペットに虫を飼うのは考えられない。
何か他に良いものはないだろうか。
犬とか猫ではなく、虫でもない。
爬虫類とか?
真衣子は想像してみた。あの狭い家の中にどデカい虫かごを置いて、カメレオンにちまちまと餌を与えている姿、虫かごの中でヘビの背中を愛撫する姿――駄目だ。何かの冗談としか思えない。
魚はどうだろうか?これも駄目だ。今まで金魚やメダカを飼っていたことはあるが、自分で世話を出来たことが一度たりともない。全て父親に押し付けてきたのだった。育てられる自信がない。
ひたすらペットについて考えながら一日中仕事をし、真衣子は家路についた。
アパートの駐車場に着いた時、真衣子は何かを発見した。黒い小さな塊が転がっている。真衣子の手の拳よりひとまわり大きい。
何だあれは?
近づくと、何やら動いている。ゾッとした。まさか、ありとあらゆる家具の隙間を我がもの顔で疾走し、長い触覚を持ったあの黒い昆虫か?だとしたら、世界一を狙えるほどの特大サイズである。
更に近づくと、真衣子の拳ほどの黒い塊りから、頭と四肢が見えた。
街灯の光で塊の正体が判明した。
カメだ。
あ、カメ。
* * *
カメを拾ったその日は、鍋に入れて保管した。その翌日、仕事帰りにペット用の魚を売っている店に立ち寄り、カメに必要な水槽、餌、陸になる石を買った。
調べたところ、このカメはニホンイシガメというらしい。この個体はペットとしてはオーソドックスだそうで、初心者でも飼いやすいタイプだ。甲羅が扁平であることから、このカメはオスだろう。オスは最大でも約十四センチメートルほどにしかならず、真衣子でも十分に飼える大きさである。我ながら、素晴らしいタイミングでカメを見つけたものだ。
少年は大変喜んだ。
「カメだあ!」
しばらくカメ鑑賞に夢中になっていたが、突然ぽつりと呟いた。
「なんか僕と似てるなあ」
「え?」
聞き返してみたが、すぐにはっとした。その寂しそうな声から少年の気持ちを連想するのは、真衣子にも容易い。
「こうやって一定の空間に閉じ込められて何も出来ないんだ。 何も変わらない景色を眺めてるだけだ」
すると、慌てたように少年は振り返った。
「別に、真衣子ちゃんのこと悪く言ってるわけじゃないよ。 僕のためにしてくれたことだし、僕も嬉しかったから」
少年はまたカメを見た。
「でも、このカメくんとは似たもの同士って感じがするんだ」
少年の背中はやけに小さかった。
本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。