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第五話 騙された女と騙した男 2

※閲覧上の注意※


今回の作品には、未成年による喫煙や暴力、性行為を連想させる描写が含まれています。

苦手な方、嫌いな方、及び未成年の方は、申し訳ありませんがページを閉じてください。

また、本作品は犯罪、またはそれに類似する行為を推奨する意図はありません。

この物語はフィクションです。 実在の人物、団体、事件、事故などとは一切関係がありません。

投稿が遅くなってしまい、申し訳ありません。

本作品にて、本編は一旦終了とさせていただきます。

近いうちに、サクラ・クスノキpresentsのショートストーリーを投稿させていただきます。


———side 塩崎 新太———


「完全に失敗したわー」


いつものメンツで集まり、俺はそうボヤきながらタバコに火をつける。


「珍しいな、どしたん?」


「いや、こないだ貶した女なんだけどよ、依存が強すぎんだよ。

ここまでなるとは思ってなかったわ」


「こないだのってあのA高の子だろ?ヤバい?」


「ヤバいなんてもんじゃねーよ、ありゃもう病気だろ、たぶん。

まじでこうなるなんて思ってなかったわ」


「え?じゃあ、新太が言えば何でも聞く感じ?」


「まぁ、たぶんな。

でもあいつが俺から離れるのが思い浮かばねぇ」


「じゃあよ、もしお前があの子に俺たちとするように言えば、ヤラせてくれる感じ?」


「いや、ヤレるかもしんねぇけど、その後がこえぇよ」


「なにが?」


「最悪死ぬんじゃね?したことないからわかんねぇけど」


「うーわー……なんかでもわかるわ」


「だろ?さすがの俺もちょっとビビってんだよ。

そのうち家出して俺んとこくんじゃねえかって」


「いや、それめっちゃありそうじゃね?」


「そうなると困んだよなぁ。

他に女もいることだし。

俺が出かけるって言ったら、普通に付いてきそうな気がするわ」


「でもそれこそ自分の撒いた種だろ?」


「そうなんだよなぁ。

マジでめんどくせぇわ。

そろそろどうすっか考えとかねぇと、さらにメンドーな事になりそうだ」


「まぁ俺たちはカンケーネーからどうでもいいけど、マワすときは呼べよ?」


「あ、俺も俺も。

いっぺん頭いー女とヤッてみたかったんだよな」


「あぁ、まぁ、そのうちな」


後は適当に話して帰ることにする。


俺らの集まりなんて毎回こんなもんだ。


(帰って飯でも食うか)


家に帰り着くと、黒い塊が玄関のとこにある。


一瞬ビビったけど、その塊はどうやら伊織らしい。


(マジかよ、めんどくせぇな。

呼んでもねぇのに来たってことは、こいつマジで俺んちに居座る気じゃねぇだろうな…)


こいつの存在は飯に関しては便利だが、それはあくまでも俺の自由があってのこと。


こいつと四六時中一緒なんて冗談じゃねぇ。


だがとりあえず玄関はヤバい。


いつオヤジたちが帰ってくるかわかんねぇし、気乗りはしねぇけど、ひとまず俺の部屋に匿うか。


俺は伊織に声をかけ、部屋の中に連れて行く。


(くそ、ホントめんどくせぇなこいつ!)


事情を聞いてみたが、俺の思ったとおりだった。


今のこいつを家に帰るよう説得するのはかなりめんどくさそうだ。


とりあえず一晩やり過ごして、明日また説得するか。


どっかでやり方間違ったかなとも思ったが、俺のコレは完全に自己流なんで、そもそも正しいやり方なんてわからねぇ。


昔からこんな感じでやってれば好き勝手できたってだけだ。


とりあえずヤル事はヤッといて、寝ることにする。


当たり前のように俺のベッドで寝てるが、文句はぐっと我慢する。


どうやら下にはオヤジたちが帰ってるみたいだし、ここでバレるとさらにメンドイことになりそうだ。


やっぱり問題が起きやがった。


朝起きたら隣にヤツがいねぇ。


恐る恐る下に降りたら、クソババアと笑いながら料理してやがった。


(マジでぶっ殺されてぇのか、アイツは!)


俺は一応親の前では真面目で通している。


去年ヤバかったこともあったが、なんとか持ち直すことができた。


かなりメンドウだったが、そうしとかねぇと遊ぶ金がねぇしな。


なのにこのバカ女は、軽々とそれを崩しやがる。


役に立つから残しといてやったのに、こうなりゃもうなりふり構っていられねぇ。


とりあえずこの場をしのいでおく。


あとから後悔してもおせぇぞ?このバカが。


———side 岡田 伊織———


朝目が覚めて、私は少し悩む。


彼からは何もするなと言われたけれど、初めて彼の家にお泊りしたのだ。


そしてたぶん階下には彼のご両親がいる。


無理を言って泊まらせてもらったのに、挨拶もなしというのは失礼にあたるだろう。


彼からは両親は朝早く家を出ていくと言われていたが、いらっしゃればせめて挨拶だけでもと思い階段を降りる。


お父様はすでにお出かけされたのか姿がなく、お母様だけがいらっしゃった。


私は失礼を承知で声をかける。


私がいるのを知らなかったようで、かなり驚かれたが、挨拶をしたら笑顔で迎えていただけた。


少しだけ彼のことを話し、最後に息子のことをよろしくねと言っていただけた。


これはもう両親公認といっても大丈夫だろう。


彼はなかなか私を周りに彼女と紹介してくれないが、ここまで私を愛しておいてそれはないだろう。


だって私達はこんなにも愛し合っているんだから。


それともやっぱり楠木くんのことが気になるのだろうか。


楠木くんとはもう連絡を取っていないし、そもそも私はもう彼のことをなんとも思っていない。


だって新太くんが彼のことをもう何も言ってこないから。


罵倒することも、非難することもなくなった。


だから私も、もうあの人に興味はない。


新太くんが興味がないなら、私も興味が持てないから…。


新太くんがどうしてもと言うから、私はいやいや家に帰った。


帰ったと言っても部屋にこもり朝まで過ごす。


朝になったら学校に行き、時間がすぎれば彼の家に向かう。


そして夜まで一緒にいて、寝るためだけに家に帰る。


最初はなにかとわめいていた母親も、最近は何も言ってこなくなった。


でもそれでいい。


私には新太くんがいればいいのだから。


12月も半ば頃、新太くんが私に外に行くぞと言ってきた。


久しぶりのお出かけだ。


私は彼の腕に体を絡ませる。


別に誰に見られてもいい。


見られて困ることはないし、むしろ見せつけてやりたい。


彼と向かったのは彼の家から少し離れたマンションだった。


ここで何かするのだろうか。


もしかして、2人で住むための部屋?


それならかなり嬉しい。


今の家は広いけれど、あそこは新太くんのご両親の家。


結婚するなら小さくてもいいから2人で過ごしたい。


3階に上がり、鍵を開けたその先は……。


複数の男と数人の女が絡み合い、叫び声や笑い声が響く最悪の空間だった。


体を拘束され、無理やり組み敷かれている女の子。


複数の男性から無理やりされている女の子。


そこに人としての尊厳など無く、ただ男性の性を発散させるだけの場所。


嫌悪感すら感じさせるその空気に、私は吐き気を催した。


外に逃げようとした私の髪の毛を、新太くんが掴む。


「おいおい、勝手にどこ行こうとしてんだ?」


「痛い……、いや、ここは、いや」


「今さらなに言ってんだよ。

今日はこのために来たんだから、一緒に楽しもうぜ?」


「いや、いや!いやーー!

帰る!帰る!帰りたい!離してっ!」


「だからもうおせーって。

だいたい、お前はどこに帰るってんだよ。

家にも学校にも、どこにも居場所なんてねーんだろ?」


その言葉に、私は何も言い返せなかった。


「もちろん、俺の家にもお前の場所なんてねぇよ?

だってお前は他人なんだからな!」


「な、なんで?なんでそんな事言うの?

私とあんなにしたくせに!

私のこと愛してくれてるんじゃないの?」


「はぁ?いつ俺がそんなこと言った?俺が?お前を?冗談もそこまでいくと笑えねぇよ。

はなからお前とは遊びなの。あ.そ.び。

わかるか?」


「は?だって、あんなに…。え?なにが?どういう、こと?」


「わかんねーやつだな。いいか、一回しか言わねぇからよく聞けよ?

俺は、最初からお前をこうするつもりだったんだよ。

愛とかなんとかそんなもんねぇから。

ただ野暮ったいお前をからかっただけ。

もっと早くこうするつもりだったけど、お前、飯だけはうめぇからな。

だから今まで付き合ってやったってわけ。

だけどもういいや。

飯作るやつなんてまた探せばいいし。

お前にかかった金は、ここのおじさんたちがぜーんぶ払ってくれるってさ。

良かったな、お前大人気だぞ。

誰かに必要とされたかったんだろ?

ちょうど良かったじゃねぇか。

みーんなお前が大好きだってさ。

だからしっかり働いてくれよ?

あぁ、それと終わってから警察に行ってもいいけど、俺の部屋もここも、全部録画してあるから。

ネットに上げていいなら好きにしていいよ。

もしなんかあったら、すぐあがるようになってるから。

よかったな、もしそうなったらお前世界でも人気出るかもよ?

まぁ外は歩けなくなるだろうけどな。」


私は何も言えなくなる。


本当は抵抗するべきだ。


彼が何を言っているのか必死に理解しようとする。


だけど頭が回らない。


私だってもう何も知らなかった子供ではない。


これからどんな事をさせられるか想像はつく。


だって目の前で、実際それが起きているんだから。


逃げなきゃダメだ、誰か助けて欲しい。


でもいったい誰に?


だけど今さら全てがもう遅い。


縋るような目を向ける私に彼は続ける。


「そーだよ、その顔が見たかったんだよ!

幸せいっぱいみたいな顔したやつが、絶望にまみれる顔。

たまんねーよ、だからやめられねーんだよ!」


彼が一気にそう捲し立てると、下卑た笑顔を浮かべる。


この顔を私は知っている。


私のハジメテを奪ったときに一瞬だけ見せた顔。


全身から力が抜け、床にへたり込む。


もう何も抵抗することができない。


そもそもいつから嘘だったのか。


彼の言葉を信じるなら、初めからこうするつもりだったのだろう。


私はバカだ。


大バカすぎる。


だけどもっとバカなのは、それでも彼を信じているところだ。


見知らぬ男たちに服を破かれ、複数の手が体に伸びてくる。


もう、どうでもいい。


そう諦めかけたその時だった。


「全員、動くな!

手を上げて、大人しくしろ!」


扉が勢いよく開き、複数の人が入ってきた。


格好を見れば、おそらく警察だろう。


それから私を含む女性たちは、警察に保護され警察病院に連れて行かれた。


誰が通報したのかは今でもわからない。


ただ、その誰かの通報のおかげで、私『だけ』は最悪の被害を免れる事ができたのは事実だった。


その後、隠しカメラは新太くんの家も含め全て回収されたらしい。


インターネットには接続されていなかったらしく、映像が表に出ることはなかった。


新太くんを含むその場に居た男性は全員逮捕され、現在取調べ中らしい。


私達も調書を取られ、様々な検査を受けさせられた。


私に対する暴行は未遂だったけど、私は彼を訴えたりしなかった。


こんなことをされたのに、それでも彼を愛していたから。


私を迎えに来た母親は泣いていた。


そして、父親から引っぱたかれた。


父はその場で医者や看護師に抑えられたが、私は叩かれても、なんの感情も湧かなかった。


無言で頭を下げ、医者や看護師に大丈夫だと伝える。


家に帰るまで、誰も口を開かなかった。


部屋にこもり、ただ時間だけが過ぎていく。


食事も喉を通らず、飲み物だけをなんとか口に入れた。


こうなっても考えるのは彼のことばかり。


それから2週間くらい過ぎた。


私は家から一歩も外に出ることができなかった。


母親は仕事を休み、毎日家で私を監視している。


そうしていると、突然警察から電話があった。


被害女性の1人の妊娠が発覚したらしい。


母親から、心当たりがあればもう一度検査をしろと言われた。


保護されたあと、一応私も検査はしたが、その時は陰性だった。


そして今回の結果は、陽性。


母は泣き崩れた。


私は、嬉しかった。


彼との子供が私のお腹の中にいる。


思い当たることなんて山ほどある。


彼は避妊具を一切つけていなかった。


私もそれでいいと思っていた。


両親は堕ろせの一点張り。


私は疑問をぶつけてみた。


なぜ、せっかくできた子供を、殺さなければならないのか、と。


この命は私と彼の愛の結晶。


むざむざ殺させるつもりはない。


それに彼も、私に子供ができたと分かれば、きっと考えを改めてくれるはずだ。


だって私は彼しか知らない。


彼の子供だと疑いようがないのだから。


嫌がる私は車に無理やり乗せられた。


病院に行って無理やり堕ろさせられるくらいなら、隙を見て逃げ出すつもりだった。


行き着いた先は彼の家。


予め連絡を取っていたのか、彼のご両親が対応してくれた。


お父様はひたすら頭を下げられ、お母様は泣いておられた。


先日見たときよりもかなりやつれて見えるのは、かなりの心労が原因だと思う。


(大丈夫、私が彼と支えますから)


父から彼のご両親に、私が妊娠していることを伝えられる。


他の被害女性達とは違い、私の相手は決まっているし、両親にもそれは伝えてある。


お二人は揃って堕ろすことを口にされた。


なぜ、ご両親まで堕ろせというのか。


私は産みたいと言っているのに。


彼に、会いたかった。


会って話がしたかった。


きっと彼なら、産んでいいと言ってくれるはずだ。


そしたら2人で暮らそう。


こんな町をでて、誰も知らない所で、2人きりで。


残念ながら、彼はまだ取調べ中。


今は面会ができないが、勾留期間になれば、面会が可能になるとのことで、そこで彼の意思を確認することになった。


私の両親は堕ろしてほしいしか言わなかったが、私が産むことを譲らなかったので、私達の意見は平行線のまま。


彼の逮捕からしばらく経ち、ついに彼との面会が可能になった。


弁護士の先生も含めて3人までとのことで、一先ず彼のご両親と弁護士の先生が面会することになった。


私は両親と、家で結果を待つ。


お昼を過ぎた頃、来客のチャイムが鳴った。


父親が対応し、リビングに招き入れる。


どうしてみんな、そんな浮かない顔をしているのか。


もしかして会えなかったのだろうか。


やはり私が行くべきだった。


二人でちゃんと話をすれば、いつものぶっきらぼうな口調で『好きにしろよ』って言ってくれたと思う。


彼のお父様は黙り込んでいる。


お母様は私に目も合わせてくれない。


「私の方から、結果をいくつかお話させていただきます。」


弁護士と名乗る人が口火を切った。


「初めに伝えておきますが、私はこの事件の弁護人ではありません。

あくまでも、友人である塩崎社長から依頼された立場であり、塩崎新太氏とその関係者が関わっている事件そのものについては、全くの部外者の立場であることをご理解ください。

つまり今の私は、今回妊娠していることが発覚した岡田伊織さん、あなたに弁護士の知識をもって助言する立場だと思ってください。

結論から言えば、塩崎新太氏は認知をしないとのことでした。

初めはご両親と三人で、その後私と彼の二人で面談を行いました。

彼にはもちろん私の立場の説明も行っております。

その上での彼の主張になりますが、岡田伊織さんの身籠っている子供の父親は自分ではなく、誰か別の男が父親であり、自分が認知する必要はない。

岡田伊織さんには付き合っている男性がいて、相手はおそらくその男性であり、責任はその男性に取らせるべきだ。

関係を持ったことは事実として認めるが、それは両者合意の上であり、そもそも自分は岡田伊織さんに彼氏がいることを最初は知らなかった。

手を出してしまったことを相手の男性には謝罪したいと思っている。

との事でした。」


部屋にいる、全員が絶句した。


弁護士の先生は続ける。


「もちろん私は、彼の言っていることが真実ではないと思っております。

もう少し時間が経てば、出生前遺伝子検査も可能となります。

その結果を持って彼と話すことも可能です。

私は弁護士というよりも、塩崎社長の長年の友人として言いたいことがある。

塩崎は昔から真面目で一本気、熱くなると周りが見えなくなる事もあったが、他人のことを思いやり、友人として誇らしい人間だった。

なぁ、塩崎、お前は、彼はどこで間違えてしまったんだ?」


お父様は、ポツリポツリと話してくれました。


「どこで、間違えたのか、か。

お前の言う通り、俺は間違ってしまったんだろう。

昔の俺を知ってるお前ならわかってくれると思うが、俺の家はかなり貧しかった。

それこそ、毎日の食事に困るくらいにな。

だから俺は必死になって勉強した。

そして小さいながらも会社を興し、妻を迎えることができて、輪をかけて仕事人間になった。

妻には迷惑をかけたと思う。

家のことなんて顧みず、只々仕事しかしなかったんだから。

だけどそのかいあって、会社は少しずつ大きくなっていった。

その頃だったかな。

ようやく妻に子供ができた。

医者からは子供はできにくいと言われていたから本当に嬉しかった。

妻は万が一があるといけないと、実家に帰した。

そして俺は家族のために、さらに仕事に打ち込んだ。

寝る間も惜しんで働いた。

働いて、働いて、体を壊す一歩手前だったと思う。

あいつが、新太が生まれた。

嬉しかった、子供ができたと言われたときより、会社が大きくなったときより。

夜中だったが車を飛ばして見に行った。

夜中に面会ができないことすら忘れていた。

車の中で夜を越し、朝になって時間が来るまで病院の前で立ち尽くした。

ようやく子供の顔を見たときは涙が出たよ。

もう俺も40手前だったな。

いい年したオヤジが子供を見て号泣してるんだ。

病院の人に怒られるまで泣きつくしたよ。

そして俺は決めたんだ。

この子には俺のような苦労はさせない、と。

妻と子供が家に戻ってからは、俺も少しだけ家のことを手伝うようになった。

妻からは人が変わったようだと驚かれたが、このままじゃいかんとも思っていたからな。

無理な仕事も受けないようにして、その時間を子供のために充てた。

楽しい時間だったよ。

そして仕事よりも大変だった。

子育てするくらいなら、2日や3日徹夜で働く方がずっと楽だと思ったくらいにな。

そして俺は、あいつを甘やかしすぎたんだろうな。

おもちゃでも何でも買ってやった。

俺が子供の頃にしたくてもできなかった事は全部してやった。

勉強はあまりできなかったが、健康であればそれで良かった。

でも、それだけじゃダメだったんだな。

今更になって気づいたよ。

俺も妻も、あいつのことを見ているようで見ていなかったんだ、と。

さっき会ってしみじみと思った。

少し前にお前も知っている宮崎達がここから離れていった。

原因はあいつだ。

そのせいで宮崎の子供のさくらちゃんも傷つけてしまった。

本当に悪いことをしたと思っている。

できる事はしたつもりだが、おそらくあの子の心には大きな傷を残してしまっただろう。

残された俺たちにできることは、あいつをさくらちゃんに関わらせないことだけだ。

そして、俺は今受けている大きな仕事が終われば、後進に会社を譲るつもりだった。

これはもう会社の人間も知っているし、妻も理解してくれている。

その矢先に、こんな事が起こってしまったんだ…」


「譲るって、こんな事を言うのもなんだが、それでいいのか?」


「いいも何も、あいつに会社を継がせることはできんよ。

いや、今回のことがあったからじゃない。

元々そのつもりだった。

それくらいは馬鹿な親でもわかっている。

あいつに継がせても、持って2ヶ月だろう。

そんな沈むとわかっている船に、大事な社員やその家族を付き合わせることはできん」


「そう…か。

いや、思ったよりも冷静に見ることもできたんだな」


「まぁ、な。

いや、もっと冷静に見ておくべきだったんだ。

これももう、今更だがな」


お父様は淡々と話してくださいました。


彼を取り巻く環境を聞くことが出来たのは嬉しかった。


だけど気になることがある。


『さくらちゃん』?


彼が偶に口にしていた幼馴染の人だろうか。


名前を聞いたことがなかったし、たまに彼がクソ女と呼んでいる人がいたけど、おそらく間違いないだろう。


その後の話し合いの結論として、私は出生前遺伝子検査を受けさせられることになった。


まぁそんな検査なんてしなくても、私には彼しかいない。


わかっている、きっと彼も不安なんだ。


検査をして、自分の子供だと知りたいのだろう。


大丈夫、心配なんかしなくても私とあなたの子供だよ。


だけど、1つだけ心に引っかかることがある。


(自分じゃなく、他の彼氏?

誰のことだろう…。

そんな人、居るはずないのに)


ご両親と弁護士の先生が帰り、私も部屋に戻ろうとすると、


「ちょっと待ちなさい」


と、母親から声をかけられた。


「……なに?」


「いいから、ちょっと座りなさい」


何を言われるかの予想はつく。


どうせまた、堕ろせと言われるのだろう。


私はさっきまで座っていた席に腰を下ろす。


「もう一度確認するけど、本当にあいつの子供なの?」


あいつとは随分な言い方だ。


私の愛する人なのに。


だけどどういう意味だろう。


私が黙っていると、


「万が一でも、友哉くんとの可能性はないの?」


「……は?」


「だから、あなたの子供の父親よ。

友哉くんとは、そういうことはなかった?

いえ、彼に限って無いとは思うのだけど、ほんの少しでも可能性はないの?」


いったい私は何を聞かれているんだろう。


「ゆうや?それ、誰?」


母は愕然としていた。


普段あまり表情を見せない父親も驚いている。


2人とも何をそんなに驚いているんだろう。


「……あなた、何を、言ってるの?」


何を言っているのか聞きたいのはこっちの方だ。


訳の分からないことを言って、混乱させたいのか。


「私が愛しているのは新太くん。

そのゆうやって人は知らないけど、お腹にいる子供も新太くんが父親だし」


二人とも、さっきから何をそんなに驚くことがあるのか。


何故か無性にイライラする。


「話はこれだけ?もう寝るから」


そう言って私は自分の部屋に戻る。


あの2人はおかしい。


私と彼の愛する子供を堕ろせだの、果ては知らない男の名前を出して、そいつがこの子の父親だの。


そんなことあるわけがないのに。


イライラしたまま眠りにつく。


(次、新太くんと会えるのはいつだろう)


そう考えると少し落ち着いた。


やっぱり私の旦那様は彼しかいない。


数週間たち、病院に連れて行かれる。


ここ最近は家にこもりきりだったので、外に出るのはかなり久しぶりだ。


色々な書類や検査が煩わしい。


こんな事をしても無駄なのに。


だけど新太くんのためと思って堪える。


私の髪の毛と、新太くんの使っていたブラシに残っていた髪の毛を使用する。


結果が出るには、早くても数週間かかるらしい。


私はもう限界だった。


もう一月近く彼に会えていないのだ。


母親と弁護士の先生に私は嘘をついた。


「彼と別れることも含めて、一度本人と話をしたい。」


死ぬほど嫌だったが、これも会うためと無理やり自分を納得させた。


弁護士の先生は訝しんでいたけど、母親はすぐに賛成してくれた。


おそらく心労で疲れ切っていて、まともな判断ができていないのだろう。


母親からも弁護士の先生を説得してもらい、近いうちに会えることになった。


(待っててね、もうすぐ会いに行くからね……)


———side 塩崎 新太———


明日、あのバカ女が会いに来るらしい。


はっきり言って会いたくはねぇけど、マトモな理由もないのに断ってばっかじゃ心象を悪くしちまう。


さて、どーしたもんかね。


いい加減あいつにはウンザリだ。


さっさと堕ろしゃあいいものを、産んで育てるって言いだして聞かないらしい。


バカとしか言いようがない。


だいたい世の中なんて、騙されるやつが悪いんだ。


弱いやつは搾取されるし、馬鹿なやつは利用される。


世の中そんなもんだ。


俺は自分が馬鹿だと理解してる。


だけどただのバカじゃねぇ。


利用する方のバカだ。


俺には学がねぇ。


だけど知識はある。


それをとことん伸ばした。


金を使い、人を使い、暴力も使った。


使えるものは何でも使う、それが俺だ。


だいたいあのバカ女も、勉強ばっかしてっからこんなことになる。


他にやることやっときゃ、こんな事にゃならなかった。


自業自得だ。


それにこの年で父親なんて冗談じゃねぇ。


なんでわざわざそんな苦労する道に行かなきゃなんねぇんだ。


俺は死ぬまで遊びてぇ。


テキトーなところで親父の会社を継いで、若い女捕まえてテキトーに遊んで暮らす。


会社なんて正直どうでもいい。


親父が苦労して大きくしたとか言ってたが、俺の財布であること以外興味はねぇ。


そのためにもあいつの存在は邪魔だ。


外に出りゃ方法はいくらでもあるが、ここだと手のうちようがねぇ。


ダチの一人でも来てくれりゃ指示も出せるが、面会の許可はおりねぇだろう。


揃いも揃って役立たずばっかだからな。


こんな時のために、仲間内でしか伝わらねぇ暗号まで決めたってのによ。


周りが聞いても世間話にしか聞こえねぇはずだ。


手紙も考えたが、そもそもアイツラの住所なんて覚えてねぇし。


だがまぁそれももう暫くの辛抱だ。


おそらく俺は有罪判決になるが、初犯で態度も良けりゃ執行猶予かつくはず。


その辺は抜かりねぇ。


証拠なんて残してねぇし、あってもたいした証拠にはならねぇ。


あとはヤニが吸えねぇのはきつい。


さっさと、裁判でも何でもしてくれと思うが、このへんはやたらと時間がかかるからな。


(ったく、めんどくせぇ!)


誰に聞かれるかわかったもんじゃねぇから声には出せねぇけど、悪態くらいはつかせてくれ。


明日のことを考え出すとイライラする。


(やったこたねーけど、外してみるか…)


相手を洗脳させる方法を覚えるとき、万が一の事も考えて解除方法も覚えておいて良かった。


実際試したことはねーけど、駄目なら駄目で別にいい。


そんときゃ堕ろすように誘導するだけ。


立会人がめんどくせぇが、それも仕方ねぇ。


どうせやることは無いし、裁判までの暇つぶしだ。


翌日、バカ女がノコノコやってきやがった。


俺の顔を見るなり笑顔全開なのは笑えてくる。


世間話ついでに情報収集をやっておく。


どうやら遺伝子検査をやってるらしい。


(まじぃな……)


検査はおそらく100パー俺の子と出るだろう。


こいつが別の男に股開いてればいいが、おそらくそれはねぇ。


毎日俺んとこ来てたし、そんな真似ができるほど器用じゃねぇはずだ。


横にいるのはたぶんこいつの母親だな。


俺を殺すみたいに睨んできやがる。


まずはこっちから味方にしねぇとな。


俺は丁寧な口調を心がけながら母親と話す。


これでも長いことこれで周りを騙してきたんだ。


今の弱ってそうな母親なら楽勝だろう。


後ろの弁護士とかいうやつがうぜぇけど、こいつはとりあえず無視しとく。


たしか親父の知り合いだったし、ここでミスると後がめんどくせぇ。


母親をいい感じに信じ込ませたところで、二人で話がしたいと願い出る。


母親の方も勝手に別れ話をすると思い込んでくれたんだろう。


弁護士の方は残るかなと思ったが、いい感じに勘違いした母親が連れ出してくれた。


思わぬラッキーだが、喜んでる暇はねぇ。


なにせ残り時間がもう少ないからな。


「伊織、よく聞けよ?

俺も本当はお前と一緒になりたいと思ってる。

だけどそれは今じゃねぇ。

それに今はお前も大変だろ?

よく思い出せ、お前が最初に好きになったやつは誰だった?

そいつのことが好きじゃなかったか?

子供の相手はそいつじゃねぇのか?

俺のことは心配いらねぇ。。

そいつのことを考えてみろ。

俺が今までお前に嘘を言ったことがあるか?

俺を信じろ。

俺はお前がそいつと幸せになれるように、手伝ってやったんだろ?

よく思い出してみろ。

お腹の子供のことをよく考えてみろ。

ほら、な?

やっぱり俺じゃなくて、お前はそいつといるべきなんだ。

わかったか?

わかったら、お前がやることはわかってんな?」


まぁこんな適当なことを言ってみた。


バカ女は俺のことをじっと見ている。


効果が出るかはわかんねぇが、まぁそれもただの暇つぶしだ。


その後もいくつか洗脳が溶けそうな言葉を並べて、俺は面会室を出る。


(あーあ、柄にもねぇこと言ったから、ヤニが吸いたくて仕方ねぇよ)


———side 岡田 恭子———


面会が終わってからの娘の様子がおかしい。


いや、おかしくなっていたときに気づけなかった私が言うのも烏滸がましいが、それでも明らかにおかしい。


面会に行くまでも、以前の娘からすれば人が変わったかのようにおかしくなっていた。


だけど今はそれに輪をかけておかしくなっている。


(やっぱり、会わせるべきじゃなかった……)


今更後悔しても遅いのはわかっている。


だけど、そう思わずにはいられない。


娘から行く前に一つお願いをされた。


「最後でいい、少しでいい、2人きりで話をさせて欲しい」


本来は断るべきだ。


なぜかはわからないけれど、娘がこうなってしまったのは、おそらく相手が原因だろう。


思い返せば少し前から予兆はあった。


突然化粧をしだし、持ち物の趣味が変わり、髪の色まで変わっていた。


忙しかった自分を言い訳にするつもりはない。


どんなに忙しくても、私がこの子をしっかり見守るべきだった。


相手が友哉くんであると思いこんでいたのも失敗だった。


私の勘違いのせいで、おそらく彼も傷つけてしまった。


だけど今はそんなことどうだっていい。


これは私の家族の問題で、いちばん大切なことは娘のことだ。


少し話をして、塩崎新太は危険だと直感した。


何が危険かは分からないが、多分コイツは私達家族を舐めきっている。


いや、私達家族だけじゃない。


たぶん大人、もしくは世間をどうにでもできると思っている。


私も曲がりなりにも社会を生きてきた。


それこそ、娘やこの男の倍以上。


その私の感が警告を鳴らす。


危険、だと。


背中に寒気を覚える。


たかが17、18くらいの子供に、ここまで恐怖を覚えたことはない。


ここで対応を間違うわけにはいかないが……。


ちらっと同席してくれた先生を見る。


先生には事情を説明している。


私達の見解は一緒だった。


おそらく、ここで娘との約束を破れば、この子は子供を無理してでも産んでしまう。


そして、今のこの子は正常な判断ができていない。


薬物検査は陰性だった。


なにかドラッグにでも嵌められたかと思ったが、結果を見てホッとした。


ではなぜ、あんなに優しくて賢明だったこの子がこんなふうになってしまったのか。


私達夫婦には見当がつかなかった。


正直に言えば、このまま娘の腕を掴んででも帰りたいと思っている。


だけどそれでは問題は解決しない。


先生の合図は……『そのまま予定通りに』。


私が悩んだ場合、先生を見る。


動かなければ肯定、腕を組めば否定。


そういうサインを決めていた。


もちろんそれだけで解決できないこともあるけれど、参考までにという範囲で。


そして私は予定通りに先生を促して席を立った。


娘もアイツもそのことに満足したらしい。


ドアを閉めるふりをして、少しだけ開けておく。


これも予め先生が相談し、許可を得たそうだ。


これで少なくとも会話は聞こえる。


話を聞いていたが、私には意味が分からなかった。


自分を信じろ?思い出す?それに彼氏?


バカバカしい。


信じろと言って信じてくれるなら、誰も苦労なんかしない。


それに彼氏?彼氏はお前じゃないのか?


友哉くんの事を言っているの?


それにこれはどう見ても、


「……マインドコントロール?」


私と先生の意見は同じだった。


だけどまさかと思ってしまう。


まさか誰も、20歳にもならない、学校もまともに行ってないような子供が、そんな事ができると思うだろうか。


(……ありえない)


そう思ってしまう。


だけど本当にありえないのか。


現に数日前、伊織は友哉くんの事が分からなかった。


あれは演技には見えなかった。


そもそも娘はウソが下手くそで、嘘をつく時に独特の癖をしてしまう。


多分あれは本当に忘れていたんだ。


ゾッとする。


少なくとも私の理解の範疇にはない。


マインドコントロールなんて、それこそ宗教や戦争の話だと思っていた。


それも私は眉唾だと思っていた。


だけど……これはまるで……。


急いで部屋に入り娘の腕を掴み部屋を出る。


ここからは先生とは別行動だ。


私は急いで娘を車に押し込み、エンジンを掛けて建物を出る。


こんなところ、一刻も早く出ていきたかった。


伊織に反応がない。


視点が合わず、どこか遠くを見ている。


(このまま病院に連れていくべき…。

でも、なんて説明すればいいの?

娘が洗脳されてますって?

冗談じゃない、そんなこと言ったら、私の方が頭を疑われてしまう…)


どうすればいいのかわからない。


とりあえず家に帰ることにする。


その判断を、私はこのあとすぐに後悔することになる。


家に帰ったら、伊織はフラフラと自室に戻っていった。


私はどうすればいいのかわからず、とりあえずネットでマインドコントロールについて調べてみた。


思いの外たくさんの結果があり、専門の病院もあるようだ。


とりあえず明日にでも受診してみようと思い、近いところから電話を入れていく。


夫が帰ってきても、私はまだ調べ物をしていた。


私が知らなかっただけで、洗脳というのが身近にあるようだ。


例えばそれは親子間や男女間、夫婦間などで起こりうるらしい。


気持ちが悪い。


体を寒気が襲い、身を震わせる。


まさか、うちの子に限って。


とり急ぎ、今日あったこと、今調べたことを夫に相談する。


夫も判断がつかないようだ。


それも当然のこと。


言われてすぐに納得されたほうが、逆に驚いてしまう。


とりあえず明日、精神病院を受診することを伝えると、それがいいだろうと賛成してくれた。


伊織は寝てるのだろうか。


物音はしていない。


何かあったときにすぐわかるように、ドアは開け放してある。


そろそろ様子を見に行こうと2階に上がろうとしたとき、


「いやぁぁぁーーー!!!あぁぁぁぁあぁ!!」


という叫び声が聞こえた。


慌てて階段をかけ上がると、腕をかきむしりながら絶叫している娘が居た。


一瞬動けなくなってしまう。


白かった腕は真っ赤に腫れて、血を流しながら、場所によっては肉が見えている。


布団の上には血が飛び散り、赤い染みを作っている。


腕から頭に手がまわり、次は頬や髪の毛を掻きむしる。


私は思わず娘を羽交い締めにする。


しかし、全力で暴れられては、私一人の力では抑えることができない。


夫もすぐに駆けつけ、状況を理解できないまま、私とともに娘を捕まえる。


まずは腕をどうにかしなくてはならない、


夫が背中側に周り、背後から腕を含めて抱きしめる。


頭を振り回すので、長い髪が鞭のように私達に当たる。


(完全に錯乱している……)


暴れる足を抑えながら、手元にあった娘の携帯電話を手に取る。


待ち受け画面には、笑顔の娘と仏頂面のヤツの顔。


憎らしく思うが、今はそれどころではない。


殺してやりたい気持ちを抑えつつ、救急に電話をかける。


状況を説明するのに少し手間取ってしまったが、どうにか電話を終えて、また全力で抑える。


夫も私も、娘の血で酷く汚れていることだろう。


しかしそんなことを気にしていられない。


放っておくと、おそらくまた発作のように自らを傷つけるはずだ。


一分一秒がものすごく長く感じる。


(まだ!?救急車は、まだ来ないの!?)


大人二人がかりとはいえ、全力で暴れているのを抑えるのは容易ではない。


そうこうしていると、次第に娘の口から発せられている言葉に変化が起きた。


最初は全く聞き取れなかったが、今はなんとか聞き取ることができた。


「うやぁぁあぁぁ!ゆぅやあぁぁあぁぁ!」


友哉くんの名を呼んでいるのか?


私には何が起きているのかわからない。


それこそここ最近は、友哉くんの名前なんて一度も聞いたことがない。


遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。


家の住所は伝えてあるが、玄関の鍵を開けなければならない。


私は未だ後ろから拘束している夫に目で合図を送る。


夫は頷き、足まで使い娘を拘束し始めた。


慌てて一階に降り、救急隊員を迎え入れる。


状況を再度説明し、2階へと案内する。


何も知らない人がこの光景を見たら、どう思うのだろうか。


腕や顔から血を流しながら暴れている若い女と、それを羽交い締めにしている中年の男。


同じように思ったのか、一瞬隊員の動きが止まった。


だけどそれもほんの一瞬で、隊員3人と夫の計四人で娘を運び出す。


流石に男四人の力には勝てず、少々暴れながらも、無理やり救急車へと運び込まれた。


ストレッチャーで拘束され、病院を選ぶ前に、まず薬物を疑われた。


詳細は伏せたが、数週間前に薬物検査を受けて、陰性だったことを話す。


隊員は少し驚いていたが、それならと少し離れている大学病院に連絡を取った。


緊急対応可能ということで、夫だけが付き添いで同車させてもらう。


流石に血がついたままというわけにはいかないので、夫と娘の着替えを用意し、バッグに詰め込む。


自ら車を運転し、病院についた時には既に処置中のようで、椅子に夫だけが座っていた。


流石に血まみれの状態では、と着替えを渡し、私も椅子に座り込む。


(いったい、なにが、どうしたっていうのよ……)


どんなに考えようと、答えなど出るはずもない。


戻ってきた夫と手を取り合い、処置が済むのを待つしかできない。


どれだけそうしていたのだろう。


扉が開き私達は医師に呼ばれた。


分かっていることは少ないが、それでも全ての事を話した。


女性医師は、しばらく考え込んだあと、重く口を開いた。


「もう一度、薬物検査をしてみましょう。

現在は薬が効いていて眠っています。

私も確認しましたが、どう見ても普通の状態ではありません。

洗脳、と言われましても、知識の無いものが行うというのは、簡単には納得できません。

娘さんの身体を確認しましたが、腕や顔の傷以外に外傷はほぼ確認されませんでした。

痣はいくつか有りましたが、これは新しく、おそらく今回の件で暴れたことが原因と思われます。」


もちろん私だってそんな事を信じたくはない。


ただ、何故かそれがしっくりきてしまうのだ。


「ただ、可能性が低いからと言って否定することもできません。

明日からは詳細な検査とともに、臨床心理士にも相談してみてください。

彼らはその道のプロですので、私よりも詳しく教えてくれるはずです。

現在は病室に移っていますので、お手数ですがどちらかは付き添いをお願いします。

また、いつ目を覚まして先程のような状態になるかわかりませんので、現在も身体は拘束しております。

これもご理解ください。

また、目を覚ましたら、どんな状態であれすぐにナースコールをお願いします。

安易に外してしまうと危険ですので、絶対に拘束具には触らないでください。

心苦しいかと思いますが、これも娘さんのためですので、どうかご理解ください。」


そう言うと頭を下げられた。


頭を下げたいのはむしろこちらの方だ。


私達は深くお礼を伝え、病室に案内される。


部屋にはベッドに締め付けられた娘の姿があった。


涙を流しながらその姿を見つめる私の肩を、夫はそっと抱きしめてくれた。


個室なのが幸いし、その日は2人で娘を見守り続ける。


仮眠を取るよう勧められたが、娘の姿を見ると、とても眠る気にはならなかった。


夫も同じ気持ちのようで、2人肩を寄せ合いながら眠る娘を見続けた。


———side 岡田 伊織———


朝、目が覚めると、知らない部屋に居た。


(頭、痛い……)


ここはどこだろう。


周りを見ると、頭の横に両親が座っている。


(え……なんで……?)


声を出そうとしても、何故かうまく出せなかった。


そして、


(……からだ、動かない)


見ることができるのは正面と左右だけ。


足元を見ることはできない。


わけも分からず戸惑っていると、お母さんが壁に向かって必死に何かを喋っている。


(……なに?どういうこと?)


残念ながら頭の上は見えないが、どうもここは病院のようだ。


だけど、なぜ自分がここにいるのかがわからない。


頭はモヤがかかったように重く、思考が鈍い、考えが纏まらない。


少しすると、扉が開く音がして、数人が部屋の中に入ってきたらしい。


「岡田さん、岡田伊織さん。

私が言っている言葉がわかりますか?」


「……ぃ」


「ああ、無理に話さなくても大丈夫ですよ。

できるなら首を動かすだけでも大丈夫ですからね?」


私はコクリとうなずく。


それからいくつか質問された。


おそらく複雑な返答が必要な質問は飛ばされたんだろう。


私は分かることだけ答えた。


それから少しずつベルトのようなものが取られていく。


どうやら私は動けないように縛られていたらしい。


お母さんと看護師さんが私の背中を支えてくれて、私はとりあえずベッドの上に座ることができた。


お父さんが部屋から出ていき、簡単な検査を受ける。


それにしても訳がわからない。


なぜ自分はここにいるのか。


なぜ腕が包帯で巻かれているのか。


なぜこんなにも、焦りに似た感情が次から次に湧いてくるのか。


すぐにでも何かをしたいのに、何をすればいいのかわからない。


それが余計私を苛立たせた。


だけど声を出すことができないので、意思を伝えることもできない。


「どうやら声帯を傷めているようですね。

昨夜かなり声を出したと聞いているので、その影響でしょう。

意識の方も問題はなさそうです。

あとは午後から検査に伺いますので、準備をよろしくお願いします。」


お医者様が出るのと入れ替えで、お父さんが戻ってきた。


飲み物を買ってきてくれたようで、私はお茶を受け取る。


冷たいお茶が気持ちいい。


そういえば、さっき言っていたのは何のことだろう。


大声を出した?私が?


思い出せない。


そもそも、今朝起きる前までのことがわからない。


私は昨日何をしていたの?


一昨日は?その前は?


(………あたま、いたい……)


私が頭に手をやると、2人は過剰なくらい心配する。


お父さんなんか、慌てて私の手を取ろうとするくらいだ。


(…変な二人)


お父さんが携帯電話を持っていたようで、それを借りる。


これなら文字を打てば喋らなくても伝えることができる。


「…どこか、気分の悪いところはない?」


首を横にふるだけ。


「…痛いところは?」


顔と腕を指差す。


鏡がないから分からないけど、私の顔はなんで痛いんだろう。


「…昨夜のこと、覚えてる?」


また、首を横にふるだけ。


「…その前のことは?」


これも首を横にふるだけだけど、ちょっと携帯を使ってみる。


『覚えてない。

なんで私はここにいるの?』


お母さんは言葉に詰まる。


『なんで私は、縛られてたの?』


お母さんから答えはない。


『今日って、何日?』


これは聞かなくても携帯を見ればわかる。


だけど、あえて聞いてみた。


「2月、10日、かな…」


2月10日!?


大学入試試験は!?クリスマスは!?お正月は!?


私は何をしていたの?


試験は?ちゃんと受けたよね?


だって※※※※と同じ大学に行こうって約束したし。


※※※※、誰…だっけ。


違う!


忘れるわけない、私が、忘れるなんて…。


……分からない。


だれ、教えて、助けて、※※※※、お願い、お願いします、助けて、助けて、たすけて、たすけて、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ!


「すいません!誰か!娘が、また!!」


———side 岡田 恭子———


「すいません、こちらのミスです。

朝の受け答えはしっかりと出来ていたので、思わず安心してしまいました。

こうなる可能性があることは予想できていたのに、本当に申し訳ありません」


「いえ、謝らないでください。

私達も軽率でした。

それに、こんな状態の娘を見るのは……やっぱり、辛くて。

もしそちらが拘束したとしても、私達が解いていたかもしれません。

だって、あんなに普通の顔を見るのは……久しぶりでしたから」


あのあとまたパニックを起こした伊織は、駆け込んできた医師に再度薬を打たれ、また眠りについた。


「こんな時に聞くのも心苦しいのですが、今回はいったい何が原因なのかわかりますか?」


原因……、おそらく、彼のことだろう。


「すいません、ここでは説明し辛いので、場所を変えてもよろしいでしょうか。」


「はい、もちろんです。

それではこちらにどうぞ」


夫にあとを頼み、私とお医者様、そして一人の看護師と、初めて見る方があとに続く。


「こちらの会議室にどうぞ」


私の向かいにお医者様と初めての方、私の隣に看護師が座る。


「まず初めにご挨拶をさせてください。

私は瀬川と申します。

この病院の心療内科に努めていて、お嬢さんの担当をさせていただきます」


そう挨拶された。


私も慌てて自己紹介をし、頭を下げる。


見た目30代くらいの女性で、優しげな顔が好印象だった。


それでは、と前置きをして、今朝の状況を話す。


推測を交えてもいいものか悩んでいたが、瀬川医師の方から、


「それで、お母様は何が原因だと考えられていますか?」


と、逆に聞かれてしまった。


おそらく、と前置きをした上で、私の考えを述べる。


あの子が変わってしまう前、それもおそらく夏休み前だろう。


突然予備校に行きたいと言い出した。


それまでは多少成績が下がったとしても、そこまで気にする様子はなかったのに。


そして、あの子が気にする最大の要因は、おそらく彼氏の存在だろう。


それまでは見ていて恥ずかしくなるくらい浮かれていたのに、突然彼のことを話さなくなり、見た目や持ち物が変わり、最終的には自分の髪の色まで変えてしまった。


私はてっきり友哉くんのためだと思っていたけれど、今となってはアイツのせいではないかと思っている。


さらに私を愕然とさせたのは、昨夜寝ているときに初めて気がついたのだが、娘はピアスを複数個開けていた。


友哉くんには悪いが、彼は純朴そうな子で、休みの日の私服を見てもアクセサリーの一つもつけていなかった。


もちろんピアスなんて開けていることもなく、そんな彼が彼女である娘に対し、ピアスを開けさせるなんて思えない。


やはりこれもアイツの影響なのだろう。


私が苦々しい顔をしていると、瀬川医師が、


「お母様は何か事情を知っているようですね。

どうか、教えていただけないでしょうか。

私はできることなら彼女も、そして苦しんでいるご家族の力にもなりたいと思っています。

もし話したくないようなことであれば、無理にとは言いません。

ですが、話をすることで、少しでも楽になれるのなら、どうぞ気にせずお話ください。

もちろんここでの内容は外部に漏れることはありませんし、何なら他の2人には席を外してもらいます」


そう言うと瀬川医師は残りの2人に目を向ける。


2人は静かに頷く。


私は悩んだ末に、少し長くなりますが、と前置きして話を始める。


彼氏ができて浮かれていたこと、成績が落ちて落ち込んでいたこと、予備校に通ったが数ヶ月で行かなくなってしまったこと、家にもなかなか寄り付かなくなり、どこかで深夜まで過ごしていたこと。


そして、警察から連絡があり、娘が暴行の現場にいた事。


さらに、現在妊娠していること。


看護師はさすがに驚きを隠せなかったが、瀬川医師は眉一つ動かさず、ただじっと話を聞いてくれた。


そして、お腹の子供の父親が、おそらく現在勾留中の塩崎であること。


一度彼氏である友哉くんの名前を出したが、本人がその名前を忘れているようであったこと。


昨日、本人の希望もあって、塩崎と面会したあとにおかしくなってしまったこと。


もちろん、塩崎から伊織に対して発した言葉も可能な限り伝えた。


昨夜説明した内容は共有されているのか、途中から瀬川医師はメモを取りだしていた。


「内容については、ある程度把握しました。

昨夜診察をした医師からは事情を聞いていたのですが、かなり珍しいケースかと思われます。

私の所見といたしましては、やはりまずは薬物を疑います。

躁鬱状態や、暴れだすなどの症状は、薬物中毒者にとても多い症例です。

これはどの医者に聞いても同じことを言うでしょう。

もう一つ懸念されている洗脳についてですが、これは思ったよりも難しくありません。

極端な話、誰にでも可能です。

一般的には暴力や薬物を用いるのが有名ですが、言葉や行動だけでも可能です。」


瀬川医師はその後もいくつか事例を上げて、今後の対応についても提案してくれた。


「まず初めに、治療するためにはご家族の協力は必須です。

家族が患者のことを理解し、協力することで早く完治するケースは多いと言われています。

ですが、なにぶん心のことなので、外傷のようにいつまでに治るとは言い切れません。

もしかしたら明日治っているかもしれないし、10年後も変わっていないかもしれない。

これをご理解ください」


その後も瀬川医師は、これまでにあったケースや、治療法についての説明をしてくれた。


私は大事な所を必死にメモを取りながら話を聞く。


(大丈夫、家族のためだ、やり通す)


そう心に誓い、お礼を伝え部屋をあとにした。


外傷は少し残っているけれど、これ以上の入院は難しいとのことで、伊織は病院を移ることになった。


瀬川先生が在席している心療内科だ。


本人と話していい内容は、瀬川先生の指示の下、慎重に決められている。


また、面会は基本的に自由だが、人数と時間が決められていて、病院関係の誰かが同席する決まりとなっていた。


これは突発的に暴れたりするときの対処らしい。


テレビもなく、携帯電話も使えない。


何がきっかけになるかわからないので、本や雑誌を読むこともできない。


私からすれば逆にストレスの原因となりそうだが、本人は意外と平気そうにしている。


なんでも、瀬川先生や他のお医者さん、看護師さんと話すのが楽しいし勉強になるそうだ。


こんなに明るく笑いながら話すなんて、いつぶりだろうか。


必死に涙を我慢しながら、私はできる限り時間を作り娘の病院に顔を出す。


差し入れは少しだけなら見逃してくれるので、コンビニのお菓子やデザートを少しだけ毎回待っていく。


これについても、担当してくださる先生方が慎重に聞き取りを行った結果だそうで、例えば話題のお菓子などを持っていくと、それがトリガーになってしまう事もあるそうだ。


私は許可されたお菓子を片手に、今日も病院に顔を出す。


幸いなことに今は仕事も閑散期なため、比較的自由を許されている。


会社には詳細を説明していないが、入社当時からの先輩社員にだけは簡単に説明をしておいた。


小さい会社なので人がそれほど多くはないが、20年以上付き合いのある先輩なだけに、ある程度察してくれたらしく、社長には自分から上手く言っといてあげるから気にしなくていいと言われた。


入院してからもう何日経っただろうか。


最近は笑顔も増えてきて、嬉しい限りだ。


だけど大きな心配事がある。


伊織のお腹が、ほんの少しだけど膨らんできている。


本人は、動けないのに食べるからなんて言っているが、どうやら妊娠していることも忘れているようだ。


これは瀬川先生も同じ見解だが、どこでそれがバレるか気が気ではない。


昔から伊織は生理不順気味なので、それについては本人も不思議に思っていないようだが、それもいつまでも続くはずがない。


私としては今すぐにでも中絶手術をしてほしいが、少なくともこの日本においては、本人の承諾なしの手術は難しい。


だけど、本人の意思を確認するには妊娠していることを告げなければならないし、その場合は必ず相手の話になってしまう。


そうなった場合、パニックを起こすことは想像に難くなく、良好な状態が続いている現在、それをいつ告げるのかは私や夫、瀬川先生も含めて意見が別れている。


私は昔に戻ってくれたような伊織を見ると安心してしまう。


短い時間だけど色々な話をしてくれるこの子は、それこそ数年前に戻ったようだ。


だけど、お腹に目をやると、私は途端に現実に引き戻されてしまう。


少し前の、荒れ果てた娘に戻るのならまだ許容できる。


だけど、それすら超えて、それこそ娘が壊れてしまったら……。


どうしてもそう考えてしまう。


そうなると、その最後の一歩を踏み出せなくなってしまう。


憂鬱な気持ちで病院に向かう途中、高校生の一団とすれ違う。


(少し前までは、あの子も当たり前のようにああしてて学校に行っていたのに…)


病院の敷地内に着くと、先生方が慌てたように走り回っている。


私の姿を見つけると、瀬川先生が駆け寄ってきてこう告げた。


「娘さんが、伊織さんが居なくなりました……」


———side 岡田 伊織———


なんで、わたしは、あそこに、いたんだろう…。


道路を歩きながら、ふとそんな事を考える。


お腹を擦りながら、入院中に着ていたパジャマのままで目的地を目指す。


すれ違う人が私を見て驚いているが、そんな事はどうでもいい。


(もうすぐ、パパに会わせてあげるから、ね)


お金がないのでバスやタクシーには乗れない。


仕方ないので歩くだけ。


入院していて体力は落ちているが、そんな事も気にならない。


大事なのは、この子が幸せな世界に生まれてくることだけ。


(もう少しだよ、もう少し、もう少し)


目指す建物は目の前まで迫っていた。


———side 岡田 恭子———


関係者から謝罪を受けるがそんな事はどうでもいい。


大事なのはあの子がどこに行ったのかということ。


院内は隈無く探したらしい。


病室に備え付けのトイレが壊れたようで、仕方なくホールのトイレに行ったそうだ。


そして、なかなかトイレから戻ってこないことを不審に思った看護師が見に行った時には、その姿は無かったらしい。


よく調べたら、トイレは自力で壊されていて、完全に計画的だったようだ。


だけど、それも今はどうでもいい。


お金で済むのなら働いてどうにかする。


だけど、あの子の命だけは、お金でも時間でも、ましてや謝罪でもどうにもならない。


車を飛ばして家に向かう。


横に看護師の一人に乗ってもらい、途中の道を見てもらう。


(家に帰った様子はない……)


次にまさかと思い、拘置所に向かう。


守衛さんからは、誰も来ていないと言われる。


(どこ?どこ?どこよ!)


まさかと思い友哉くんの家にも向かう。


うろ覚えではあったが、目印を聞いていたのでなんとかたどり着く。


職人さん達が作業をしていて、そんな子は見ていないと言われる。


(モール…は流石に遠すぎる。

予備校…はあまり思い入れがないはず。

まさか……学校!?)


一番可能性のある所を失念するなんて…。


だけど反省はあとから。


再度側道をしっかり見るように頼み、私はアクセルを踏み込んだ。


———side 岡田 伊織———


久しぶりの学校は、なんだか違う気がした。


ゆうやくんの教室に行ってみたけど、男の子が何人かいるだけでゆうやくんはいなかった。


(もしかしたら、私の教室にいるのかも?)


そう思って私の教室に行ってみたけど、そこには誰もいなかった。


一緒に御飯を食べた中庭、一緒にお勉強した図書館、一緒に……………。


ゆうやくんはどこにもいない。


そしてみんなが私を見ている。


なんでだろう?


私もこの学校の生徒なのに……変なの。


あてもなく学校を歩いていたら、知ってる女の子に会えた。


たしかこの子は紫藤みちるちゃん。


一年生と二年生のときに同じ委員会になって、私と仲良くしてくれた子。


「岡田……さん?

なんで……ここに?」


なんでここに?


みちるちゃんも変なこと言うね。


そんなの、私がゆうやくんを探してるからに決まってるのに。


あぁ、でもそうか。


みちるちゃんは私とゆうやくんがお付き合いしてるの知らないのかな?


じゃあ教えてあげないとね。


「なんでって、私が、ゆうやくんとお付き合いしてるからだよ?

でも、どこにいるんだろうね?

教室にもいなかったし、どこにもいないんだー。

ねぇ、みちるちゃん。

みちるちゃんは、ゆうやくんがどこにいるのか知らないかな?」


「えっ……と……、ゆうやくんって、楠木くんよね?

え?お付き合い?岡田さん、が?」


「そーだよー、知らなかった?」


「いや、うん、知ってはいたけど……」


なんだろう?何か言いたいことでもあるのかな?


それとも、みちるちゃんもゆうやくんのこと好きだったのかな?


まぁゆうやくんは優しいから、好きになるのも仕方ないよね。


でも残念でした。


もうゆうやくんには運命の人がいるのです。


可哀相だから教えてあげたほうがいいよね。


「もしかしてー、みちるちゃんはゆうやくんのことが好きだったのかな?」


「…え?…は?」


「でもゴメンね、ゆうやくんは私にしか興味がないんだよ?

それにね、もうゆうやくんはパパになっちゃったんだー。」


「………………はい?」


「だからー、みちるちゃんはゴメンだけど、別の人、探してね?

でも大丈夫だよ?ちゃんと結婚式には呼んであげるからね?」


「えっっっと……、ごめん、ちょっとまってね。」


「んー?どーしたの?」


「えっと、パパって、なに?」


「そんな事もわかんないのー?

パパはパパだよ?」


「いや、私もパパくらいは知ってるけど…。

いや、そもそもパパって、誰の?」


「決まってるじゃーん。

この子だよ?」


そう言って私はお腹を撫でる。


みちるちゃんは顎が外れるんじゃないかってくらい口を開けてる。


そんな会話をしていると、男の先生が近づいてきた。


「おまえたち、そこで、なにし…て……」


ちょうどいいからこの先生に聞いてみようかな。


たしかこの人は、ゆうやくんの担任だったと思う。


「せんせー、ゆうやくん知りませんか?」


「おまえ、岡田…か?」


「そーですよー。

それでー、ゆうやくんはどこですかー?」


「……ゆうやって、楠木のことか?」


「当たり前じゃないですかー。

私がゆうやくんって言ったら、ゆうやくんしかいないじゃないですかー」


「ちょっと待て、岡田。

お前はそもそもなんで……」


「先生!ストップ!

何も聞かずに、ちょっと場所を変えましょう!

ほら、下級生もいるし、岡田さんはなぜかこんな格好だし、ね?」


「あ、あぁ、そう…だな」


みちるちゃんも先生も変なの。


別に周りに見られてもいいのに。


でも、もしかしたら、そっちにゆうやくんがいるのかな?


「それで、岡田はどうしてここにいるんだ?

それとその格好はどうしたんだ?

よく見ると足元もスリッパだし、そもそも学校にも来ないで何をしてたんだ?」


先生はなんでそんなに怒ってるんだろう。


それにいつの間にか私の先生まで来てるし。


「何って、さっきも言ったじゃないですかー。

私はー、ゆうやくんに会いに来たんです。

それで?ゆうやくんはどこですかー?」


「岡田、ちょっと待て。

そもそも、なんでおまえは楠木を探しているんだ?」


「だからー、それもさっき言ったじゃないですかー。

ゆうやくんは、私の旦那様だから、この子に会ってヨシヨシってしてもらってー、ついでに私もヨシヨシってしてほしくてきたんですよー。」


あれ?なんでみんな変な顔してるの?


それにさっきまでうるさかった職員室が、いつの間にかシーンってなってる。


変なの。


「……池田先生、まずは岡田の両親に連絡を。

私は楠木に連絡してみます。

それと紫藤、きみは岡田と仲がいいのか?」


「え!?えーーーっと……。

昔は…良かった…かな?」


「そう…か。

申し訳ないが、3分ほど岡田の相手をしていてくれ。

頼めるか?」


「いや、まぁ、はい、わかりました。」


「ねぇねぇ、みちるちゃん?」


「え!?えーーーっと、なに?」


「ゆうやくんはどこか知らないの?」


「あぁ!楠木くんね?

多分もうすぐ来てくれるんじゃないかなー…。

アハハハ」


変なみちるちゃん。


何がそんなに面白いんだろう。


でもそっかー、ゆうやくん来てくれるのかー。


そういえばまだこの子の名前考えてなかったなー。


どんなのがいいかなー。


男の子かなー、女の子かなー。


どっちも考えないといけないなー。


———side 岡田 恭子———


学校まではもう少し距離がある。


お願いだからそこにいて!


そう願っていると、携帯電話に着信がある。


運転中なので、ディスプレイだけ見てもらうようお願いする。


「A高校って出てます」


「ごめんなさい、スピーカーにして、出てもらっていい?」


「はい、わかりました。

もしもし、こちらは岡田の携帯です。

本人が運転中のため、代理で出ています。」


「こちらはA高校の池田と申します。

岡田伊織さんの担任を務めております。

運転中のところ恐縮ですが、岡田さんは現在会話だけでも可能でしょうか」


「はい、岡田です。

会話のみなら可能です」


「実は、伊織さんが現在当校に来ておりまして、様子がおかしいので至急お母様に来ていただけないかと…」


「はい、今向かっております。

池田先生、伊織は、娘は怪我などはしていないでしょうか。」


「怪我、ですか?

はい、さっと見ただけですが、特に怪我などはしていないように見えますが…」


「ありがとうございます。

至急向かっておりますので、もう少しお待ち下さい」


そう言って電話を切ってもらった。


「岡田さん、お急ぎのところ本当に申し訳ないのですが、そこの先の交差点で私を一旦おろしてもらえますか?

職場にも伊織さんの無事を伝えないといけませんし、他の患者さんをこのまま放置するわけにもいきません。

何より、学校で話をするとなると、おそらく瀬川も同席された方がいいかと思います。

病院の方には私の方から伝えますので、先ずは岡田さんは娘さんの方に向かってください」


たしかにそのとおりだ。


私は自分の子供のことしか考えていなかった。


病院から抜け出したとはいえ、それはあの子がやったことであり、責任は病院にあるかもしれないが、今回は完全に伊織が悪い。


「すいません、おっしゃる通りです。

伊織は怪我もないようなので、学校にも迷惑をかけていますが先ずは病院に向かい、私からも説明させてください。

瀬川先生が一緒に来ていただけるなら、私の車で一緒に向かいます。

それなら車内で打ち合わせもできますし。

それと病院に着いてからも言わせてもらいますが、今回の件で私から病院に対して何かを要求することは決してありません。

むしろ、多大なご迷惑をかけてしまったことを謝罪させてください」


病院に戻り、院長先生はじめ関係者の方たちに深くお詫びをした。


院長先生からは患者である伊織が外に出たことを謝罪されたが、車内で伝えた通りその件について自分から何かを要求したり公にしたりすることは決してないことを伝え、再度謝罪する。


それから図々しいとも思ったが、学校での説明に瀬川先生に同席してほしいことをお願いした。


瀬川先生も院長先生も二つ返事で受け入れてくれて、私達は急いで車に乗り込み、再度学校へと向かった。


校長室に案内され、座っている伊織を見たが、これまでとはまたさらに変わっていた。


自分が妊娠していることを認識しているのか、常にお腹を擦りながら喋っている。


喋り方が違っているが、友哉くんの名前を連呼している。


昨日まではそんな気配は一切なかったはずだ。


だけど、そんな事を驚いている時ではない。


まずは廊下にいる先生方や、おそらく三年生であろう数人の生徒に頭を下げる。


彼らは廊下に撒かれた水の掃除をしてくれている。


状況から考えると、おそらく娘が何かやらかしたのだろう。


私も手伝おうと思ったが、瀬川医師から先に説明をと言われ、もう一度頭を下げた。


校長室には、娘の他に、校長先生、教頭先生、伊織と友哉くんの担任をしている先生方が揃っていた。


私は、瀬川医師を紹介したあと、まずは全員に向けて謝罪を行った。


その後に瀬川医師から話せる範囲内で説明をしていただいた。


全員が黙って話を聞いたあと、口を開いたのは友哉くんの担任と名乗る男性教諭だった。


私は、その先生から娘のとった行動を聞いて、ただ驚くことしかできなかった。


いや、私だけでなく、おそらく隣の瀬川医師もかなり驚いていたのだろう。


普段冷静な彼女からは想像がつかないような顔をしている事にさらに驚いてしまう。


さすがにこの場で娘の相手の事など言えるはずもなく、だからと言って友哉くんの責任にできるはずもない。


そこらへんはかなりボカして説明してくれた瀬川医師と、詳細を聞かずにいてくれた先生方には少し救われた。


だけど、そこで伊織が噛み付いてきた。


「私の相手はゆうやくん!ゆうやくんなの!

なんで誰もわかってくれないの!?

ゆうやくんは?ゆうやくんはどこ!?

居るんでしょ!?

早くでてきて!この子を撫でてあげて!

ゆうやくん!ゆうやくんどこ!?」


暴れ出しそうになる娘を、瀬川医師が慌てて抑えようとする。


先生方は、急に変わった娘の様子に戸惑っている。


私は、黙って立ち上がり、抑えている瀬川医師に少し頭を下げてから、


伊織を、最愛の娘を、思い切りひっぱたいた。


室内に静寂が訪れる。


先生方はもちろん、瀬川医師も私の行動に驚いているようだ。


叩いた手が熱い。


心が痛い。


自分が何をしたのかは、痛いほど理解している。


娘に手を上げたのは、初めてのことだ。


伊織も呆然としている。


だけど、私は言わなければならない。


大人として、親として、そして母として。


「いい加減にしなさい!

あなたはどれだけ彼に迷惑をかけるつもりなの!

あなたのとった行動で、みんながどれだけ傷ついたかわかっているの?

彼を裏切ったのはあなたでしょう?

その上、まだ迷惑をかけるつもりなの!

それに先生方がどれだけ心配してくれていたと思っているの!

いい加減に目を覚ましなさい!

あなたは自分でその子を産むって決めたんでしょ?

それとも、それも誰かのせいにするつもりなの?

それなら私は、私達は絶対に認めない!

だってその子は、まだ生まれる前から不幸になるってわかっているもの。

あなたは私達の大事な子供だけど、その子の親になるんじゃないの?

子供は産んだら終わりじゃないの、始まりなの。

いい加減に甘えるのをやめなさい!」


私は思っていたことをぶちまけた。


私や夫がつらいのは仕方がない。


私達は親で、この子を守るためならどんなことでもするだろう。


だけど、そのせいで他の人に迷惑をかけることは容認できない。


だって、私達は親なのだから。


それに、裏切られた彼の心はどれだけ傷つけられただろう。


娘のバカな行動のせいで、まだ若い彼がどれだけ苦しんでしまったのかは想像もできない。


私はこの子の親として、彼に誠心誠意謝らせなければならない。


たとえどれだけ拒否をされようとも。


なのにこの子は、あろうことかさらに傷を抉ろうとしている。


そんなこと、許せるはずもない。


暴力が許されないことなんて言われなくても分かっている。


だけど、今の娘は小さい子供のように自分の我が儘を通そうとしている。


小さい子供のように駄々をこね、癇癪を起こし、ときに暴れて気をはらす。


これだけは見過ごすことはできなかった。


叩かれた伊織は、床に座り込みブツブツと何かを言っている。


私は深呼吸をして、再度全員に頭を下げた。


(どうすれば、よかったのだろう)


正解も間違いもないのかもしれないが、瀬川医師が私を抑えているということは、私は、間違ったことをしたのだろう。


校長先生、教頭先生、それに男性教諭が部屋を出ていく。


どうやら別室に友哉くんが待機していたらしいが、現在の娘の状況から会わせない方がいいと判断されていたらしい。


自分を抑えられなかった事を反省しつつ、その判断には感謝しかない。


女性のみとなったところで、伊織の担任の女性教諭から質問される。


現在の状況や、今後のこと。


なにか質問はないかと言われ、こんな時にとも思ったが、卒業ができるのかの確認をした。


夏までの成績や、出席日数を考慮して、本人が落ち着き次第特別に再試験をしてもらえるそうでホッとする。


(まぁ、本音は厄介な生徒を追い出したいだけかもしれないわね)


それでもいい。


娘の今後を考えれば、少なくとも高校中退よりも高校だけは卒業しておいてほしかった。


瀬川医師には余計な手間をかけて申し訳ないが、病院に戻れるか確認を取ってもらい、少なくとも状況が好転するまではおいてもらえる事を確認した。


安心したその時だった。


突然立ち上がる伊織。


扉の方に走り出し、凄まじい勢いでドアを開け放つ。


突然のことに動けない私達を他所に、猛然と駆け出す。


「いおりっ!」


我に返った私は、娘の名前を叫ぶ。


すぐに追いかけようと外に出たところで、


ダダンダダーン


と、何かが転げ落ちる音がした。


慌てて駆け寄ると、階段の踊り場に倒れている少年と娘がいる。


「あ、あぁぁあぁ……」


先生方が何かを叫んでいる中、私は膝から崩れ落ちて呆然とすることしかできなかった。


———side 岡田 伊織———


(…ゆうやくんの、こえが、する)


ゆうやくんの声が聞こえた気がした。


ほっぺたが痛い。


さっきお母さんに叩かれたから。


お母さんが何かを叫んでいる。


だけどそれどころじゃない。


私はどうすればいい?


お腹の子供に聞いてみる。


何も答えてくれない。


そっか、まだ喋れないもんね…。


(ゆうやくん、近くにいるのかな?)


声は、もう聞こえなくなった。


だけど近くにいる気がする。


私はたまらず走り出した。


(ドア、じゃま…)


力いっぱいこじ開ける。


すごい音がした。


(あ、居た!)


久しぶりに見るゆうやくん。


(すき、すき、だいすき!)


私を見て驚いた顔をしている。


(私がいて驚いたのかな?

大丈夫、すぐ、いくね!)


私はゆうやくんに飛びついた。


(ゆうやくん、いっぱい話したいことがあるんだよ?

これが私達の赤ちゃんだよ?

いっぱい撫でてあげて?

私も頑張るから、ずっと、一緒にいようね?)


体制を崩したのか、二人で抱き合ったまま階段を滑り落ちる。


ゆっくりと落ちていく。


(あぁ、ゆうやくんの匂い、ゆうやくんの体、ゆうやくんの顔。

好き、大好き、愛してる…。

もう、絶対に離さないからね……)


私はゆうやくんに包まれながら、ゆっくりと目を閉じた。


目が覚めると、そこはまた病院のベッドの上だった。


最近はずっとここにいるので、周りを確認しなくてもわかる。


(からだ、うごかせない…)


どうやらまた、私はベッドに縛られているらしい。


横を見ると、一人の女性が椅子に座っていた。


(だれ…だろ…)


見たことはない。


でも、誰かに似ている気がする。


「あら、目がさめた?」


優しい声で話しかけられる。


「えっと……、どなた、ですか?」


「はじめまして、かな?

私は楠木雪子、楠木友哉の母親です。」


「えっと……はじめまして…」


ゆうやくんのお母さんだったんだ……。


(こんなねたままじゃしつれいだよね……。

でも、うごけないし……)


ゆうやくんのお母さんは、特に気にした様子もなく、読みかけの本を閉じ、私の横に立ち上がる。


そして当たり前のように私を縛っていたベルトを外し、私の背中を支えながら起こしてくれた。


「あなたには色々と言いたいこともあるけど、とりあえず目をつぶってくれるかしら?」


「あ、はい…」


私が目をつぶると、何か呟いたあと、


パーーーーン


頬を叩かれた感触があった。


何故か痛みはなく、そのかわり頭の中を埋めつくしていた霧のようなものが、その衝撃で消えるような感覚だけが残る。


「よし、これで大丈夫。

あとは安心して眠りなさい。

それと、お母さんが来たら、この手紙を渡しておいてね。

おやすみ」


颯爽と帰っていくゆうやくんのお母さん。


私には何が起きたのかさっぱり分からず、ただその後ろ姿をぼんやり見つめていた。


———side 岡田 恭子———


はぁ……。


もう何度ため息をついたのか分からない。


伊織と友哉くんが階段から落下したあと、救急車や病院の手配、学校への謝罪と大忙しだった。


いや、忙しかったのは先生方や瀬川医師で、私がしたのは謝罪くらい。


落ちて動かなくなった娘を見た私は、気が動転して何もできなくなっていたらしい。


翌日の午前中に再度学校へ向かい謝罪をする。


今後のことは、友哉くんのご両親も含めて話し合いをすることになった。


普通であれば警察沙汰になっていてもおかしくない。


なにせ、人一人を階段から突き落とし、挙げ句怪我までさせてしまったのだ。


病院に緊急搬送された娘は、丸一日意識を取り戻さなかった。


今は別々の病院に入院している。


娘の検査の結果は異常なし。


彼がクッションになってくれたようで、お腹の子供も含めて問題はないらしい。


それでも意識が戻らない娘。


(今日は、起きてくれるかな……)


あの日から二日経った。


私は娘の病院に向かっている。


先生方から聞いた話だと、友哉くんもまだ意識が戻っていないらしい。


せめて謝罪とお見舞いでもと入院している病院を聞いたが、相手方の保護者から教えるなと言われているそうだ。


(まぁ、当然よね……)


この数ヶ月、どれだけ謝罪を繰り返したかわからない。


わたしが相手の親だったら、裁判でも何でも起こしているだろう。


病室のドアを開ける。


そこは、昨日と同じ光景だった。


眠り続ける娘と、それを拘束する太いベルト。


そして枕元のテーブルには、一通の封筒。


(誰か来たのかしら)


宛名は書いていない。


裏返すと、『楠木 雪子』と書いてあった。


急いで中身を確認する。


恐怖で体がこわばる。


恐る恐る中身を確認すると、きれいな文字が並んでいた。


『拝啓 岡田伊織 様


今回あなたが起こした事は、決して赦されることではなく、あなたの身勝手さか引き起こした事です。

ただ、その背景に起こった事を考えると、私は手放しであなたを責める事はできません。

あなたが本来の自分を取り戻せることを願います。

そして、自分の罪を理解できるのなら、今後私達家族に関わらないようにしてください。

今回のことについての謝罪や見舞いは不要です。

また、今回の件については、被害者の親である私と先生方で話し合った結果、単なる事故として処理する事となりました。

二人が起こした事で、卒業式を楽しみにしている他の生徒に迷惑をかける訳にはいきません。

未だ意識が戻らない息子も、自分のせいで卒業式が中止になったと知れば、気に病むと思うからです。

あなたとお付き合いしていた頃の友哉は、本当に幸せそうでした。

これは私があなたへできる最初で最後のお返しです。

体を大切に、これからもあなたとあなたの家族を大切に過ごしてください。

                  楠木 雪子』


涙が溢れて、止まらなかった。


慌てて受付に向かったけれど、それらしい人の姿はどこにもなかった。


看護師さんたちにも聞いてみたが、それらしい人を見た人はいなかった。


部屋に戻ると、伊織が、目を覚ましていた。


「……お母さん?」


少し前の違和感もなく、その前の私達を見ていなかったような雰囲気もない。


例えるのなら、友哉くんと付き合っているときの、幸せで包まれていたような頃の声だった。


「い、いお…り?」


「うん……私だよ、お母さん」


また涙が溢れてくる。


今日だけで、私はどれほど泣いたのだろう。


「ちょ、ちょっとまってね」


慌ててナースコールを押す。


状況を説明し、すぐに来てもらうようお願いする。


医師の診察が終わり、特に体に異常はないとのこと。


続いて瀬川先生が来てくれた。


いくつか受け答えをした先生は、


「……意味が、わからない」


と、呟いた。


拒否反応もなく、パニックも起こさない。


これなら大丈夫だろうと、医師と相談の上、拘束具を外してもらう。


拘束を外された伊織は、ベッドの上で正座をし、私達に深々と頭を下げた。


「お母さん、瀬川先生、ご迷惑をおかけしました」


状況が理解できず、逆に私達のほうが面食らってしまう。


その後も、医師も含めて話し合いをしたが、この状態が数日続くのなら通院でも可能だろうとのことだった。


あまりの急展開に私はついていけなくなる。


瀬川先生からも、


「突然治るケースもなくはありません。

そういう症例もいくつか聞いたことはあります。

ですが、自分の目では初めて見ました……」


と、言われた。


確かに昨日までは、意識が戻らずに寝たきりの状態だったはずだ。


それは自分の目で確認しているし、看護師さんからも確認が取れている。


このあともまだいくつか検査があるらしい。


私と瀬川先生は一度病室を出る。


見せようかと悩んだが、これだけお世話になった先生に隠し事をするのもどうかと思い、手紙を見せる。


先生は黙ってその手紙を読み続ける。


その後でポツリと、


「……あの人らしいな」


と、呟いた。


「お知り合い、だったんですか?」


「あぁ、昔、色々とお世話になりました。

それにしても、まさか伊織さんが言っていた『ゆうやくん』が、まさか楠木さんの子供だとは思ってもいませんでしたよ」


そう言うと先生は、


「また後で、様子を見に来ます」


と言って去っていった。


私はお辞儀をして、娘の部屋に戻る。


ちょうど検査も終わったのか、病院着を直している娘を見ると、腕の傷は大きいものはもう少しかかりそうだけど、小さい傷は殆ど目立たなくなっていて、血色もかなり良くなっているようだ。


私は何があったのか聞いてみたが、本人もよくわからないそうだ。


ただ、夢の中で誰かに会った、と。


私はポケットから手紙を差し出す。


娘は不思議そうにそれを受け取り、黙って目を通す。


流れる涙を拭おうともせず、一言一句見逃さないと言わんばかりに読み続ける。


涙で目を真っ赤に腫らしながら、私を見る娘の顔は、あの頃の優しくて一生懸命な時の顔に戻っているようだった。


「お母さん、私、まだ戻れるかな?」


娘の『戻る』というのがいつをさすのかは私にはわからないけれど、私は、


「うん、大丈夫だよ。

だから、一緒に頑張ろう?」


と言うことしかできなかった。


———side 岡田 伊織———


あれから私は自分自身を取り戻すために、必死に生きてきたと思う。


途中、何度か心が挫けそうになった事もあったけれど、その度に手紙を読み返して心を奮い立たせた。


高校卒業資格も無事に取ることができ、大学には行かずに仕事を始めた。


家から少し離れた大きめのスーパーだけど、副店長が私と同じシングルマザーらしく、色々と助けてもらっている。


子供は無事に生まれた。


女の子で、少し古風だけど『幸』(さち)と名前をつけた。


塩崎家からは養育費と慰謝料という名目で、毎月お金が振り込まれるが、これは子供のために手を付けずに取ってある。


いずれは父親のことを話さなければいけないときが来ると思うが、今のところ気にしている様子はない。


いや、子供なりに気を遣ってくれているのかもしれない。


毎日を必死に生きて、自分のことを二の次にしていると、偶に鏡に映る自分を見てふと思ってしまう。


もしあのとき、あんなことをしなければ、と。


もしかしたら今頃、あの人と3人で、仲良く幸せに暮らしていたのかもしれない。


だけど、それは願うことすら許されず、決して叶うことはない未来なんだ。


今の私は過去の私が積み重ねてきた結果。


そんな夢物語を願わずに、今を生きるしかない。


その日は朝から忙しかった。


例のウィルスが蔓延していた時は、お店もかなり暇だったけれど、移動規制が緩和されて初の大型連休ということもあって、町は久しぶりの賑わいを取り戻していた。


遅めの休憩に入ることになった私は、ダンボールを処理場に置いて昼食を取ることにする。


詰め台の横を通るときに、懐かしい顔を見つけてしまった。


(……うそ、まさか…)


恋い焦がれた、ずっと会いたかった、だけど会えなかった、昔よりかなり大人びた、彼の顔だった。


声をかけようとして、すぐに思いとどまる。


手紙の内容が頭をよぎる。


何度も読み返した。


内容なんて既に暗記している。


だけど、私は我慢ができなかった。


「……もしかして、ゆうやくん?」


声が……かけてしまった。


二度と会えないと思ってた。


声だけでも聞きたかった。


体が熱を帯びる。


両腕は緊張で鳥肌が立っている。


次に何を言えばいいのか分からない。


謝りたいと思ってた。


言い訳したいと思ってた。


赦してもらえるなんて思ってない。


ただ、話がしたかった。


「………い…………おり?」


ゆうやくんのこえが震えている。


自分を見つめるその目が、すべてを物語っている。


当たり前だ、自分はあんな事をしでかしたのだから。


ごめんなさい。


その一言が出てこない。


そもそも何を謝るのか。


声をかけたこと?


怪我をさせたこと?


傷つけたこと?


裏切ったこと?


今の自分はどう写っているのだろう。


大人になったように見えるかな。


ちゃんと働いてるように見えるかな。


今の格好は恥ずかしいけど、ちゃんと仕事してるんだなって見えたらいいな。


無言が続く。


次の言葉を探す。


「久しぶり、だね?」


ようやくでた言葉がこれだなんて、どれだけダメなんだろう。


つい頬をかいてしまう。


昔からしている癖。


子供っぽくて辞めなきゃとは思っているけど、ふとした時にでてしまう。


また、無言。


「帰ってきてたんだね?全然知らなかった。今は?何してるの?」


世間話としては及第点だと思うけど、今必要なのはそんなことじゃない。


(逃げ出したい)


あれだけ会いたいと思っていたのに、実際あったらこれだ。


心の準備が全くできてなかったとはいえ、これはあまりにもひどすぎる。


ふと彼を見ると、顔色が明らかに悪い。


体も微かに震えている。


(やってしまった……)


まだ彼の中で私は嫌悪の対象なんだろう。


当たり前だ、まだあれから10年しか経っていないのだから。


私にとってはあまりにも短い年数だった。


毎日の生活に追われ、やるべきことをこなしていれば日々はあっという間に過ぎていく。


だけど彼にとってはどれだけつらい年数だったんだろう。


今の様子を見ると、とてもじゃないけど楽に過ごしたようには見えない。


私が動こうとしたその時、彼は後退りして体勢を崩しそうになる。


「危ないよ!」


本能的に手を伸ばした。


その手は空を切り、彼の手によって弾かれてしまう。


パシッと乾いた音が周りに響く。


買い物に来ていたお客さんの視線が集まる。


今の対応が全てなんだろう。


完全なる拒否反応。


後ろによろけた彼を支えたのは、見知らぬきれいな人だった。


「どこにいるのかと思ったら、どうしたの? そちらは……もしかして岡田さん?」


(……私のことを、知ってる?)


こんな人は見たことがない。


彼が安心して背を預けているということは、知り合いなのだろうか。


「どうかされましたか、お客様」


副店長の田島さんがきて、私達はバックヤードに連れて行かれた。


———side  宮崎 さくら———


家族とそろそろ家を出ようかというときに、雪子さんから連絡がありました。


お遣いを友哉くんに頼んだら、携帯電話を忘れてしまったみたいで、迎えに行って欲しいって。


ついでに言い忘れたものを買ってきてって言われました。


一応今回私達はお客様のはずでは?とも思いましたが、一度言い出したら聞かない人なのはわかっています。


私は両親と、友哉くんが行きそうだと言われたスーパーに向かいました。


お父さんは今夜飲むお酒を選ぶそうです。


程々にしてくださいね? 


店内を見渡すと、レジ奥で誰かと話している友哉くんを見つけました。


(誰か知り合いでもいたのかな?)


まぁ居ても不思議ではありません。


ここはそもそも地元ですし、品揃えが多い事で有名なスーパーですからね。


でも友哉くんが話しているのは、どうやら女性のようです。


(あの友哉くんに、女性の知り合い?)


友哉くんからは昔のことをある程度聞いています。


昔、少しだけ付き合ったことがある人がいたことも、その人が友哉くんを裏切ったことも、そしてその後友哉くんが誰とも付き合っていないことも。


つまり、私の記憶が確かであれば、友哉くんが個人的にお話する女性の友人は皆無なはずです。


そこは私も信用しています。


だって、私もヤツのせいで異性の友達なんていませんからね。


そっと近づいていくと、少しだけ話し声が聞こえます。


(あれ?友哉くんの様子がおかしいですね?)


どう見てもいつもと違います。


彼は元々女性不信で、女性と会話することを苦手としています。


私ですらまともに話せるようになるまで一月ほどかかりました。


もしかして彼女は……。


友哉くんの過去は本人からも、雪子さんからも聞いています。


その中で出てきた『岡田伊織』という名前。


ちなみに名前は雪子さんから聞きました。


友哉くんからは名前を教えてもらえなかったので。


そして、彼女が友哉くんに何をしたのかも聞いています。


これは断片的ですけどね。


ちなみに私の中で岡田伊織の名前は有罪ランキング堂々の第一位です。


裁判なんて要りません。


即有罪、即死刑のレベルです。


そんな事を思い出していると、友哉くんが体勢を崩して倒れそうになります。


ここは彼女として、できる女として軽やかに支えなければ!


私は上京してからもずっと鍛えていますので、彼一人支えるくらい楽勝です。


私の突然の登場に驚いていますね?


これは好感度アップ間違いなしです。


さすが師匠!


師匠の言うことを聞いていれば、やはり間違いないですね!


なんて冗談を考えている暇はありません。


友哉さんは明らかに調子が悪そうです。


目の前にいるのは言わば私の恋敵。


ここで負けるわけにはいかないのです。


私は近くに居た母さんに頼み、友哉くんを車に連れていきます。


言っておきますけど、口説いちゃダメですよ?


いえ、冗談ではありません。


友哉くんがお気に入りなの知ってますよ?


とりあえず母に友哉くんを頼み、先に雪子さんのところに向かってもらいます。


お父さん?


未来の娘の夫がこんなに弱っているのに、呑気に焼酎を選んでいる人に用はありません。


あと、麦味噌を買っておいてください。


私は岡田さん(仮)と、お店の方と連れ立ってバックヤードに移動します。


そこで挨拶をされましたが、やはり私の予想通り岡田さん(真)でした。


そういえば自己紹介をしていませんでしたね。


楠木さくらです、よろしくお願いします。


ちなみに旧姓は宮崎です。


ごめんなさい、気が早すぎました。


でも、もう間もなくそうなるので別にいいですよね?


岡田さんは少し驚いたあと、何やら言いたそうにしていました。


私は空気が読める女なので、店員さんに岡田さんを早退させてもらえないか聞いてみます。


副店長さんですか、失礼しました。


副店長さんは快く受け入れてくれました。


まぁ、今の彼女を見れば、明らかに体調悪そうですものね。


これでダメだと言われたら、この企業は私の中でブラック認定です。


私は岡田さんを待って、近くの喫茶店に移動しました。


そういえば、ここで初めて雪子さんと話をしたんでしたね。


懐かしいな〜。


さて、岡田さんがポツポツと身の上話をしてくれました。


思わず頭を抱えてしまいます。


友哉くんとのラブラブ話を聞かされると思っていたのに、蓋を開けば原因は私の幼馴染のせいでした。


思わず絶句してしまいました。


私にはかける言葉がありません。


それはもちろん、私も少し似たような経験をしましたし、何より原因となるのがあのクソ幼馴染。


話を聞くと、困ってしまいます。


何よりも、私は彼女をこれまでずっと私の旦那様(予定)を傷つけ、裏切り、女性不信にさせた悪女と思っていました。


ですが実際は、あの幼馴染(死)によって弄ばれ、傷つき、それでも懸命に頑張っている一人の女性だったのです。


私はどうすればいいのでしょうか。


彼女を切り捨てることは簡単です。


「どんな理由があるとしても、私の愛する彼を傷つけたあなたを赦す事はできない」と。


ですが、私はそれをできませんでした。


なぜなら、彼女はもう一人の私だったかもしれないからです。


あのとき私は、勇気を振り絞りSNOWさんに相談しました。


そして事態が好転し、今の、友哉くんの彼女としての自分があります。


だけどもし、あのとき躊躇ったままでSNOWさんと別れていたら……。


その時は、もしかしたら私と彼女の立ち位置は逆になっていたかもしれません。


すべてを諦め、ヤツの言うことを聞き続け、弄ばれて最後は捨てられる。


ゾッとしてしまいます。


そう考えてみると、私は安易に見捨てることができなくなってしまいました。


十数年前の私は、ここでSNOWさんに救われました。


そして最愛の人をみつけ、今度は私を助けてくれたSNOWさんと家族になろうとしています。


今ここで彼女を見捨てることを、雪子さんや友哉くんは今後どう思うでしょうか。


もちろん傷つけられた友哉くんが喜ぶとは思えません。


彼は今も傷ついたまま、それでも懸命に頑張っています。


今でも夜中の悪夢でうなされていることも知っています。


だけどそれでも……。


もしかしたらこの決断で友哉くんからは嫌われてしまうかもしれません。


いえ、彼は私の愛したすごい人です。


今はダメでも、きっと将来褒めてくれるに違いありません。


偶然選んだ場所がこの店、この席なのも何かの運命なのでしょう。


なので私の出した答えは一つです。


「岡田さん、良ければ私とお友達になりませんか?」


———side 塩崎 新太———


(どうしてこうなっちまったんだ…)


誰もいない自宅を見てそう思う。


実刑だが、執行猶予付きの判決を受けて、俺は家に戻る。


そもそも釈放が決まったってのに、誰も迎えに来やがらねぇ。


仕方なく近くのダチの家に寄り、金を借りてここまで戻ってきた。


チャイムを鳴らしたが反応はなく、人がいる気配もねぇ。


親父の車もなくなっていて、たった数ヶ月なのにまるで浦島太郎だ。


目の前の家を見る。


今は誰が住んでいるのか知らねぇが、アイツがいるときが一番良かった。


考えてみりゃ、あそこから全てが狂っていった。


まだ中学のガキの頃、俺はこの世の王様だった。


周りの連中は俺の言うことを聞くし、学校でもかなり人気のあったあのクソ女、宮崎さくらを奴隷のように使うことができた。


俺のために飯を用意させ、俺のために風呂を準備させる。


他の奴らがアイツの裸を想像しているときに、俺はアイツを自由にこき使うことができた。


それだけで優越感がハンパなかった。


だが、俺はなぜかやつを女としては見なかった。


理由は分からねぇ。


昔から一緒にいるせいなのか、それとも別の理由があるのか。


中二にあがり、やつは急に女っぽくなった。


その頃は、周りのヤローどもは、こぞってヤツを褒めだした。


俺からすれば、あんなネクラオンナのどこがいいのか、もっとエロい女のほうがいいに決まってると思ってた。


いつものように飯の用意をさせ、一人で飯を食う。


改めて自分見てみたが、こいつのどこがいいのか分からねぇ。


そう思っていたが、それは俺の大きな間違いだった。


落とした箸を拾わせるときに、身に着けている下着がチラッと見えた。


その時に、俺はコイツにオンナを感じてしまった。


だけどここで手を出したらコイツに負けた気がして、そこでは何もしなかった。


ベッドに入り考える。


(どうせいつかは手を出すんだ、それが今かどうかだけの事だろ。

それにアイツも俺にヤラれりゃ泣いて喜ぶはずだ)


クラスのバカ共がネタにしているオンナを犯す。


それだけでかつてないほどに興奮しちまう。


(そうと決まりゃ、早速明日にでもやっちまうか)


だけど、翌日あのオンナはなぜか家に来なかった。


(クソが、俺のメシがねぇじゃねえか!)


悪態をつきつつヤツの家に向かう。


だが、俺の予想に反して帰ってきた言葉は明確な拒絶だった。


目一杯脅しをかけると、案の定ビビったのか、鍵を開けようとする。


(奴隷のくせに手間かけさせやがって!

また体にさんざん教え込んでやる。

その後は目一杯やってやるからな!)


玄関の鍵が開く。


その直前で、俺は何者かに拉致られた。


その後のことは思い出したくもねぇ。


とにかく俺は、マッチョと変な女に散々転がされた。


気づいたら空き地で寝ていて、体中が痛かった。


(何なんだよクソが!

こうなりゃカンケーねぇ、今から行って無理やりヤッてやる!)


ヤツの家に行くと、アイツの親父が出てきた。


「娘をきみと会わせる気はない。

変なことをすればすぐに警察に連絡する。

今後二度とうちには近寄るな!」


何なんだよこのクソオヤジは!


昨日まではニコニコしながら俺と話してやがったのに、急に態度が変わってやがる。


昨夜なんかあったのか?


そういや、あのオンナも昨日から態度が変わってやがったな。


俺は訳がわからないまま家に帰った。


「宮崎家には二度と近寄るな!

さくらちゃんに対しても同じだ。

もしこれを破れば、お前は二度とうちには入れん!」


いつも俺の顔色を伺う親父が、突然こんな事を言い出しやがった。


「わかったか?

理解できんようなら即刻追い出すぞ?」


「あ…、あぁ、分かった」


それだけ返すのが精一杯だった。


(この感じは冗談じゃねぇな…)


今家を追い出されるのはさすがに困る。


追い出されても行くとこなんかねぇし、使える金が無くなるのも困る。


俺は仕方なく家では暫く真面目になったふりを続けた。


そもそも突然こんな事を言い出すのはどう考えてもおかしいが、理由を探ろうにも一切口を割らねぇ。


そうして俺は家では真面目に過ごし、外で発散する毎日を送るようになっちまった。


何がメンドクセーって、あのクソ女と学校で会うのがめんどくせぇ。


手を出したことがもしバレたら、あの親父の剣幕だとマジで家を追い出しかねねぇ。


俺は歯軋りしながら残りの中学生活を送らさせられた。


(ゼッテーこのままじゃ済まさねぇからな…)


この屈辱はゼッテー倍にして返してやる。


高校に上がり、テキトーに女を引っ掛けながら遊び続ける。


途中メンドイ女をひっかけちまったが、メシ女にして身の回りの世話をさせた。


いい加減飽きてきたところで、そのオンナが勝手にうちのババアと挨拶してやがった。


(そろそろコイツも潮時だな)


そう思った俺は、知り合いの変態オヤジ共に連絡を取る。


高額で入札したオヤジ共に時間と場所を指定し、ツレの中でモテなさそうなヤツにも同じように声をかけてやる。


いわゆる在庫一斉処分ってやつだ。


俺の中古でも喜んで腰をふるバカに笑いが出るが、世の中にはモテないけど金はあるってやつがいる。


そんな奴らに俺のお下がりをくれてやると、まぁまぁ

いい金になる。


そいつらも喜ぶし、俺も懐が温かくなる。


いわゆるWin-Winの関係ってやつだ。


ついでにあのバカ女も連れて行く。


何がいいのかわからねぇが、こいつは過去最高の値段がついた。


最後に俺の役に立ってくれて何よりだ。


だけどここが誤算だった。


あとから分かったが、呼んでなかったやつが腹いせに通報しやがった。


さぁこれからってときに警察の奴らが踏み込んできて、俺の計画はパァになっちまった。


裏切ったやつはあとから殺す。


先ずはこっから出ることが先決だ。


俺はまた真面目なふりをさせられる事になった。


初犯だったのと、反省の態度を取った事で、とりあえず執行猶予付きになった。


外に出られりゃこっちのもんだ。


先ずは裏切ったやつを殺す。


そう思っていたが、ヤツもバカじゃなかったらしく、どっかに飛んだ後だった。


とりあえず溜まったもんを処理しようと思ったが、手を出していたオンナ共は、さっさと別の男を作っているか、行方をくらました後だった。


(クソどもが!全然上手くいかねーじゃねぇか!)


悪態をついてもどうしようもなく、しょうがないので家に帰るしかなかった。


考えてみれば、あの夜から全部おかしくなっちまった。


それからも俺は変わらなかった。


変わらなかったじゃねえな。


変わるつもりなんてさらさらねぇ。


適当に女を引っ掛けて、飽きたら棄てる。


金になりそうな女は適当なところで売っちまう。


世の中オンナを買いたいなんてクソオヤジは山ほどいる。


ネットさえあれば、俺が困ることはねぇ。


あれから10年以上経った。


全国を転々としていた俺は、ふと気が向いて地元に帰ってきた。


別に理由なんてねぇ。


ただ流されたところがここだったってだけだ。


変わってるもの、変わらないもの、色々あるはずだが、そんなに覚えちゃいない。


ふと気が向いて、俺の家に行ってみる。


表札は変わっていて、今は別の誰かが住んでやがる。


今となっちゃ、親父達がどこにいるのかも分からねぇ。


別にそれは何も思わねぇ。


ただ唯一の心残りは……。


向こうから誰かが歩いてくる。


俺のことを知ってるやつが偶然歩いてくるとはとは思えないが、それでもなんとなく身を隠してしまう。


歩いてきたのはあのクソ女だった。


かなり成長してるみてぇだが、俺にはわかる。


横に男がいるが、タッパはあるがナヨっとしたやつだ。


それにしても男連れとは偉そうに…。


見るとなかなかいいカッコしてやがる。


(コイツはそこそこ金も持ってそうだな)


よし、次はコイツを俺のオンナにしてやろう。


男の方は、


(まぁATMにでもしてやるか)


喧嘩なんてしたこともなさそうなヒョロ男だ。


2、3発入れてやりゃ泣きはいんだろ。


そう考え、その辺に転がっている石を掴む。


どんなに弱そうに見えても、準備は怠らねぇのが俺の昔からの流儀だからな。


———side 楠木 さくら———


今日は愛しの旦那さまと久しぶりのデートです。


最近忙しかった反動で、友哉くん成分が枯渇気味です。


これではいけないと思い、思い切ってデートに誘いました。


場所は私達の地元です。


私の妊娠を機に、こっちに戻ってきました。


会社創設以来のスピード出世で、超忙しかったはずの友哉くんですが、なぜか私達の地元に異動となりました。


話に聞くと、栄転だそうです。


もちろん本人は納得していないようですが、会社からの辞令なので断ることもできません。


最悪私だけ出産の時期にこっちに戻ろうかと思っていたのですが、予想外のラッキーです。


神様、ありがとうございます。


今回は二人で休みを取って、こっちで住む物件を探しに来ました。


ついでに友哉くんの勤める予定の会社へご挨拶と、私がかかることになる病院を探すのも忘れていません。


探すついでに久しぶりのデート。


しかも私の住んでいた家の近くを紹介しながらという超激アツイベントです。


私は事情があって高校生から家族と一緒に家とは別のアパートに引っ越しましたが、実家はそこから結構な距離があるので、なかなか行かなくなってしまっていました。


……まぁ、いい思い出は少ないですしね。


だけど、大人になったら見えるものが変わっています。


美味しかったレストラン、クラスの友達が行くのを羨ましく見ていた駄菓子屋さん、そして生まれ育った私の家。


家は既に他の人が住んでいますが、それでも記憶のまま残っていることを嬉しく思います。


色んなところを当時の記憶を遡りながら歩くのはすごく楽しいです。


何よりも隣に愛する人がいると言うだけでたまりません。


例えばここが何もない荒野だったとしても、私のテンションは最高潮を超えて上がっていたことでしょう。


家を通り過ぎたところでまさかの邪魔が入ってしまいました。


「おい、さくら。

俺のこと覚えてるよな?」


えーーーっと、どちら様でしたっけ?


記憶を辿りますが、私の頭の検索サイトにはヒットしませんでした。


その人は勝手に続けます。


「まぁ忘れるわけねぇよな?

あんだけ俺のこと好きだったんだからよ」


いったいこの人は何を言っているんでしょうか。


だけどこの勘違い発言がヒントになってようやく思い出しました。


おそらく目の前の人は、私の幼馴染(殺)ですね。


もちろん友哉くんには私に起きたことの全てを話してあります。


私達の間に隠し事はありませんからね。


「この俺がまたお前を貰ってやるよ。

どうだ、嬉しいだろ?

だからそんなヒョロガリヤローなんて捨ててこっちに来いよ!」


ホントにこのバカは何を言っているんでしょうか。


私がこのバカを好きになったのことなんてありえませんし、そもそも論友哉くんはヒョロガリではありません。


体脂肪率一桁の細マッチョです。


「おらぁ!なんとか言えこの不細工が!

だいたいそこのクソ女は昔から俺のもんなんだよ!

わかったらさっさと消えやがれ!」


一つ疑問なんですが、私は口説かれているのか貶されているのかどっちでしょうか。


大前提として、自分のことをクソ女と言われてそっちに行く人はいないと思います。


ついでに言うと、旦那様の怒りがそろそろ限界のようです。


さて、準備準備。


「何黙ってんだ!

なんとか言えコラ!

それともビビって声も出せねぇのか!?」


わざわざ教える義理もないので言いませんけど、これは完全に死亡フラグですね。


友哉さんの顔が『無』になっています。


これは数年前に一度だけ見ました。


あの時は高性能カメラを持っていない事を大いに反省しました。


「黙ってねぇでなんとか言えコラァ!」


あー、ついに手を出しちゃいましたね。


ご愁傷様です。


ちなみにビデオの準備は完璧です。


殴りかかってきた腕を取り、そのままの勢いで一本背負い。


…人間ってあんなにきれいに浮くもんなんですね。


地面に叩きつけるときに手加減してダメージを抑えつつ、そのまま腕拉ぎ十字固め。


はい、完璧な流れです。


それと石を掴んでいたんですね。


そこまで読んでの対処はさすが愛しの旦那様です。


相手の戦意を完全に削いだところで片手で持ち上げています。


この姿は思わず惚れ直してしまいますね。


ですが私をオーバーキルさせるのはこのあとでした。


「黙って聞いてりゃ俺の大事な人に好き勝手言いやがって!

ぶち殺されてぇのかテメェは!」


はい、限界です。


だけどまだ続きます。


「俺のさくらがクソ女だとか言いやがったな!?

テメェの方がクソじゃねぇか!

あぁ!?なんとか言ってみろコラァ!」


友哉さん、もうその辺にしてください…。


その男はどうでもいいですけど、私の生命力は恥ずかしさでそろそろ無くなりそうです…。


「いいか?

次にさくらに同じこと言ってみろ?

そんときゃ死ぬより後悔させてやるからな!

わかったな!」


友哉さん…多分その人聞こえてませんよ?


締めすぎて泡吹いてますから…。


それと私を恥ずか死させるつもりですか?


いつもの照れすぎて真っ赤になるあなたはどこに行ったんですか?


「だいたいてめぇは女の人をなんだと思ってやがんだ!」


友哉さんのお説教は続きます。


こんなに怒ってる友哉さんを見るのは二回目です。


ちなみに前回は、酔って無理やり私をナンパしてきた某体育大学のラグビー部員20名をコテンパンにしたあと正座させてお説教していました。


ちぎっては投げ、投げてはちぎりの大活躍を映像として残し損ねた自分を大いに責めたものです。


大騒ぎしている私達を見て、誰かが通報したのでしょう。


パトカーのサイレンが近づいてきました。


私は友哉さんを宥め、幼馴染(屍)を解放させます。


正直こいつがどうなっても気にしないのですが、今だけはありがとうと言いたいです。


だって友哉さんから私への愛を分からせてくれましたから。


まぁ地面に横たわってピクピクしている姿は毛虫と大差ないですけどね。


その後は警察からの取り調べがありましたが、最初から動画で録画していた映像と、彼が前科持ちであることから私達はお咎めなしとなりました。


さすがに多少は注意されましたけどね、


その夜二人きりになったところで思い切って友哉くんに聞いてみました。


「ねぇ、私のトラウマを作った相手に勝った気持ちはどう?」


「…いや、勝ったというか、それはどうでもいいんだ。

それよりも、さくらが笑って側にいてくれる方が僕は嬉しいかな?」


キャーーーー!!


もう、大好きすぎて死にそうです。


もうずっと離しませんから、覚悟しててくださいね?

ここまでお読みいただきありがとうございました。


途中の部分でいくつかしっくりこないところがあるので、近いうちに加筆修正を加えたいと思います。


未熟な部分を多い文章ではありましたが、書き終わることができたところだけは良かったと思っております。


思っていたよりもかなり長くなってしまいましたが、最後までお付き合いしてくださり、ありがとうございました。


誤字、脱字、表現の問題等ありましたら、ご連絡をお願い致します。

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集団強姦はどんなに反省しても執行猶予にならないから、服役出所から再会する流れならリアリティ増してさらに良かったと思いました
[気になる点] 元に戻るとか自分を取り戻すとか言ってるけど、そもそもマインドコントロールも糞も無い初対面でナンパにホイホイ付いてってるゴミじゃん 母親もゴミに育てた事よりも、引っ叩いた事を後悔するよう…
[良い点] ヒドインの生活は困窮してるみたいだし、まぁ、自分がやった事の禊にはなっているのかな。 いや、主人公をいまだに苦しめることしかしてないし、全然、なってなかったわ。 [気になる点] ヒドインが…
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