7「望んだ行い」
物心ついた頃にはすでに闇の中だった。狭くて暗い俺だけの世界。
見えるのは他人だが他人ではない、そんなよくわからない人間の人生。
その男は、特筆した能力どころか一般的な技能をも持ち合わせておらず魔力の行使、生成すらできない。
不憫な男と、それに縛られる俺。
互いにそうして退屈な人生を送っている。
しかし認識が一方的なため、俺だけちょっと寂しい。
まぁ、唯一ある救いと言えば、男の記憶を掘り起こして見ることができる点だろう。
彼の持つ旺盛な好奇心も相まって幅広く楽しませてもらっている。
男は息をするように技術を学び水を飲むくらい魔術の計算をする。本人は能力の低さゆえに活かせないのだが。
そんな彼だが、今日は調子がおかしい…いや、むしろ正常というべきか?
あの女が入り込んで来た時は焦ったが、暴れて帰ったと思ったら今度は宿主が魔術を使っているではないか。
一応十七年の付き合いということもありめでたい気分だ。嫌いじゃあないからな。
だがその力を早速行使するのはどうなのだろうか。
まともに扱えるかもわからないそれなのにぶっつけ本番とは驚かされる。
しかもあっけなく敗北してしまうとは。残念な奴だな。
ここで異変が生じた。
普段通りであればこいつが寝ると見る景色がなく、記憶を漁るしかなかった。
だが今回は少し違うよう。
意識を失った俺の見守る男が、手元の魔石に支配され戦う姿が見える。
軽くスッキリしてしまう。
ちょっとイライラしてたんだよ。
こいつらはこの男を知らなすぎる。
いちいちの振る舞いにも配慮が欠ける。理解が浅いんだ。
そう考えていたものの、魔石の暴走もあえなく討伐されてしまう。
少々物足りなく感じていたその時。
目の前に玉が浮かび上がる。
察する。察してしまう。
多分これは、魂に内包された魔力源。
俺と男の、粗雑にまとめられた魔力のプール。
予想される限りの、肉体の制御権。
魔石の支配から解き放たれた反動で表層に引き出されたのだと思われる。
手を伸ばせば、それに届く。
十七年も耐えてきたんだ。これくらいは許されるだろう。
短い間だ。すぐに返すさ。
そう思い俺は、少しだけ手を伸ばした。
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初めて吸い込む、空気の味。
初めて感じる、血の脈動。
手元に感じる弱く小さな、石の魔力。
それをはるかに凌駕するほどの魔力源が、体内で存在を主張している。
感動するほどのその甘美な温もりに安らぎを覚えながら、俺は重い腰を上げた。
「アル!」
駆け寄ってくるのは『テスタ・メイエル』。
アルの持つ幼なじみの少女。彼女は好きだ。理解と愛情が深
い。大切にしてもらっている。
「大丈夫か!?アル!」
続く『マロック・メイエル』。兄のような存在で力量は申し分ない。だが感情的になる場面が多々あることが玉に瑕だ。
「だいじょーぶ?アル。」
『ラパン・メイエル』。末っ子のような顔して『マロック・メイエル』よりも生まれたのが先。弟の『マロック・メイエル』とは反して知識と魔術の扱いに長けている。
「【ああ、大丈夫です。迷惑をかけましたね。】」
記憶を掘り起こし、再現する。言葉だけでなく、肉体の感覚をもトレースして。
「そう…よかった。あれ?体が…」
深く息をついた『テスタ・メイエル』はそのまま力が抜けて傾いた。
「おっと、うわっ!」
真後ろの『マロック・メイエル』が支えたものの、バランスを崩して倒れてしまう。そして彼を下敷きに、そのまま気を失ってしまった。
先の戦闘の影響だろう。
「【ええっと…そちらこそ大丈夫ですか?なんでそんなにボロボロで…】」
ここで右を向く。ずっと後ろのほう。ちょうど『バルテミア・ストレイシブ』のいる方向を。
「【もしかして、あなたが…?】
「なにを言ってるんだアル!こいつはそんなやつじゃない!」
『テスタ・メイエル』を抱えたままに無罪を主張する『マロック・メイエル』。
想像通りだ。
「【じゃ、じゃあ一体誰がどうしてこんなことになったって言う んですか!?】」
「それは...」
彼らは優しい。ゆえに言わない、言えない。
でも、それでも『バルテミア・ストレイシブ』、彼がアルにしてきたこと。それだけは許せない。
だからこそ、誘う。その言葉を。
そう、彼はきっとこう言うだろう。
「そうだ。俺様がやった。」
と。
出鱈目でも口実が成った。
ここからは俺から、ささやかながらの復讐だ。
残念だが、もう少しだけ"不運"を味わってもらおう。
「【幻戯、『妖炎』】」
「なっ…!二度目だと!?」
突如放たれた光。しかしここにいるのは皆一度、目にしていたものだった。そう、つい先ほどの戦闘で。
日に一度しか使えないそれを、二度も使用した。
そのことへの驚愕で、全員が動きを止めた…と思われたが、どうやら『バルテミア・ストレイシブ』は対応したようだ。凄まじい。
「おいおい!決闘は俺様が勝ったんだ!これ以上は無様だぜ?」
余裕の表情を浮かべる彼は、勢いのまま壁に飛び乗る。
「やめておいたほうがいいんじゃねーのか?何度やっても、てめ
ぇじゃあ俺様にはかなわないだろうよ。」
なるほど。アルが勝てないわけだ。まるで隙がない。だが俺にも矜持がある。アルに最も近い他人としての矜持が。
「【届かぬ層、重なり世を止めろ。『歴凍』】」
「短縮詠唱!?習得する暇なーんてなかったはず!」
驚きを余すことなく表す『ラパン・メイエル』、咄嗟に構える『バルテミア・ストレイシブ』。しかし目的はそうじゃない。
生まれた氷は何処に行くでもなく積もり始める。誰でもなく、俺の足元に。
「どういうことだ!?自滅か!?」
わからないやつだな。応用さ。自衛のね。
続け様に唱え始める。自らの行き場をなくしてまでも守ったその理由を。
「【空征く気すらも凍てつく零度。】」
「空魔術?こーの詠唱何処かで…?」
心当たりがあるのか疑問を抱く『ラパン・メイエル』。だけどお前は、これを覚えてない。
「【絶対死上の幽世と、相対生下の現世とを、繋ぐ道さえ形を持たず。】」
「ちょっとまずいんじゃねえか?こんなに長ぇ詠唱っつったら…」
少しずつ焦燥が態度に表れる。そろそろ間に合わなくなる。
「【悲恋よ悲哀よ悲痛よ悲嘆よ悲鳴よ悲壮よ悲観の種よ。】」
「皆伏せろ!空原始だ!!」
そのとき、突然門を蹴り破って『ニテ・ガーラ』先生率いる数人がなだれ込む。
「よりにもよってアルなのかよ…!」
「気にしている場合じゃない!防御を張れ!」
悲しげな『モーテリア・テリテル』だが、優先度は低い。
「【数多の"悲"を以て"陽"を沈めん。】」
最後の一節を唱えきる。
「細孔からの侵略者、『泥抑』!」
「紅くも蒼く、枯れてもゆくのは空行方、『血晶』!」
「空の飛沫の欠片達、荒成す芥が隔てを作る、『動氷』!」
邪魔をする魔術が展開されるが、関係ない。
あとはもう、魔術の名前でイメージに形を与えるだけでいい。
「【『茫虚』】」
宣言とともに、目につくすべてを白が飲み込む。
世界を覆うほどの粒子の数々。
確かに奴に振りかざした。
だが、復讐というには少しやさしかったかな。
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ただ、恐ろしい。
凍りついた世界でただ一人佇む、アル・イジュリアが。
普段あれほどまでに穏やかに、のんのんと生きているのに。
力を示すためか?
そうだとすれば、俺様の目は相当に腐っていたことになる。
見る目には自信があったんだがな。
「あークソ。体が動かねぇ…」
「バルテミア…無事だったか…!」
「てめぇこそな…」
生存を喜びあう二人。ここまで来るとマロックには友情まで感じる。
「てめぇはいつ目覚めた?」
「ついさっきだ。姉さんの安否確認をしていたから状況は把握しきれてない。」
ひとまず見回す。
目につくのは純白に染まった閉鎖的な戦場、圧倒的なまでの力を放つアル。他は教師に守られているのか守っているのかわからないテスタとラパンくらいだ。
「さしずめ死のスノードーム、ってとこか」
「なかなかのロマンチストだな」
「うるせぇ。ノリだよノリ」
「そうかそうか」
「そうなんだよ…」
くだらない掛け合いもほどほどに、状況の分析に移らねばならない。
「そういや見た感じ、死傷者はいないみたい…だな?」
「そうだな。原始魔術だと言うのにこんなこともあるんだな。」
いや、ない。確実に。
現存魔術の祖たる原始魔術は、本質からして我々の扱うそれとは大きく異なる。
未だ解明されていない部分こそ多いものの、地方の研究チーム、その代表を務める姉曰く、『"不変"の魔術』だという。
効果が変動しない、つまり規模が変わらないのだ。
手の抜きようがないと言える。
であれば今のは原始魔術ではなく、それに準ずる力を持つ別の魔術だということが分かる。
ということは…俺様達は手加減されたのだ。
そんな高度なものを作り出した上に、それを行使できることへの恐怖と屈辱を噛みしめる。
「【これを耐えますか…!】」
人の思考を遮るように、善だか悪だかわからない感情のこもったセリフを吐くアル。
(どういうことだ?ますますわからねぇ。本気のフリをする必要が何処にあるんだ?クソ!目的が読めねぇ!)
「アル!どうしてこんなことをしたんだ!」
少し離れた場所からから、テスタを抱えて糾弾したのはモーテリア。
鼻声気味な彼の顔をよく見れば、目には涙が浮かんでいた。
「【どうしてもこうしても、彼はテスタを傷付けたんですよ!?償うには体を張るのが最もわかりやすい!】」
アル特有の良心でも無くしてきたかのように、人の犠牲をものともしない発言だ。
まるで、アルではない誰かのように。
しかし、モーテリアが反応したのはそこではなかった。
「バルテミアが、テスタちゃんを?」
ゆっくりとこちらを向くその巨漢は、顔の堀りを深めながら、
「本当か?マロック。」
「ッ…!」
問われた彼は強く唇を噛み、思案する。
だがこれ以上の解決はないだろう。
そう結論付けた俺様は、まっすぐに答えた。
「そうだ。俺様がやった。相応の処分は受けよう。」
隣からマロックによる非難の視線を受けながら。
当のモーテリアは、無言でマロックと俺様の顔をニ、三巡すると、
「なるほど。じゃあお望み通りたった今から事情の聴取としよう。二人とラパンは俺についてこい。治したら話を聞こう。」
「【ダメですよ。彼は僕が許しません。】」
「お前こそダメだ。裁くのは明確な事実確認が取れてからだ。それと、お前に裁く権利はない。」
「【事実確認なんて自白で十分です。権利なんてこの際いりません、僕も裁きを受けましょう。なのでこの男を痛めつけます分からせます。】」
「大人になれアル。世の中はそんなに単純じゃないんだ。お前が背負っているものを理解しろ。ガーラ、あとは頼んだ。」
そう吐き捨てて、肩を貸してくれるモーテリア含む少数の教師。だが、今のアルは言葉では止まらない。
「【話はまだ終わっちゃいない!】」
「久々の本職だ。手加減はできないぞ。積もる黄金攻める石、集いしそれはすべてを解する。『枷希』。」
モーテリアを追おうとするアルをガーラが、石の枷で強引に止める。
「【なにを…!】」
「物忘れが激しいようだな。今朝も言ったろうに。俺は『弱さを自覚させる』ためにいる、とな。」
「【こんなもの!】」
力ずくで外そうとするものの、枷は一切の揺らぎを見せない。
「バカめ!二十年の研究を舐めるなよ!」
そのままアルを張り倒し、馬乗りになって殴打を繰り返す。
止めに入るべきかとも思ったが、止めたところでより混沌となるだけたろう。
「すまなかったな…早く行こう。」
本来最も止めたいであろうマロックは、拳から唇から、血を流しながらも歩みを進める。
その決意に免じて言ってやろう。
「気にすんじゃねぇよ。あいつはきっと魔力に飲まれただけだ。」
マロックは下がった顔を上げ、穏やかそうに微笑んだ。
「ありがとう。」
そうして俺様達はそれぞれ悔しさと苦しさを抱えたままに、決して振り返ることなくその場を離れたのだった。
彼への評価は、改めるべきか。