25「コホン…それでは…」
「坊主!これ飲めよ!」
「こっち注いでくれ!」
「あっずるいぞ!俺もだ俺も!」
「【はい!ただいま!」
背の高い地下。その一角である"私の溜り場"で、忙しなく動く男がいた。
その男は場の空気に馴染まぬほどに、若く、弱々しく、柔らかかった。
男の魅力に魅入られた、くたびれた男たちは酒をガバガバと呑んでは注がせると、また呑んでの繰り返しだった。
そう、その男は…
「おいアル、いつまでそうしてンだよ…早く来てくれ!」
アル・イジュリア。最大規模である国教への反逆と殺人と。自覚しているだけでも死刑級の罪を犯した少年だ。
「【あぁはい…すまねぇ…いま行きます。」
「はぁ…何なんだあいつは…」
その異様な喋り方に頭を悩ませる男もまた、同じ罪で手配をかけられている言わば犯罪者、もしくは共犯者、バルテミア・ストレイシブ。
しかし、彼を悩ませる種はもう一つあった。それは…
「なぁ、いい加減首を縦に振ってくれよ…」
「えぇ〜?いやだよぉ〜。君が条件を飲まない限りはぁ〜、食料も馬車も貸せなぁ〜い!んぼ…っ!」
そう、それはこの"私の溜り場"で唯一の呪縛。
「君たちのぉ〜…罪状と名前!」
バルテミアは思案する。
それを明かした場合の損得を。
確かに、それらを明かすだけで馬車も食料も…ついでに寝袋も購入することができるのであれば非常に緩い条件だろう。
それを聞く理由も恐らくは安全管理のためだ。犯罪者を知る方法なんてものはいくらでもある。その情報を照合し、そういった人間かどうかを判断しているのだろう。
だが、今回ばかりは都合が悪い。というよりも、相手が悪いというのが正しいだろうか。
然門教は古くより、黒い噂の絶えない宗教としても知られている。そのためこういった場に集う者たちの誰から情報が流れるかなどわかったものではない。それに、購入した物品から行き先を割られる可能性もある上、カモフラージュできるだけの余裕もあまりない。
だというのに…
「おーい坊主!こっちはまだかよ!」
「【はーい今すぐ!」
もうひとりの当事者は自覚がないのか黄色く淡いような声を上げ、いつまで経っても戻らない。
「いい加減にっ…しろ!」
「【うわっ!」
一切話に入ってこない無責任な男に流石に我慢ならず、引っ張り無理やり席に置き、自分も再び席に着く。
「【っつつ…悪かったよ、面白くなっちまったんだ。んで、何だっけ?」
「てめぇ…優しくしてりゃつけあがりやがって…」
「君たちのお名前を聞いていたところだよぉ〜?」
「【あぁ、そんなことかよ。俺の名はア…グォッ!?」
咄嗟にその口を抑える。唾液が手のひらに付着し不愉快だが仕方がない。
しかし…まさかここまで馬鹿だったとは思わなかった。
真に味方に成り得るかもわからない人間に対しどうしてこうも考え無しに動けるのだろうと、抱いていた不満がまたすこし増幅する。
だが今気に掛けるべきはそこではない。
そう考えバルテミアは、アルを交えて再びその呪縛を解呪せんとする。
「俺様たちは名前を晒すわけにはいかない。」
「そんなのみんなもおんなじだよぉ〜?」
「ッ…だが、」
「異例特例を許すとねぇ…面子も潰れるし、何より安全が脅かされちゃうのぉ〜。それはわかるでしょぉ〜?っぐぼ…っ」
わかる。彼女が言いたいことはよくわかる。しかし譲れないと、この都合を押し通す手段は無いか模索していたその時、またしても無能が会話に参加した。それも人の思考を、努力を、体力を、全てを無駄にするような形で。
「【俺の名はアル・イジュリア、んでこいつはバルテミア。みなさんご存知、然門教の敵対者だ。」
思わず手が出そうになる。咄嗟に筋肉を抑えることで惨事を回避するものの、自らの体を完全に制御しきれていないことに鍛錬の余地を覚えつつ如何にしてリカバリーするかを懸命に考える。
だがそれが浮かぶよりも早く、相手が口を開いた。
この場を追われることも覚悟するが、直後のざわめきからそれが杞憂であったことを理解する。
「アル…イジュリア…?」
「聞いたことあるか?」
「イジュリアっつーと然門トコの…」
「それが敵対者?相当クレイジーだな!」
意外な反応に、しかしよかったと胸をなでおろすバルテミア。
思った通りと言わんばかりの表情を浮かべるアルに怒りが湧く。
だが反面やはり有能であると言わざるを得ない。恐らくは周囲の会話や若い男らという点で真っ先に疑いをかけなかったこと、そして最後の要素は…賭けだったのだろうか。
バルテミアが欲してやまないそれを、彼は持っている。それこそがバルテミアにとっての彼の価値だろう。
「アル…本当にアルなのぉ〜!?」
そうしてバルテミアが若干の感心を抱く中、雑多と異なる反応をヒビヤは示した。明確にアルを認知している者の反応だ。危機を案じ即座に抜いた剣。
しかし感嘆の含まれたその声は、敵対すべき者との邂逅…というよりは、懐かしの甥や姪に対するそれだった。
「【…?僕のことを知って?」
どうやらアルには心当たりがないようで、顎に手を当て小首をかしげ、うーんうーんと唸り始める。
数刻ばかり続けたそれだが、思い当たる節がなかったのか気付いた頃には再び向き直していた。
「わからないのも無理はないよぉ〜。だってぇ、私が君に会ったのはもう十…二?三?年くらい前だからねぇ〜」
「【ということは、父母の知り合いでしょうか?」
「そんなところだよぉ〜。彼ら今は元気にしてるぅ〜?」
瞬間、アルの表情に若干の影が差し、周囲の喧騒にそぐわぬ沈黙が三人の卓に訪れた。
「え…?なん…もしかして…」
ヒビヤがわかりやすく動揺し、人なぞ丸呑み出来そうな口を大きく開き唖然とする。
「さ、流石に嘘だよねぇ〜?彼らとっても強いはずだし…血筋としても…」
「【…確かに死んだかはわからねぇさ。だが…」
「さっきも言っただろうが。そのデケェ耳と頭は飾りか?然門に敵対してんだ。相容れてるはずがねぇ。」
「そ、そう…だけど生きてるってことだよねぇ〜?」
「【…それは保証しかねます」
戦闘後の疲弊したアルの両親が脳裏に浮かぶ。あの後一体どうなったのか、彼は知りたいだろうがきっと知る余地もない。そしてそんな余裕もない。
だが彼女はそんなアルの気持ちも知らずして己が望みのままに疑問を投げる。
やっとの思いで言葉を返したアルの姿は、元々大きくはないその体が少し小さく見えた。
「つーことだ。あんま深く聞くんじゃねぇ。」
これ以上話が広がらぬように一応ひと声。
しかしまぁその口から事実を聞いたことで納得はしたようで、「そうだよねぇ〜…」と酒をもう一呷り。
「名前を公開してくれたこと、嬉しく思うよぉ〜。約束通り、馬車と食料を売る…いいや、君たちにあげるわ。ん…っぷ」
「【おぉ、ラッキーじゃねぇか。俺の生まれに感謝しろよ?」
こちらを見るアルの瞳に浮かんでいたのは、僅かな混乱の色。敵にとして見えた親のお陰で得をしたことに戸惑っているようだ。
強がっているのだと思うと多少可愛く見えてくるのは人の性だろうか。
そんなくだらない考えをよそに適当な会釈で返す。
「でぇもぉ…相手が然門ってなるとぉ…その傷の二人じゃあ大変なんじゃなぁ〜い?」
不意にヒビヤが言う。
確かに、再三アルが言っていたことだがこの体の二人で追われる中生き抜くのは相応の苦労を要する。なんなら、要するのが苦労であれば儲けもの、とすら言えよう。
「…そうだな。じゃあ食料も貰えるっつーことだし、浮いた金で幾つか雇うか。」
「【そうしておくか。」
アルも賛同する。やはり辛いのは彼も同じなのだろう。
「あら、ならいい娘がいるよぉ〜?…っぼぼぼご」
「女ァ?あんたくらい強えってんなら別だが、そこいらのは困るぜ…力と手間が釣り合わねぇのは面倒クセェから…」
「ナージャ〜?こっちに来てぇ〜?」
「言ってるっつーのに…」
話を聞いているのか、それとも本当に彼女ほどに強いのか。何も告げずに話を進めるヒビヤを前に、しばしの沈黙が訪れる。
直後。耳をつんざくような爆音が、奥の方の席から轟いた。
「ッるっさいわねぇー!晩酌はもうしないって言ってんでしょー!?ま、もう晩でもないけど!」
歩み寄ってくるその音源はヒビヤほどとは言わずとも、それなりに大きな体をしていた。燃え上がるような赤髪に鋭い緑の三白眼の彼女は、異様なまでの空気を放ちながら席の横まで来ると歩みを止める。
「ん?これってさっき言ってたイジュリアとかいうやつら?」
「【はい。僕はアル・イジュリアと申します。」
「俺様はバルテミア・ストレイシブ…おいヒビヤ。こいつが?」
聞くと、彼女は蕩けたような笑顔で答える。
「うん。彼女はナージャ。境遇もあるし力になってくれるとおもうよぉ〜。まぁ細かいことは本人から聞けばぁ〜?私は向こうで飲んでるからぁ、若い者同士水入らずに話すといいよぉ〜。」
それだけ言うとヒビヤは、言葉の通りそのまま別の卓へと向かいまた撒き散らすように飲み始めた。
「…アンタたち、然門教に喧嘩売ったって聞いたけど…」
「【もちろん事実だ。」
数刻が過ぎ、神妙な面持ちのナージャ。
拳を強く握りしめ胸元に持ってくると、彼女は言う。
「さぃっっっこうに!!!!イカれてやがるわね!!!!あーはっはっはっはっ!!!」
突き上げられた拳とともに放たれた爆音は背の高い地下を満遍なく駆け巡り跳ね返ってくる。
その煌々と輝く瞳に嘘偽りの濁りは一切なく、本心であることがよくわかってしまう。
「ひー…アタシはナージャ。モルナークまで行こうと思ってたとこよ。アンタらは?」
目元に溜まった涙を指で払うと、彼女は尋ねた。
「俺様たち…名はさっき名乗った通り。今はギグローブに向かってる。そのための足を探してたところに紹介されたとこだ。途中まででいいから乗せてってくれ。対価は払う。」
要件をなるべく端的に伝える。しかしどうやら納得できなかったようで…
「んー、別にいいんだけどさぁ…メリットがなぁ…」
「【あ?だから対価は支払うっつって…」
「いやいやお金じゃないのよ!アタシが欲しいのは…」
瞳孔が細くなり、野性味溢れていたその瞳がより一層獣のようになり、恐々とした感覚を味わわされる。
そんな戦場も戦士も顔負けの空気を醸しながら彼女は、言葉とは裏腹に重い声を放った。
「スリルよ」
「バカにしやがって」
「【ちょ、まてまてまて!!」
途端に剣を抜いて斬りかかろうとしたところをアージに羽交い締めにされる。
「付き合ってられるかよ…普通に別を雇おうぜ?」
「フン!誰がそんな依頼を受けるのかしらね!然門との敵対だなんて一時的なだけでも大罪なのよ?そんなの受けるのなんてモルナーク出身のアタシくらいよ!」
胸を張るナージャ。妙に誇らしげなその顔が尺に障る。
「あ?どういうことだ?」
「【…もしかしてバルテミア、国際的な話に興味がないんですか…?」
ナージャのように目を細め、しかし柔らかく聞く。
「ああ。何にも知らねーけど。んで、それがどうしてモルナークに繋がんだよ」
何を思ったのか、ため息をついてアルは続けた。
「【はぁ…モルナークの代表は、国そのものの外交が脅かされるくらいに然門教を敵視してんだよ。なんならついこの間だって、宇宙空間に然門教が放った巨大な魔法陣をぶち抜いただとかで国を上げてのデモ、処分も受けてたらしいぞ。」
「はーん。…んで、それがどうしてお前しか受けないことになるんだよ。」
興味がないため適当に聞き流す。話を聞く限りではモルナークの民自体は別に然門教に敵対してはいないようだが。
「…ま、まぁいいでしょそんなこと!とにかく受けるのなんてアタシくらいなもんなの!」
「【そういうもん…なんだろうな」
「そういうこと!」
なぜか流れに乗ろうとするアル。しかし仮にそうだとして、与えられるスリルなんて…
「【あ、なら僕たちの身の上話なんてどうですか?題して…『月夜の男たち〜暮れた陽は昇らない〜』なーん…」
「その言葉が聞きたかったのよ!ぜひ聞かせて頂戴!いやー、然門教に立ち向かった人間なんてアタシしかいなかったから、そういう話がずーっと聞きたかったのよ!」
言葉さえ遮るほど食い気味に、興奮気味にその話を肯定したナージャ。その明らかなまでの異常な興味には流石に抵抗が生まれてしまう。
「【あー…じゃあ冷静に戦場を見ていたバルテミアにお願いできますかね…?」
引き気味に眺めていた俺様に、遂に話が向かってきた。
「は?俺様が?俺様は今回のこと何にも知らねぇぞ。」
「【でも僕よりは把握しているでしょう。依頼する以上、対価はなるべく価値が高いほうが良いでしょうし…」
否定できない。なるべく急事には盤面の把握を急ぐのがストレイシブの血の定めだと聞かされているし、事実として今回の騒動、なるべく多くの情報を取れるように目を見張らせていた。
そして対価の質は高いほうが良いこともよくわかる。
ならば断る理由はもはやない。…強いて言えば面倒なことだな。
「あークソ…しゃーねぇな。」
「おいナージャ。今から聞かせてやるから、絶対に寝るんじゃねぇぞ。」
「もちろんよ!」
「…コホン、それでは第一章…『接触。崩壊。いずれも後悔。』 」
長い長い、だが短な語りが始まった。