20「話をしましょう」
苦楽を共にし一年と少しで記憶に染み付いた、黒を基調とし金と銀のラインが敷かれた学生服。残酷にも引き裂かれ、玄関前に転がるいくつかのそれに身を包んだ者を視界の隅に捉えながら、アルは一歩ずつ丁寧に血塗られた扉へと歩みを進める。
すっかり日が沈み、見えづらくなってしまったノブ上の縦穴に鍵を差し込み回すが、手応えがない。どうやら鍵は開いているようだ。
アルは脅威を前にしたように心の臓を鳴らし、歯を食い縛ってドアノブに手をかけると、ゆっくりと回し引き開けた。同時に、長い歴史を経た蝶番、その金属が擦れる音がキィと、沈黙を孕んだ砂一粒ない廊下に響き渡る。
短なそれを抜けた突き当り、扉の端からは紅い光が漏れていた。やはり中に居る。そう確信し、震える右腕で扉へ手を伸ばしたところで、左腕が伸びその腕を掴んだ。
「【…】」
そこに言葉はなかった。しかし言外に込められたその意思は、見えない管を通るようにありありと伝わってくる。
それに応えるようにはにかんで、黄色がかった声で言う。
「大丈夫です」
慈しむように優しく触れるその指は、固い思想を受け取ったようにそのまま腕を登ると、首を撫でゆっくりと離れていった。
そうすると再び扉へと手を伸ばす。今度は、震えないように。
「【……覚悟はとうに……出来ている。」
今朝方の決意を思い出し力強く押し開けた先。
四つの椅子と机が並ぶ、家計を支える人間の役職を知れば誰もが簡素だと驚くであろう作りのリビング。
漏れ出していた光量とは違い、そこにあった光源は机で小さく燃えるロウソクの火だけ。
そしてそこにいたのは、やはり想像通りの二人だった。
「…おかえりなさい。アル。」
「…よく帰った。アル。」
その発せられた言葉と現状とのギャップから胃の中身がせり上がるような思いを抑え込み、怨めしげに睨めつけせめてもの仕返しとばかりにそれらの名を直接口にする。
「【シア・イジュリア、ルーグ・イジュリア……話をしましょう。」
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一触即発、鬼気迫る空気に包まれたその会合は、しかしそれとは反するように穏やかな始まりを見せた。
「…どうだ、調子の方は」
茶を淹れる音に耳を傾けながらいると父、ルーグが口を開いた。たどたどしく発する彼の胸にはどんな感情が渦巻いているのだろうか。
「【調子というのは?」
色々なことがあり、漠然としすぎて答えられない。
短な言葉でそんな戸惑いを伝えると、一瞬悩んだような表情を浮かべてルーグが言った。
「そうだな…例えば人間関係とか、勉学とか…目醒めたという魔力とか。」
カチャ、と目の前に置かれた紅茶。妙な渇きを感じて、緊迫した空気も忘れて思わず手を付けてしまう。
母、シアこだわりの高級な茶葉の高貴な香りと、混ぜられた砂糖の甘ったるい味だ。よく好みをわかっている。
ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、と。
一口飲んだところで、大きな音をたてお腹が鳴った。
恥ずかしながら確かに昨日の昼から何も食べていなかったことに今更気付く。
軽く二人が笑ってから、続いてルーグの前にも同じものが置かれシアは再びキッチンへと潜っていった。
「【…まぁ順調ってとこだな」
澄ました顔で言うのは僕ではない方だ。いや、俺ではあるんだが。
「食べなさい?」
若干顔を赤らめていると、笑みを浮かべたシアがクッキーを持ってきた。これもまた高級な物。我が家が重んじているのが外見でなく内面なのは近所には知れ渡っていることだ。
それらが創り出すのは家族団欒そのもの。
ごく普通の家族が見せる、ありふれた一ページ。
確かにアルは幸せだった。今この瞬間も。
しかし。
だが。
それでも。
彼は浸ることができなかった。
「【なら…どうして…」
「どうしてテスタは死ななきゃいけなかったんですか…」
「「…………」」
「【答えろ…然門教幹部。鎖刃卿、ルーグ・イジュリア。雷光卿、シア・イジュリア……!!!!】」
怒りに染まったその暗黒は黄金の瞳と混ざり合い、鮮やかな自分を描いていた。
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初めてその"名"を呼ばれ、困惑を見せる幹部たち。
だがその"名"は伊達ではない。その気になれば、小国くらいなら一晩もあれば壊滅させられるほどの影響力が、然門教の中で彼らにはあった。
「【あなた達が僕らに教えてくれていたら…いいや、あんたらが止めてくれていたら今頃…テスタは死んでいなかった!!!!」
その目元には涙が滲み、声には怨嗟が乗っていた。
しかし、それを聞いた幹部たちの振る舞いは、決して人のものとは思えないような心なきものだった。
「…ようやくか。寂しくなるな。」
最初に口を開いたのは、ルーグだった。
「【は?」
理解のできない発言に首を傾げ、威圧気味に問いかける。
「なんでもないさ。ただ、愚かだなと。っとと、やめてくれよアル。父さんだぞ?」
「【黙れ。もう喋るんじゃねぇ。これ以上アルの心を傷つけるな。」
返答は、たった一言でアル達の心に火をつける。それを聞いたアルではない彼は即座に行動した。そう、彼が語り終わるよりも前に刀を取り出し首に突きつけるに至っていたのだ。
「やっぱりもう目覚めてるか。まぁでも、お前らは立場を弁えるべきだな」
「【なにを…ッ!?」
言われてようやく、喉元を電気が奔っていたことに気付く。
ギリギリ当たらない天才的な支配がされている。当たれば死は免れないであろうそれから距離を取るべく全力で後ろにはね飛ぼうとしたそのとき。
「油断しすぎだぞ!」
ジャラジャジャリ、と、鎖のような耳障りな音が背後から響き渡り、命の危機を感じさせた。
咄嗟に体を畳んで避けようとするが、一寸のところで掠め左肩を大きく切り裂いた。
「【いっ…たくねぇ!!」
間髪入れずに襲いかかる雷に、言葉で自身を鼓舞し刀を抜いて立ち向かう。
バチンと音を立てその空間の全貌が照らされ、ようやく鎖の正体を認識できた。
「【その鎖は…!」
「そうだ。これこそが俺の新名の所以、鎖刃だ。」
それは一本の鎖…いや、大量の刃が連なる長い長い"線"だった。その線は、軽く振るわれたルーグの右腕に連動し、物理法則を無視しながら大回りにその小さな部屋を駆け回る。それも、器用にシアを避けながら。
「【めんど…くせぇなんて!レベルじゃあ…ないですよ!!」
言いながらもアルは鎖を叩き、電気を受けながら体内に魔力を巡らせて耐えるという異例も異例な手段を取っていた。
「ごめんなさいアル。でも諦めてくれるかしら。」
向かってくる度に移動か弾くか受け流すかの選択を迫られ、少しでも遅れれば肉が裂け骨が砕ける。しかし周りを覆うのは分厚い電気の膜。もはや選択ですらないそれで、時折飛んでくる雷も弾かなければならないという鬼畜ぶり。
おおよそ先程までのものとは思えない両親が作り出した現状に嫌気が差す。特に、まだ味方をしてくれるかもと考えていた自分自身に。
(【気にすんじゃねぇよアル!とにかく生き残ることを考えろ!】)
「【わかりました…行くぞ!」
単調だったその刃の隙を突き放ったのは風。
「【らああああああああああああああ!!」
足元から爆風を放ち、電気と鎖、シアにルーグ、壁から天井まで、家ごと吹き飛ばす。胸の痛みを押さえつけながら、電気から解き放たれたアルは鎖を胴から叩き折ろうと、足の裏に風を纏いながら飛んでいく。
そして勢いよく鎖を叩き割る直前____
ルーグがそれを手放した。
途端に物理法則に従って落下する鎖を止める必要などなく、驚きこそすれど特にアル達に不利益はなかったため、そのままルーグへと向かった。鋭い刃を向けられたルーグは手を挙げ跪く。
止まることなく首を狙ったアルだった。
だが、すんでのところで刃は止まる。
「【…斬れないですよ…斬れるはずねぇだろ。ふざっけんな!」
その心からの叫びを目前で聞いたルーグは、しかし汚らしい笑みを浮かべていた。
「そうだろう斬れないだろう!!そういう様に育てたんだからな!!」
悪意に満ちた言葉の通りに、立ち上がったルーグは止まるアルの腹部を蹴り飛ばす。
同時に右半身を雷が襲う。咄嗟に刀で受け止めたが腕にまで伝わってしまい、左腕同様刀を持つので精一杯な程に。
地をあえて跳ねながら転がりできるだけの距離をとる。
(【まずいぞアル…もう全力で逃げるしかねぇよ】)
「【そうしたいのは山々なんですが…!」
「どうしたいんだアル」
ルーグが再びその鎖を手にしたのと同時にゆっくりとそれが浮かび上がり、急激に弧を描き回転をはじめ、擦れあう音が空気を震わせる。
「あなたはいったい何を成すの?」
シアが呟き詠唱し始めた途端に陣が形成され脳が理解を拒むほどの文字の羅列が浮かび上がる。
「【なんか来るぞ!…と言いわれましても!」
逃げるにしても辺りが平たく何かが来た際の遮蔽物がない。魔術を使えばいいというのも、手を媒介する以上ろくに使えない両手を見ればそれが不可能に近いこともわかるだろう。
「【クソっやるしかねぇのか!」
無理を承知で痛む拳を握り、真正面になるべく大きな壁を生成する。その高さは三メートルを超えるか超えないかくらいかになり怪我の状況を鑑みれば上出来と言えるだろう。
「…そんなものじゃ防ぎきれないはずなんだが…何故だ。何故起動しない…」
「…手加減はできない、行くわよ。」
直後に本詠唱が始まった。
「止まぬ雨風降る雷光。知論の果てに残りし羨望、思想で以て是非と問わん。奥引き嘶き虚空を引き裂き、格紡縁の支配も知らず、孵る恐怖も射んとせず。明哭極羽に響き、我が世の始終に奉仕せよ。」
「【なっ、上ですか!」
「秘幻戯」
「『禁雷落』」
「『無収則』」
咄嗟に真上に生成された土くれの壁。しかしそんなこともお構いなしに振るわれた鎖刃はアルを含めたそれらを、空間ごと強引に削り取ろうとする。
それに対しては膨大な量の魔力で抵抗できたが、空に浮かんだ陣から放たれるであろう一撃には成す術がない。
(万事休す、ですか…)
酷使され遂に痛みも感じなくなった腕を見てそう考える。
(【…いや、どうにかなる】)
そう考えを共有してきた彼には一体何が見えていたのだろうか。
直後、落ちてきた雷。それを止めた存在を見て、彼が見たものを理解した。
「…なるほど。君がそうなるのか」
奇妙な言葉選びをしたルーグの視線の先にいたのは…
「何言ってやがる。俺様は俺様がしたいことをするだけだ。何かと結びつけんじゃねぇ!」
「【どうして…」
「初対面でこれとかてめぇの親おかしいんじゃねぇか…?まぁ息子に手ェ出してる時点でお察しか。」
誰よりも信用できず、誰よりも知らない男。
バルテミア・ストレイシブだった。




