11「しかしまだまだ届かない」
魔導神デイロ・コッコ。
この名を聞かずに生を終えることはきっとない人物だろう。
古今東西老若男女、いつどこ誰であろうと。
その名前が知れ渡っている理由は三つある。
一つは、称号だ。
魔導神と呼ばれる彼は歴史で見ても三人しか存在しない、全ての魔術において越魔使としての資格を得た『賢者』の一人であり、”現代の”魔術師において最強と言われている。それがいつしか魔を導く神、『魔導神』と呼ばれるようになった。
もう一つは、地位だろう。
彼はアルの両親と同じ然門教、その最高権力者に位置している。そのため世界各地を回り、様々な活動を長年続けてきた。気の遠くなるような年月をかけて名声や信頼を勝ち取ってきたのだ。
そして、それらに大きく関わる一つ。
彼の生い立ちだ。
名の通り彼は『勇者』の盟友、『賢者』ナルクス・コッコの息子にあたる。
幼い頃に父を亡くしたデイロは、それが開いた宗教、その司教としての仕事を引き継ぎ生きてきた。
若くして命を落とした『賢者』ナルクスは名実ともに”最強の魔術師”。世界を救った面々の内に名を連ねている。
その血を色濃く継いだ彼は、魔術に対し高い適性を有しており、積み重なる努力、ナルクスの遺した研究によって”現代”最強となったのだ。
そういった数々の経緯を持つ、生きた歴史たるデイロ。
だがしかし、彼の思想が気に入らない。
だから私は、否定する。
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この世界では、経験がものを言う。
学んだ技術、蓄えた知識、失った歴史、信じる存在。
時間によって培われるそれらは時に肉体の衰えすらも超越させ、人の在り方、世界の在り方を決めてきた。
そんなこともあり、今となっては生きた時間が強さと同義となることが多い。
そのため現代の社会は高齢者の権威が強い傾向にある。
そして今、目の前で繰り広げられる戦いは、まさにその代表格たる存在達によるものだった。
「デイロォォォォ!」
「ジールゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!」
轟く絶叫とともに、暴力が形を成して放たれた。
大地が暴れ、風が吹き荒れる。
「金の没響!『土壕』、彼の果が靡く『遍葬』!」
押しつぶされるように地面が陥没し、そこにあった土砂が宙を縦横無尽に闊歩するデイロへと放たれる。
打ち出されたそれは追い風を受け弾丸のような勢いを纏いで対象に迫る…が。
「素晴らしい!成長したなジール!ほっ」
片手間に放たれた風の刃によって、もれなく切り捨てられてしまう。
しかしそれだけでは満足しなかったと言わんばかりに、数多の刃はガーラ…ここではジールと呼ぶほうがいいだろうか。その老いぼれを襲わんと勢いを増し続ける。
「くっ、!信篤格を得ん!!!『加岩』ッ!!!成下礫成『礫氷』!」
人の身長四人分はあろうかというほどの直径を持つ一つの巨岩を生み出し、驚くべきことに半ばまで切り裂かれながらもその刃を止めた。
休むことなく放った氷がデイロを目指すが…
「[しかしまだまだ届かない。]!」
デイロの言葉通りに途中で溶け切り、地を水で濡らすだけとなってしまう。
見たところ、自身の周りに魔力を放出、障害に合わせてそれを具現化しているようだ。
それもこれも、とてつもなく深い魔の力への理解と、培われた想像力による無詠唱、無宣言での魔術の行使。つまり、彼だからこそ成せる技だろう。
「今度はこっちから行くぞ?ほぅらっ!」
遊ぶような気の抜けた声と共に放たれたのは、先程ジールが力の限りに生み出した巨岩を、一回りも二回りも大きくしたような氷塊だった。
それもひとつでなく五つ。それだけの力を、容易く振るうデイロに畏怖が溢れる。
「クッ…!ふざけるなッ…!!!」
ふつふつと湧き出す怒りの感情を更に昂らせる。
だが、魔術はその情動すら力に変える。
「バルテミア!少し預ける!」
ここで、意識はこちらに戻る。
ラパンとテスタは恐怖に押しつぶされ動けなく、俺はその力量の差に圧倒され、バルテミアは沈黙を貫いていた。
しかし、呼ばれたことで、待っていたと言わんばかりにずいとジールの前に歩み出る。
「空気なんて読ませやがって…その分は晴らさせてもらうぜ?」
言いながら彼は、腕をほどいて右足を強く、深く踏み込む。
「翔天流連来、『拍単』」
ささやくようなその宣言。
グン、と姿勢を沈めたかと思えば、バルテミアの姿は消え去った。
それをいいことに、氷塊がジールに迫る。しかし当のジールは魔法陣を書き始めてしまい、無防備極まりない。
「こんなところでおふざけとはやはり子供か!ジールの代わりは務まらんようだな!」
デイロはバルテミアの行動を児戯だと切り捨て、放った氷塊を口惜しそうに一瞥しながらも、テスタの下へ向かってしまう。
ここだろう。ここでやる他無いだろう。
数少ない…いや、唯一とも言えるであろうチャンスを逃さぬために。
しかし、ここで立ち上がったのは、マロックの想像とは異なる人物だった。
「そ、蒼恵咲く零れ『寵水』、空の飛片芥が隔て『動氷』ッ!」
誰に期待されるでもなく、絶対に戦うことがないと思われていたのにも関わらず、その男は立ち上がった。
その男が短く放った魔術は、地と氷塊を柱で繋ぎその場に引き留めた。
「ほう、貴様…」
「マロック!今だよ!」
ラパンの姿を心に刻み、その勇気に応えるべくマロックも気を込める。
無様にも、認知されていないことに安堵し、膝を震わせながら立ち尽くしていたその男は、俺は。姉のために宣言する。
「秘幻戯!」
大量の魔力を大げさに、大ぶりに、大仰に、操り動かし蠢かし。
見てもらえるように、釘付けにするように。
舞蝶流のその特質を最大限に活かし淡い光を、舞う蝶を。
生み出し群れさせ羽ばたかせ。
その蝶は胴体を中心に分裂を繰り返し、瞬く間にその場を埋め尽くすまでに数を増やした。
そして、目前に広がる幻想的な光景にその場のすべての生物が目と心を奪われていた。
「...うむ、なるほど。貴様らテスタの兄弟だな?確かにこれは...」
それは、最強の『魔導神』であるデイロさえも変わらなった。
「……秘連来」
虚空から声が響く。
しかし今このとき、誰一人としてその音に耳を傾けることはできなかった。
ただ一人、マロック・メイエルを除いて。
マロックの目的は、目を引くことだけではなかった。
それはただの過程に過ぎない。
その真の目的とは、その過程を経た結果とは。
それは語るまでもなく、行動によって証明された。
「『天光明』」
空を割って現れたバルテミア。
だがすぐにその姿がブレて、見失う。
でもわかった。これは合図だ。
それに気づき、合わせてマロックも、口の中で何度も転がしたその音を漏らす。
「『乱反蝶』!!」
「ぬっ!」
その時、光が奔る。
マロックの刀を照らす光の刃が、蝶の持つ半透明の羽を反射し反射し反射して、幾重にも折れて曲がってデイロに達する。
それと同時に、光を帯びたバルテミアが稲妻の如く駆け抜け、デイロを切り裂く。
常人であればそのリーチと速度と火力から、片方でも避けられれば万々歳、それでも致命傷を負うようなものだった。
しかし、それでも
「[届かない。]それじゃあダメだ。見込みはあるんだがな」
デイロは、平然と受け止めた。
首に迫る稲妻を、心の臓を狙う光の刃を。
避けたのではない、打ち消したのでもない。
まるでそれが当たり前だと言わんばかりに、ただそこに在り続けた。
けれど、目的は果たした。果たされた。
「いいや、それでいい!貴様ら離れろ!」
ただひたすらに魔法陣を書き続けていたジールが遂に顔を上げる。
「積金攻石、集いて解す。『枷希』!」
放たれたのは、手足を強固な石の枷で強引にくくりつけ固定する魔術。
察したマロックも咄嗟に補助をする。
「幻戯、『泥濘』『楼穣』!」
地の繋がりを断ち、植物に近い何かを伸ばし拘束した。
「核亡き元繰り、飽く亡き刻揺り」
ズン、と聞くものの頭の奥に痛みを与えながらその詠唱は始まった。
魔法陣。
本来詠唱の補助を成し、主にその時間を大幅に削減する目的で用いられるもの。
「停率極めし択進革」
それは大きければ大きいほど、緻密であれば緻密であるほど、正確であれば正確であるほど詠唱の必要量を減らし、魔術の純度を増す。
そして、その効力に際限はないと言われている。
「黙独叱咤の理変化」
しかし、死なない剣ががあるように、進まぬ”時”があるように、悪しき賢者がいるように...不滅の寄生者がいるように。その魔法にも例外がある。
「果てあるそれにもあえなく達せず」
魔法陣を必須とし、莫大で絶大な魔力の消費を強制するその魔術。
詠唱の一文字一文字にも重みがあり、こぼれる度に頭に響き、集中を削がれ魔力を組むことを拒まれる。
「反睦の呪縁も胆を落する」
だが、デイロは違った。
そんな中でも彼だけは、余裕の表情を浮かべていた。
「縛箔報句の誰とせぬ」
体の自由を奪われて大規模な魔術を向けられてなお、まるで余興でも愉しむかのよう嗤う。
それでも、ジールは唱える。
「隔の無終が説き覚ます」
そのとき、ジールの目がぼうと蠟燭のように妖しく光る。
それにつられるように、デイロの口の端もぐんぐんと吊り上がっていく。
だがそんなことすら意に介さぬように、その魔術はただただ力を魅せつける。
収束する魔力が地を空を引き裂き、一切の無音を、平地を作り出す。
十分に整えられたそのステージで、それは放たれる。
「『刻遍了擬』」
世界はデイロを中心に、灰に染め上げられた。
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アルの身に潜むそれ。
当人の気付かぬ内に芽生えたそれは、誰よりもアルを理解し誰よりもアルに理解されない悲しき運命にあるはずだった。
だがしかし、ここを起点にして世界の運命は大きく変わる。
いや、歪むというのが正しいだろう。
有るべきものが亡くなり、無いべきものが在る。
そうした歪みのなかで彼は何を失い、何を得るのか。
それは神さえ知らず、英雄さえも知り得ない。
歪な世界を、誰も知らない。