運用
軍から要求された搭載量はSM.75の2.7tから3倍以上の8t台に膨らんでいた。
搭載量5tの巨人機、G.38やそのライセンス機、九二式重爆撃機の製造を行ったユンカースや三菱は重量増に難色を示したが、搭載車両が航空機牽引に使えると説得され渋々了承。
紆余曲折はあったものの、初号機機は第二次世界大戦勃発後の39年11月に初飛行した。
要目は
全長 21.6m
全高 6.09m
全幅 30.64m
翼面積 118.60m2
自重 9,153kg
全備重量 18,410kg
武装 12.7mmブレダSAFAT機銃*1 7.7mmブレダSAFAT機銃*3~4 爆弾最大4,000kg
発動機 アルファ・ロメオ128 RC18 空冷星型14気筒 860馬力
最高速度 358Km/h(4,000m)
巡航速度 325Km/h
実用上昇限度6,000m
航続距離 3,000km
乗員 4名 空挺50名(貨物8,700kg)
内部高 2.79m
最大幅 2.9m
床部分幅 2.55m
奥行き 6.8m
で、爆撃に使うには遅かったが野砲や榴弾砲を牽引した状態で車両毎搭載出来た為前線から歓迎された。
機内高が高いのは日本の九四式六輪自動貨車が幌を展開した状態では載らなかった為である。
後期型は950馬力に強化されたが性能は殆ど変わらなかった。
イタリアはL3、L6戦車やセモヴェンテL40 da 47/32、ランチアIZM、AB装甲車をObice da 75/18 modello 34等各種野山砲と組合せて運用した。
独は人員輸送に用いたのは勿論、黄色作戦に於いてⅠ、Ⅱ号戦車、Ⅰ号対戦車自走砲等各種装甲車両を空輸し連合軍のダンケルクからの脱出を阻止している。
Sd.Kfz.231無線機搭載型は重量では問題なかったが各車高が2.9mと天井にぶつかるので載せられず、運用に支障が出た。
だが同型はアンテナを折り畳み式にする事で解決。
東部戦線ではマルダーⅠも輸送している。
他にも15cm sFH 18を始めとする一部の砲を運用人員や砲弾毎丸々一式運ぶ事が出来たが、地上輸送や搭載補助は現地車両に依存していた為Me321が開発される事になる。
原型機のSM.75を運用していたハンガリーもSM.82の導入を決定。
同国陸軍はL3戦車をライセンス生産していた事に加え、機内に収まる大きさ、重量のチャバ装甲車やトルディ軽戦車を保有していた為機甲科が関心を示したのだ。
日本では百式貨物輸送機と命名され、三発機に馴染みがない為火星エンジンの双発とし、太平洋戦争勃発後比島攻略時にM3軽戦車対策としてⅠ号対戦車自走砲を参考に作られたホル車を緊急輸送している。
他にも九四/九八式四/六屯牽引車や九○式野砲、九一式十糎榴弾砲等を運用した。
連合側は英軍が他機により牽引したグライダーで7.5t前後のテトラークやM22ロウカスト軽戦車を用いた他はC-47に搭載したジープとM3対戦車砲のペアが限界だった事を考えると、活躍した期間は短いが低速とはいえ自力発進可能な機体による緊急展開可能な機甲、機動砲兵はそれなりに有効だったと言えるだろう。