眠れぬ夜
「アルディート君はSランクに認定いたします。」
戦闘開始から約二分。ギルド長ベルデさんの宣言で認定試験は終了した。
観覧席で一部始終を見ていた冒険者達は口々にアルをバケモノと喩える。
それもそうだ。先に翼龍との戦闘を見ていた僕だって言葉も出ないのだから、初めて目にした者であれば人として受け入れられないのは当然のこと。
アルが剣を振り汚れを払えば、皆ビクンッと身体を弾ませ目を逸らした。
アルの戦闘試験の課題として用意されたメタルスコーピオン。捕らえるのは容易いだなどというのはベルデさんがSSランクだからこその発言で、実際は翼龍よりも数段危険度の高い魔物である。
動きはその巨体からは想像もできない程に素早く、ハサミによる攻撃は金属も押し潰す重機のように重い。通常の刃物では傷さえ付かぬ硬い外殻を持ち、尾の先端から放たれる毒は骨までも腐食させる。
上質な武器素材になるとしても、倒すまでに犠牲となる装備の方が高価になってしまう為、そもそも避けて通るのがSランクに及ばぬ冒険者の常識とされていた。
そんな魔物二匹を相手に戯れるかの如く戦い、反撃が無くなるのを避けわざと尾の方から斬り刻んでいく様はまさに鬼畜の所業。爽やかな笑顔も、皆には悪魔の嘲笑に見えたに違いない。
ベルデさんの指示通り五十センチ大に生きたまま解体された魔物が、いっそ哀れに思えた。
「戦闘能力に限って言えば最上位のSSSランクにも相当します。が、如何せん実績に乏しい。カルム君同様、地道に依頼をこなし更に上を目指してくださいませ。」
最上位ランクって…。
メタルスコーピオンとの余裕の戦いぶりに加え、僕が放った魔法の流れ弾から観覧席を軽く守り切った、あの光の結界が評価されてのこととは理解できる。そもそも勇者なのだから、並外れて強いのは当たり前のことなのだけど。
この居た堪れない気持ちはどうすればいいのか。
僕との力の差が大き過ぎて、今更ながら足手纏いの実感しか湧かない。
戦闘に於いて守られるばかりの位置から脱しサポートの役割を為すためにも、どこか早いタイミングでレベルアップを図らなくては。一先ずは未習得分の上位魔法を一つでも多く使えるようになるのが課題だな。習得に関する詳しいことは、近いうちにまたアロガンさんにでも相談してみるとしよう。
「どうした?カルム。無事終わったのに元気無いな。疲れたか?」
「んー…まぁ。今日は色々あったしね。そっちはまだまだ元気が有り余ってるようで何よりだよ。」
ユヌ村を出てから序盤はちょっとした遠足程度に歩くのみだったけど。翼龍と遭遇し戦った後、倒したその三匹の運搬に解体作業もこなし、極め付きはメタルスコーピオンとの戦闘まで。都度僕に魔力を譲渡しても尚、出発前と何ら変わらぬ様子には感心も通り越し呆れてしまう。
生環スキルで常にエネルギーを回復しているとは言え、肉体や精神の疲労はそれとは別の問題。全くもって底が知れないな。
観覧席を仕切る石柵に頬杖を突き顔を覗き込むアルに苦笑で返し、連れ立ってギルド受付へと戻った。
「では、こちらにお名前だけご記入いただけますか?」
カウンター越しにベルデさんと向かい合う僕達の横を、試験場からの階段を上ってきた冒険者達が距離を取りながら通過していく。依頼を受注するでも無く、打ち合わせのテーブルに着くでも無く、ただアルとだけは目を合わせぬように。
僕が会釈したのを合図にして、逃げ出すように飛び出して行ってしまった。
「おやおや、近頃は軟弱な冒険者ばかりで困ったものですね。」
透き通った氷の浮かぶフレッシュドリンクをカウンターに置きつつ、肩をすくめ溜息まじりに言う。
彼らだって日々多くの依頼をこなし生計を立てている立派な冒険者だ、SSランクの基準で見ては可哀想というもの。
それに僕もアルも、別に脅したわけでは無いのに。あんなに怯えられるのも何だかなぁ。殆ど自慢話の冒険談を聞いたり、他のパーティーと共同で依頼をこなしたりって冒険者っぽいやり取りは、ちょっと憧れだったんだけど。
打ち解けるのには大分時間がかかりそうである。
「いただきます。」
口に運ぶグラスで鳴る氷の音が、すっかり静かになった空間で涼しげに響いた。
「改めまして。カルム君そしてアルディート君、認定試験お疲れ様でした。それからギルドへの登録、まことに感謝いたします。本日はお疲れでしょうから、ギルドカードの受け渡し等はまた明日にでも。ご都合の良い時間にお越しください。」
「はい、お気遣いありがとうございます。…あ、えっと…」
ペンを握り、差し出された登録申請書に名前を書こうとして困った事に気付く。“終末の物語“の書き換えでは、思い浮かべた文字が日本語からこの世界のものに自動変換されるし、手帳やメモなどは自分だけが読めれば問題は無いから学ぼうって考えすら無かったけど。
この世界の文字でサインすらできないのは、流石に宜しくないのでは?
「僕の名前って、どう書くんでしょう?この世界の文字を読めはするんですが、書くとなると勝手が違うみたいで。」
「お名前でしたら“命譜の書“に書かれてはおりませんか?」
「あ!そっか。すみません、お手数おかけします。」
「いえいえ。」
“命譜の書“を呼び出し、表紙にある名前を見ながら記入する。書き順なんかは全くわからないが、文字の形状さえ合っていればきっと問題は無いだろう。
早々にサインを済ませたアルは、依頼が貼り出された掲示板を眺めつつ顎に指を当て何事か考えている様子。
「やっぱそうすっか。」
パンと手を合わせ言うと、掲示板のど真ん中、派手な装飾に縁取られた一際目立つ依頼書を指さした。
「ギルド長、王国からの依頼ってこれだろ?急ぎじゃないなら、先に他の依頼を幾つかこなしときたいんだけど。」
「えぇ、構いませんよ。王国の依頼に期限はございませんし、現状シャーフに滞在中の冒険者で、これを達成できる可能性のある者はおりません。誰かに先を越される心配は無いでしょうから、ゆっくりと修練なさってください。」
僕が魔物との戦闘でビビらないよう、気を遣ってくれているんだな。
場数をこなせば嫌でも慣れるし、状況に応じた判断力も養える。それにオールマイティーなアルと違い僕は魔法だけが頼りだから、せめて“命譜の書“の呼び出しをせずに済む程度には熟練度を上げておくべきだろう。
アルとしては多少の焦りもあるはずで、何なら王国の依頼を単独でこなすことだってできるだろうに。僕の成長を待とうだなんて、ホント良い奴だよな…
ドリンクを飲み干し、解体の報酬で受け取った布巾着を取り出す。代金を支払おうと巾着の口に指を掛けたところで、そっと手を添え制止された。
「これは私が勝手にお出ししたものですから、お代は結構です。」
「…いいんですか?」
「ギルドは普段、酒場としても営業しておりますので、今後はそちらもご利用いただければ幸いです。救世主様であれば割引もございますよ。」
なるほど、これがアロガンさんが言っていた救世主の特権か。証明となる懐中時計を見せさえすれば、他の店でも割引や特別サービスを受けられるのだとか。
「あはは、ご馳走さまでした。けど、救世主らしいこと何もしないままではやっぱり気が引けるので、明日は教会にも行ってみます。」
「それが良いでしょう。“終末の物語“の書き換えを希望している者は必ず教会を訪れます。教会にはその全ての記録が残っているはず。救世主様のお力で、皆をお救いくださいませ。」
「どこまでできるかはわかりませんが、全力で頑張ります。…それじゃあ、今日はこのへんで。」
「はい。どうぞお気をつけて。」
すかさず先回りしてドアを開くと、丁寧に腰を折り見送ってくれた。
あんな風にされると、本当に執事にしか見えないな。強くて万能なオジサマ執事…オタク心を刺激する良い設定だ。
懐中時計を開いてみれば、時刻は間もなく一九時。
町長の娘であり自警団のトップでもあるルクラさんからは、解体場で別れる前、持て成しに酒を用意しておくから夕飯時に家まで来るようにと言われていた。
酒の席というのが気になるところではあるが、アルは喜んでいたし。頃合いを見て抜け出せば、やたらと絡まれることも無いだろう。
団員募集のチラシの裏、雑に書かれた地図を頼りにご自宅を目指す。どんなに地図がわかりづらくとも、町長の家くらい途中で誰かに尋ねればきっと辿り着けるはずだ。
夕暮れ時、涼しい風が流れるシャーフの町を、少しばかり足早に進んだ。
途中アルから強請られるがままに寄り道をし、露店の菓子を頬張りながら辿り着いたのは、解体場からそう遠くない場所に建つ立派なお屋敷。正面から見ただけでも他の民家の五倍はあり、それとは別にこれまた立派な外観の建物が二棟、母家を中央にしてシンメトリーで並ぶ。
花々に彩られた広大な敷地は蔦が絡んだデザインの洒落た柵に囲まれ、門をくぐるのも躊躇う存在感を放っていた。
「随分と遅かったじゃないか。もう皆始めてるよ。」
「はわぁっ⁉︎」
突然目の前に現れた姿に驚き、素っ頓狂な声を上げる。
急上昇した心拍数に胸を押さえれば、呆れたように目を細めるルクラさん。昼間会った時のワイルドな印象はどこへやら。涼しげな色合いのアオザイに似た衣装を纏う姿は実に淑やか、思わず見惚れてしまう程だ。
「男がなんて声出してんだい。わざわざ歩いて出迎えるのが面倒だからテレポートしただけだろう。ほら、まだ顔を合わせて無いウチの連中もアンタらには興味津々なんだ。飯も酒も好きなだけやってくれて構わないから、話しを聞かせてやっとくれ。」
その見た目とは裏腹に、勢いのある性質と姐御口調は変わらない。
返事をするより先にテレポートで転送され、酒で盛り上がる大広間のど真ん中。好奇の目が一斉に向けられた。
周囲のテーブルには大皿に盛られた幾つもの料理が並び、酒の瓶や樽があちこちに転がっている。男女合わせて三十数名の羊人族達は各々自由なスタイルで酒を煽り、既に大半がまともに話しを聞ける状態とも思えない。
「お前達!翼龍どもを倒した英雄様のご到着だよ!しっかり持て成してやっとくれ!…あぁ、そうだ。寝床は用意させとくから酔い潰れても心配無い。遠慮無く飲みな。」
「おぉ♪そんじゃお言葉に甘えて。いっただきま〜す!」
ルクラさんの声で湧く一同。とんでもない所に来てしまったと後悔する僕をよそに、アルは上機嫌で酒と料理に飛びつく。
「で?アンタはジュースにしとくかい?」
「えぇ…っと。そうですね。飲めないことは無いんですけど、得意な方でも無いので。僕は、隅の方で。」
身の危険を感じじわじわと後退るも、背後に妙な気配を覚え振り返った。
気配の主は紙一重の男エトバスだ。あと二歩ばかりのところで両腕を広げ、にこやかに待ち構えている。
「おや、気付かれてしまったか。せっかく抱き心地を確かめようと思っていたのに残念だ。…どうだい?飲めないのなら、あっちでおじさんと未来の話でもしないかい?」
「い、いえっ!お構いなく!」
伸びてきた手を既で躱しテーブルを挟んで距離を取る。が、この場に在って警戒すべきはエトバスのみに限らない。
「つぅかま〜えたっ♪」
「は?ちょっと、うわっ!」
敢え無く側で飲んでいた女性達に捕まり、四方を豊満な胸で囲まれた。
本来なら歓喜すべき状況なのかも知れないが、どなたもすっかり出来上がっている様子。柔らかな感触を愉しんでいる場合で無いことだけはわかる。
「綺麗な顔してるのねぇ。ん〜……身体の方はどうなのかしらぁ?」
「な、何言ってるんですか…ひっ⁉︎」
服の中に滑り込んで来た女性の手が、胸やら背中やらを直に撫で回す。
早くも別のテーブルで酒を酌み交わし盛り上がるアルの助けは望めず、服を剥ぎ取られぬよう防ぐので精一杯だ。
こんな事なら、持て成しに酒をと聞いた時点で断っておくべきだった。その時は無一文だったから、タダで夕飯をご馳走してもらえるのなら教会を頼るより良いかと思ったのに。
こうなっては、愚かな考えだったとしか言いようがない。
玩具のような扱いに抗議すべく開いた口は料理で塞がれ、酒も無理矢理飲まされた。女性達に捕獲されてから大して時間は経っていないが、持て成されるどころか弄ばれる状況に好い加減吐き気が込み上げる。
「う……ヤバ。」
かなり強い酒を流し込まれたらしく、途端に視界が歪んだ。意識はまだしっかりしているけれど、これ以上飲まされてはそれも怪しい。
覚束ぬ足取りで逃れようとした瞬間、後ろから回された腕に軽々抱え上げられた。
腹を圧迫され、色んなものが今にも飛び出して来そうだ。
「一緒に便所に行くとしよう。な、カルム君♪」
この声はエトバスか。状況が好転したとも言えないが、この場から逃れられるのならもう何だっていい。
「ちょおっとぉ!その子は今、あぁしたちと楽しくやってるんらから〜。出すもの出したら、さっさと返しなしゃいよぉ?」
「あー、わかったわかった。」
回らぬ呂律で文句を言う女性達をあしらい、僕の頭を肩に乗せる姿勢で抱え直す。
「だから、おじさんが先に誘ったろう?」
早々にこうなる予想がついていたから、助け舟のつもりで声を掛けてくれたのか。いや、だとしても説明不足だし、初対面から印象が悪過ぎだ。意図を察せるはずもない。
反論と吐き気を必死に堪えつつ、ぐったりと抱かれたまま、盛り上がりの続く大広間を後にした。
表門の方から見て母屋の左、南側に位置する建物の三階。ホテルのような一室に連れて来られソファーに凭れる。
前世では酒を飲むと、感情や思考に変化が起こるより前に足腰が立たなくなり具合が悪くなっていたから、姿形は変わってもそれは同じなのだろうとは思っていたけど…。
意識がはっきりしている分、具合の悪さもしっかりと感じられてまさに地獄。現状、頭を持ち上げる気力すら無い。
「さっさと逃げ出せば良いものを、お人好しが過ぎるんじゃないかい?どうせ皆、明日には何にも覚えちゃいないんだ。付き合ってやるだけ損。…まぁ、おかげでおじさんは得したけれどね。」
ほんのり緑色に発光して見える液体をグラスに少量注ぐと、僕の口元へ近づける。
「さ、飲んで。これを飲めばすぐに吐き気がおさまる。ちゃんと薬師から買ったマトモな薬だからね、妙なものを飲ませてるんじゃないかなんて疑うのはやめてくれよ?」
妙な薬を飲まそうとしているに違いないとは確かに思ったが、それを読んで真面目な顔で釘を刺すあたり可笑しな真似をする気は無さそうだ。
素直に飲み干せば、嘘のように吐き気が治まっていく。
この世界の薬は、原料となる植物や生物が持つ魔法的な効果を活用したものだから、前世に有った薬とは違い即効性は異常に高い。身体も直ぐにいつも通り動かせるようになり、姿勢を正して座り直した。
「…ご迷惑、おかけ…しました。」
この男に頭を下げるのも少しばかり躊躇われたけれど、助けてもらったからには感謝して然るべきである。
深く頭を下げ顔を上げると、視線を合わせ正面に跪くエトバスは嬉しそうに笑った。
「いいんだよ。今こうして二人きり、美しい君を間近で見ていられる。それだけで本当に幸せなんだから。」
「はぁ……」
ならば好きなだけ見てくれればいい。それでお礼になるのなら安いものだ。
改めて部屋を見回すと、一面紺色の壁にはたくさんの風景画が飾られていた。星が煌めく夜空や、霧がかった森、夕暮れの草原に、穏やかな湖畔。どれも幻想的で美しく、それぞれに合わせて選んだであろう装飾の額縁が作品を引き立て、持ち主のセンスの良さを窺わせる。
「素敵な絵ですね。」
「だろう?こういう美しいものを集めるために働いていると言っても過言では無いからね。今夜はそこのベッドで休むといい、きっと良い夢が見られるよ。」
屋敷の主の趣味かと思ったのに、これ全部エトバスのコレクションなのか!
そうすると、ここはエトバスの部屋。見れば見るほど本人のイメージとは程遠く、更には難しそうなタイトルの本が並ぶ本棚や机が、知的な雰囲気も醸し出す。
「でもそれだと、あなたの寝る場所が無くなってしまいますから。ルクラさんも僕達の分の寝床は他で用意してくれてると言ってましたし、僕はそっちに」
「またあそこに飛び込むつもりかい?行くなら止めはしないけど、今度は無理矢理酒を流し込まれるくらいじゃ済まないかもしれないねぇ?」
これは脅しか?そりゃあ次にまた捕まれば、確実に無事では済まない。かと言って他人の寝床を堂々と使うのも気が引けるし、こっちもこっちで身の危険は感じる。
「遠慮はいらないよ。どうせ今夜は当番で、おじさん寝れないんだ。」
「昼間も農場に居たのに、夜も仕事を?」
なんというブラック。他の連中はご機嫌で酒盛りをしていると言うのに、一人だけ丸一日ぶっ続けで労働だなんて。直ぐにでも環境改善を求め抗議すべきなのではないだろうか。それに…
「…身体は、大丈夫なんですか?」
「おじさんのことを警戒していたのに、心配はしてくれるんだね。」
そう言って揶揄うように笑う。
あぁ、なんとなくわかってきたぞ。根は真面目なくせに、それを悟らせないよう敢えてふざけた態度を取っているんだな。
そもそも他人に危害を加えるような変態を、自警団に採用する訳が無いのだ。ここはエトバスの提案に従うのが最善の選択なのは間違いない。
「なんか色々誤解してたみたいで。…すみませんでした。」
「おや。誤解されたままで構わないんだけどね?まぁ、そんなに心配せずとも、休める時にちゃんと休んでいるさ。おじさんのことは気にせず眠るといい。」
シーツに皺もなくキッチリと整えられたベッドへ促され、上だけ一枚脱ぎ横になった。エトバスは机の傍の椅子に腰掛け、本を手に取り脚を組む。
「ありがとうございます。」
手元の本へ視線を落としたまま、片手を上げて応え微笑んだ。
「少しだけ、話しをしても構わないかい?」
頁を捲る音が眠気を誘い、うとうとしているところに声を掛けられ薄く目を開く。
「カルム君は、ユヌ村から来たんだったよね…。なら、救世主様とは、お会いしたのかな。」
「えっ?……ぁ」
思わず飛び起き、我ながら過剰なリアクションだったと気付き口元を覆う。
これは、どう誤魔化したものか。いや、ここで正体を晒したからと言って、隠していた理由さえ説明すれば解ってはもらえるだろう。
寧ろそんなことより、救世主の存在を気にするのはつまり、彼自身か彼と関係の深い誰かがその力を必要としているということ。であれば、ますます正体を偽る意味は無い。
「ユヌ村に新たな救世主様が来臨されたと教会で聞いてね。どんな方なのか気になっていたんだ。」
「…僕です。こんな形で信じられないかもしれませんが。その救世主、僕なんです。」
枕元に置いてあった鞄から、その証である懐中時計を取り出す。
「やはり、そうでしたか。数々のご無礼、お許しください!」
途端に畏まり膝をつけば、床に頭を擦り付ける勢いで土下座し、必死の様相で謝罪する。
ベッドを下り腕を引っ張って椅子に押し戻すと、正面に立ち向き合った。
「とりあえず!態度を改めるのはやめてください。それから救世主様と呼ぶのもやめてください。できれば、カルム君のままでお願いします。」
「しかし、そういうわけにも……」
「あぁもう、わかった!なら僕も敬語はやめるから。お願い。正体が知れて、無用な争いに巻き込まれるのを避けたいんだ。」
ぐっと顔を近付けると、うっとり目を細め満足げに笑う。
「……あぁ、美しい…」
こいつっ。僕の方から迫るのが嬉しくて、渋るフリをしたな。どれだけ僕の顔が好きなんだか。こっちばかり必死になって馬鹿らしい。
「くっくっくっ、すまない。昼間教会に行った時、神父様に話しを聴いてね。カルム君がそうなんじゃないかとは思っていたんだ。だが初めから正体を隠してるようだったから、ちょっと焦ったというかね。」
「焦った?」
「死ぬこと自体を受け入れてはいても、苦しみながら逝くのはごめんなんだ。カルム君の力で俺たちを救って欲しい。」
救世主の力を求めて教会を訪れた者の記録は全て残っていると言うし、明日一通り確認した上で順に応じるつもりだったけど。今エトバスの話しを聴いたからって、全員救うことに変わりはない。
「このままじゃ気になって眠れないな。いいよ、詳しく聴かせて。」
ベッドに腰掛け詳細を話すよう促すと、少しだけ真面目な顔をして救世主の力を求める理由を語ってくれた。
話を纏めると、余命は明日から十日。
災いに対峙し全力で戦うも、身体の至る箇所を失い痛みに悶えながら死ぬのだと言う。それも死ぬのはエトバスだけでは無く、彼を含めた自警団の団員十二名。
相手が何者なのかはわからない。魔物かも知れないし、人という可能性もある。どちらにせよ、このままでは十日後に死ぬのは確定していて、もし戦わず全力で逃げるという選択をしたところで“終末の物語“は絶対。結果は同じなのだろう。
本人は死ぬこと自体受け入れていると言ったけど、正直そんな言葉信じられなかった。覚悟を持って日々臨んでいるのだとしても、命を落とすとわかっている戦いに挑むなんて…。想像するのすら恐ろしくて震えが止まらない。
「そんな顔をされては、覚悟が鈍ってしまうじゃないか。」
その表情に、声に、心が抉られるようだった。どうにかしなければ…
フィーユの“終末の物語“の書き換えで分かったことだが、寿命の部分に手を加えるのは大量の魔力を消費する。一人こなすのに僕の魔力はほぼ全て持っていかれるから、満タンまで回復する術がないと一日一人が限界となり、そのままのペースでやったのでは十日で十二人は間に合わない。
コールネイチャーで魔力の回復を加速したところで然程足しにはならないし、魔力回復薬を飲めば素早く回復できるけど、体積のある水分だから飲める量にも限界はある。
ならば残る手は一つ。アルに魔力を譲渡してもらう他ない。
アルなら僕の魔力を数秒で満タンにできる上、譲渡を二度繰り返したところで負担にもならないはずだ。きっと快く協力してくれるだろうし、そうすれば最低でも一日三人は救うことができる。
「アルにも話して、二、三人ずつ書き換えに応じるから。他の人にもそう伝えておいて。」
「ありがとう、カルム君。今日、君に出会えて本当に良かった…」
心底安堵した声で呟く。
寿命の延長はまだ一度成功したのみで今度も確実にできるとは限らないから、先に告げて期待させるのはやめておこう。
それに、このままでは何かが足りない気がする。書き換えようにも制限がかかって進めない、あの感覚。
これを晴らすような助言が欲しいな…
「エトバス。お風呂って使わせてもらえる?」
「ん?あぁ。一階に大浴場がある。今日はもう誰も使わないだろうから、貸切りなんじゃないかな。」
「ちょっと頭をスッキリさせたくて。一階に行けばわかるかな?」
「階段を下りて左に行った突き当たりだ。む…⁉︎風呂ということは、カルム君が裸になるのか。それは是非とも見てみた」
「一人で!行ってくるから!あと僕、結構長風呂なんだ。遅くても覗きに来ないように。」
アロガンさんか、ネルか。どちらの助言を得るにしても、一人にならねば呼び掛けられない。
残念そうに手を振るエトバスを部屋に残し、小走りで大浴場へと向かった。
エトバスの言った通り、大浴場は貸切状態。
手桶で身体を流しつつ、まずはアロガンさんにコールする。
(お待ちしておりました!カルム様!)
僕が名前を呼ぼうと一音目を発した瞬間、物凄い勢いで耳元に声が返ってきて驚いた。何時コールしても構わないとは言っていたけど、この反応速度は異常だろう。ネルに過去のことを聴いたから余計に、いつにも増した勢いを感じる。
「連絡が遅くなってごめん。途中で羊人族に会ってね、シャーフまで送ってもらったんだ。今夜は町長さんの家でお世話になってるよ。」
(それを聴き安心いたしました。ご無事で何よりです。)
「ん。ありがとう。」
(…それで、何か問題でもございましたか?)
声色から僕が悩んでいることに気付いたのだろう、怖いくらいの察しの良さだ。
とは言え、すぐに本題に入れるのは有り難い。湯船に浸かりながら、エトバスとの“終末の物語“に関するやり取りを端折らず伝えた。
「で。このまま書き換えを行うにしても、何かが足りないと言うか、引っかかっててさ。アロガンさんなら気付けることもあるんじゃないかと思ったんだけど。どうだろう?」
(そうですね……)
僕が話した内容を頭で整理しているのか、暫しの沈黙が流れる。
(私が気になったのは、二点。申し上げてもよろしいでしょうか?)
「勿論。聴かせて。」
然程待たずに再び声が聴こえ、すぐさま続きを求めた。
やはりアロガンさんに相談して正解だ。天使時代の仕事ぶりを、並外れて優秀と評価されるだけのことはある。あのネルともストレスなく会話できていたのだろうし、情報整理はお手の物か。
(まず一点。自警団の方十二名が書き換えを希望されているとのことですが…。シャーフの自警団とは本来、町の内部の安全を保つため組織されたものであり、敢えて外に出て前線で戦うようなことは殆どありません。必要であれば一旦は調査のみに留め、ギルドへ討伐依頼を出すはず。農場を荒らす魔物と戦うのだとしても十二名もの方に被害が出るのは考え難いのです。とすれば、町の防衛に於いて命を落とす可能性が高い。自警団に属さない住人の中にも同様の“終末の物語“をお持ちの方がいらっしゃるのではないでしょうか?)
「っ!…そうか。教会に行くより先にこの話を聴いたから十二人だけと思って対応を考えていたけど、彼らだけでは済まないかも知れないんだ…」
(はい。そしてもう一点。カルム様が足りないと仰られているのは、おそらくこのことだと思うのですが。十日のうちに書き換えを行うとして、原因となる災いを取り去ることにはなりません。災いの正体、対処が明確で無い状態では、寿命の延長にも影響するのではないかと。)
あぁ、まさしくその通りだ。現時点で、十日という期限内にエトバス達を死に至らしめる原因を取り除ける見込みが無いから、書き換えが制限されているに違いない。またそれ故、フィーユの時のような成功の確信が湧かないのだ。
答えを示され納得に至るも、実質的な問題の解決にはならず頭を抱える。
災いとは一体何者なのか。
シャーフにはSSランクのベルデさんが居て、Bランク以下とは言え戦闘に慣れた多くの冒険者が滞在している。それに今は勇者だって居るのに、それでも対処しきれないのは何故だ。どうして皆を守りきれない…?
(シャーフの自警団に属する者は皆、冒険者であればAランクにも相当する強さと聞いております。そんな方々が返り討ちに合うとなると、相手も単独では無いと思った方がいいかも知れません。群れで行動し、戦闘に慣れた者も一瞬で切り裂く素早さと攻撃力を備え、奇襲を得意とする…魔物。町周辺の魔物について詳しい方に、心当たりがないか尋ねてみてはいかがでしょう?)
「ふぅ…。焦って全然思考がまとまらなかったから、整理してもらえて助かった。そうだね、明日は朝一で教会に行って、その後ギルドで魔物について聞いてみる。それじゃ、あまり長湯してると逆上せそうだから、この辺で切るよ。」
(⁉︎入浴してらっしゃったのですか?…お背中もお流しできず、残念です…)
「あーうん。そのうちお願いするよ。それじゃ。」
適当に返したけど、マズかったかな。アロガンさんのことだから、きっと本気にしたに違いない。まぁ男同士なんだし、背中を流してもらうくらい平気か。
さて。早々にアロガンさんとのコールを切ったのは、ネルに尋ねるべきことが絞れたからだ。
被害者が自警団の十二名だけで済まないかも知れない件については、教会の記録を確認の上でどう対応するのか考えるとして。彼らを死に至らしめる災い、延いては“終末の物語“の書き換えに制限をかけているものの正体を特定することが肝要である。
アロガンさんへ告げたようにギルドで尋ねれば、敵をある程度絞り込むのも可能だろう。けれど推測を相手に挑むのでは、確実な勝利は期待できない。更に情報を集めれば勝率は上がるのかも知れないが、“終末の物語“の書き換えも控えている状態で、そんなちまちまとやっている時間は無い。
であれば、僕に残された手段は一つ。この世の全てを知る神様に、敵の正体を教えてもらえば良いのだ。それさえわかれば、それなりに作戦だって立てられるし、排除できる可能性も高まるはず。
腰にタオルを巻いて大事な部分を隠し、教会で祈りを捧げるかの如く胸元に両手を重ねた。
「ネル。聞きたいことがあるんだ。」
呼び掛けると同時、空間を押し潰すような感覚に圧され息が詰まる。直ぐに解放されたかと思えば、周囲に水滴を浮遊させエテルネル降臨。僕が裸で居て濡れているのもお構い無しに、頬を擦り付け抱きついてきた。
「こんな格好でごめん。服を着てからでも良かったんだけど、今直ぐ聞いておきたくて。」
「構わない。アレと話すのも見ていた。災いの正体が知りたいのだな?」
ネルにあるまじき話の早さに驚く。いや、僕とアロガンさんのやり取りの一部始終を聴いていたのなら、流石に僕が知りたいことも解って当然か。
しかしコールの間ずっと見られてたってことは、この腰に巻いたタオルも今更感が否めない。相手は神様だけど、その姿は少女そのもの。風呂に限らずトイレや着替えまで見られているのかと思うと、途端に羞恥心が込み上げる。
「えっと、そうなんだけど。…っふぅぅ…」
大きく息を吐き、気持ちを落ち着けるべく自分の両頬を叩く。
首を傾げその頬を撫でつつ、ネルは災いの正体を教えてくれた。
「報復。翼龍の長が、西の山脈より仲間を率いて襲来する。アルディートの結界ではアレの守護力にも及ばない。町全体を守ることは敵わない。」
認定試験の時に見た、あの光の結界のことか。アロガンさんの守護力に及ばないというのは、おそらく強度についてではなくカバーできる範囲を言っているのだろう。町全体を覆いきれないから隙ができる。そこを突かれて被害が出る。
ならばどうする?翼龍を一対一で難なく倒せるのなんてアルとベルデさんくらいのものだろうけど、いくらアクセレーションで移動速度を上げても、町の端から端までを二人だけで守りきるのなんて不可能だ。それに―――
「報復って…。僕達が翼龍を倒したから?あの場で逃げて手出ししなければ、十日後の襲撃も避けられたのかな。」
「アルディートが斬らずとも羊人族が倒していた。報復に至るのは同じ。結界に頼らぬ方法で抗うしかない。」
「えっ?それは…、神様的に言っても良いこと?」
カバーできない範囲をどう守るのかばかり考えていたところへ『結界に頼らぬ方法で』と言われ、目から鱗が落ちる思いだった。
下手に守ろうとするから致命的な隙が生まれる。防御を捨てこちらから先制攻撃を仕掛ければ、事態は好転すると暗に言っているようなもの。
「これは助言。ネルは何もしていない。力を尽くし皆を救うといい。」
「ネル……。ありがとう…」
世界への手出しを自ら禁じている神が、一方にだけ味方し道を示すなど世の理を乱しかねないギリギリの行為だ。そんな不公平を僕だけに許すのは、きっと親バカというやつなのだろう。
ネルの助言で大まかな方針は定まったとは言え、ここから先は自力で考えるほか無い。重圧が過ぎて胃に穴が開きそうだけど、今回だってやるしかない。
「カルムの髪、ネルが洗う。」
「は?い、いいよ!自分でやるから!」
唐突なネルのセリフに驚き、咄嗟に断り背を向けた。ネルなりの労いだとは気付いたが、風呂で誰かに洗ってもらうのなんて何十年も前の記憶。子供のようで恥ずかしい。
「ネルが……髪…」
あぁぁ。めちゃくちゃ落ち込んでいるオーラを背中にひしひしと感じる。
考えてみれば、洗髪くらい頑なに拒むようなものでもないよな…。
「やっぱり!お願いしよう、かな。」
「任せておけ。」
振り返る僕に、キリリとした顔で親指を立てる。いや、無表情なのは相変わらずだから、ネルの感情を読み取るのに僕が慣れてきただけなのかも。
洗い場の椅子に腰掛けると、不器用ながらもどこか楽しげに洗ってくれた。
誰も見ていないんだし、これくらい甘えたってバチは当たらないだろう。
あれ?バチを当てるのって神様の担当なんだっけ?なら、その心配も無いわけか。
「痒いところはございませんか?」
「あははっ、人間の真似?大丈夫、とっても気持ちいいよ。」
互いの立場を忘れこの状況に身を委ねてみれば、何だか兄妹で戯れているかのようで楽しくなってしまう。
僕は前世でひとりっ子だったしな…。幼い頃は、周りの友達が兄弟喧嘩しているのすら羨ましく思いながら見ていたっけ。
大人になって妹系にハマった時は、僕の妹を名乗る女の子が突然家に訪ねて来て、警察に届け出るなどという現実的な判断はさて置き、ほのぼの幸せな生活を送る…なんて妄想に励んだりもしたなぁ。
…………あれ?
もしかしてネル、僕の妄想を満たそうとして少女の姿で居るなんてことは無いよね…?
首を振り、その考えは直ぐに振り払った。だって、そんな心の内までも見透かされるってなれば、この先まともに会話もできなくなってしまう。
「あー…ネル?流石に身体は自分で洗うから。」
「むぅ……」
僕の髪を洗い、幾らか満足したのだろう。せっせと泡立てたスポンジを取り上げるも、不服そうにするだけで済んで助かった。
少女に全身くまなく洗わせるなんて非合法な真似、いくらなんでもできるわけが無い。
焦って風呂なんかで呼び出したのがそもそもいけないのだけど、他に人の出入りが無さそうな場所が思いつかなかったのだから仕方ない。これは言い訳に非ず。断じて疚しいことなど無いのだから。
背を向け前方を隠しながら、手早く全身を洗い泡を流す。
「さてと。いくら長風呂にしても遅過ぎるってエトバスが覗きに来ても困るから、そろそろ部屋に戻るよ。」
「わかった。またな、愛しいカルム。」
「ふっ…おやすみ、ネル。」
一瞬にして消えたネルの残した水滴が、雨粒のように音を立て床に落ちた。
心配のあまり、本を片手に廊下を徘徊していたエトバスだったが、僕を見るなり『水も滴る…』などと感嘆の呟きを漏らし目を細める。
この世界にもその表現が存在するのかと驚くも、先に来臨した救世主の著書から得た知識と聞き納得した。
僕の他にも現役の救世主は複数人存在すると言うから、本を書いたのもそのうちの一人には違いないのだが…。今日までその救世主はこの町を訪れてはいない。世界は広く、別の大陸で力を尽くしているのであれば、然う然う海を渡ることも無いのだろう。
本は手元にまで届いても、肝心の救世主の力は届かない。どれほど歯痒い思いをしてきたのか想像もできないけれど。死の直前に待ち受ける恐怖に怯えること無く、己の役目を真摯にこなし生きてきた彼らの覚悟には、僕が必ず報いてみせる。
期限は明日より十日。今回の襲撃で命を落とすはずだった全員の生存が確定するまでは、一時たりとも気は抜けない。
やはり僕が僕自身を酷使するのは、どうにも避けられそうにないな。ならばアルも道連れだ。仲間として存分に頼らせてもらうとしよう。
徐々に膨らむ前向きなイメージを胸に、全身全霊を捧げ挑むと誓った。