旅立ち
己の意思とは関係なく、自身の生力を魔力へと変換し体外へ霧散してしまうという世界中でも例を見ない珍しい病を抱えた少女フィーユ。彼女のそのエネルギーの流れを自己で管理できるよう、また無意識下に於いても常にエネルギーの回復が行える効果に期待し、勇者だけが持つという特殊スキル『生環』の習得を狙い、勇者アルディート・ポテンザの教授を賜る事となった。
アロガンさんが責任を持ってフィーユを護ると言ってくれたので、彼女とその両親への説明は最低限に。成功すればエネルギーの流れの正常化が期待できるとだけ伝え、他者へエネルギーを分けることが可能になる点と、その能力を自身のエネルギーを削り切るまで使用した場合に肉体が部分的な壊死を起こす可能性がある点については伏せたままにしておいた。
その辺りも含めての護るという言葉だ。これから村を出て旅をしようって人間が口出しできるものでもない。時期をみて本人にだけ説明するとも言っていたので、全部信じて任せることにした。
結果的に、フィーユは生環スキルをあっさりと習得。
勇者の秘密をあまり多くの人間に晒すわけにはいかないとの理由から、その場には僕だけが立ち会ったのだけど…
時間にして一時間程度。ガタイのいい成人男性が小さな少女の両手を握り、右だ左だ大きく小さくなどと指示を出しながら楽しそうに動く様子を見ていると、僕は一体何を見せられているのだろうと何とも言えない気持ちになった。
アルが教えること自体は簡単だと言っていた通り、側から見ればただ遊んでいただけ。どのタイミングでスキル習得に至ったのかも外見ではわからなかったが、アナライズで覗いていたところ終盤に来てフィーユのエネルギー量が大幅に増加したことから、その瞬間がそうだったのだろう。
成功するって確信はあった。けれど明確な根拠があったわけではないから、些か拍子抜けというか何というか。
ともあれこれでフィーユは、ベッドで横になってばかりの生活から解放される。僕の回復魔法も、もう必要ない。
両親はフィーユの病について一切の心配が無くなり、夕食後にもかかわらずご近所を巻き込んでの酒盛りを始めてしまった。まぁ、生環スキルについて詳しいことは聴かせていないから、酔った勢いで勇者の秘密を喋ってしまう心配はないけど。アルコールがあまり得意でない僕としては、寧ろ心配なのは我が身。
早速盛り上がるプースたちを横目に退散を試みるも虚しく、アル共々その場の主役に据えられ逃げ場を失ってしまった。
一人また一人と酔い潰れていくのを見守りながら、ようやく家に戻れたのは深夜二時も回った頃。寝る場所も無いからと引き摺り持ち帰った勇者を床に転がし、ぐったりとソファーに凭れた。
「世界は違っても、酔っ払いの相手が大変なのは変わらないな…。場の空気を壊すのも申し訳なくて、僕を気に掛けてくれてる人がいる間は席を外すわけにいかないし…」
「カルム様に近付くことすら遠慮していた者もいましたから。皆、嬉しかったのだと思いますよ。」
用意してくれた水を飲みつつ、言葉を交わしたそれぞれの顔を思い出す。確かに皆とても嬉しそうで、直接関わりの無かった人からも感謝の言葉が絶えなかった。
結局、呪いだ何だと噂していても、誰もがフィーユたち一家のことを心配していたってことだ。
「良い村だよね。旅に出てからも、ちょくちょく戻ってきて良いかな?」
「私は毎日でも構いませんが。」
「それは流石に遠慮しとく。居心地が良過ぎて、せっかく与えてもらった役目も忘れてしまいそうだからね。」
テレポートを使えば戻るのなんて一瞬だけど、救世主になると決めた以上は楽してばかりもいられない。僕の力を求めている人は世界中に数えきれないほど存在する。少しでも多くの声に応えるためにも、旅して知識を深めなくては。
何より、魔法だの魔物だのが実在する世界にはとても興味があるし。聴くよりも経験である。
「しかし、なんでフィーユはあのスキルを習得できたんだろ。何か勇者と共通するところでもあるのかな。」
興味があると言えば、今一番身近なところで勇者についてだ。
人間の味方であること、秘密の能力をいくつも持っていること、あとはめちゃくちゃ強いなんてよくある設定程度の事しか、本人を目の前にしてもまだ知れていない。
戦いを不利にしないため秘密主義を貫く職業だけあって、それは僕に限らず皆に共通するところだろう。
アルが答えてくれないことには、いくら話したって推測の域を出ないわけだけど。アロガンさんの知識を加えれば、推測にも信憑性が出てくる気がした。
「有用なものでは無かったとは言え、生まれながらに持っていた力を実用可能な状態で定着させたわけですから、恐らく血統が関わっているのではないでしょうか。」
「あー、遺伝子的なところか。でもプースとアンデクスは二人とも普通の人間みたいだから、もっと遡れば先祖に勇者が居たかも?」
「えぇ、その可能性も。ですがもう一つ。勇者様の瞳の色が銀灰色なのが、ずっと気になっておりまして。」
「珍しい色なの?」
「珍しい…のは、間違いありませんね。ハイエルフ特有の色ですので。しかし瞳の色の他にハイエルフらしい特徴を持たれてはおりません。もしかしたら勇者様は混血で、上位種族との血の交わりが勇者となる条件の一つなのではと。」
種族が違う者同士の間に生まれた子が、互いの優秀な遺伝子だけを受け継ぐみたいな感じだろうか。
であれば、フィーユのご先祖様にも上位種族に分類されるような人がいて、本来はそこに子が生まれた時点で身につくはずだった力が、不完全なままに隔世遺伝してしまったって可能性が出てくるわけだ。
「実際、現時点で確認されている他三人の勇者様のうちお二人は混血であることを公言していますし、それぞれに人間とは違った姿をしておられます。」
「勇者って人間の代表ってイメージがあったから、姿が違うってなると少し不思議な感じがするな。」
「そうですね。確かに守る対象の多くが人間なので、人間の守護者とも称されています。ただそれはこの世界で最も数の多い種族が人間だからというのと、人間が知性ある種族の中でも弱く脆い為で…。様々な悪意から民を守る役目を担うのに、種族などは関係ないのです。」
「なるほど。つまりこの世界に生きる者にとっては、大いなる善意こそが勇者ってわけだ。アロガンさんて観察力は鋭いし、知識も豊富で尊敬するよ。おかげでちょっとスッキリした。ありがとう。」
「痛み入ります。」
フィーユの病が、それこそ病などではなく遺伝子の悪戯だった推定には至れたし、知らなかった情報をまた幾つか得ることができた。
アロガンさんと喋るのは本当に楽しくて、何だかオタク同士で一つの作品を取り上げ、朝まで語り尽くした日のことを思い出す。あの頃は空想でしかなかったものが今は現実。
この世界での生を終えた後、もしまた記憶を持ったまま日本に転生できたなら、僕は立派な創作者になれるかも知れないな。
半ばオタク趣味に付き合わされているだけのアロガンさんだが、とことんまで付き合ってくれるつもりなのか眠い様子も見せず紅茶など飲みつつ微笑んでいる。僕が酒もつまみもあまり口にしていなかった事にすら気付いていたのだろう、紫陽花のような綺麗な色のゼリーをテーブルに置いてくれた。
早速いただいてみれば、喉越しが良くて優しい味。ほんのりと花の香りも広がる。
これだから旅に出た後、頻繁にここへ戻って来るのも考えものなのだ。外の生活が厳しければ厳しい程、お尻に根が張って動けなくなってしまう。
そんな心の内を見透かすかのような笑顔が、ちょっとだけ意地悪に見えた。
「アロガンさん。寝る前にもう一個だけ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「私でわかることでしたらお答え致します。なんなりと。」
「フィーユの家でご馳走になったハゲウシ、だっけ?どんな動物の肉なのかな?」
僕としては酒よりもずっと印象的だったそれを思い出す。とろとろになるまで煮込んだシチューに、絶妙な焼き加減のステーキ、ローストビーフのサラダも本当に美味で、同じ肉なのに飽きのこない味が忘れられない。
「牛の肉…ですね。身体中を鳥の羽根に似た毛に覆われていることから、羽毛牛と呼ばれております。大変臆病で人の気配に敏感な為、目にすること自体が稀で。また馬よりも遥かに素早く、手練の猟師や冒険者数人がかりであっても捕らえるのは困難を極めます。」
「てことは、超希少な食材なんだ…」
アンデクスの手料理は勿論美味しかった。だが、やはり僕の胃袋をしっかりと掴んだアロガンさんの味付けでも堪能したいと思ってしまうのは必然であろう。
「確かに希少ではありますが、今回は勇者様がお一人で仕留められたと聞きました。必要でしたら、もう一度捕らえてきていただいては?」
尤もな名案に感心してしまった。
幸いにもその勇者様は僕の仲間となることを了承済み、超希少食材であろうとも諦める必要は無いのだ。
旅の途中に余裕ができたら一頭仕留めてもらって持ち帰り、アロガンさんに調理してもらうとしよう。
僕が完全に食材調達係にしようとしているのも知らず、泥酔勇者は幸せそうに寝息を立てていた。
十日後。天気は晴天。いよいよ僕達はユヌ村を発つ。
旅の道中必要になりそうなものは、できる限り村にあるもので揃えた。村の人達はとにかく協力的で言えば何でも提供してくれたけど、一方的に受け取るだけというのも納得がいかない。物の代わりにこちらからは、僕とアルの労働力を提供した。
与えられた仕事はどれも楽しかったし、僕ら二人が協力して働く様を見る度『奇跡の姫と勇者様が!』などと妄想に重ね騒ぐ村人がいたのもちょっと愉快で…
そんなこんなのやり取りと、色々と僕自身の手でも作っておきたい物があって、準備には思いの外時間がかかってしまった。
ユヌ村で過ごしたのはたった半月程だったけど、この世界での僕の故郷はもうここ以外考えられない。帰る場所がある安心感と、一時村を離れることの切なさは、目の前の景色を少しばかり滲ませた。
「カルム様!アルくん!いっぱい、いっぱい…ありがとう!クマさん、大事にするね!」
僕が手作りして贈ったテディベアを抱き見送りに出てきてくれたのは、すっかり元気になったフィーユだ。生環スキルを得てから三日目には家の外を歩き回れるまでに回復。時にふらつき遅れながらも友達と元気に遊ぶ様子を見ていると、次に僕が戻る頃までには誰よりもお転婆になっている予感がして、アロガンさんにはくれぐれもフィーユをよろしくと念押ししておいた。
「今度戻る時には、くまさんの新しい服を作ってあげるから。僕が居ない間もちゃんと可愛がってあげてね?それと。デート、楽しみにしてる。」
「ん〜…20点!わたしはそんなカンタンな女じゃありませんっ。」
「ぅえぇ?それはまた厳しいなぁ。」
もっと子供らしく可愛く応えてくれるものと思っていたのに、口説き文句として採点されるとは予想外だ。しかも完全に赤点評価、意外と低くてちょっと凹む。
自分でも見惚れるほどのこの外見を持ってしても全く思い通りにいかないとは、前世でも四十年間ぼっちだった中身に難ありと考えて然るべきか…
「クスクス…本当にお世話になりました。よければこちらをお持ちください。」
アンデクスがやり取りに笑いながらモテない僕の手に渡してくれたのは、手のひらサイズの小さな薬袋。目の前まで持ち上げてみると、不思議な香りが鼻を掠めた。
「先日主人が持ち帰った神聖樹の葉で作った万能薬です。リカバリーに相当する効果を持っておりますので、旅のお役に立てるかと。」
神聖樹はこの世界の始まりから在り、葉が落ちることも無ければ枯れることも無い、雲を衝くばかりの大樹である。
生命エネルギーに溢れ、葉や樹液にもその力が満ちているのは勿論、葉を伝う雫でさえポーション並みの力を持つとされている。
また他にも特別な力を秘めているのか、それらは魔物たちの大好物なのだが、神聖樹は精霊ドライアドによって守られているため易々とは手出しできないのだとか。
それ故葉を入手していたプースが魔物の襲撃を受ける事態となり、命懸けで持ち帰った貴重な素材のはず。簡単に受け取ってしまうのも流石に躊躇われた。
「まだリカバリーは習得できてないからとても助かるけど。本当にいいの?」
「構いません。それを使うつもりでいたこの子は、もう元気そのものですから。万が一また必要になることがあれば、その時は勇者様に葉を採って来ていただけば良いだけのこと。」
「おぅ、それくらいおやすい御用だ。」
オルールの森を越えるにしても迂回するにしても魔物の襲撃はきっと避けられないのに、アルにとっては簡単なお使い程度のことらしい。右手の親指を立て爽やかに笑っている。
「おやすい御用って…。ま、まぁ、本人もこう言ってるし、遠慮なく貰っていくよ。ありがとう。」
薬袋を自作の鞄にしまい、代わりに取り出した物を手に今度はアロガンさんへ向き直った。
今日までアロガンさんは衣食住の提供だけでなく、僕の興味にひたすら対応してくれた上、“命譜の書“に未習得で書かれていた魔法も幾つか使えるよう教えてくれた。全ては彼が崇拝する神の与えた役目が故であることは承知の上だが、だからと言って大して働きもせず尽くされるばかりではヒモのようで気が咎める。
それに、きっとこれからも頼ってしまうんだろうし、言葉だけじゃ感謝の気持ちを伝えきれはしない。何を贈るのが相応しいのか色々考えてはみたけど、結局こんな物しか浮かばなかった。
「えっと…アロガンさん。これ、服屋で縫製機を借りて縫ってみたんだ。いつも使ってるハーフグローブと同じサイズだから、使えるとは…思うんだけど。」
着けていたハーフグローブを外し渡した方の手触りを確かめる様子を見ながら、自分の指先が冷たくなるのを感じる。手作りの贈り物をしてこんなに緊張したのは初めてだ。
何を贈っても喜んでくれるとわかってはいても、それが僕に気を遣っての反応では意味がない。
「この生地は……」
「え?あ、それは、思ってたような生地が見当たらなかったから、僕のスキルで。伸縮性を少し高めれば装着感も良くなるかな、って…」
僕の返事が終わるか終わらないかのうちに、グローブに頬擦りし始めたアロガンさんには少々引いてしまった。
それはそれは愛おしそうに、うっとりとした表情で肌触りを堪能している。
演技を疑うまでもない、とんでもなく喜んでくれていることだけは確かで、僕は小さく安堵のため息を漏らした。
「このような素晴らしいものを私のために…、家宝にさせていただいても?」
「いや。ただのグローブだからね。使えそうなんだったら使って?」
余った生地でついでに作っておいた作業用グローブを装着し顔を上げる。僕の分は親指から中指までが開放された別形状であるにも関わらず、お揃いの物を身につけるという思い込みもプラスされ息を荒げる姿には、流石に皆開いた口が塞がらない様子だった。
「なぁ、カルム。ずっとこの人ん家に居て平気だったのか?」
「何がだよ。たまにこうなるだけで、普段はすごく真面目で色々と優秀な人なんだからな。」
アルがアロガンさん家に泊まったのは泥酔状態で床に転がしたあの日だけ。あとは薬屋で世話になっていたから、二人きりの間にもっと変態じみたことをしていたのではと想像してしまうのは無理も無い。
だが真面目で優秀なのは間違いないのだ。あっちの世界に行ったままのアロガンさんに代わり、しっかりと弁明しておいた。
「アロガンさん、僕らそろそろ行くから。アンデクスとフィーユも、見送りありがとう。」
いつまでも話していたって時間は過ぎるばかり。数日はキャンプしながらの移動になるだろうし、設営や食事のことを考えればのんびりもしていられない。
テレポートを発動すべく“命譜の書“を呼び出せばパラパラと頁が捲られ、僕とアルの足元に魔法陣が浮かび上がった。
アンデクスは微笑んで頭を下げ、フィーユもいってらっしゃいと両手を振ってくれている。
いざ発動と唇を開いた瞬間、アロガンさんが僕の腕を掴んだ。
「お待ちくださいカルム様っ。懐中時計はお持ちですか?お渡しした時にも申しましたがあれはカルム様が救世主である事の証明になります、絶対に失くさないようお気をつけください。それから道中で魔物と遭遇することがあっても、戦闘は勇者様にお任せしてカルム様はなるべく手出しなさいませんよう。ご自分の身を守ることだけお考えください。何かございましたら昼夜問わずいつでもコールしてくださって構いませんし、安全も保障されぬ土地で野宿するくらいでしたら、やはり毎日村へ…」
「大丈夫!休んでる間に襲撃されないようにって、結界の張り方も教えてくれたでしょ?なるべく連絡はするし、どうしても困ったら一度戻って来るから。お互いやるべきことをやっていこう。ね?」
別れを惜しんだり、心配しているのとも少し違う雰囲気を感じて言葉を遮り、胸に手を当てそっと押し戻す。
「……カルム様。お供できずに申し訳ございません。行ってらっしゃいませ。」
「ん。行ってきます。」
どうも僕の贈り物が信仰心を煽ってしまったようで、頭を撫でて慰めてあげたいくらいのションボリ具合だ。村を出てからもやたらと頼るのは迷惑かと思ったけど、アロガンさんにとっては激励になるのかも知れないな。
泣きそうな顔をされ少しばかり罪悪感を覚えつつも、テレポートを発動し森の南側出口に設置したポイントへと移動した。
「はぁ…綺麗だな。」
森の向こうには、美しい平原が広がっていた。
昨日までの雨で潤った緑が、吹き抜ける風で波のように揺れる。
見渡す限り生き物の姿は無く、結界の外に出たというのに危険な雰囲気は一切感じない。
両手を頭上で重ね背伸びを一つ。森とはまた違った自然の空気を、ゆっくりと胸いっぱいに吸い込んだ。
「さて、と。目指す先はペルペテュ…エル?王国だっけ。僕は地図で見ただけだから、東へ向かうんだってことしかわからないけど。どう行けばいいかは知ってるんだよね?」
「ここまで来た道を戻るだけだしな。任せとけ!」
草をかき分け、そのまま南へと自信満々先導するアルに続く。
更に南にあると言う魔物の巣窟オルールの森の存在を思い出し不安を覚えたが、程なく草むらを抜け、歩きやすく整えられた道が目の前に現れた。東西へ向かう道は生き生きとした緑に挟まれ、どこまでも遠く伸びている。
「へぇ、すごいな。この道、ずっと続いてるの?」
「東は羊人族の町までは続いてたかな。まぁ、道がなきゃ切り開けば進めるから。」
行き当たりばったりな思考ではあるものの、間違ったことは言っていない。インフラ整備された日本での生活が当たり前だった僕の感覚とは少々ズレているってだけで、ここは日本じゃない。当然、受け入れなければならないのは僕の方と要らぬツッコミは飲み込み、東向きに伸びる道を並んで歩み出した。
「へへっ、なんかさ、仲間と旅するのって良いな。」
地元を出てからずっと一人だったアルにとって、それは本当に嬉しいことなのだろう。足取りも軽やかに、僕の方を見てはヘラヘラと締まりない顔をしている。
「それにカルムが作ってくれた服。すっげぇ着心地いいし、動きやすいし」
唐突に格ゲーキャラばりの動きを見せたかと思えば、男前な顔でポーズを決め…
「なんか勇者って感じでカッコイイし!これならきっと王様も、俺のこと認めてくれるよな!」
八重歯を見せて無邪気に笑った。
丈足らずな村人の服のままでは格好がつかないと思いアルに合わせて作った勇者っぽい服は、我ながらいい出来だと思うし、纏う姿もそれらしく決まっている。けれど重要なのは服装よりもどう振る舞うのか。
田舎出身の勇者をあまり良く思わない連中に騙されたせいとは言え、アルは一度王国を追われている身。見た目の誠実さを欠いては前回の行いに対する弁解をするどころか、救世主の名を持ってしてもお目通り叶わぬ可能性だってある。
「そうだね。王都に着いても今みたいにはしゃがなければ、認めてもらえると思うよ。」
子供のようにはしゃいでいる自覚が無かったのか、僕の言葉に愕然とし大人しくなってしまった。
情緒不安定なのかと思うほどにころころと変わる表情が面白くて思わず吹き出す。
けれどアル自身はよくわかっていないようで。ただ僕に釣られ、また元の締まりのない顔で笑った。
「あははっ!多少辛いことがあってもアルとならやっていけそうだ。気負わず行こう、アルも…僕もね。」
「だな!気負わず行こう!」
意味もわからず返して偉そうにしているのがまた面白い。
「うん。アルはそれでいいよ。その方が飽きない。」
そう言われ嬉しそうにしていたのも束の間、眉をひそめじっとりとこちらを見てきた。
「なぁ、カルム。もしかして俺のこと、ちょっと馬鹿にしてる?」
流石に気付いたようで、目を逸らす僕の顔を覗き込んでくる。
愛すべきお馬鹿さんだとは思っているけど、決して馬鹿にしているわけではないのにな。このニュアンスの違いを正確に伝えるのも難しい。
すっかりむくれっ面のアルを宥めながらも、暫し順調に歩みを進めた。
懐中時計を開いてみると、村を出てからあっという間に二時間が過ぎていた。
周囲はいつの間にか農場の景色へと変わり、木製の柵に囲まれた畑ではこの時期旬の豆類が高く蔓を伸ばしている。その向こうには牛や山羊などの動物が放牧もされていて、長閑な雰囲気に気が緩み、お互い釣られ欠伸が止まらない。
無理の無い早さで歩いてはいるものの、ここまで休み無しで足には若干の疲労感。時間も丁度昼飯時。
少し進んだ先に大きく枝葉を広げる一本の木を見付け、木陰で一休みすることにした。
「ふぅ。町まではまだだいぶあると思うけど、この辺りって誰が管理してるの?」
昼のお弁当にとアロガンさんから渡されたサンドイッチを分け合う。
「んむ…ん、あぁ、羊人族だよ。雪がない時期は町からこの辺りまでの土地で色々育ててるんだって言ってた。」
早速一つ頬張っていたのを慌てて飲み込み答えたが、アルはもうサンドイッチに夢中だ。僕の分からも一つ分けてやると、あっという間に平らげ仰向けた。
手本のように汚した口の周りをハンカチで拭ってやる。服は乱れて腹は出てるし、全く手のかかる勇者である。
それにしても、羊人族ってすごいな。生育期間も収穫時期も異なる作物をまとめて育てるために、この広大な土地を利用しているのか。町まではここから徒歩で三、四日はかかる距離、大型トラックなんて存在しないわけだし、収穫後の運搬はとても大変そうだ。
しかし当の羊人族はどこにいるのだろう?畑はこまめな手入れが必要なはずなのに、一人として姿が見えない。
アルも同じことを思ったのか起き上がり周囲を見渡した後、首を傾げた。
「んー?俺が前に通った時は何人も作業してたのに、昼飯でも食いに帰ったのかな。」
「え?あ。もしかして、テレポートで行き来してるとか?だったらお願いして一緒に移動してもらえば、町まで歩かなくて済むんじゃ…」
「おぉ、カルム冴えてるな!あいつら良い奴だから、言えばすぐ連れてって…くれ、る…」
徐に立ち上がり周囲を気にするアル。気配の正体を捉えたのか警戒を強め、空を見上げたまま僕にも立ち上がるよう右手で指示を出す。
「アル?どうかした?」
「ヤバいのがいる。…どうすっかな、ここじゃ畑がめちゃくちゃになるし。カルムからあんま離れるのもな…」
察するに、アルでもちょっと手こずりそうな敵の気配を複数感じるってことだろう。僕が近くに居ればただの足手纏い、離れて戦ったとしても敵が戦力を分散してくれば、守り切れないのではと危惧しているのだ。
「魔法が通用するんだったら僕も戦える。僕のことよりも畑を守らなきゃ。」
何日もかけ丹精込めて育てているものが一瞬で駄目になる様を想像しただけでも、胃が締め付けられるようで許し難い。早々に被害の及ばぬ場所へ移動すべくアルの腕を掴む。
「っ……わかった。さっさと倒して、カルムには後で説教だ。」
「は?なんで…うぉわっ⁉︎」
始終どこか能天気な声が一変、あからさまに不機嫌になったアルに言われ見上げると、不意に抱き上げられ片腕で固定された。
「しっかり掴まってろよ。…アクセレーション。」
説明も無く戸惑いながらも言う通りにしがみついた途端、人とは思えぬ速度で走り始める。
アルは軽々と畑を飛び越えるが、僕にとっては後ろ向きで絶叫マシンにでも乗せられているようなもの。しがみつく腕に力を込めてみても、恐怖で頭がクラクラする。
「ちょ…アル、は、吐く…」
ただでさえ絶叫マシンは苦手だったのに、更には食べた直後のこの仕打ち。数キロ移動した先で下ろされた時には顔面蒼白、戦闘もままならぬ状態になってしまっていた。
「ちゃんと守るから。そこでじっとしてろ。」
リカバリーさえ覚えていれば、この程度直ぐに回復できるのに。揺さぶられて酔ったくらいで、貴重な万能薬を使うわけにもいかない。
フラつきながらも根性で立ち上がり構えた瞬間、上空から落下してきた物を目に腰が抜け、またへたり込んだ。
ぐちゃぐちゃに食い散らかされ殆ど肉塊となった牛の死骸。続け様に山羊の死骸も落ちてくる。追い打ちをかけるかの如く押し潰すような強風が吹き荒れ、恐る恐る見上げた先には、血濡れた鋭い爪と牙がおぞましい翼龍の姿があった。
咆哮にビリビリと空気が震える。
数は三匹。だが一匹ごとが尻尾や翼を除いても五メートルを超える巨体。ドラゴン系のモンスターに対抗可能な魔法は幾つか習得していたはずなのに、恐怖が勝って“命譜の書“の呼び出しすら上手くいかない。
「ちっ…こんなことなら、剣くらい持っとくんだったな。」
そう言ったアルの手に、光の剣が出現する。
何もできず呆然とする僕の目の前で、翼龍三匹を同時に相手取った激しい戦闘が始まった。
尾を大きく振り回し地も抉るように薙ぎ払ったかと思えば、咆哮と共に衝撃波が三方向から連続して放たれる。巻き上がる土煙に紛れ一匹が爪を突き立てれば、また一匹は口を大きく開け食い掛かった。
「くっ…!やられてばっかでいられるかぁっ‼︎」
畳み掛ける上空からの強襲を防ぎ、躱しながら、アルも地上から斬撃による攻撃を重ねる。魔法による雷撃も追加するが相手の耐久力が高く、なかなか上空から落とす事は敵わない。
互いに攻防を繰り返すうち、アルが僕を庇いながら戦っていることに気付いたのだろう。翼龍たちは僕を標的に改め、急降下からの攻撃を仕掛けてきた。
その全てを光の剣で打ち払う姿はまさに勇者そのもので、守られている絶対的な安心感なのか、敵の攻撃は激しさを増すばかりなのに恐怖が薄れていくのを感じる。
徐々に戦況を冷静に見れるようになり、何かサポートをせねばと“命譜の書“を呼び出したところで、僕はアルの攻撃の違和感に気付いた。
鋭利に見える光の剣、幾度も翼龍の身体に届いているのに、峰打ちでもしてるかのように切れ味がない。それでも力とスピードで強引に皮膚を裂いてはいるが、決定打には欠けていた。
「アル!僕に手伝えることは無いっ?」
「お、少しは具合良くなったか?…っ!悪りぃ、この剣使うの苦手でさ。何か芯がないと、思ったように切れ味出せねぇんだ!よっ‼︎」
僕の目の前スレスレまで来た尾を弾き返し、派手に動いて注意を引き戻す。
「…芯?」
その意味を考え、ふとアルが戦い始めに言ったことを思い出した。
「そうか、ちゃんとした剣があれば…」
おそらくアルは剣を具現化するというより、強化する方が得意なんだ。だけど今ここに剣は無い。その上アルはまだ、僕の創作スキルのことを知らない。
「アル‼︎剣があれば良いんだよね!どんな剣でも構わない?」
「あ?あぁ!できるだけ丈夫な方がいいけど。テレポートでもして取ってくるつもりか⁉︎」
「丈夫な方がいいんでしょ!もう一分くらい頑張って!」
確かに、戻って調達してくる選択肢もある。でもテレポートして武器屋まで走って経緯を説明してってやってたんじゃ時間がかかり過ぎるし、翼龍の皮膚の硬さを考えると並の剣では強度が足りないかも知れない。
だったら、勇者に相応しい剣を今この場で創るだけ。前世でファンタジー系のRPGばかりやっていた僕にとっては、勇者の剣をイメージするなんて容易いこと。それにアルがいれば、魔力を使い切り動けなくなったところで何も心配は無い。
目を閉じスキルにだけ集中し、遠慮なく全ての魔力を注ぎ込む。
より強くイメージを固めて、軽く、丈夫に―――
そうして一分とかからず、イメージ通りの剣が生まれた。いかにも勇者専用っぽい、ちょっと派手で古臭いデザイン。特別サービスで持ち運びに便利な鞘もセットだ。
「アルぅぅぅっ!受け取ってぇぇぇぇ‼︎」
魔力を使い果たした倦怠感から、倒れ込むように放り投げた剣をアルが受け取った刹那、三匹の翼龍の動きが止まり地鳴りのような音を立て落下した。切り落とされた一匹の首が、それでもなお食い掛かろうと唸り大口を開ける。
「邪魔すんな。」
剣を手にする前とはまるで別人。ちょっと手首を横に振っただけに見えたのに、開いた口は上下に真っ二つ。あっという間に静かになった。
「大丈夫か?ちゃんと守るって言ったのに、手間かけさせてごめん。」
剣を払い鞘に戻しながら、傍でしゃがみ込み頭を撫でてくる。
「戦う前から剣…作っとけば良かったよね。やっぱり仲間なのにお互いの能力を知らないってのは考えものだよ。」
「そうだな。カルムにだけは秘密は無しにする。」
苦戦はしていたものの結局ノーダメージのアルは、一向に起き上がれず俯せのまま喋る僕に首を傾げつつも抱き起こしてくれた。
「腰でも抜けたか?」
「ぁはは…いやぁ、剣作るのに魔力使い果たして動けないんだ、ちょっとだけ分けて。」
「なんだ、そういうことか。ん。」
肩を支える手から一気に魔力が流れ込んでくる。程よい温かさの湯船に浸かるような心地よい感覚が全身を満たし、ほんわかしている間に魔力は完全回復した。
「はぁ…。ありがと、助かったよ。けど、ホントにちょっとで良かったのに。」
「ん〜つっても、まだだいぶ残ってるし。どうせすぐ回復するから問題無い。」
かなりの魔力を消費したはずなのに、全くもってどうということは無い様子。僕の創った剣を、背負うか腰に提げておくかで悩んでいる。
了承を得てアナライズで見せてもらうと、戦闘中あんなに雷系の魔法を多用し、たった今僕の魔力を丸々満たすまで消費したにも関わらず、あと三回は同じ事を繰り返せるくらいには魔力が残っていて驚いた。
僕も大概チートなのに、それを軽く上回る勇者…恐るべし。
「よし!やっぱこっちだな。」
腰に装着した鞘から剣を何度も抜き差し試していたが、納得に至ったようで頷く。
一変、いつもとは違う威圧感のある笑みを浮かべると、座ったまま見上げていた僕の前にしゃがみ込んだ。
不穏な空気を感じ目を逸らす。機嫌を損ねるような事をした覚えは一切ないけれど、アルが何かに怒っているのは間違いない。
「えぇっと、あの…羊人族の人たちは、翼龍が居たから避難してるって事なのかな。」
「まぁ、そうだろうな。」
「アルが倒しちゃったけど、これ…どうにかして知らせないと、戻らないままかも知れないよね?」
「様子くらいは見に来るんじゃないか?放牧もしっ放しってわけにはいかないだろ。」
「あ…そっか。じゃあなるべくこの辺りで待ってた方がいいよね。死骸の片付けもあるし。」
「このまま放置しても腐るだけだしな。燃やすか解体するか相談しないと。」
「でもホント、畑が無事で良かった。牛と山羊はちょっと食べられちゃったけどさ、被害が少なくて何より……」
アルの圧が強まったのを感じ息を呑んだ。どこで地雷を踏んだのかわからないが、やっぱり相当怒っているのだけはわかる。
「ぁ…アル?ごめん、アルがなんで怒ってるのかわからないんだけど。僕、気に触ることでも言ったかな?」
誤魔化してばかりいても仕方がないので、直球で聞いてみた。
瞬間、時が止まったかのように周囲からの音が消える。
「カルムが自分のことよりも畑を優先したのが悲しかっただけ。勇者はカルムに対して怒ってるわけじゃない。気持ちは複雑。」
「へ?」
僕の問いに返したのはアルではなく子供の声。幼くもしっかりとした響きに聞き覚えがあるように思うのは気のせいだろうか。
だが声はすれども姿は見えず。気配に敏感なはずのアルも、声の主が掴めずに周囲を見回している。
「カルムは自己犠牲の気持ちが強過ぎる。それはカルムの長所であり、短所でもある。仲間を悲しませるのはあまり感心しない。自覚はした方がいい。」
何故だかやたらと心に刺さる言葉が続き、尤もだと言わんばかりに頷くアルの背後、それは突如現れた。
背丈よりも長い艶やかな黒髪をツインテールにし、些か露出が過ぎる格好をした幼い少女。彼女のまわりにだけ重力が存在しないかのようにフワフワと浮いたまま、どこか虚ろな目でこちらを見ている。
何処から来たのか、何時から居たのか、何故浮いているのか、どうして僕たちの事を知っているのか…。聞くべき事は沢山あったけれど、平静なつもりでいるのに言葉が出てこない。
「キミは…。誰?」
ようやく絞り出し尋ねると、無表情のままアルの頭上を越えフワリ僕に抱き付いてきた。
「ネルはカルムのママ。この世界に来る前からずっと見てた。ずっとハグしたかった。よしよし、愛しいカルム。いい子いい子。」
淡々とした口調でそう答えるも、言っている意味がわからずただただ呆然。
立ち尽くす僕を、幼女がひたすら愛でている。
敵意は感じない。それはアルも同様に。ただこの状況が理解できず、僕もアルも首を傾げるばかりだ。
「いや、カルムの方が年上に見えるんだけど。おまえ精霊か何かか?」
一向に何も言えずにいる僕に代わり、アルが正体解明に挑んでくれた。
「ネルはエテルネル。時の神エテルネル。流転を司る『時』そのものにして、この世の全てを創りし者。」
「……ふぇ?神…さ、ま?」
この世界に神様が実在するのはアロガンさんからの説明で知っていた。けれど、決して人前に姿は現さないのではなかったのか。しかも到底神様らしからぬ容姿。状況的にはとても疑わしい。なのに…
少女から放たれる妙な安心感と緊張感が、説得力を持って僕を占めていた。
事ある毎に頭の中で聞こえていた淡い声が、エテルネルを名乗る少女のそれと鮮明に重なる。
きっと僕が転生したのはこの神様の力。ママってのもそういう意味だ。
「はぁぁ…。それならそうと、なんで初めから出て来て説明してくれなかったんですか…」
前世から僕を見ていたのなら、この世界に降り立つより前に対応してくれたって良さそうなもの。転生に際して僕からの要望は通らなくとも、多少は心構えが違っていたかも知れない。
いや、それでも僕は変わらないか。
やるべきことがあると言うのなら、それを成すために全力を尽くすだけ。神様はそんな僕の本質を見込んで、転生者として…救世主として選んでくれたに違いない。
ただ、やっぱり事前に説明は欲しかったし、ママと言うならそれなりの見た目であって欲しかった……
頽れる僕が落ち着くまで、神様は慰めるように頭を撫で続けてくれていた。