奇跡
イディアリュウールでも季節は梅雨の頃。夜のうちに降った雨に濡れた緑が朝日を受けて輝き、風が濃い自然の香りを運ぶ。
ユヌ村の人々の朝は早く、まだ太陽が顔を出したばかりだというのに、多くの村人は屋外にて日々の作業に勤しんでいる。そんな平和な日常に交じり、カルムも井戸水の汲み上げを手伝っていた。
昨日訪れたばかりの村だというのに互いに遠慮なく、寧ろ長年知った仲のように接している。それというのも、カルムの前世での生活が大きく影響していた。
子供の少ない年寄りばかりの田舎に生まれ育ち、学生時代も祖父母が共に暮らす自宅からの自転車通学。家を出ることも無いまま地元の老人福祉施設に就職した。
元より周囲に対して優しい性格だったこともあり、お年寄りには大人気。施設入所者の散歩の付き添いで訪れる幼稚園でも、先生たちを差し置いて園児による奪い合いが起きるほどであった。
何か特別なことをしている自覚は全く無かった。普通に応えているだけで、いつの間にか懐かれている。天性の人たらしなのだと言いたいところだが、人生のパートナーにはなぜか恵まれず。
良かったのか悪かったのか、色んな意味でピュアなままに終えた人生を引き継ぎ、新たな地でもお年寄りに頼られる状況となっていたのだった。
「お水、花壇の方に運んでおくね。アロガンさんと約束があるからそろそろ戻るけど、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫〜。毎日やってることだ、どってことない。ありがとうなぁ、カルム様。」
少し腰の曲がったご婦人、それよりも先に仕事を手伝い、辺りで作業を続けている村人たちに手を振りながら教会裏手のアロガン宅へと戻った。
「おかえりなさいませカルム様。早くから出掛けられて、お腹が空いたのではありませんか?朝食、できておりますよ。」
長身のイケメンが、愛しい恋人のように可愛らしく身をひるがえし出迎えている。
まぁそんな出迎えを受けた経験は無いから、妄想に例えたわけだけど。それにしても僕の戻るタイミングがわかっていたかのような反応である。
とは言え動じることはない。ほんの少し一緒にいただけでもわかる、アロガンさんはこういう人。何も問題は無いのだから。
テーブルに目をやれば、今日もお洒落に料理が並ぶ。
まん丸とオレンジ色が盛り上がった目玉焼きに、贅沢な極太ウインナー。焼き野菜の鮮やかなグリーンに散らしているのは粉チーズかな。朝採れのイチゴも瑞々しく、朝食から本当に意欲がおかしい。
既に引かれた椅子に座ると同時に、最後の一皿が手前の開いたスペースに置かれた。こんがりと焼かれたパンの上、じんわり溶けて染みていくバターが香る。
やはりどれも美味しそうだし、控えめに言っても完璧だ。
「僕も自炊はしていたけど、こんなにちゃんとしたのは作ったことないよ。」
「私も、カルム様のためでもなければ大したものは作りません。村の者達の相談事やなんかに集中していると、自分の食事などは忘れてしまいがちで…」
苦笑しつつコップに水を注いでいる。作り慣れていないようには絶対に思えないんだけどな。
見た目に相応しい味をじっくりと優雅に楽しんだ。
三十五歳を過ぎたあたりから、やたらと朝早くに目が覚めるようになった。老化現象の一種かと思っていたが、若い身体となった今もその習慣はそのままのようで。今朝などは異世界初日の緊張もあってか日の出前に起きてしまった。
ところが、暇を持て余して早朝散歩でも楽しもうと家を出てみれば既にアロガンさんは外にいて、卵を手に家に戻るところだった。僕が起きるよりも更に早起きした上で、朝食用の食材集めに出かけていたのだ。
保存用でないものは採ってすぐ使う。ユヌ村では当たり前のことで、とても良い食のスタイルではあると思うけど。
アロガンさんはちょっと、僕に対してのやる気が過剰な気がした。だから散歩に出掛ける前に『朝食は簡単なもので』と言っておいたのに…、コレだ。
何も言わなかったら朝食も夕食と変わらぬレベルになっていたかも知れないな。
「僕もあと何日この村で過ごすことになるのかわからないし、毎回これじゃあアロガンさんが大変だよ。もっと手を抜いていいんだからね?」
「私が好きでやっていることですから、お気になさらずに。とは言え、カルム様にご心配をおかけするのは私の望むところではありません。ほどほどに、張り切らせていただきます。」
「うーん。まぁ、そんな感じで頼むよ。」
それにしても本当に美味しい。こんなものがいつでも食べられるのなら、僕は余裕でお金を払う。今は立場上受け取ってはもらえないし、そもそも持っていないわけだが…。
あ。例の創作とかって、魔力を原料に何でも作れるらしい特殊スキルでツールだけ準備して、何か手作りでプレゼントなんていいかも知れないな。
自慢じゃないけど前世では、布や革のちょっとした小物を作る程度なら、量産型の市販品を遥かに上回るクオリティだった。貰っても困らない使える手作り品を贈る男として、交流のある人たちの間ではちょっとした話題だったし。中身が見易くて取り出し易い小銭ケースなどは地元のお年寄りに好評で、注文を受けて作ったりもしていた。
ユヌ村を出るまでの間にもう少しアロガンさんを観察して、何か実用的なものを作り贈りたい。おそらく創作のスキルを使えば完成品もイメージするだけで降ってくるのだろうけど。感謝を込めたプレゼントってそういうのじゃないと思うんだ。
あれこれと考えつつ食べつつ百面相の様子を、嬉しそうに見つめるアロガンさんと目が合う。
僕の手作りの贈り物とか、この人はどれほど喜ぶんだろう。リアクションを想像しただけでちょっと楽しくなってくる。でも、今はまだ内緒。
「はぁぁ、なんでこんなに美味しんだろう。いつも作ってないにしても、料理の勉強とかしてるんじゃないの?」
「いえ、特には何も。長年生きていますと、これくらいは身につくものですよ。」
長年と言い表すには、そんなに年齢も行っていないようには見えるけど…
「アロガンさんって、今何歳?」
「フフッ、外見とあまり差はありません。パンのおかわりはいかがですか?」
何だか誤魔化された気がする。見た目では二十代半ばか、行ってても三十歳そこそこ。年齢を気にして何がなんでも答えない女性は前世にいたし、こっちでは男性もそういうものなのかも。
興味はあるが重要なことでもなし、パンのおかわりを貰って気にしないことにした。些細なことで機嫌を損ねたくはないしね。
食後、少しの休憩を挟んで教会へと場所を移した。
アロガンさんにとって教会は本来の職場であり、僕にとっても各地の教会は今後の仕事の拠点となる。寛ぐことを主とする場所に居るよりは、幾分働く意欲も湧くというものだ。
と言いつつ、お茶とお菓子は当たり前に準備されている。
昨日の話しの続きは完全にリラックスした状態で始まった。
「それでは本日は実際に、“終末の物語“の書き換えを行っていただこうと思います。」
「この村にも、そう願う人が居るってことだね。」
つまりは、逃れたいくらいの辛い終末が確定している村人が居るということ。昨日と今朝でまだ顔を合わせていない村人だろうか。大人しく続きを聴く。
「書き換えを望んでいるのは、薬師アンデクス・トレットマンの一人娘フィーユ。今年で十歳になります。」
「え?子供…?」
聴けばユヌ村は、各地の戦争や魔王の襲撃にかかることも無い、世界中でも稀な村なのだそうだ。
森に住む精霊の力を借りてアロガンさんが村を中心とした広大な結界を張っており、魔物らしい魔物も寄り付かず危険は少ない。その上、人の手だけで行うには困難なあらゆる作業に於いても生活魔法を主体とし、命に関わるような怪我を負う可能性がある大型機械も導入していない。安全管理を徹底した平和過ぎるくらい平和な村なのだ。
万が一の外傷にはアロガンさんをはじめ、回復魔法を使える者が対応する。病についても、殆どは薬師の調合した薬で治療できた。故にユヌ村に住む人々は誰しも老衰により最期を迎える内容の“終末の物語“を渡されており、変わらぬ穏やかな日々が続くはずだった。
しかし、およそ十年前。薬師の家に、魔法でも薬でも治すことのできぬ病を抱えた子が生まれる。それ自体も大変な試練なのに、その子が胸に抱く“命譜の書“に書かれていたのは、人間の平均寿命で見てもそんなに遠くない日の“終末の物語“だった。
教会に保管された神父の日記でも、過去およそ三百年には無かった事態。
“終末の物語“の内容を村人たちに伏せていても、他の子供たちよりも明らかに成長の遅いその子の姿を目にしては、呪われた子だと噂する者もいた。
とは言え両親からしてみれば、呪いだろうが病だろうが治せなければどちらも同じ。愛する娘のため、父は危険を顧みず遠方まで薬の材料の採取へと出かけ、持ち帰ったものを薬師の経験を積んだ母が調合する。
変わることのない結末に抗って。奇跡を信じて―――
そこまでの話しを聴いてじわじわと胃が痛くなってくる思いだが、アロガンさんは続ける。
「私が診たところ、彼女の内では魔力の逆流が起きておりました。その原因が病によるものなのか、あるいは呪いによるものなのか、それすらも解明できる者はおりません…」
「症状を引き起こす根源が掴めないから対処のしようがないわけか。…で、その魔力の逆流というのは?」
「本来魔力とは、花や草木などの自然から発せられる生命エネルギーを魔法として使えるよう体内で変換したものであり、この一連の流れは呼吸と同じく無意識に行っている…。というのはご説明いたしましたね。自然豊かなこの村はまさに魔力の宝庫。生活魔法を多用したところで、魔力消費が蓄積速度を上回ることはまずありません。」
僕が転生したばかりな点を考慮してか初めから丁寧に説明してくれている、記憶力に自信がある方では無いからとても有難い。とは言え本題は恐らくここから。甘いものでも口にしながらならば、幾分ポジティブに聴けるのではないかとクッキーを嚙る。
「そしてこの魔力、“命譜の書“でも生力、魔力と分けられている通り生命維持とは直接関わりがなく、万一魔力が底をつくことがあっても多少疲労感に襲われる程度で死ぬことはありません。」
そうなのか。なら、この村にいるうちに魔法の練習をしておくのもアリだな。と、こんな話しの最中に自分のことはさて置き、だ。
魔力の有無が生命維持に直接関係無いとなると、『魔力の逆流』というのが起きていること自体に問題があるようには思えない。蓄積するはずの魔力を自然へと還すように消費し続けたからと言って、死ぬわけでは無い…はず。もしかして、僕が思っている逆流の範囲が違う?
「彼女に起きているのは、自身の生命エネルギーを含めた逆流。本人の意思とは関係なく生力を魔力に変換し、体外へと霧散させているようなのです。」
「は?それって、完全自給自足の魔力をひたすら無駄にしてるってこと?止められないの?」
「残念ながら。食事や睡眠による一般的な生力の回復では追い付かないため、両親が用意した薬で補ってもいたのですが、今はもう衰弱する一方で…」
そうだよな。止められるものならとっくに止めているし、魔法で生力回復したところで、すぐさま魔力に変換され霧散してしまうのだろう。何をしても気休めにもならない状況なわけだ。
更には成長に伴って症状も悪化し、今はもう殆ど寝たきり。消化機能も衰え、命をつなぐ食事もままならない状態だという。
まだ十歳だというのに、心への負担も相当だろう。できる限り癒してあげたい。
「それで、…あとどれくらいなのかな。」
嫌な予感はしていたが、事前に聴いておかなければフィーユの前で動揺してしまうかも知れない。最期の希望とも言える救世主がそんな有様では、ご両親だって不満に思うはず。
覚悟を決めて聞いた。
「今日を含め、あと七日です。“終末の物語“には、その日の朝からのことが書かれておりました。カルム様、彼女にどうか安らかな眠りを…」
前世では老人福祉施設で働いていたこともあり老齢な方を看取ることが多かったから、実のところ救世主の仕事も年配層相手ばかりだと勝手に想像していた。フィーユの件だって話しの頭では、終末時期もそこそこ先のことなのだろうと。
が、実際は余命七日。まだ十歳の幼い少女があと一週間足らずで死んでしまう。平和な平和なこの村で。
たった一人、抗うこともできずに。
フィーユ自身のことだけでなく、ご両親や家族と関わりの深い人達の気持ちを考えるほど、胃のあたりを強く締め付けられるような感覚。感情移入してしまって心が折れそうだ。
これがフィクションなら、物語にただ涙してそれで終わりなのに。
救世主という仕事の内容を実例も含めたところで詳しく聴かず、結果的に安請け合いしてしまった僕が悪いのだし、勿論逃げ出す気は無い。逃げたところで意味が無いのもわかっている。聞いてしまった以上、僕がどう動こうとも溜飲が下ることはないのだから。
せめて前世で大好きだった異世界転生ものの主人公のように、自分の運命を乗り越えなくては。
「行こう。フィーユに会わせて。」
大きく深呼吸して、静かに告げる。
偽善でも、流れに飲まれたわけでもない。
今度こそ自分の役目を心から理解した上で、僕は救世主となる覚悟を決めた。
小さな村だから村人の家を訪ねる程度、徒歩であっても大した時間はかからない。
教会から真っ直ぐ、民家と木々に挟まれた道を進んで行くと、少し開けた場所に辿り着いた。
そこは子供たちが駆け回るのにもちょど良い広場になっており、真ん中あたりには可愛らしい花々が咲く花壇。幻想的な情景も相まって、さながらアートのようである。
広場を囲むように建ち並ぶのは、武器屋、防具屋、道具屋、服屋などの商店だ。普段は村人同士が物々交換での取引を行なっている。年に数回訪れる旅人や冒険者にも、お金ではなく村で必要な素材や宝石での支払いに応じているため、一応店としての外観を呈していた。
そんな中でも一際目立つ店構えなのが、フィーユの自宅である薬屋だ。ありとあらゆる薬草、キノコ、得体の知れない何かが軒下に吊るされ網に並べられ、独特の香りを放っている。
風の流れもあるだろうけど、この効果範囲の広さ…。少しばかり酔ってしまいそうだ。
目を細めた一瞬をも見逃さず、アロガンさんが心配する様子で話しかけてきた。
「あぁ、慣れていないと少々堪えるかも知れませんね。あちらの薬屋にフィーユが住んでいるのですが…。おや、ちょうどアンデクスが出てきましたよ。」
昨日のうちに救世主来訪の知らせは届いていたのだろう。子持ちとは思えない若々しい容姿ながら、たおやかで母性溢れるアンデクスが柔らかに微笑む。
「おはようございます、カルム様。それに神父様も。」
「あっ、お、おはようございます。」
その見た目通りに可愛らしくも美しい声。美女を目の前に、返す声も緊張で上ずる。
「神父様の仰られた通り、お優しそうな方で本当に良かった。娘もすっかり興奮してしまって、自分からご挨拶に伺うなんて我が儘を言って大変だったんですよ。」
頬に手を当て困り顔でそう言った。
フィーユが僕に会いたいと思ったのは、神の代理とも言える救世主への単純な憧れなのだろう。きっとアロガンさんが僕の外見や人格についてハードルを上げた説明をしているはず。十歳の子の気持ちが急くのも無理はない。
僕は何気ない日常的な雰囲気のままに、フィーユに会いに来た旨を伝えた。
「少しお待ちいただけますか?フィーユの支度をしてまいります。あの子も、女ですから。」
「あ、じゃあ僕も。女性のお相手をするのに相応しい準備をしないと。頃合いをみて戻るよ。」
母親が娘を女と表現したのを受けての咄嗟の思いつきだったが、戯けた男を演じてみるのも悪くない気がしてそう答えた。
花束を贈るだけの単純なプランだけど、きっと喜んでくれるだろうし、僕の緊張も解れる。一石二鳥だ。
花の確保と本題の最終確認の為、アロガンさんと共に一旦薬屋を離れた。
「カルム様は創作スキルをお持ちでしたか。」
早朝に水やりを手伝ったご婦人から何本か花を分けてもらい、花束にして淡いピンク色の紙とリボンでラッピングしていたところ、驚いた顔でそう言われた。
「それって珍しいこと?」
「あ、いえ。スキル自体は後天的に獲得できるものでもありますし、錬金術師などは皆使えますので然程珍しくはありません。ただ、素材も用いずに発動されたように見えましたので…」
あれ?やっぱりそうだよな。素材の代わりに魔力を消費してるとはいえ、何も無いところから何かを生み出すなんておかしな話なんだよ。見ていたのがアロガンさんだけで良かったけど、他での多用は控えないと。碌なことにならない気がする。
「素材の不足分を魔力で補えるらしくてさ。僕は錬金術師とかになる気はないし、できれば内緒にしておいてもらえると助かるんだけど。」
「それは勿論、他言など致しません。しかし…。そもそも魔力を武器の形に具現化するという攻撃系魔法はあるのですが、魔法自体の効果範囲外に出てしまうと消えてしまいます。“命譜の書“を呼び出すのも似た原理で、やはり持ち主の意思が及ぶ限りでしか存在はできません。ですが創作スキルで生み出したものは物質なので、誰の手に渡ろうとも消えることはなく。ましてやカルム様の魔力で生み出された物はカルム様の一部と言っても過言ではないわけで…。なんと、羨ましい。」
仕上がった花束、というかラッピング部分を本当に羨ましそうに見ている。
ただの紙なのに、人によっては美しい花よりも価値がある物なわけだ。というか、アロガンさんは時間の経過と共にストーカーっぽさが増していくな。いや、献身的な執事だとでも思えば、主人としては可愛らしく感じなくもない…か?
まぁ、それはさておき。
「アロガンさんにはお世話になってるから、こんな紙で良ければ幾らでも作るけど。ほら、どうかな。フィーユは喜びそう?」
花束としての評価を求め差し出す。
「えぇ、とても素敵だと思います。女性への贈り物に相応しい仕上がりかと。」
幾らでも作ると言ったあたりで興奮が顔に漏れ出ていたけど、僕の問いには真面目に答えてくれた。
前世に趣味でフラワーアレンジメントの通信教育を受けていたから花束も作れてしまうわけだが、興味を持てるものは何でもやっておくものだな。花を摘んで無造作に束ねただけとは見栄えが違う。それに、いい気分転換にもなった。
「よし。じゃあ行こうか。あっ…と、その前に。」
「どうなさいました?」
「“終末の物語“って、どうやって書き換えるの?やり方知ってる?」
もしかして、アロガンさんも知らないのだろうか。顎に手を当て首を傾げている。ユヌ村では少なくとも過去三百年、救世主の力が必要なかったわけだし、知らなくとも当然だとは思うけど。
最終確認したかったのは、そこだったのにな。いざ本番となったら勝手に能力が発動!みたいな都合のいい感じだととても助かるのに。
「まぁ、フィーユと話しながら思いつくことを試してみるからいいよ。」
「申し訳ございません。書き換えを行う際は他者の立ち合いを禁じる場合が多く、救世主様の案内役を仰せつかっている教会の人間でも知る者はごく少数なのです。ただ伝え聞くところによりますと、救世主様が“命譜の書“に触れることで奇跡は起きるのだとか。」
とりあえずフィーユの“命譜の書“に触れば何かしら起きるわけだな。そこから先は今考えても仕方がない。他の救世主も説明無しでだってやれてるんだから、そんなに難しいことは無いはずだ。
とにかく、残された時間を最期の苦痛に苛まれることの無いよう、さっさと書き換えてあげよう。上手くやれたら、他にもできることがないか調べてみないとな。自分の“命譜の書“も全部確認したわけではないから、転生者特典でとんでもなく画期的なスキルなり魔法が使えるかも知れない。
僕はポジティブなんだ。
まずは、初めて会う少女のためだけに目一杯足掻くつもりで、再び薬屋へと向かった。
本日二度目のこの香りだがそうそう慣れるものでもなく、思わず口呼吸になる。よく見れば、網の上に並べて干しているのはトカゲや蛇といった爬虫類、それから…虫。カサカサに乾きもう動くはずもないのに、身体は自然と距離をとる。
僕が虫嫌いなのを把握済みのアロガンさんがさり気なく、乾燥した虫と僕の間に立ち遮ってくれた。
田舎は虫の宝庫で、四十歳にもなる男が情けないと前世ではよく言われたものだが、ダメなものはダメなんだからどうしようもない。幸い今の外見なら、虫を見て悲鳴をあげても責められることは無いはず。遠慮なくアロガンさんを盾にしつつ、大きく開かれたままのドアを叩いた。
すぐにフィーユの母アンデクスが出て来て、奥の部屋へと招き入れてくれる。アロガン宅と同じくリビングダイニングといった感じのその部屋には本来寝室にあるべきベッドが置かれ、そこに小さな少女が座っていた。
色白で母に似た可愛らしい顔立ち、長めの髪を左右で緩く結び一輪の花を飾っている。柔らかな質感のワンピースがとてもよく似合っていて、十歳になるとは思えない程小さな姿は儚げな花の精のようで、少しの間見惚れてしまった。
今も常に生力は削られ続け辛いだろうに、それを思わせないキラキラの笑顔を僕に向けてくれている。
「初めまして。僕の名前はカルム。まずは美しい貴女に、これを…」
ゆっくりと歩み寄り片膝を突くと、渾身のキメ顔で手にしていた花束を差し出した。
アロガンさんとアンデクスがガン見しているが、羞恥心に負けたりはしない。ネットのライブ配信中に言わされた恥ずかしいセリフの数々に比べれば、この程度どうということはないのだ。
「はじめましてカルム様、わたしはフィーユよ。パパ以外の男の人にこんなステキなプレゼントもらったこと無いから、すごく嬉しい!ありがとう!」
なかなかの好感触だ。弱々しくも可愛らしい声で返してくれた。花束を抱えていると一層花の精みたいだ。
「喜んでもらえて良かった。今日はフィーユと話しがしたくて来たんだけど、お相手してもらってもいいかな?」
「わたしもカルム様とお話ししたかったの。カルム様ってよその世界から来たのよね?どんなところだったの?お友達はいた?わたしね、すごく興味があるの。お話したくさん聴かせて?」
「あははっ、うん。フィーユの知りたいこと、何でも答えてあげる。初めは、そうだなぁ―――」
暫くは求められるがまま、前世でのことを話して聞かせた。
人間とは異なる種族が多く存在し、魔法だって使えてしまう世界の住人にとって、日本の田舎で暮らした中年男の話しなど何の面白みもないだろうと思った。しかしフィーユにとっては逆にそれが新鮮だったようで、一つ一つの話題を興味を持って聴いてくれた。
ふと気づくと部屋にアンデクスとアロガンさんの姿はなく、一頻り話し終え静かな時間が訪れる。“終末の物語“の書き換えの妨げにならないよう気遣ってのことなのだろう。僕としては心細くもあるけど、フィーユにも両親に言えなかった思いがあるだろうから、それを聴くのもきっと僕の役目だ。
膝の上に置いた小さな手をそっと握ると、微かに震えているのがわかった。病の影響か、死への恐怖か、おそらくはその両方。
フィーユの怯えに気付いてしまい、悲しみが込み上げ胸を締め付ける。それを表に出さぬよう押し殺し、俯く顔を覗き込んだ。
「フィーユ。君の“終末の物語“を見せてもらえるかな?」
「……うん。」
ついさっきまでは、あんなに楽しそうにしていたのに、今にも泣き出してしまいそうな顔で頷く。身体のことも気になったため、手を添え横になってもらった。
フィーユが目を閉じると、僕の目の前に“命譜の書“が現れ、自動的に“終末の物語“の頁が開かれる。物語は短く、フィーユの終末を描いていた。
『鳥のさえずりと共にフィーユは目を覚ます。
朝を迎えたというのに彼女は夜に包まれたまま。
その苦しさを伝えたくとも、皆に声は届かない。
遠く遠くで彼女を呼ぶ声がする。
けれどもう、何一つ返すことはかなわず。
闇の中、ただ一人終わりの時を迎える。
十歳を迎える年
六月一七日
一八時二〇分』
日本とこちらの世界の現在地とは、おそらく時間が平行に進んでいる。僕が前世を終えた日から考えて、六月十七日はやはり今日を含め七日後。アロガンさんからの情報を自分の目で確認し、思わず右手で覆った。
最期には視力を失い、声も出せず、両親を近くに感じることもできずに死んでいくなんて。こんな悲しい物語、僕は嫌だ。書き換えたい、すべて。
暖かくて穏やかなハッピーエンドに―――
強く願ったのをきっかけに、右手の内が光を放つ。
驚き手を離すと、光っているのは文字だった。
救世主が“命譜の書“に触れると奇跡は起こる…。問題は、ここからどうするか。物語よ変われ!などと念じてみても特に変化は無い。
書き換えると言うくらいだから、対象を一旦削除するか選択して新たな文章を書き込む流れなのかも。
考えつつ物語の最初の一文を指でなぞってみたところ、その部分が選択され、次の指示を待つように揺れ動き始めた。
試しに『窓から差し込むあたたかな日の光でフィーユは目を覚ます』と心の中でペンを動かしてみる。そのイメージを後から追うように、選択されていた文字が書き換えられた。魔力をインクに文字を書いている感覚だろうか。イメージするのが日本語でも問題無いようで、この世界の文字に自動的に変換され一行目に収まっている。
今一度、そこから先の文も読んでみるが、初めから終わりまで全部が気に入らない。纏めて書き換えようと一気になぞれば、やはり文字は揺れ動き新たな物語を待つばかりとなった。
どうする。家族や親しい者たちに囲まれ、静かに旅立った…的な内容にはしたいけど、そのまま書くのも何か違う気がする。と言うよりも、書く前から制限がかかりイメージした言葉が使えない、そんな妙な感じがするのだ。
「カルム様…、あのね。」
「…ん?なぁに?」
悩んでいるところに、フィーユが何か伝えたい様子で口を開いた。書き換えを続けるために情報が足りないのかも知れない、ヒントになればと思いフィーユの言葉を待つ。
「わたし、ね。本当はもっと、お父さんとも一緒にいたかったの。わたしのために、お薬の材料を採りに行ってるのは知ってるよ?でもね…でも……」
「そっか。フィーユはお母さんも、お父さんも大好きなんだね。」
「うん。大好き。だから、わたしね…。すごく、寂しい…」
ぽろぽろと零れ落ちる涙を見て、書き換えができないという最後の部分が憎らしくて堪らなかった。こいつさえどうにかなれば、こんな思いをすることも無いのに!
苛立ち、その部分を指先で叩いた途端、既に選択中の他と同様に文字が揺れ動き始める。寿命は変更できないはずなのに、冒頭の一文を除いた全文が僕の手で書き換えられるのを待っているのだ。
不思議な感覚。書き換え可能な範囲の視覚情報とは別で、頭の中に使用できるらしい言葉や数列が浮かび上がってくる。敢えてその中に存在しない言葉で物語を作ろうとしても、うまく纏まらずペンは進まない。
制限の枠の中で幾つかの文章を組み上げてみた。フィーユの未来として可能性があるものだけが選べるということのようだ。それなら―――
「ふぅ…。お疲れさま。ひとまず、これで完了だよ。」
祈るように胸元で両手を重ね目を閉じていたフィーユが、僕の声に応えてゆっくりと身体を起こす。“命譜の書“をその手に返すと、指で涙の跡を拭い優しく微笑みかけた。
書き換えを終えたとは言え、救世主にできるのは最期の苦痛を取り除く程度のこと。フィーユもそのことは当然知っていて、切なげに視線を落とす。
先に書いてあったものよりも更に短くなった物語を、フィーユの視線がなぞっていく。二度、三度…。予想していたそれとだいぶ違っていたのだろう。内容をくり返し確かめては、困惑した表情で僕を見返した。
「どうして?なんで?お、お母さん!お母さん早く来て‼︎」
とにかく興奮して母を呼べば、ずっとドアの向こうで待っていたのだろう、アンデクスが狼狽え駆け寄って来る。アロガンさんも入口で一礼し、後に続いた。
「これを、ここを見て!わたし、わたし…っ!」
「どうしたと言うの?まさか、書き換えが上手くいかなかったなんてこと…」
最愛の娘の生命に関わることだ、僕に気を遣っている余裕など無いのも当然のこと。
親子の邪魔にならぬよう静かにフィーユの側を離れ、窓際の壁に凭れた。
アンデクスも繰り返し“終末の物語“を読み、ようやく状況を理解したのか驚きの声を上げる。
「なんてこと…。奇跡だわ、カルム様が奇跡を起こされたのよ!」
「私も、見せていただいてよろしいですか?」
親子の様子に、アロガンさんも抑えきれずそれを覗き込んだ。
一際長く確認した後、興奮のあまりわなわなと身を震わせている。
やはり、本来は救世主の力が及ばぬはずの寿命の部分まで大きく変更したのは、僕にしか成せぬ奇跡だったのだ。
今日より残り七日の寿命を、制限いっぱいの八十二年先まで延長した。おばあさんになったフィーユは、たくさんの村人そして家族に愛され見守られ、穏やかに天へと旅立つ物語。ユヌ村の皆と変わらない老衰による最期へと未来を変えたのである。
しかし現時点で僕にできたのは、あくまでも“終末の物語“の変更のみ。結末を弄っただけで、寿命を縮めていた魔力の逆流自体が治ったわけでは無いし、原因も掴めていない。
とは言えフィーユの寿命が八十二年も延長できたからには、そう遠くない未来に病が治る可能性があるということではないのか。少なくとも、改善するのでなければ延命できた理由が無い。
「病気そのものが治ったわけでは無いから、まだ辛い日が続くとは思うけど…。僕なら何とかできるかも知れない。そんな気がするんだ。だから、また少しだけ…待っていてもらえるかな。」
根拠は無い。けれど、何故だか本当に何とかできると思ったのだ。僕自身の力ではないにせよ、力になってくれる何者かが現れる。そんな予感。
妙な確信があったから敢えて口にした。もしかしたら、これも予言なのかもしれない。
神様の声でも聞こえたかな……
「ありがとうございます、カルム様!真の救世主様!」
アンデクスが神へと祈りを捧げるかの如く、僕に向かい跪く。それに倣いフィーユもベッドの上で頭を下げ、アロガンさんは神そのものを前にしたかのような恍惚とした表情で天を仰いでいる。
「あー…、そういうのは柄じゃないからホントにやめて?」
僕はただ、胃が痛くなるような問題が一つ片付いてホッとしているだけ。そりゃあ、やったことに対して褒めてもらえるのはすごく嬉しいけど、たまたま選ばれ与えられた力を使ったまでのこと。中身はなんてことない四十歳のオッサン、崇められるような人間では無いのだ。
なんだか恥ずかしくてフィーユに年齢のことは言えなかったが、むしろ今の外見通り子供扱いしてくれても構わないのにな。ネット上での付き合いと同じ、年上扱いで変な距離を取られるよりも、その方が楽だ。
「やめてと仰られましても、この気持ちを抑える術がありません。娘とこの先もずっと一緒にいられるのかと思うと、それだけで私は…っ」
幸せそうな親子の笑顔、まったくもって微笑ましい。じき父親もここに加わり家族団欒、更に幸せな時間を過ごすのだろう。心が和むなぁ。
「僕は君たちの笑顔が見れただけで十分だよ。少し疲れたから今日は帰るけど、また明日来るからね?フィーユ。」
疲れていたのは事実だし、いつまでも居座って親子の時間を邪魔したくも無かったから早々に挨拶を済ませた。
「うんっ!ありがとうカルム様、大好きだよ♪」
可愛い子の大好きは破壊力抜群である。今だと歳の差は五歳程度か。あと十年もすれば、僕がこの家の一員になるのも悪くないかも、なんて。
恋愛を求めるとモテない呪いにかかっている僕だし、夢を見るのも程々に。
惚けたままのアロガンさんを回収し、二人に見送られながら薬屋を後にした。
それにしても、本当に疲れた。大幅な書き換えで魔力を使い切ったのだろうか。魔力が底をつくと多少疲労を感じるとか言っていたが、多少どころか身体がめちゃくちゃ重い。正直、家まで歩くのも一苦労なのだ。
「ねぇ、アロガンさん。そろそろ戻ってきて?前を見て歩かないと転ぶよ。」
奇跡に感動し、あっちの世界に行ったままのアロガンさんの顔面前数センチのところで手を振り呼び戻す。我にかえり辺りを見回すと、ようやく落ち着いたのかいつも通りの顔で僕に視線を落とした。
「私としたことが、申し訳ございません。カルム様のお力に心奪われ…」
「まぁね、僕も驚いたよ。そんな主人公みたいな真似ができるなんてさ。」
「主人公…ですか?」
「いや、ごめん。こっちの話。気にしなくていいよ。」
異世界転生したと言っても、ちょっと使えるモブ程度の扱いだと思っていたから、主人公クラスの特殊な能力を与えられているなどとは思いもしなかった。いや、僕をこの世界に送り込んだ神様にとって、やはり僕なんかはモブに変わりないのかも知れない。けれど、過去一人も存在しなかった能力を持ってしまった以上、平穏な生活は送れない予感がした。
ただでさえ救世主の力は多くの者たちが欲している。その上寿命まで弄れるとあっては、戦争にだって巻き込まれる可能性もあるだろう。
あぁ、まったく気が重い…
「そんなことより。僕どうも魔力を使い切っちゃったみたいでさ、帰ったらすぐに休ませてもらっていいかな…」
フィーユと話し込み、“終末の物語“の書き換えでだいぶ時間が経っており、太陽もほぼ真上。雲の隙間から照らしている。昼食など当然まだだが、歩くほどに身体の重さが増している気がした。
フィーユたちの前では気合いで立っていたけど、もう限界だ。さっさとベッドで横になりたい。
「大丈夫ですか?私がお部屋までお運びして―――」
アロガンさんが手を差し伸べてくれたタイミングで、気が緩み脱力して崩れ落ちた。
あぁ、駄目だ。もう動けない。
フィーユは常にこんな状態にあっても、たくさんの笑顔を見せてくれていた。小さいのに、とんでもなく強い子だ。
「ごめん、ベッドまでお願い…」
僕がフィーユと同じ病だったなら…。想像してみたが、全然笑える気がしなかった。
はぁ、ほんと…情けない。
アロガンさんに軽々とお姫様抱っこされ家へと戻った。
そんな様子を目撃した村人達が、僕をお姫様と例えたのをきっかけに、村中で『奇跡の姫』と呼ばれることになるのだが。
僕、可愛いしな。こんなのよくある展開。甘んじて受け入れようと思ったのだった。
こんにちは、桜楽です。
物語はまだまだ序盤で、設定説明をねじ込むのに苦戦しております。語彙力が足りぬもので、どう表現したらいいのかわからず四苦八苦。日本語としての正しい使い方でない言葉もあるかとは思いますが、これが桜楽の世界観ということで。どうかひとつ。
そもそもこの物語、田舎の村の少年がある事をきっかけに勇者に目覚め、苦難を乗り越え魔王を倒す王道RPG的な、先の展開はなんとなく読めるけどついハマっちゃう感じを目指し書いております。ゲームで主人公を進めるように、ゆっくりと日々を追うカタチで進行するため、スピーディーでリズミカルな展開を好む方には向いていないかも知れません。まぁ、どんな作品にも好き嫌いはありますし。自分としては、可愛くてかっこいい主人公が描ければそれでいいかな、なんて。
次回は、まぁまぁ重要度の高い新キャラが登場予定です。
うまく動いてくれると良いのですが…。書いていると、なかなかプロット通りには進まないので些か不安ではあります。ともあれ、今後も張り切って進めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。