05.レティシア・ヴィクトリウスへの想いと手掛かり
『私の愛する婚約者』だなんて本気なのだろうか。婚約者としての逢瀬の時間には会話したのは数回程度だ。その会話も天気や勉強の進捗確認で心を寄り添うような話をしたことがない。
ジルクハルトが邸に訪問した際にサロンで待ってもらっていたことがあったが、義妹のマリアンヌと楽しそうに話していた姿を見て、自分は女避けのために婚約したと思い知らされた。
あの時のジルクハルトは、初めて会った頃の微笑を浮かべていた。その微笑みが血の繋がらない義妹に向けられている、そのことが、心を締め付けた。
サロンに入って挨拶をしても義妹が席を離れる事はなく、あろうことか、ジルクハルトの腕を取り胸を押し当て上目遣いで話しかけ、二人の仲の良い姿を見せつけられた。
その日はジルクハルトと話す事なく別れの挨拶をして見送った。
ジルクハルトが邸に来ると毎回、同じことが繰り返される。それは、ジルクハルトが帰った後に義母と義妹に罵倒され暴力を振るわれることまでが一連の流れになっていた。
ジルクハルトが手土産として持ってきた菓子や贈り物は取り上げられ、レティシアの手元に届いた事はない。
誕生日や出先で購入した物、ドレスや靴、アクセサリーなども、邸に届けられた物は全て義妹宛の物だったと聞いている。
レティシアではなく、庇護欲の唆る義妹に気持ちが移ったのだ。レティシアが邪魔なら、直ぐにでも婚約を解消すればいいものを。
毎度、義妹に届けられていたジルクハルトからの贈り物を見せつけられて涙を流した。
そんな日常から漸く解放されたのに、何故、この男はレティシアの事を『愛する婚約者』などと言っているのかレオンは意味がわからず溜息をつく。
「何故、ジルクハルト殿下の前から姿を消したのですか?」
当然思うだろう疑問を臆する事なく質問できるジェイドを尊敬する。
ふっ…と、自嘲するかのように笑うジルクハルトはレオンを見つめた後、俯き話始めた。
「あの時の私は格好つけていた。レティシアには私の気持ちを伝えることすらしていなかった。それ以上に心を傷つけた。仕方がなかったにしても、言葉を伝えていれば誤解を生む事はなかったのだからな」
「えーーと、それは?」
「レティシアが登城した際にはお茶の時間を設けていたのだが、彼女を見ているだけで満足して言葉をかける事をしなかった。私が望んで婚約したから好かれている自信がなく好かれるために何をするべきかすらわからなかった。それなのに理解してくれているはずだと自惚れていた。邸へ行けばレティシアの事を知れると思ったのだが義妹に邪魔されて、邪険にすればレティシアが傷つけられる可能性があったから対処もできなかったのだ。その姿を見られても誤解だと伝えることもできなかった」
嘘だ。きっと嘘だ。あの時のジルクハルトはレティシアの何を知っていたというのだ。
「今のを聞いてどう思う?」
「正直に申し上げてよろしいのですか?不敬罪は勘弁願いたいです」
「構わん」
「ジルクハルト殿下が幼すぎたのでしょうね。今の貴方からは想像し難い愚行に思います。私は女性の気持ちはわかりませんが、望んで婚約したのなら無理をさせてもよかったと感じます」
(いやいやいやいや、無理させられたら……何かが変わっていた?)
無理に迫られたら、恐らく、受け入れただろう。それは、レティシア自身も望んでいたことだから。
「レオンはどう感じる?」
「え……いや、あの……その、ジルクハルト殿下が本当に愛していたのかはわかりません。いなくなった罪悪感を愛と感じているのかもしれませんし……その、好かれる事は男女のことなので難しいのかもしれませんが、信頼を得ることを考えれば行動しやすかったのかもしれないと感じました」
「信頼か。そうだな、私は信頼すらされていなかったから、何も言わずにいなくなってしまったのだろうな」
それ以上、ジルクハルトのレティシアへの想いは話されなかった。
レティシアと弟のセシルが消えた後の邸の様子は悲惨だった、が、具体的には説明されなかった。
そうだろう、あの現場を見て怖くなり身を護る為に逃げ出した。前日から準備されていたから始まっていたことに驚きはしなかったが男の人数が多く恐怖を感じたのだ。
「では、誘拐ではなく自ら逃げ出したのですね。貴族令嬢と令息が逃げ出しても生き延びるのは難しいと思いますが」
貴族として育った子供が何も持たずに邸を出れば攫われて身売りされてしまうだろう。見た目が良ければ高値で売れるし、地位によっては人質にして外交カードとして利用できる。
「レティシアは普通の貴族令嬢ではない。早々に妃教育を終了させ、市井に頻繁に降りていたことが確認できている。市井で平民に紛れることも容易だろう」
「変装できると?」
「魔力持ちだ。水の属性持ちで魔力量が多く、恐らく高度な術式も使いこなせる。それに……弟を連れているから生きる事を優先させるはずだ」
どうしてジルクハルトはレティシアの事を知っているように話すのだろう。愛していたことも本気ではないだろうに。ジルクハルトから自分のことを話されるとむず痒い。
「うーーん、そういえば些細なことなんですが報告してもよろしいですか?」
「あぁ、私達は些細な情報すら掴めていないから助かる」
「市井の魔道具屋に数年前から女の髪の毛が売られています。最近になって買い手が見つかったのか商談中の札が掛けられていました。金髪の長い髪です。店主の話では珍しい属性の魔力痕があって貴重な髪の毛のようです。噂では教会の人間が出入りして髪の毛を買うために値切っているとか」
魔力量の多い人間の髪の毛は魔道具へ加工したり、物によっては魔術を発動する際に媒介させるために用いられることがある。
自分とは違う属性の魔術を発動させる際に、該当する魔術痕を持つ髪の毛を使うことで、一時的に属性を借り受けて魔術を発動させることができる。
風属性の者が火属性の魔術痕を持った髪の毛を入手し魔力を媒介させることで火属性の魔術を発動させることができるので騎士や魔術師に人気がある。
教会の関係者が欲するとなると光や聖属性の魔術痕を保有している可能性が高い。
「昼を食べた後は、その魔道具屋へ向かってくれ。クロード、ジェイドに付き添って髪の毛を購入してこい。店主の言い値で買っていい」
「わかった。でも、レティシア嬢は水の属性だろ?教会の関係者が欲しがっているとなると光属性だろうからレティシア嬢とは違うのでは?」
「だとしても光属性も貴重だから入手する事は何ら問題ではない」
「わかりました」
「あの、魔道具屋は休みです。そこの婆さん、二日に一回の午前しか店を開けませんし、昨日やってたんで今日は休んでいるはずです」
店主は魔道具屋を趣味で開いており、普段は孤児院で子供の世話をしているらしい。
その後、明日の午前にクロードとジェイドが魔道具屋へ行き髪の毛を購入することになった。
レオンは試験を受け、合否の結果は当日中に王太子に報告されることになった。
その結果を聞くために午後は王太子の執務室へ訪問することになり、そこで、入手した髪の毛を確認する。
レオンは逃げ出した時に、お金を得るために売ったレティシアの髪の毛が売却されていなかったことに驚き、安易に市井で売ったことを後悔する。