44.エミリカ・ナタニエルとの初対面はあっという間に
「ジルクハルト殿下!初めまして」
にこり、と笑顔を見せたのはエミリカ・ナタニエル伯爵令嬢だ。
ジルクハルトの婚約者候補最有力者であり、ナタニエル伯爵家はオースティン侯爵派でもある。そして、ライト・オースティンと深い関係がある。
午後のティータイムの時間に珍しくジルクハルト達は食堂を利用していた。
レオンはジルクハルトの斜め後ろに控え、クロードとリベルト、ラウルがジルクハルトとお茶を楽しみ、二人の婚約者も席に着いている。
ジルクハルトはナタニエル伯爵令嬢をチラリと見るが視線を戻しカップに口をつけ言葉を発しない。
誰も言葉を発しないので、ナタニエル伯爵令嬢は動けないでいる。
「レオン」
ジルクハルトが斜め後ろに控えているレオンに声をかける。声を掛けられたらやることは一つだ。
「ナタニエル伯爵令嬢、ジルクハルト殿下は友人との時間をお楽しみ中です。ご用がありましたら私が代わりに伺います」
ナタニエル伯爵令嬢の前に立ち頭を下げ要件を伺う。が、レオンを睨みつけるだけで要件を言わない。
「ご用がないのでしたら、お引き取りください」
「私が婚約者候補に選ばれたと伺っております。ならば、婚約者との逢瀬の時間を作ってくださるのは当然のことでしょう?彼らの婚約者と席を共にするのに私との時間は作ってくださらないのですか?」
オースティン侯爵家の手の物がナタニエル伯爵令嬢に婚約者候補であり、半年後、婚約者に決まると伝えたのだろう。
自分が婚約者であると自信を持っている。
「失礼ですが、ジルクハルト殿下の婚約者はレティシア様と伺っております。ナタニエル伯爵令嬢を婚約者として扱うよう指示は受けておりません。お引き取りください」
「いいえ。私は婚約者候補に選ばれたのです。ヴィクトリウス侯爵令嬢の生存が確認できないのなら、私が婚約者でしょう」
どうして、この手のタイプの女は思い込みが激しいのだろうか。マリアンヌといいナタニエルといい、自分に自信があると、このように振る舞えるのだろうか、と、レオンは自身に自信がないことで怯えていたと気づく。
「ナタニエル伯爵令嬢はご自身の立場を正確に理解されていないようですわ。あくまでも候補、それも陛下や宰相がお認めになっていない身内内でのお話ではなくて?」
リベルトの婚約者であるナーシャ・ハウゼン伯爵令嬢が口元を扇子で隠しながら嫌悪の表情でナタニエル伯爵令嬢を見る。
「私以外には候補者の名前は挙がっていませんでしょうし、実質、私で決まりではありませんか」
さも当然のように自分が婚約者であると告げるナタニエルにナーシャとルルが反論する。
「あら、私も名前だけでしたら候補として連ねておりますわ」
「そういえば私も候補として名前が挙がっているとラウル様に伺いましたわ。それに他にも候補者はいらっしゃるでしょう?シルヴィア様にマリアンヌ様も。他に子爵家の方も候補者だと伺っていますのよ」
クスクスと笑う二人と表情を変えない婚約者のリベルトとラウル。ジルクハルトも何も言わずに静観する。
シルヴィアの名前が出たことでクロードが、どのように反応するのか一瞬だけ目線を動かしていたが、表情を変えず『我関せず』の態度を貫いているクロードを確認していた。
「ナタニエル伯爵令嬢、一度、お引き取りください。婚約や婚姻の件は半年後に明らかにされます。それまで、ご自身が婚約者であるような振る舞いはお控えください」
「あら、周りの方がどうされるかまで私の範疇ではないわ」
「レティシア様がお戻りになった際のご自身の立場をお考えください」
ナタニエルは納得はしていないがジルクハルトと目を合わせることが出来ず、レオンが引き下がらないことから諦めて踵を返した。
ナタニエルが場を去ってからジルクハルトは大きく溜息をついた。
「迷惑を掛けているな。あと半年、辛抱してくれ」
「私もルル様もレティシア様がお戻りになると信じております。それまで、あのような方がいらっしゃればお引き取りいただくよう振る舞うくらいは出来ますわ。リベルト様とラウル様も同じお考えですし」
半年の間にナタニエルのように婚約者を気取る令嬢は現れるだろうし、寵愛を受けているなどの噂を流す令嬢もいるだろう。
その全てを否定してレティシアが戻ってくる居場所を守るのが自分たちの務めだと。
「半年後、レティシア様はお戻りになるのですよね?」
もし決まらなければ、、、と、考えてしまうのは疑っているからではなく、不安だから。良好な関係を築いた婚約者と引き離されるのは辛い。
「戻ってもらえるように口説き落とすよ」
「まぁ!その段階でしたら安心ですわ」
「貴方達に迷惑はかけない。それは、レティも本意ではないだろうし、私としても側近の婚約者を取り上げるなどという真似はしたくない」
そう、だろう。
仲の良い信頼し合える側近の婚約者を取り上げることは、互いに亀裂を生む。
レオンはジルクハルトの『口説き落とす』が気になっている。既にレティシアの居場所を特定していると捉えられる表現だ。
暗にレティシアと接触し、話すことができる状況であると伝えている。
「今のは、ここだけの話にしていてくれ。他の人間に知られるとレティシアとの接触も難しくなる」
「わかりましたわ」
ルルとナターシャは同意する。
他の三人は心得ているようで表情は変わらない。
ナタニエル伯爵令嬢が立ち去ったのでレオンは持ち場へと戻った。ジルクハルトの斜め後ろへ。
「レオンはさ、お茶を飲まないのか?」
食堂や生徒会室で五人でいる際に、お茶を口にしていることがあるのでラウルは疑問に感じたようだ。
「今は、ご友人とのお時間ですから護衛として控えております」
「喉が渇いたりしないのか?」
「毒味の際に口に含んでおりますので渇きは感じません」
「護衛って大変そうだな。となると、リベルトの先輩になるよな」
リベルトは学園を卒業した後に士官学校へ入学する予定だ。近衛騎士として力をつけ、騎士としてジルクハルトの側に仕える。
騎士としての護衛だけではなく、レオンのように実務面でも補佐をする予定だ。
「そうだな。士官学校へ通えば先輩なるな。今から学ばせてもらうよ」
「私は元々は警護班ですから、先輩だなんて恐れ多いです。士官学校の野営訓練は楽しいですよ。魔術師から受ける訓練も参考になりますし、意外と魔術師達が本気を出すので剣で防ぐのに手こずります」
「あ〜、確か魔術師が騎士の訓練に参加する話は聞いたことがある。本気でかかって勝負すると聞いたね」
「えぇ、私の時は副師団長から教えを乞いました。とても厳しい方でしたが、魔術師相手に剣を振るう術を学びました」
「魔術が使えない時に剣だけで護るのは大変そうだな」
基本、魔術師は接近戦を好まない。
騎士は剣を使うので相手に近づく必要がある。接近戦を好まない相手に、いかにして近づき剣を振るうか、それを学ぶのに適しているのが魔術師に相手をしてもらうことだ。
「士官学校での訓練は厳しいので慣れますよ。崖から突き落とされたのは、今では良い思い出です」
崖から川へと落とされ、生き延びる術を身を持って学んだ。怪我をした仲間もいたが、幸い、それまでの訓練のおかげで命を落とす者はいなかった。
レオンの告げた言葉に驚いたのか男四人が口に含んでいた紅茶を吐き出し、ルルとナターシャは目を輝かせている。
「おまっ……はっ?崖から突き落とす?!士官学校では、そんなこともしているのか?!」
中でも一番驚いていたのはジルクハルトのようで、思わず席を立ちレオンに掴みかかって問い詰めた。
「はい。最悪の事態を想定した場合、敵に追い詰められた崖の上では海や川に飛び込んで逃げるという手段が必要になります」
敵から逃げて情報を持ち帰る、それも騎士にとっては必要なことだ。
サラリと何事もないように話すレオンと頭を抱えるジルクハルト、レオンの男らしい潔さに目を輝かせるルルとナターシャに『楽しみだ』と話すリベルト、ラウルは『そんな事もするのか』と騎士の大変さを知ったようで、クロードはジルクハルトが何か言い出すのでは、と、溜息をついている。
レオンはジルクハルトと二人きりになった時に『本当に怪我はしていないのか』『その訓練は本当にお前に必要だったのか』と、執拗に問いただされることになった。
士官学校のカリキュラムは王太子も確認できるだろっ!とレオンがキレたのは、その日の夜、ジルクハルトの私室へ戻ってから…………。




