41.ジルクハルトの愛②
耳朶をジルクハルトに喰まれる。その度に身体がゾクリとする。女である、と思い知らされる。
「レオンなら、辛い時期に助けられなかった男が、突然、手を差し伸べてきたら手を取るか?その男は彼女を助けられなかった。何年も辛い思いをさせた。そんな男と生涯共に歩もうと思えるか」
違う、ジルクハルトに助けを求めなかったのはレティシアの方だ。
レティシアは助けを求めるべき相手の前から姿を消した。
「なぜ、ですか。何故、レティシア様なのですか。初めに裏切ったのは彼女の方ではないですか」
そう、裏切りはレティシアから。
あの家のことをジルクハルトに相談しなかった。出来なかった。
ーーーー嫌われたくなかったから
ーーーー瑕疵が付き婚約解消されるのを恐れたから
ーーーー義妹との仲を問いただすのが怖かったから
その全てはジルクハルトを信頼していない自分のせい。
「初めに裏切ったのは俺の方だ。レティシアならわかってくれると自惚れていた。だからヴィクトリウス侯爵令嬢と親しく振る舞っていても、直ぐに誤解は解けるし、もしかしたら気付いてくれているかもしれないと」
「…………」
「あの頃、好きだと、愛していると伝えていなかった。言葉が足りなかったことを後悔したんだ。恐らく私は最後に会った日は多弁だっただろう。あの時は一週間後にヴィクトリウス侯爵の罪を明らかにし、幼いセシルを当主にすると承認がおりて……やっと救える、それが嬉しくて……」
ジルクハルトの話は初めて聞いた。
罪を明らかにして侯爵から追い落とすつもりだった、あのまま邸にいれば今頃セシルは侯爵位を継いでいた。
自分さえ我慢すればセシルまで市井で暮らす必要はなかった。
「だが、あの時、あの邸で行われている忌まわしい事までは知らなかった。俺は大きな罪にしか目を向けていなかったんだ。大量の媚薬と媚薬香の購入や不自然な夜会から何が行われようとしているのか、子供過ぎて気付けなかった。協力者からも報告があったはずなのに、急ぎ過ぎたんだ。早く、レティシアを解放したくて」
ジルクハルトはヴィクトリウ侯爵家の罪に気づいていた。あの邸で何が行われていたかも知る立場にあった。
「レティシアの様子を確認するために邸を訪れたがヴィクトリウス侯爵令嬢の相手をしなければレティシアが傷つけられる。訪問しなければ機嫌を悪くする。だから義妹と親しく振る舞っていたが、レティシアの心を傷つけてしまった……」
その頃を思い出し、懺悔しているかのように、ゆっくりと言葉を繋ぐ。
お腹にあったジルクハルトの手がレオンの手に重なり、耳朶にあった唇が首元へと移り顔を埋めている。
ジルクハルトもレティシアも全てを解決するには幼かった。
レティシアが行方不明になった、だがジルクハルトはそれを利用してヴィクトリウス侯爵家の全ての罪を明かす準備をすると決めた。
大きな罪だけを明らかにして当主を交代させるのではなく、レティシアを傷つけた義家族を破滅させる。
破滅させるために自分の命を狙っているオースティン侯爵家と対峙することを決め、弟であるライナハルトと距離を置いた。
全てはレティシアを王太子妃として迎え入れ、その命を護るために。
「そんな愚かな男をレティシアは受け入れてくれるだろうか」
赦しを乞うようにレオンに問う。
レティシアとしてなら今すぐにでも受け入れて自分も赦しを得たい。
何を伝えるべきか考えていると、ふいに視界が変わった。天蓋が見えて直ぐ、視界がジルクハルトの顔に変わる。
悲しそうな、顔。
「愛しているんだ、レティシア」
ーーーー想いを伝え、彼の心に傷を負わせた分、自分も愛を伝えたい。
ジルクハルトがレオンに覆い被さっている。手を繋いだまま……。
今、自分はどんな顔をしているのだろうか、レティシアの顔をしているのだろうか、と、その繋がれた手をほどき顔を覆いたくなる。
「あ、の」
レオンは顔を隠せない代わりに顔を背けた。ジルクハルトの視線が熱い。
「レティシアがどう思うか解ったら教えてくれ」
手の甲へ口付けて微笑んだ。
それに頷くしかなかった。
ジルクハルトはレオンの頭を撫でた後、隠し扉から自室へと戻っていく。
レオンは隠し扉が衣装部屋の奥にあったことに驚いたが、呆然と見送ることしかできなかった。
(わたし、レティシアの気持ちを伝えたいけどレオンが伝えることに意味があるのかしら……それってもう、レティシアだって明かして……)
そこまで考えて気づいた。
既にジルクハルトはレオンがレティシアであると確信しているから、レオンに好きだと明かしレティシアに愛していると告げたのだ。
そう考えると身体が熱くなる。
今までレティシアだと知りながら接してくれたジルクハルトは、レオンに優しくしてくれた。放火事件の頃には気づいていたのなら、護るために王城に部屋を与えたのだろう。
それならセドリックがセシルであることにも気付いていて、伯爵領での領地経営を学ばせたのは他の目的があってのことなのか、と考えるが目的が見えない。
六時になる前に身支度を済ませ、どんな顔でジルクハルトを起こしに行けばいいのか。起きているだろうけど、ジルクハルトの出方が想像できない。
義妹との事は誤解であったと知れて嬉しかった。ジルクハルトの言葉通り、誤解を招いたのは事実であり、初めから話してくれていれば義妹のことを含めて二人で協力して対応できたはずだ。
幼い二人が言葉にせず自分の気持ちを守るために互いを信頼しきれずに犯した過ちにしては、互いを知り合うまでに時間がかかり過ぎた。
再び出会うまで苦しんだ期間が互いを成長させたのだろう。
それでも、レオンがレティシアであると告げられなかったのは、今の関係を失うのが怖いから。まだ少し、信頼し切れていない自分をレオンは腹立たしく感じている。
いつまでも答えを出さずにいるのは不誠実だろう。ジルクハルトは、どんな自分だって受け入れてくれる。それはこの一年と少し、一緒に過ごした事で知っている。
(あとは、わたしの気持ち次第なのね。……レオンがレティシアだと気づいていることを前提にしたら、私、この後にレオンとして顔を合わせられるかしらっ!?)
今更、レオンとして振る舞うのは恥ずかしいが、ジルクハルトの専属護衛である以上はレオンでなければいけない。
今ここでレオンがいなくなると、音楽演奏会が成り立たない。
レオンになるためにサラシをキツく巻き気持ちを引き締める。
この数年、レオンとして生きてきたのだから演じることは容易いと自分に言い聞かせる。
そして、いつも通りジルクハルトを起こすために部屋へと向かう。