40.ジルクハルトの愛①
夏の長期休暇が終わると、セドリックは荷物を抱え馬車に乗り込み王城を後にして南の領地へと向かった。
レオンは乗合馬車を勧めたが、ジルクハルトが王家から伯爵家へ依頼したのだから、王家の馬車を使用すると、紋章なしの一級品を用意した。
流石にセドリックも断りを入れたが、何を使用しているかで相手の受け取り方が変わるからと、ジルクハルトの提案を拒めず、ありがたく利用させてもらうことになった。
南の領地は到着までに三日かかるようだから、王家の一級品の馬車なら、それほど身体疲れないだろう。
レオンは見送りの際に、馬車が見えなくなるまで心配していた。
グレン伯爵と父親は夜会などで顔を合わせた程度だろうから、セドリックを見てセシルだとは気づかないだろう。
それでも、正体が暴露ないように過ごして欲しい。
夏の長期休暇明けから二ヶ月が経ち、学園は比較的落ち着いている。
貴族会も、表向きは落ち着いているようだ。
執務室へと乗り込んできたマリアンヌも大人しくしている。相変わらず、食堂などではジルクハルトに話しかけ、他の婚約者候補を牽制しているようではあるが。
他の婚約者候補と目される令嬢達も、本人の意思がない、婚約者との仲が良好だとジルクハルトへは接触してこない。
それでも監視の目があるのか、以前に比べて挨拶後に一言二言は話すようになっていた。
定期的にセドリックからも手紙が届き元気にしているようだ。最初は挨拶回りと役所での下働きをしていたが、伯爵の近くで執務をしており経営を学んでいると。
領民たちとの交流や休暇には教会や孤児院へ出向いて子供達と遊んでいるそうだ。
近隣の領主や領主代行と意見交換をしたり領地視察をして見聞を広げ、毎日が充実していると手紙に書かれている。
明日は学園で音楽演奏会が催される。
今年は初めてジルクハルトやラウル、リベルトとクロードが演者として参加する。
何故かレオンも参加して五人で演奏することに。
ジルクハルトとリベルトはヴァイオリン、ラウルがピアノ、クロードがチェロ、レオンがヴィオラを担当する。
二ヶ月前から五人で時間を合わせて何度も練習をしたことで、王太子と側近として皆の前に立ち演奏するにふさわしい出来栄えとなった。
この練習は、とにかく楽しくて時間を忘れるほど熱中した。楽器を触るのなんて久しぶりで、初めは指が動かず音も不安定だったが、勘を取り戻してからは滑らかに動かし、他の四人の足手纏いにならない演奏ができるようになった。
最後の練習も滞りなく終わり、就寝のために与えられた部屋へと向かう。
一人で使うには広すぎる部屋。
王族が利用するにしては狭く、着替えるためだけに利用するには広い部屋だ。
今はもう、セドリックと狭い部屋で暮らすことに慣れているレオンにとっては、一人で部屋にいると広さのせいで寂しく感じる。
毎日のように忙しく、この二ヶ月は自室へ戻ってからもヴィオラの練習をしていたことで、セドリックがいない寂しさを紛らわすことができた。
「あとは明日の本番で最高の演奏ができたら言うことなし!!ジルクハルト殿下が今年初めて演奏するみたいだから、成功させないと!」
昨年は音楽演奏会の時期に編入したが、ジルクハルトは演奏していなかった。ラウルがソロでピアノを弾き、鳥肌が立ったのを覚えている。
レティシアの頃もラウルが弾いたクリアなピアノの音色に感動した。もう一度、聴かせて欲しいと何度か強請れたのは幼かったからだ、と思いたい。
寝心地の良い寝台へと入り夢の中へ。
目覚ましがなくても毎朝、同じ時間に目が覚める。ジルクハルトの隣室になってから朝の時間に余裕があり、少し、遅く起きても準備が間に合う。
レティシアとしてなら化粧やドレスを着たりと男よりも時間がかかる。
男装とは便利だ。晒しを巻くのに手間はかかるが、最低限の身だしなみで済む。着替えて顔を洗い歯を磨いて髪を整えて食事をとるだけだ。
市井で暮らしていた時より柔らかい寝台と枕で身体の疲れも取れる。
この生活に慣れるのがこわいから、早く市井へ戻りたい。
二度寝の最中、とても心地良い香りに包まれている。温もりに安堵する。
ーーーーーーあれ?
お腹に大きな手、頭の下には腕、背中には温もり、耳元にかかる息、知っている。これは何度か経験したことがある。
(こ、こは私の部屋のはずなんだけど……お酒も飲んでいない……セドリックが帰ってきたわけでもないのに、これ、は……)
どうして、この部屋にいるのか、今のこの状態は非常にマズイ。晒しを緩めているので下手に動くとジルクハルトの手が当たるかもしれない、どう切り抜けるか考えるも、お腹にまわしている腕が前回より強く、逃げ出せない。
「起きているのか?」
「は、い」
寝起きのジルクハルトの声が耳に甘く絡む。
「暫くこのままで……」
「へ?あの、起きる時間なので」
「んっ、少しだけ」
と、頸に柔らかい感触を感じる。
口付けられている、と意識すると羞恥が湧く。
「ど、うしてここに?」
「眠れなくて。レオンの甘い香りは眠りを誘うから」
「部屋に鍵をしていたはずですが」
主だから鍵を持っているにしても、せめて、許可を取ってから入室するのが礼儀だろう。
「この部屋と俺の部屋は隠し扉で繋がっている」
「はいっ?!」
ーー今、恐ろしいことを言わなかったか?
ジルクハルトの部屋とレオンの部屋が隠し扉で繋がっている、と、あり得ることではあるが、事前に知らされていないし部屋への侵入なんてプライバシーの侵害だと訴えたい。
「そう怒るな、主と護衛なら問題ないだろ」
「いや、あの、大問題です。こんな主はお断りです。今すぐに出て行っていただけますか?」
「六時に起きれば間に合う」
「貴方は六時、私は今、です。もう一度言いますよ?出て行きやがれ、です」
「相変わらずレオンは口が悪い」
「主が主なので仕方がないのです」
レオンも口悪く言いたい訳ではない。
本来の主と護衛は、こんな関係にはならないはずだ。口悪く言い合えるのは乳兄弟のように幼い頃から育った者くらいだろう。
「そんな所も含めて、お前が好きだ」
「はい……?」
思わず声が上擦った。
ジルクハルトはレオンが好き?
レティシアではなくレオンに心惹かれているのか?
「ご……ご冗談を。笑えません」
「冗談ではない」
ジルクハルトは卒業する半年後までにレティシアを見つけるのではないか。
そのために婚約者候補すら決めずに会議を終わらせたはずなのに、と、レオンは婚約者選定会議でのジルクハルトの発言を思い返す。
「レティシア様に失礼になりますよ。さぁ、ご自身の部屋へ戻ってください」
お腹にあるジルクハルトの腕に手を添え引き離そうとするが、後ろからギュウッと抱きしめられる。
「お前は私のことをどう思っているんだ」
それはレオンに対して尋ねているのか、レティシアの想いを代弁させようとしているのか。
「そ、れは。……お護りするべき大切なお方です」
伝えられる精一杯のレオンとしての気持ち。
それは大切な主であると、伝えること。
「……そうか。レティシアは受け入れてくれるだろうか。半年後、私が差し伸べる手を取ってくれるだろうか」
『貴方の気持ちを伝えたら喜ばれると思います』と言葉にすることが出来ない。言葉にすると、今の主と護衛の関係を壊してしまいそうだ。
「……それはレティシア様にしか解りません」
いつもと同じだ。今、レティシアに答えることは出来ないのに。