10.噂話と朝のお仕事
明日から学園が再開する。犯人を捕まえて処分した事は公にはしていないが社交界では噂になっている。
王城で開催される夜会と学園での噂以外は耳にしないが、クロードとラウル、リベルトが参加した夜会では真意を知りたがる貴族が多く集まるようだ。
それと同じく『王太子が平民に入れ込んでいる』という噂があるらしく、学園に通っているのか市井にいるのか、表面上は婚約者を探しているが心に決めた女性が他にいるのではと、貴族達はジルクハルトが想いを寄せているであろう娘探しで躍起になっている。
本当に平民なら養女にして王家に嫁がせれば外戚になり王城での地位も発言権も上がる。
「たった数日なのに、ジルクハルトが平民に入れあげている噂がすごいよ。お前の寵愛を受けている令嬢を血眼になって探しているみたいだ。誰が言い出したんだろうな」
「レオンのことは王城の人間しか知らないはずだ。恐らく侍女あたりから漏れたのだろうな。一瞬しか顔を見ていない侍女はレオンを女だと思ってもおかしくない」
マナーとダンスのレッスンをさせる時は夜会用の服を着せているので貴族の令息に見えるが、他の時間は近衛の黒い制服を着ている。ただ、お茶をするのに座っていて服装が分かりにくい位置にいると、顔だけだと遠目では令嬢に見える。
レオンを見に来た騎士団長の息子である侯爵家のリベルト・ヒネーテが『二番隊に女っ?!』と驚いていたくらいだから、遠目から見たら侍女達には令嬢に見えただろう。
一緒にお茶をしているジルクハルトが何故か嬉しそうに微笑んでいれば尚更。
レオンが周りの目を気にせずジルクハルトに差し出される果物を美味しそうに食べているのが噂に拍車をかけている。
「学園が始まって隣にいるレオンを見て驚く奴らの顔を見るのが楽しみだよ。で、進捗はどうなんだ?」
「上々、覚えがいい、身体を動かすのも苦手ではないらしいな。レオンは平民だといっているが、両親のどちらかは貴族籍にいたと思っておいた方がいい」
「調べてみたけど該当するような貴族に心当たりがないんだよ。兄弟二人を庶子として産ませそうな貴族ならいるけど……あそこまでの教養を与えられる奴はいない」
「真実に嘘を織り交ぜているかもしれないな。そうまでして護りたいものがあるんだろうから今は見守るさ」
ここ数日のジルクハルトは、この数年の中で一番機嫌がいい。この機嫌の良さも噂に拍車をかけている。
媚薬を混入された時は最悪だった。恐ろしくて誰も近寄れない、目つきも悪く、証拠もないのに主犯だろう男を殺しに行きそうだったのを止めるのが大変だった。
あの時、オースティン侯爵家の人間と出会していたら王城内で殺し合いが始まったかもしれない。
「明日から六時前には王城に到着、お前の侍従を務めて一緒に学園へ登校か。放課後も王城まで戻ってきて護衛兼侍従をして二十一時に勤務終了か」
「弟がいるらしいから最大限配慮しての勤務時間だ。王城に部屋を用意すると伝えたが断られた。弟も連れてこいと言ったのだが、身の丈に合った生活をするんだとさ」
「王城に部屋を持つのは王族護衛の特権なのに断るなんて珍しいな。意外としっかりしているところは好感が持てる」
王太子付きの護衛兼侍従は朝早くから夜遅くまで勤務するため王城の王太子の部屋の近くに部屋を与えられる。いつでも直ぐに駆けつけることが出来るようにするためだ。
平民街から王城までは馬を使っても距離がある。朝早くからの勤務だと遅くに帰ると睡眠時間が削られる。
「噂の原因の一つだけど、入れ込みすぎじゃないか?確かに優秀だけど、手土産を持たせるとか……そりゃ侍女も女に渡していると勘違いするよ。わざわざ、ジルクハルトが季節外れの苺まで作ってるんだからな」
今は苺の季節ではない。お茶の時間に出していたのはジルクハルトが魔術で成長させた苺だ。
レオンは、王族だから季節外れでも苺が手に入ると勘違いしている。レティシアの時も、季節を問わずに苺を使ったケーキを食べていたからだ。
「レオンは苺が好きみたいなんだ。一番、嬉しそうにしているからな。餌付けしておかないと」
「もう好きにしろ。俺は好感が持てるから友人として付き合う分には問題ないな。ラウルとリベルトは少し様子見するとさ」
「直ぐに打ち解けるさ。クロードも名前呼びを許すくらい直ぐに打ち解けられただろ?」
「人懐っこい犬みたいで、つい」
「人を陥れて注意を引くような奴よりマシだろ?比べるのが失礼なくらいだしな」
「あぁ。学園へ入学すれば早々に動きがあるだろうな。蹴落とすために」
「レオンなら対処できる。知ってるか?女の嫌がらせより男の方がやり方が緩い」
「そーだろーけど、男同士で遣り合うのは面倒が増える」
「レオンは継ぐ爵位がない分、自由が利くから有利だよ。俺が側にいるだけでも牽制になる」
クツクツと笑いながら楽しそうにしているジルクハルトを見るクロードは、やれやれとため息をつく。入学してからレオンに降りかかるだろう悪意に、どのように対処するのか楽しみで仕方がないという顔だ。
翌朝六時にレオンはジルクハルトの私室へと向かった。
(朝六時に起こすとは聞いてない!!起こす仕事って何よ!自分で起きなさいよ!)
時間になったら起こす仕事は侍従の業務ではあるが、それを自分がすることになると聞いたときには口から魂でも飛び出したのではないかと思うくらい意識が遠のいた。
確かに、侯爵家にいた幼い頃は侍女が起こしに来ていたが、義両親になってからは一人で起きて朝の準備もしていたので、起こされるなんて遠い記憶だ。
士官学校では時間になったら起きる癖をつけていたから、人に起こされるなんて恥だと思うくらいになっていた。
ブツブツと悪態を吐きながらジルクハルトの部屋の前へ行くと護衛が部屋を開けた。ジルクハルトの部屋の前で待機する護衛とは隊は違うが仲良くなり顔見知りだ。
部屋へと入ると、やはりまだ起きていないようでカーテンが締め切られている。当たり前か。
リビングルームのカーテンを開け、寝室へと向かうとシーツに包まって眠っているジルクハルトの黒い髪の毛が見えた。
(ちゃんと服を着て寝ていますように!)
服を着ずに寝ていたり、深夜に女を呼んでいた場合は裸のままの可能性もある。みたくないものを見せられては堪らない。
男装しているが嫁入り前で見たことがないから悲鳴をあげてしまうかもしれない。
意を決して声をかける。
「ジルクハルト殿下、お時間です」
声を掛けるが反応がない。仕方がないので、目覚めがいいようにカーテンを開けて陽の光をいれてみた。が、まったく動かない。
顔を覗き込むと紫色の瞳がまぶたで閉じられている。眠っている顔は昔のまま幼く感じられ、思わず笑みが溢れる。
「ジルクハルト殿下、朝でございます。起きてください」
二度目の声かけにも反応がない。
昨日、他の侍従からは寝覚が良く声をかければ直ぐに反応するとか、起きていることが多いと聞いていたのに今朝は起きない。何故だ。
「ジルクハルト殿下、起きてください」
肩の辺りを揺さぶってみた。起きないのだから、これくらいは許されるだろう。顔を覗き込んだ瞬間、手首を掴まれシーツへと連れ込まれ……
「ちょっ!!ジルクハルト殿下!起きてます?!起きてますよね?!」
(熊のぬいぐるみか何かと勘違いしてる?!ちょっと!離せこのやろうっ)
引き込まれて抱き枕よろしく抱きつかれレオンは泣きそうになる。よくよく見ると上半身裸のようで、色っぽくてどうしていいのかわからない。
(少し見えた感じだと下は履いているのが救いだわ)
何度もジタバタと動きジルクハルトに声を掛けて起こそうとするが目覚める気配がない。時間が過ぎてしまっては侍従失格、初日から慌ただしいのは勘弁願いたい。
ぐふっ…!
冷静なつもりだったが、思わず手が出ていた。気づいた時には腹を殴っていた。
いや、男でも女でも貞操を守るための正当防衛なら許されるはず……。
「起きましたね!おはようございます!」
手の力が緩んだ隙に寝台から降りて離れる。何事もなかったように振る舞えば夢の中の出来事と思ってくれる……はず?
「手荒い侍従を雇った覚えはないのだが……朝から殴るのはやめろ、さすがに想定外だ」
「奇遇ですね!寝起きの悪い主を持った覚えはありませんし、何のことです?どうされました?」
「いや……レオンがそう言うなら夢にしといてやる」
「明日からは一度で起きれると、お互い幸せですね」
「そ……うだな」
レオンを見たジルクハルトは咎めるのを諦めた。レオンは笑っているが、目が笑っていない。この冗談はダメな部類かと思い直し、明日からは別の冗談にしようと考え直す。